「想いの奔走」

 「想いの奔走」


放課後の教室、追試を待つ数人の生徒だけが残っていた。
追試が始まるまであと15分。

亮太は教科書を開くわけでもなく、ノートを見るわけでもなく、
雑な性格ゆえ、何度も地面に落としたり、踏んづけてしまって、
少しボロボロに塗装が剥がれた携帯と、にらめっこをしていた。
というのも、今朝念願の百合とのメアド交換をしたのだ。

最初は警戒心からか断られ続けた。
けれども、告白したせいもあるのか、吹っ切れて、
夏休みが近いからだとか、いつでも連絡とれる方が便利だとか、
適当な言い訳をして、半ば強引にメールアドレスを交換してもらった。

そして朝から授業中、昼休み、時間を構わず、
当たり障りのない、適当なメールを送り続けた。
返信はまばらで、でも休み時間には必ず一通はメールを返してくれた。

百合のメールは可愛い。
星やキラキラマーク、ウサギやクマの絵文字がたくさん並んでいる。
そんなメールが来るのが嬉しくて、特に用事もないのにメールを送り続けてしまう。

『坂野先輩、追試じゃないんですか?』

『なんでわかったの?エスパー?』

『坂野先輩ならきっと追試だろうと思って!』

そんなどうでもいい、何の変哲もないメール。
ウサギや星マークの可愛らしい装飾が百合のように見えて、嬉しくなってしまう。

―百合ちゃん可愛いなあ。

亮太は携帯電話を握りしめてニヤけていると、ゆるい口調の少女から声を掛けられる。

「亮太君、なんで携帯見ながらニヤニヤしてるの~?」

大きな丸い目と、肩まで伸びた黒髪。
矢野千秋だ。

「矢野ちゃん。」

「なにー?彼女とか~?」

顔を上げた亮太に、千秋はニコニコと口元に手を当てて、可笑しそうに笑う。
教室に残っているということは、彼女も追試らしい。

「彼女とかじゃないけど、このメール可愛いだろー?」

そう言って、亮太は百合からのメール画面を見せる。
こんな可愛いメールが来るという嬉しいことを、自慢せずにはいられなかった。

「えー。『坂野先輩ならきっと追試だろうと思って』って~。
 亮太君、この子に馬鹿にされてない~?」

千秋は、そのメール画面を見て、あどけない顔で嫌みなく笑う。

「え!?これ俺馬鹿にされてんの?だってだってウサギの絵文字とかあるよ?」

「女の子は絵文字くらい誰にでも普通に使うよ~。そんな深い意味とかないよ~。
 だって文字だけじゃ寂しいじゃん~。」

「そーなの!?なんか特別とかじゃないと、こういうの使わないんじゃないの!?」

「そんなことないよ~。」

どういうことだ、と混乱する亮太の表情を見て、千秋は構わず、柔らかい笑顔を見せる。

さっきまでの、浮かれていた自分が、恥ずかしい。
可愛らしいウサギやクマは、自分に向けられる好意だと思っていたのに。
亮太は、ため息を吐いて肩を落とす。

「でもさー、珍しいよね。日向君、将悟君とご飯行ったんだよね?」

「将悟が無理矢理連れて行ったみたいだったけどな。
 俺も行きたかったのに…。」

「ふふっ。亮太君は全部追試だしね!
 でも、私も今日追試じゃなかったら、日向君とご飯行きたかったなー。」

羨ましそうに千秋は、無人の日向の席を見つめる。
将悟の名は呼ばず、日向の名だけを呼び、少し切なげなその視線に、
亮太は、変な違和感を感じる。

「もしかして矢野ちゃん、日向のこと…」

亮太の言いかけた言葉に、千秋は慌てたように両手をバタバタさせ、否定する。

「そんなんじゃない!そんなんじゃないから!…まだ。」

そう言いながら、千秋は自分の席の方へ戻っていく。
その頬は、少し赤く染まっているような気がした。

『まだ』ということは、これから好きになる可能性があるということだろうか。
あるいは、既に日向に興味を持っているということだろう。

―百合ちゃんも日向のことが好きなのに。

自分も、百合が好きだ。
みんな報われない恋をしている。

こんな狭い学校の中でさえ、叶わない恋があるのに、
世界にはたくさんの人がいて、恋が成就する人なんて、どれだけいるのだろう。
赤い糸なんて、本当にあるのだろうか。
あったとして、自分の指の糸は誰と繋がっているのだろう。

