「空っぽの部屋」

 「空っぽの部屋」




「優樹君って、ホント昔から何するにも突然だよね。こっちの都合も考えろっつーの。」

運転席の誠は、豪快に欠伸をしてから自分を恨めしそうに睨む。

「突然じゃないだろ?お前が『仕事終わりで直は無理』って言うから、昼まで待ったのによお。」

「あのさー、馬鹿じゃないの?今飲酒運転の罰則厳しいんだから、酒抜かないと運転できないでしょ~?
 ていうかさ、帰りは優樹君が運転してくれるんだよねえ?
 このまま往復なんて、俺眠すぎて事故起こしかねないからね?わかってる?ホントに。」

「げ。俺、お前の車運転するの苦手なんだよ。でけーし車高たけーし。先に言っとくわ、擦ったらごめんな。」

「擦ったら修理代全額出してもらうから。あと、こんな遠出してるんだから、ガソリン代くらい出してよ。」

「へいへい。ついでに焼き肉でも奢ってやるよ。」

そんな軽口を叩きながら、車は京子の住む町へと向かっていく。

誠からよからぬ噂を聞いたのは、三日前のことだった。
少し前から京子が学校にもいっていないし、バイトもずっと休み続けているという噂だ。
気になった優樹は、今日まで何度も電話をしてみたのだけれど、どうやら京子は携帯電話の電源を切っているらしく、繋がらない。
さすがに心配になった優樹は、誠の運転で京子のアパートへと向かっていた。

自分たちの住んでいる街を抜け、高速道路に入る。
そういえば田舎出身の彼方は、この街を大都会だと言ったが、ずっとこの街に住んでいる優樹からしたら、そうでもないと思う。
栄えているのはほんの一部の繁華街だけで、少し進めは閑静な住宅街が広がる。
郊外には土地が余っているのか無駄に広い平屋建ての買い物施設ばかりだし、無駄に移動時間がかかる上、車がないと何処にも移動できない。
地下鉄にモノレール、クラブやディスコ、一〇九やロフトなど、本当の都会にあるようなものは何もない。
けれど、生活するのに必要なものは全て揃っている。そんな場所だ。

そういえば、京子はどうしてわざわざ田舎の高校へ行くと言い出したのだろう。
高校受験の時、仲のいい同級生たちがこの街の高校を選択する中、京子だけは全く違う土地の学校を選んだ。
第三志望まで聞いたが、どれもこの街の高校ではなかったのだ。
きっと、京子は、最初から自分の元を離れるために、わざと遠い高校を選んだんだ。

その割には、長期休みに入ると自分の住むマンションに入り浸っているし、構ってやらないと機嫌悪そうに拗ねる。
優樹の中では、京子はまだまだ可愛らしい子供のままだ。
だから、京子が一人暮らしをしたいと言ったときは驚いた。
あの頃はまだ「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と今よりも自分にベッタリだった京子が、突然一人になりたいと言ったのだ。
どういう心境の変化かはわからないが、京子の意思を尊重して一人暮らしを認めたが、こんなことになるなんて―。
いいや、まだ何かあると決まったわけじゃない。
けれど、なんだか胸騒ぎがしていた。

焦る気持ちを紛らわせようと、優樹は窓に目を向けた。
何もない開けた視界からは、海が間近で見えた。
太陽の光をキラキラと反射した海が眩しくて、優樹は目を細める。
ああ、そういえば、彼方もあの町の出身だったっけ―。


二時間半のドライブを経て、ようやく京子のアパートに辿り着いた。
アパートの目の前で車が止まった途端、優樹は飛び出すように助手席から降り、真っ直ぐに二階への階段を上った。
誠が運転席から何か言っているのが聞こえたが、無視して京子の部屋の前へと突き進む。
そして、インターフォンを押した。反応はない。
もう一度押してみる。しかし、やっぱり反応はない。
優樹は苛立ちに任せてインターフォンを連打した。
それでも京子は出なかった。

「待てって言ってんじゃん。このシスコン。」

車を停めていたのか、遅れて誠が階段を上ってきた。

「部屋って、二〇五だったよな?裏から確認したけど、カーテンと窓は閉まってるみたいだ。洗濯物もなかった。」

「お前…手馴れてるな。何?借金取りでもやったことあんのかよ。」

「んなわけねえだろ。で?どうなんだ?やっぱ出ないの?」

優樹は頷いて、何度インターフォンを押しても京子が出ないことを伝えた。
扉をノックしてみても、扉越しに声を掛けても反応はない。これ以上は、近所迷惑になる恐れもある。
仕方なしに、合鍵を使って部屋の中に入ることにした。

「あれ?いいのかなー?京子ちゃんも年頃の女の子なのに、勝手に入っちゃって。」

「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ。もし部屋の中で倒れてたりでもしたら、どうするんだよ。」

そう言いながら、合鍵で施錠を外した。
玄関の中に足を踏み入れると、なんだか甘ったるい香りが漂っていた。
たいして広くもない1DKのアパート。
靴を脱いでキッチンを通り過ぎれば、すぐ京子の部屋があった。

