「懐かしい思い出」

 「懐かしい思い出」



インターフォンを押すと、日向が意外そうな顔を覗かせた。

「百合…。うつるから来なくていいって言ったのに…。」

「そんなこと言って、本当は寂しかったんでしょう?
 せっかく来てあげたんですから、大人しく看病されてください。」

「でも…」

そう言いかけて、日向はゲホゲホと咳き込んだ。
やっぱりまだ本調子じゃないのだろう。
顔も赤いし、足元は少しフラついている。

「いいからいいから。ほら、ひーくんはお布団入って寝てないと。」

そう言って、百合は半ば無理矢理に玄関に押し入る。
そのまま日向の背中を押して日向の部屋まで行き、ベッドに寝かせた。
寒くないように上からしっかりと布団をかけ、額に手を当て、熱を確認する。
思っていたよりも、随分と熱いようだ。

「ひーくん、おでこ熱いですね。熱計りました?」

「今朝は八度五分だったんだけど、薬飲んだから少し下がったと思う…。」

「なら、もう一度計りましょう。体温計はどこですか?」

「そこの机の上の薬箱の中…。」

日向は僅かに体を起こして、部屋の中央を指さす。
百合は言われたとおりに、小さな机の上の薬箱を開けた。
中には風邪薬や胃薬、頭痛薬など、ある程度の常備薬が揃っていた。
その隅から、体温計を取って日向に渡す。

「なんかごめん、こんな格好で…。」

体温計を受け取って脇に挟みながら、日向は恥ずかしそうに俯く。
いつもはきっちりとしていて、いわゆるだらしない格好をしない日向だが、今はトレーナーに、だぼっとしたスウェットパンツという寝巻姿だった。
熱を出して寝込んでいたのだから、当然だろう。

「何言ってるんですか。ちゃんと暖かい格好してないと駄目なんですから、仕方ないでしょう?」

「そうだけどさ…。百合にだらしないところ見られたくないっていうか…。」

「だらしないなんて思ってませんよ。ひーくんはいちいち気にしすぎです。」

「そうかなあ…。」

そう言って、日向は唇を尖らせた。
たまに見せる、日向の子供っぽい表情だ。
熱で赤らんだ頬と相俟って、なんだかいつもより数倍可愛らしく見えた。

そうこうしているうちに、体温計がピピピと音を鳴らした。

「どうですか?まだ熱あります?」

日向は体温計を取り出して、首を傾げる。

「えっと…三十七度八分…。ちょっと下がったみたい。」

「うーん、まだ高いですね…。ご飯は食べたんですか?」

「ううん。だるいし、食欲ないし…。」

「ちょっとでも食べた方がいいですよ。今お粥用意しますね。キッチン借りますよ。」

持ってきた買い物袋を持って、百合はキッチンへ向かおうとする。

「待って、俺も手伝うよ。」

そう言って、日向は慌ててベッドから飛び降りた。
が、足を縺れさせて床に膝をつく。

「もー、フラフラじゃないですか。ひーくんは寝ててください。
 ほら、熱冷まシートも買ってきたんですよ。」

百合は日向の体を支えて、有無を言わせずにベッドに寝かせる。
そして、買い物袋から熱冷まシートを取り出し、日向の額に張り付けた。

「冷たい…。」

「気持ちいいでしょう?」

「うん…。」

「じゃあ、すぐお粥用意しますから、大人しく寝て待っててくださいね。…絶対ですよ?」

「うん…ごめん…。」

そう言って、日向が瞼を閉じるのを確認してから、百合はキッチンへ向かった。

鍋の中でグツグツと煮えるお粥を見ながら、百合は考える。
先程会った、彼方のことを。

どうして彼方は逃げたのだろう。
彼方が家の前にいたということは、日向に会いに来たんだ。それは間違いないだろう。
けれど、会いに来たはずなのに、どうして逃げる必要があったんだ。

相手が自分だったからか?
じゃあ自分が来なければ、日向は彼方に会っていたのか?
そうならば、どうして玄関にずっと突っ立っていたのだ。

玄関の前にいた彼方は、なんだか思い詰めたような表情だった。
彼方も、日向に会うのを躊躇っているのだろうか。
日向だって、彼方を探すと言い出すのに、随分時間がかかった。

