「孤独を埋める」

 「孤独を埋める」



日向から電話がかかってきたのは、電車を降りてすぐのことだった。
いつもはメールで済ます日向が、わざわざ電話を掛けてくるなんて珍しい。
何か言い忘れたことでもあったのだろうか。
不思議に思いながらも、、百合は通話ボタンを押した。

「もしもし?ひーくん?」

『あ…百合。えっと…もう家?』

電話口から聞こえてきたその声は、どこか沈んでいるように聞こえた。
やっぱり、今日の日向は元気がない。絶対、何かがあったのだ。

「まだです。今ちょうど電車降りたところですよ。」

『そっか。…急にで悪いんだけどさ、今日…泊まりに来ない?』

「え?でもお母さんは…。」

『出掛けてるんだ。久しぶりに、どうかな…って思ったんだけど…。』

「行く!行きます!」

『…ホント?』

「はい!家帰ってお泊りの準備してからすぐ行きます!」

『うん、わかった。電車乗ったら、またメールして。迎えに行くから。』

電話を終えて、百合は早足家に帰った。
急いで着替えや、お泊り用の化粧品を用意する。
確か、シャンプーやパジャマは日向の家に置きっぱなしだ。
ああでも、寒くなってきたから、冬用のパジャマを持って行こう。

日向の家でお泊りなんてどれぐらいぶりだろう。
なんだか凄く久しぶりな気がする。
と言っても、二カ月ぶりくらいか。

ドキドキする気持ちを胸に、百合は荷物を鞄に詰め込む。
そして、帰って三十分もしないうちに支度を終えて家を出ようとした。
その途中、廊下で椿とすれ違った。

椿は自分の大荷物を見て察したらしく、

「またお泊り?ほどほどにしないと、お父さんに怒られるわよ。」

と、意地悪そうに笑った。
百合は両手を合わせて、おねだりのポーズを作る。

「お姉ちゃん、お願い。適当に誤魔化しておいて。」

「はいはい。もー、しょうがない子ねえ。」

仕方ないな、というように椿は肩を竦める。

「お父さんが帰って来ないうちに、早く行きなさい。見つかったらお説教長いわよ~。」

昔から椿は、妹に甘いのだ。
父には友人の家で勉強会とでも言い訳しておいてくれるだろう。
「ありがとう、お姉ちゃん」そう言って、百合は駆け足で家を出た。

電車に揺られながら、百合は考える。
何故日向は、別れた後に急にお泊りを言い出したのだろう。
母親が出掛けていると言っていたが、今日は退院してくる日じゃなかったのか。
母親は、病み上がりの体で、何処に出掛けたというのだろう。

日向の元気が無いように感じたのは、気のせいなんかじゃなかったのかもしれない。
電話口の声も暗く沈んでいたし、帰り道に「寒いだけ」といた日向の目は泳いでいた。
それでも、日向に何かあったことが心配になる反面、真っ先に自分を頼りにして連絡をくれることが、嬉しかった。

きっと、今日はいつも以上に甘えたい気分の日なのだろう。
たっぷりと、甘やかしてあげないと。
あの人の、傷も、孤独も、寂しさも、全部自分が癒してあげるんだ。

日向が待つ駅に着いたのは、電話が来てから三時間後のことだった。
日は沈んで、辺りはすっかり暗闇に包まれている。古い街灯だけが、寂しく点滅していた。
ホームには、私服に着替えた日向が待ち侘びたように立っていた。

電車を降りるなり、すぐに日向は駆け寄ってきた。

「ごめんなさい、遅くなっちゃって。」

「ううん、来てくれただけでも嬉しい。風邪ひいちゃいけないから、早く行こう。」

そう言って、日向は自分の手を引く。
一体いつから待っていたのだろうか。日向の体は冷え切っていた。指先も氷のように冷たい。
その手を温めてあげようと、百合は日向と手を繋いだ。

毎日のように手を繋いでいるが、この日の日向は、何度も手を握り直した。
掌を擦り付けるように握ってみたり、手の甲を撫でてみたり、指を絡めてみたり。
まるで、自分の手の感触を確かめるようだった。

通い慣れた暗い田舎道を歩いて、日向の家に着いた。
夏休みは毎日のように上がり込んでいたのに、随分久しぶりのように感じる。
日向は慣れた手つきで鍵を開け、自分を中へと促した。

百合は玄関へと足を踏み入れた。
玄関の扉が閉まると同時に、背後から日向が抱きしめてきた。

「ひーくん?」

驚いて振り返ると、日向は髪を掻き分けて、首筋にキスを落としてきた。
唇が首筋を這う感触が、なんだかくすぐっい。
背中越しの体温と、耳元で聞こえる息遣い。
どうしたのだろう。いつもの日向じゃないみたいだ。

「ちょ、ちょっと、ひーくん。急にどうしたんですか。」

百合は困惑して声を上げた。
けれど、日向は何も言わずに、キスを落とし続ける。
抱きしめる腕は、まるで自分を逃がすまいと力が籠っていた。

身動きが取れない。どうしよう。なんだか、怖い。
今日の日向は、やっぱりどこかおかしい。
百合は身を固くして、解放されるのを待った。

「大丈夫、何もしないよ。」

そう言いながらも、キスの雨は止まらない。
首筋に、肩に、日向の唇が這う。
肌に触れる呼吸が、なんだか熱っぽく感じる。

しばらくして、日向は堪能し終えたかように、両手をパッと離した。
解放された百合は振り返り、おずおずと日向を見つめる。
すると、日向は少し困ったように眉を下げ、肩を落とした。

