「影を探す」
「影を探す」
将悟から聞いた誠の電話番号に、電話をかけてみないといけない。
京子を見つけて、彼方の居場所を聞かないといけない。
彼方を、連れ戻さないといけない。
いなくなった母親を、探さないといけない。
色々することはあるのだけれど、今は孤独を埋めることだけを考えていた。
心が寒くて仕方がなかった。
やっと手に入った普通の家庭が、脆くも崩れ去った。
結局自分は、彼方も母親も失ったのだ。
そんな孤独を埋めるために、百合を利用するような真似をする自分は卑怯だと思う。
けれど、そうしないと自分が壊れてしまいそうだった。
独りが怖い。孤独が怖い。誰にも愛されなくなるのが、怖い。
誰かに、愛されていたかった。
誰かに、必要とされていたかった。
独りぼっちになるのは、もう嫌なんだ。
日向は言葉に詰まりながらも、母親がいなくなった理由について話した。
おそらく、真実であろう事故の憶測も。
百合は何も言わずに静かに自分の話を聞き、自分を抱きしめ、頭を撫でてくれた。
自分の弱さと、情けなさに、腹が立つ。
百合の前でだけは泣かないと、決めていたのに。
「大丈夫。ひーくんは一人じゃない。私がいます。私は絶対にひーくんから離れたりしませんから。」
暖かい温もりで、百合は自分の体を包む。
その胸に顔を埋めると、甘い香りが鼻孔をくすぐった。
なんだか落ち着く、百合の香り。
「…ホント?」
「本当ですよ。私がひーくん見捨てるわけないでしょう?
たとえ、ひーくんから『別れて』って言われたって、ぜーったい別れてあげませんから。」
優しい声で、百合は囁く。
「俺…っ。百合が思ってるより、ずっと情けないよ?」
「知ってます。そんなところも含めて好きですよ。」
「俺、全然男らしくないし、百合にカッコいいところみせたいと思っても、何にもできないし…いいところなんてないよ…?」
「あら、ひーくんはいいところだらけじゃないですか。優しいし、器用だし、お料理も上手だし。それに、とってもカッコいいですよ。」
「こういうの言うの恥ずかしいけど…。俺、意外と寂しがりだし、いっぱい百合に甘えるよ?」
「そうですね、ひーくんは甘えん坊ですもんね。でも私は、そんなひーくんが好きなんですよ。」
一つ一つ丁寧に、百合は不安を解いていく。
凛とした声と、優しい指先。天使や女神のようだと思った。
いつだって、自分を癒してくれるのは、百合しかいない。
彼方がいなくなっても、母親がいなくなっても、百合はこんな自分の傍にいてくれた。
百合がいたから、自分は腐らずにいられたんだ。
「俺、百合に話さないといけないことがある。」
意を決して、日向は顔を上げた。
「なんですか?」
「怒らないで聞いてくれる?」
「もちろんですよ。」
「彼方のこと…なんだけど…。」
そう言いかけて、百合の引き攣った頬を見て、言葉を飲み込んだ。
百合の前で彼方の話をすると言うことは、百合との約束を破るということだ。
自分が誰よりも信頼し、愛している百合を、裏切るということだ。
それでも、今言わなきゃいけない気がした。
百合に隠し事なんてしたくない。自分の全部を百合に知っておいてほしい。
例えそれが、自分の自己満足だったとしても。
けれど、やっぱり怖い。
百合まで失ってしまったら、自分には何も残らない。
失うのはいつも一瞬だ。たった一言を間違えれば、百合も―。
喉元まで出かかっているのに、言葉が出てこなかった。
百合を見つめると、彼女は難しそうな顔で俯いていた。
やっぱり、止めよう。言わないでおこう。言うのは、まだ早い―。
そう思ったとき、百合はぎゅっと自分の手を握ってきた。
「いいですよ。言ってください。」
凛とした声で、百合は言った。力強い瞳が自分を見据える。
それは、百合の決意を窺わせた。
日向は、百合の手を握り返し、続きを口に出した。
「彼方のこと…探そうと思うんだ。
やっぱり俺、彼方のことをこのままにできない。百合との約束…破ることになるけど…。
でも、彼方のこと探して、ちゃんと話がしたい。もう逃げたくない。これ以上、誰も失いたくないんだ。」
そこまで話すと、百合は息をふっと吐き、微笑みを作った。
「そうですよね…。ひーくんにとって、彼方さんは大切な家族ですものね。
私もお姉ちゃんがいなくなったら、すぐに探さなきゃってなると思います。」
「百合…許してくれるの…?」
「許すも許さないも、あんな約束をした私が悪いんです。」
そう言いながら、百合は指を絡める。
「探しましょう。彼方さんのこと。私も協力しますから。」
「ありがとう…百合。ごめん、約束守れなくて。」
「もう、ひーくんったら。謝らないでくださいよ。」
おかしそうに百合はクスクスと笑う。
「でも、ひーくんは私の彼氏なんですよ。それは絶対に譲りませんから。」
そう言って、百合は可愛らしくウインクをした。
それから百合と一晩を過ごし、土曜の午後になって百合は家に帰った。
百合を駅まで見送り、家に帰ってから、日向は一人きりの部屋で携帯電話を取り出した。
そして、昨日将悟に教えてもらった誠の電話番号を押す。
『はーい。もしもーし?』
数コールの後、電話口から間延びした声が聞こえてきた。
後ろでは、大音量の音楽が流れている。どこにいるのだろう。
「あ、あの…日向です。」
『ああ、日向君か。将君から大体の話は聞いてるよ。』
ちょっと待って、と言われ、しばらくすると電話の向こうが静かになった。場所を移動したのか。
『で、何だっけ。彼方君のこと?』
「はい。」
『…って言っても、日向君が知りたがってることは、多分俺にはわかんないよ。』
「彼方の居場所とか、知りませんか?」
『さあ?前住んでたところには、帰ってないみたいだけど。』
「前住んでたところって…?」
『うちの店の店長の家。将君から聞いてると思うけど、彼方君、俺と同じ仕事してたんだよね。』
「あの…それってどこですか?」
『行っても無駄だよ。その店長も、彼方君が帰って来ないって心配してるくらいだから。』
「そんな…。」
『勝手に人んちを教えるわけにはいかないけど…。
日向君のバイト先に、竹内京子ちゃんっているでしょ?あの子のお兄さんがうちの店長なんだ。』
「竹内さんの、お兄さん…?」
『そう。だから、その繋がりで彼方君はうちの店で働いてたんじゃない?