ずっと仲がよさそうだったはずの二人。
一度違えた関係は、そう簡単には戻らないのだろうか―。

いずれにせよ、今はまだ彼方に会ったことを黙っておこうと決めた。
日向を動揺させるだけだ。急いで言う必要はない。

出来立てのお粥を持って部屋に戻ると、日向はスヤスヤと寝息をたてていた。
わざわざ広いベッドの隅で丸まって、手には何かを抱きしめているようだ。
近付いて見ると、自分が日向の家に置きっぱなしにしているパジャマだった。
「いつでも泊まれるように」と頑なにパジャマを置いていってほしいと言っていたのは、このためか。
いつもこうやって眠っているのだろうか。
いじらしいことろもあるじゃないか。

百合は、そっと日向の頭を撫でてみた。
いつもより熱い、日向の体温。
素直な黒髪が、まるで甘えるように指に絡みついてきた。

「ん?百合…?」

起こしてしまったようだ。
日向は眠たそうに目を擦りながら、顔を上げる。
そして、目を瞬かせて、慌ててパジャマを布団の中へと隠す。

「何か、見られちゃ困るものでも、隠したんですか?」

何を隠したのかを知りながら、百合は意地悪く笑う。
すると、日向は視線を泳がせて「な、なにもないよ。」と、わかりやすく嘘を吐いた。
口元を手で押さえる癖が出ている。恥ずかしい時の仕草だ。

「お粥、作ってきましたよ。食べられそうですか?」

「うん。」

日向にお粥の入った椀を渡そうとしたが、日向は受け取らない。
代わりに、自分を窺うように見上げてきた。
どうしたんだろうと百合が首を傾げると、日向は遠慮がちに口を開いた。

「あーんとか、してくれないの?」

「…随分熱が高いようですね。」

「…いやならいい。」

そう言って唇を尖らせる日向を見て、百合はクスクスと笑う。
熱のせいなのだろうか。今日の日向は、いつもより子供っぽい。

「冗談ですよ。ほら、熱いからふーふーしますね。」

百合はレンゲにお粥を少し掬って、息を吹きかける。
その様子を、日向は熱に浮かされたようにぼーっと眺めていた。

「はい、あーん。」

レンゲを日向に差し出すと、日向は照れくさそうにしながらも口を開いた。
まだ少し熱かったのか、口元を手で覆って身悶えしている。
やがて飲み込むと、ぱあっと日向の表情が明るくなった。

「…美味しい。これ、百合が作ったの?」

「え、えーっと…。」

嬉しそうな日向の表情に、百合は困惑した。

作った。
どこまでが手作りと呼べるのだろう。
例えばカップラーメンとかはどうだ。
お湯を注ぐだけ。それは作ったと言えるのだろうか。
同じく、レトルト食品などはどうだろうか。
温めるだけ。それを手作りと言えるだろうか。いいや、言えない。
日向にいいところを見せたかったけれど、百合は正直に答えることにした。

「ごめんなさい、レトルトなんです!」

「え?レトルト?」

日向はポカンと口を開けた。

「中村先輩が、『病人には、ちゃんと栄養のあるもの食べさせてやれよ。誰でも美味しく作れるレトルトにしといた方がいいだろ』って…。
 クッキーのこと、根に持ってるんですかね…?」

将悟に言われたままのことを、日向に説明する。
笑ったら失礼だとでも思ったのか、日向は笑いを堪えるようにして、肩を震わせた。

「でも、来てくれただけでも嬉しい。風邪ひいてると、なんか心細くて…。百合がいて、よかった。」

そう言って、日向は気の抜けたような微笑みを作った。

それから食事を終えた日向に市販の風邪薬を飲ませ、再びベッドへと寝かせた。
風邪で食欲がないと本人も言っていたように、日向はほんの少しだけお粥を残した。
そのことを気にしているのか、日向は申し訳なさそうにベッドの中から自分を見上げてくる。
まだ熱で頭がハッキリしていないのか、ぼーっとした眼差しで。

「あれ、百合、その膝どうしたの?」

突然はっとしたように目を瞬かせ、日向は体を起こす。
どうやら、自分の膝のかさぶたに気が付いたようだ。

「ああ、ちょっと来るとき転んじゃったんですよ。たいしたことないですよ。もう血も止まってるし。」

「ちゃんと消毒しないとダメだろ。痕残ったら大変だし…。ちょっとここ座って。」

そう言って、日向は自分をベッドの淵に座らせ、薬箱を持って自分の前に跪いた。
ちゃんと寝ていてほしいのに、自分のことになると少しもじっとしていられないようだ。
でも、自分の前に跪く姿は、なんだか王子様のように見えた。
熱で真っ赤な頬に、額に貼った熱さまシート。目はとろんとしていて、随分頼りない王子様だけれど。