「ごめん。…こういうことできるの久しぶりだから、我慢できなかった。…怒ってる?」

「ちょっと…びっくりしただけです。」

「ホントごめん…。そんなつもりじゃなかったんだけど…。
 あ…えっと…今日、寒いからシチュー作ったんだ。百合はシチュー好き?」

機嫌を窺うように、日向は自分の顔を覗き込む。
上目で見つめる視線が、不安そうに揺れる。

「シチュー?好きです!」

日向は安心したように息を吐いた。

「そっか、じゃあすぐ温めるよ。」

「もうできてるんですか?」

「うん、百合のこと待ちきれなくて。」

そう言って、日向は嬉しそうに笑う。
そして、何事もなかったかのように、自分の手を引き、リビングへと案内した。

リビングに入ると、部屋の様子がガラリと変わっていた。
キッチンの近くのダイニングテーブルはそのままだが、テレビの前のソファーとテーブルが無くなっている。
代わりに、小さなコタツが置かれていた。

「わあ、おコタツだ!」

「うん、さっき出したんだ。」

「さっき?」

「百合待ってる間することなくて…。寒いしどうせなら、って思って。」

そう言いながら、日向は頬を掻く。
照れた時の癖だ。

それから日向が作ったシチューを二人で食べて、いつものようにテレビを見ながらダラダラとした時間を過ごした。
いつもなら、ソファーで肩がくっつくほど寄り添って座るのだけれど、今日はそのソファーがない。
二人は、向かい合うような形でコタツに足を入れていた。

思えば、食事をする時以外、向かい合って座ることなんてほとんどなかった。
大体いつも隣に日向がいるはずなのに、そこが空いているのは、なんだか変な感じだ。
そんなことを考えていると、なんだかやけに視線を感じる。
向かい側を見ると、日向はテーブルに顎を乗せて、リラックスしきった格好をしていた。

「…ねえ、そろそろくっついてもいい?」

そう言って、日向はうずうずと上目で自分を見つめる。
さっきあんなことをした手前、自分からは触れにくいのだろう。
まるで、お預けをくらった犬のような姿は、見ていてなんだかおかしく思えた。

「もー、ひーくんったら。わんこみたい。」

「…ダメ?」

「いいですよ。」

クスクスと笑いながら、百合は両手を広げる。
後ろから自分を抱えるように、日向がコタツに入ってきた。

「あら、後ろからなんですか?」

日向に凭れて百合は聞く。

「だって、こっちのほうがくっつきやすいし。」

そう言って、日向は自分を抱きしめてきた。

「これじゃあ、私はひーくんのこと、ぎゅーってできないじゃないですか。」

「いいの。俺がこうしたいから。」

自分の髪を梳きながら、日向は満足そうに笑った。
それからは、いつものように指を絡ませてみたり、キスをしてみたり、イチャイチャと恋人らしいことをして過ごした。
思った通り、今日は甘えたい気分らしい。
日向の誕生日以来、こんなにくっつけたことがなかったから、尚更だろう。
まるで充電でもするように、日向は自分の体温を貪った。

夜も更けてきて、そろそろお風呂にしようと、日向は一旦浴室へ消えた。
湯を張り終えて戻ってきた日向は「今日も、泡風呂にしたんだけど。」と言った。

「うわあ。楽しみだなあ。」

百合は楽しみな気持ちで風呂場へ行こうとしたら、日向に裾を掴まれた。

「今日は一緒にお風呂入る?って聞いてくれないの?」

「ええ?ひーくん一緒にお風呂入りたいんですか?」

百合は困惑して首を傾げると、日向は照れたように視線を逸らした。

「…ダメならいい。」

そう言って唇を尖らす姿は、子供のようだった。

「そんなに拗ねないでくださいよ。」

「ううん、別に拗ねてないよ。言ってみたかっただけ。」

結局、一緒に入ることはなかったけれど、日向があんなことを言うのは珍しい。
いつもなら、照れて、思っていても口に出さなさそうなのに。
今日は相当飢えているんだろうな、と百合は思った。

風呂を終えてリビングに戻ると、日向はコタツに入りながら寝転がっていた。
コタツに足を入れて背中を丸めている姿を見ると、童謡の中の猫を思い出す。

「ひーくん、本当に猫みたい。」

「…さっき犬って言ったじゃん。」

「さっきはわんこみたいだっだけど、今は完全ににゃんこですよ。」

クスクスと笑いながら日向の隣に腰を下ろすと、日向はごろんと膝の上に頭を乗せてきた。
いつもなら、恥ずかしいからと言ってこんなことしないのに。

「俺、百合のペットでいいよ。」

瞼を閉じて、日向はぼそりと呟いた。

「ペットでいいから、捨てないで。」

日向の両手が腰に絡みつく。

「ひーくんは、ペットじゃなくて私の彼氏でしょう?どうしたんですか?今日のひーくん、何か変ですよ?」

百合は、子供をあやすように、日向の頭を撫でる。

「…寂しい。」

「寂しい?」

日向はゆっくりと体を起こす。

「本当はさ…。母さん、また出て行ったんだ。」

「出て行った?どうして?」

そう聞くと、日向は一枚の紙を差し出した。
日向に宛てた、母親からの置手紙らしい。

「一緒に暮らせない、一緒に暮らしちゃいけないって…。」

「そんな…。」

「百合…。俺、また独りぼっちになったんだ…。」

日向は俯いて、拳を握りしめていた。

「こんなこと言ったら、笑われるかもしれないけど…。それなりに、幸せだったんだよ。母さんとの生活。
 前の母さんは、確かに酷い人だった。殴られたり蹴られたり、もう嫌だって思ってた。
 でも…昨日までの母さんは…優しかったんだ。いっつもニコニコしてて、『おはよう』とか、『おかえり』とか…言って…くれて…。」

涙が一粒、日向の拳に落ちた。

「普通の家族になれたみたいで…嬉しかったんだ…。」

麻丸。
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麻丸。

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