まあ、俺も、店長も、彼方君の行先はしらないけど、京子ちゃんなら何か知ってるかもね。
ただ、京子ちゃんは手強いよ~。ホントのこと話してくれるかな。』
そう言って、誠は意地悪そうにクスクスと笑う。
「誠さんは、本当に彼方の居場所を知らないんですか?」
『やだなあ、疑ってるの?本当に知らないよ?
大体、俺は彼方君を日向君のところに帰した方がいいって、ずっと店長に言ってたんだから。』
「…そうなんですか。」
『うん、そう。だから、これ以上のことは知らないから、京子ちゃんを当たってみればいいよ。
あの子は、絶対彼方君がどこにいるか知ってると思うから。むしろ、一緒にいるかもね。』
誠と電話をしても、収穫はなかった。
誠は飄々とした男だが、嘘を吐いているとは思えない。
自分に嘘を吐くメリットもない。
と、なると、後は京子だけが頼りだ。
次にバイトのシフトが一緒になった時に聞き出そう。
そう思っていたのだが、京子に会えないまま、四日が過ぎた。
「…今日も竹内さんは休みか。」
十二月に入ったばかりの水曜日。
店長の梨本は、シフト表を手に、厨房を見渡した。
キッチンの中には日向とシェフの川口。カウンター越しに虎丸が立っている。
「先週末から三回連続無断欠勤なんて、竹内さんらしくないな。虎丸、何か聞いてないのか?」
「えー、わっかんないっすよー。クラス違うっスもん。」
「そうか…。高橋君は?何か聞いてない?」
「俺も、学年違うんで…。」
虎丸は思い出したように「あっ!」と声を上げる。
「そういえば選択教科は一緒なんスけど、今週は一回も見てない気がするっス。学校も休んでるんじゃないっスか?」
「竹内さん、学校も行ってないのか。…よし、虎丸。帰りにちょっと様子見て来い。
サボりならいいけど…竹内さん、一人暮らしなんだろ?何かあったら大変だ。」
「はあ…。じゃあ、帰り寄ってみるっス。」
そうして、その日は、いつもより少ない人数で仕事を回した。
幸い、そんなに忙しくはなかったし、京子のこともあり、いつもより早く店を閉めた。
閉店作業を終えて、着替えて帰ろうとする虎丸の背中に、日向は声をかけた。
「待って、虎丸。竹内さんのとこ、俺も行く。」
「え?高橋さんも?でも、高橋さんちと反対方向っスよ?」
「そうだけど…えっと…ほら、心配だし、さ。」
虎丸は不思議そうな顔をしながらも、自分が付いていくことを断ったりはしなかった。
京子の家は、この田舎には珍しい洋風な外観のアパートだった。
周りの景色に溶け込めていないお洒落な赤煉瓦。
二階建てで、それほど広くはなさそうだ。
そのアパートの前に立った時、なんだかやけに甘ったるい香りがした。
何の香りだろう。自分は何処かでこの香りを嗅いだことがある気がするが、思い出せない。
バニラのような甘い香り。誰かがお菓子でも作っているのだろうか。
虎丸は迷うことなく二階へと続く階段を上った。
何度も来慣れているのだろう。
一番隅のドアの前に立ち、「ここッスよ。」と言った。
二○五号室。それが京子の部屋らしい。
虎丸はインターフォンを押した。
しかし、しばらく待ってみても京子は現れない。
「出ないッスね~。」
そう言いながら、虎丸はもう一度インターフォンを押す。
それでも京子は出ない。耳を澄ませても、物音一つしない。ひっそりと静まり返っている。
「どっか出掛けてるんスかね?」
「いや、寝てるだけかも。」
「やっぱ風邪ッスかね?それにしても長引いてる気がするッスけど…。」
「ああ。何もないといいんだけど…。」
それから何度インターフォンを鳴らしても、京子が扉を開けることはなかった。
どうやら留守らしい。
仕方ないと、その日は諦めるしかなかった。
帰り際、虎丸は鞄からルーズリーフの紙とペンを出して、手紙を書いた。
みんな心配している、連絡がほしいと、ありきたりな内容の手紙を郵便受けに突っ込んで、二人は帰路に着いた。