京子の部屋は綺麗に片付いていた。
しかしよく見ると、どころどころに彼方の私物が置いてあった。

「なんだ、あいつら同棲でもしてたのか。」

彼方の服、帽子、煙草に
寝巻のようなものまである。
視線を落とすと、テーブルの上には携帯電話が二つ並んでいた。
京子のものと、彼方のものだ。どちらも自分が与えたからよく覚えている。

「優樹君、ちょっとこっちきて。」

そう手招きした誠は、遠慮なしにキッチンで冷蔵庫を漁っていた。
人の妹の家だと言うのに、こいつは…。

「これ見て。」

誠が差し出したのは、半分に切られたリンゴと、賞味期限が切れた肉まんだった。

「リンゴと…肉まん?それがなんだよ。」

「よく見て。この林檎ラップはしてあるけど、まだそんなに茶色くなってない。
 こっちの肉まんはゴミ箱に入ってたんだけど、賞味期限からまだそんなに経ってない。最近まで京子ちゃんがここに居た証拠だよ。」

そっちは何かあった?と言われ、優樹は首を振る。
部屋の中は綺麗に整頓されていて、手掛かりなんてあったもんじゃない。
誠は溜息を吐いて、自分を押しのけるように部屋に入ってきた。
そして、目聡く部屋の中にある小さなゴミ箱を漁る。
取り出したのは、空になった薬のシートだった。

「デパス…抗不安薬だね。こっちは、ええと確か…向精神薬だ。睡眠薬もある。」

「は?お前見ただけでわかんの?」

「製薬会社の御曹司ナメんだよ。みんなが漢字ドリルやってる頃には、薬品の名前とか効能を暗記してたんだからな。」

「へえ。人は見かけによらないって、こういうこと言うんだなあ。」

「うっさいよ。で、何これ?京子ちゃんのじゃ…なさそうだね。」

「…多分、彼方のだろ。」

「ふぅん。」

誠は何かを考えるように薬のシートを見つめて、やがて興味が無くなったようにゴミ箱にほおり投げた。
重要な手掛かりにはならなかったらしい。

「優樹君は京子ちゃんの携帯調べてみて。俺はこっち調べるから。」

そう言って、誠は京子のパソコンを立ち上げる。
優樹もしぶしぶながら京子の携帯を手に取った。どうやら電源が切れているようだ。
いくら妹でも、プライベートを覗き見するのには気が引ける。
京子ももう子供じゃないんだし、兄にあれこれ干渉されたくはないだろう。
それでも、今は京子の情報がほしかった。
これは京子のため、そう自分に言い聞かせて、優樹は携帯電話の電源を入れた。

電源を入れると同時に、メールの受信が始まった。
届いたメールは十四件。一番古い日付は一週間以上も前だった。
どうやら、その頃から京子は学校を休んでいるらしい。
クラスメイトと思われる女子から、京子を心配するメールがたくさん来ていた。
他に怪しいメールはないみたいだ。優樹は少し安心する。

「最後のインターネットの閲覧履歴は昨日の夕方だ。昨日まではここに居たみたいだね。でも…。」

「でも?」

誠は首を傾げながらパソコンのディスプレイを優樹に見せる。
閲覧履歴には、旅行サイトや温泉旅館のホームページばかりが並んでいた。
伊豆、草津、下呂など有名な場所ばかりだ。

「そんなに心配しなくてもよかったんじゃない?どうせ今頃温泉でお楽しみ中でしょ。」

誠は、げんなりとした表情を作ってみせた。

「それよりさ、腹減った。なんか食いに行こうぜ。」

「はあ?お前、この状況で…。」

「これ以上ここにいたって意味ないでしょ。
 ゴミ箱、冷蔵庫、パソコン、携帯、全部見た。これ以上の情報はないよ。
 旅行なら、そう何日も家を空けないだろうし、すぐ帰ってくるって。
 それより、この近くに美味しいカフェがあるから、そこ行こう。」

誠に連れていかれたのは、京子のアパートからさほど離れていない「カフェ・プレーゴ」と言う店だった。
ここは確か、京子のバイト先じゃなかったか。

昼を少し過ぎているからか、土曜日だと言うのに客足はまばらだった。
向かいに座る誠は、辺りをチラチラと見ながら、注文したステーキランチを頬張る。
腹が減っていたのは本当だったらしい。

優樹は、京子がいないかと店内を見渡してみた。
しかし、それらしい人物は見当たらない。
京子と同じくらいの年の少年が慌ただしく働いているだけだ。

「ほら、優樹君も食べなよ。ここの飯、結構美味いんだから。」

そう言われて優樹も、今日の日替わりランチ「エビのクリームパスタ」に手を付けた。
確かに美味しい。こんな田舎で経営しているのが不思議なくらいだ。
腹が減っては戦はできぬ。別に戦をするわけじゃないが、腹ごしらえはしておこう。