日向は慣れた手つきでガーゼに消毒薬を染み込ませて、自分の膝に当てる。
乾いてかさぶたになっているはずなのに、少し沁みた。
傷口の消毒はあっという間に終わった。驚くくらいの手際の良さ。
最後に大きな絆創膏を膝に貼って、日向は安心したように溜息を吐く。

「もー、せっかく綺麗な足なのに…。」

愛おしそうに日向は、自分の足を膝からすねに向かってそっと撫でた。
そして、おまじないのように絆創膏の周りを円を描くようにクルクルと指先でなぞる。
くすぐったさに、百合は身悶えした。

「なんか…看病するつもりだったのに、逆にお世話されちゃいましたね…。」

「いいよ。それより、今度から気を付けて歩かないと駄目だからな。」

「ひーくんは過保護です。」

今度こそと、日向をベッドに寝かしつけた。
しかし、日向は自分が気になるらしく、そわそわと自分を窺い見る。
なんだか自分がいたら、逆に日向が休めないんじゃないかと思えてきた。
それでも、今日は看病をしに来たんだ。
日向の邪魔にならない程度に、身の回りのお世話をしてあげよう。

「さて、と。何かしてほしいことありますか?掃除でも洗濯でも、私がひーくんの代わりになんでも済ませちゃいますよ!」

「そんなのいいよ、治ったら全部まとめてするし。」

「それじゃ、ひーくんが大変でしょう?今のうちに私がしときますよ!」

「いいって。ほら、下着とかもあるからさ…。」

少し恥ずかしそうに、日向は目を逸らす。
日向も年頃の男の子なのだ。洗濯物を勝手に触られるのは嫌なのだろう。

「んー、じゃあ、他に何かないですか?してほしいこと。」

「そんなの、急に言われても…。」

日向は、考えるように首を傾げる。
そして、思いついたのか、おずおずと自分を見上げ、布団の上に手を出した。

「ならさ、…手、握っててくれる?」

差し出された手を握ると、やっぱりいつもと違う体温が伝わった。
日向は安心したように目を閉じ、ぎゅっと自分の手を握ってくる。

「…俺、小さい時から風邪ひきやすくてさ。体弱いわけじゃないと思うんだけど、季節の変わり目とか、いつも熱出してた。」

ふいに、思い出話でも始めるように、ゆっくりと日向は語りだす。

「俺が風邪ひくと、いつもこうやって傍で彼方が手を握っててくれたんだ。
 料理も全くできないくせにお粥とか作ってくれるんだけど、それがすっごいマズくて…。
 卵も梅干しも何も入ってないし、出汁とか醤油も入れないもんだから味がないんだ。
 でも頑張って作ってくれるから食べないわけにもいかなくて…。」

懐かしそうにしながらも、日向は苦笑する。
思えば、彼方の話なんて、日向の口から今までほとんど聞いたことがなかった。
やっぱり、自分が思っている彼方と、日向が知っている彼方は全然違うのだな、と百合は思った。

「彼方は、本当は優しいんだ。俺なんかと全然違って、本当に優しい奴なんだ。
 百合はアイツが俺に執着してるって言うけどさ、違うんだよ。俺の方が、ずっとアイツに執着してた。
 俺が本当に困ったときに助けてくれるのは、彼方だけだったんだ。
 彼方がいなかったら、俺、本当に何もできなかった。」

日向は体を起こして、自分を真摯に見つめる。
その瞳には、不安の色が滲んでいた。

「彼方…夜の仕事とか売春とか、そんなわけのわかんないことしてるらしくて…。
 止めてやらないと…。俺が助けてやらないと…。早く見つけ出さなきゃいけないのに…。こんな時に寝込んでる場合じゃないのに…。」

そう言いながら、自分に体に凭れかかってきた。
百合はそんな日向の体を抱き止める。

「…彼方に会いたい。」

小さく零したその言葉は、日向の心の底から出た言葉だった。
熱を持った体が小刻みに震える。
日向も焦っているのだ。手掛かりのない彼方の行方を探すことを―。

百合はさっき彼方に会ったことを言おうか迷った。
けれど、やっぱり止めた。
言ってしまえば、日向は今からでも彼方を追いかけると言いそうだったから。
今は、日向の体調を回復させることが先だ。
彼方を探すのは、それからでも遅くはないと百合は思っていた―。

麻丸。
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麻丸。

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