食事を終えて、アイスコーヒーとココアを注文して、一服する。
誠は飲み物を持ってきたウエイターに、何かを耳打ちしていた。
そんな様子を見ながら、優樹はアイスコーヒーに口を付けた。

しばらくすると、誠はにこやかに自分の背後に手を振った。
不思議に思った優樹が振り返ると、そこにはこの店の制服を着た彼方が立っていた。

「彼方…!?お前今までどこ行ってたんだ!」

優樹は立ち上がり、彼方の手首を掴む。
彼方は驚きと困惑の色を見せた。

「え?えっと…あの…。」

「京子はどうした?お前と一緒にいるんじゃないのか。」

「ちょ、ちょっと待ってください!俺…違いますから!」

「何言ってんだ。連絡も取れないし、随分探したんだぞ。」

「だから、えっと…。」

彼方は困ったような表情で、自分と誠を交互に見る。
そして、誠に救いを求めるような視線を送った。

「はいはい。優樹君、ちょっとストップ。ストーップ!」

誠が、自分と彼方の間に割って入った。
手首を放すと、彼方は安心したように溜息を吐く。

「この子は、彼方君の双子のお兄ちゃんの日向君だよ。」

「は?双子…?」

呆気にとられる自分を気にも留めず、誠は日向に向き直る。

「日向君。こっちは京子ちゃんのお兄ちゃん、優樹君。」

「どうも…。」

誠に紹介されて、日向と呼ばれた少年は小さく頭を下げた。

「…マジ?」

「マジ。」

誠はあっけらかんと答えた。
冗談かと思ったが、本当のことのようだ。

そういえば、ひなたという名前を自分は聞いたことがある。
確か、彼方が寝言で洩らしていた名前だ。
なんだ、女の名前じゃなかったのか。

優樹は日向の顔をまじまじと見つめてみる。
何処からどう見ても、彼方そっくりだ。
髪の色以外では見分けはつかないだろう。
懐いてくる彼方とは違い、おどおどした態度は対照的だけれど。
無理もないか。初対面で勘違いして驚かせてしまったんだ。

「あの…。」

自分の視線から逃げるように、日向は誠を見つめる。

「ああ、驚かせちゃってごめんね。ちょっと近くまで来たから寄ってみただけ。
 ついでに、優樹君からかって遊びたかったんだー。」

誠は、営業用の人当たりの良い顔を見せる。
いつも思うが、自分に見せる態度とは大違いだ。

「…彼方、見つかったんですか。」

「いや。こっちも京子ちゃん探してたんだけど、今はこの町にいないみたい。」

「今はって…。やっぱり二人でどこかに行ったってことですか?」

「そうみたいだね。でも、あんまり心配しなくてもよさそうだよ。なんかさ、旅行行ってるみたい。」

「え…旅行…?」

「そう。京子ちゃんの家に忍び込んで、パソコンの履歴見たから、確実だと思う。
 伊豆とか草津とか下呂とか。温泉の定番で履歴が埋め尽くされてたし。
 人の気も知らないで、二人でラブラブ旅行とか何考えてるんだろうねえ。
 てかさ、ひどいんだよー、優樹君ってば。冷蔵庫とかゴミ箱漁らせたりさー。」

誠の口調はいつものように調子のいいものへと変わっていく。
何を言っているんだ、こいつは。あらぬ勘違いを生んでしまいそうだ。
日向も困惑した顔で自分を見ているじゃないか。

「おい、変なこと言うなよ。それはお前が勝手にやったことだろ。」

「あれー?そうだっけ?」

「そうだって。ストーカーみたいに思われるからやめてくれ。」

「まあまあ。そのおかげで京子ちゃんの所在がなんとなくわかったわけなんだし、いーじゃんいーじゃん。」

誠は悪びれる様子もなく、おどけてみせる。
そんな二人の様子を見て、日向はおずおずと口を開いた。

「あの…。竹内さんのお兄さんってことは、彼方の働いてた店の…。」

「そう。こんなんでも一応俺たちの店長だよ。」

「こんなんって…。お前、そんなに俺のこと嫌いかよ。」

「えーそんなわけないじゃん。嫌よ嫌よも好きのうちってね♪
 ていうか、本当に仲良いからそういうこと言えるもんじゃないの~?」

だめだ。つくづく思うが、営業用のテンションの誠と接すると、調子を狂わされる。
下手に口を出しても、誠お得意のマシンガントークで話が明後日の方向へ行ってしまう。

「ねえ?日向君もそう思うよねえ~?」

「え?いや…えっと…。」

誠は自分のことなど無視して、楽しげに他愛のないことをあれやこれやと日向に話しかけている。
彼方のことは嫌いだと言ったくせに、日向のことはそうでもないのか。
日向と話してみたい気持ちがあったけれど、完全に誠のペースだ。
一体こいつはここに何をしに来たんだ。本当に食事をするためだけに来たのか。

優樹は溜息を吐いてチラリと日向の方を見ると、日向も何か言いたそうにこちらを見ていることに気付いた。

麻丸。
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麻丸。

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