そんな、らしくないことを考える。

百合は日向に告白をしてフラれた。
それでも、百合は諦めないという。

自分も百合に告白した。
返事は聞かなかったけれど、結果はわかっている。
それでも、諦められない。

百合の恋愛成就を、願わなければいけないのに。
日向はどんな気持ちで、百合の想いを断ったのだろう。
少しは心を痛めたのか、それとも、何も思わなかったのか。

自分がこんなことを思っても、どうしようもないけれど、
選ばれない人間からしたら、選ばれた人間が死ぬほど羨ましい。
それを羨んだところで、現状は何も変わらないということも、わかってはいるけれど。

一人になると考える。
百合のこと。日向のこと。
どちらも大切だ。失いたくはない。


教室に残っている生徒は数人で、各々が静かに教科書やノートに目を通している。
その中に、彼方の背中も見えた。

やっと学校に来るようになった彼方は、変わってしまった。

もちろん、あの事件を許したわけじゃない。
自分が、許す、許さないの問題じゃないことはわかっているけれど、
あの日から話すこともなくなった。
彼方の方から声を掛けてくることもない。

自分が関わっていい問題ではない。
けれど、百合を酷い目に遭わせた彼方を、許せるわけがない。
だからといって、あの日のように暴力を振りかざすこともできない。
自分にはどうしようもない。何もできない。
しかし、それで納得できるはずもない。

握りしめた携帯でメールを打ってみる。
彼女の返信は、早かった。

『彼方のこと、どう思ってる?』

『嫌いです』

彼女から返ってきたのは、絵文字も装飾もない無機質なメール。

きっと百合は、あんなことを言っても、強がっているだけなのだ。
無理をしていないわけじゃない。平気なはずがない。
やはり亮太は、彼方のことが許せなかった。







陽炎が揺れる鉄板の上、そろそろお好み焼きが焼き上がりそうだった。
将悟は取り皿と箸を先に日向に渡す。

今日日向を無理矢理食事に誘ったのは、都合がよかったからだ。
彼方も亮太も追試。二人で話すにはちょうどいい日。
将悟は、日向に聞きたいことがたくさんあった。
亮太や彼方の前ではできない話。

個人的に聞きたい話がいろいろあったはずだけれど、
いざ日向を目の前にすると、何から聞いていいかわからない。
聞かない方がいいこともあるかもしれない。
けれど、自分が日向に将来のことや、進路のことで、
ちょかいを出した手前、聞かずにはいられなかった。

目の前に座る日向は、何故かいつも制服の学ランを着ている。
弟の彼方もそうだ。
焼けるような暑さの夏も、それを脱ぐことはない。
体育も見学で、人前で肌を見せることはない。

だからこそ、先程日向が袖を捲った時は驚いた。
わずかに見えた日向の手首は、白く、綺麗だったからだ。

自分の経験上、腕を隠すということは、
手首に自傷の痕でもあるのだろうと、勝手に思い込んでいた。
彼方の過呼吸を見たあとだからこそ、尚更そう思ってしまった。
けれど、そういうわけでもないらしい。

この時期に寒がりだということはないだろうし、
本人も「暑い」と言っている。

脱がない理由はなんだ?
この双子は何を隠している?

どこか浮世を離れたような二人に、将悟は無意識に『彼女』を重ねていた。
だからこそ興味も持ったし、口出ししてしまう。
そんなことをする必要なんてないのはわかってはいるけれど、
一度持った興味は止まらない。

いつも双子の片割れ彼方と一緒にいて、ベッタリと依存してくっついている。
あの事件以来、彼方が学校に来るようになってからは、そんなことはなくなったようだが。

彼方が日向に向ける執着は、他人から見ても、異常だった。
日向を繋ぎとめるために、日向に好意を寄せる少女に、日向のふりをして乱暴をしたり、
まるで自分の所有物だとアピールするように、日向の首に噛み跡をつけたり。

それは歪んだ愛なのか、行き過ぎた依存心なのか。

日向の少し開いた襟から覗く首筋には、
今も痛々しいほど、赤い噛み跡がハッキリと残っていた。

「最近、弟とどうなわけ?」

無言に耐えられなくなり、将悟は口を開く。
狭い店内には、カラカラと換気扇が回る音と、
ラジオから流れるBGMと、お好み焼きが焼ける音だけが響いていた。

「どう…って。…最近、あまり話さなくなった。」

そう言った日向は、悲しそうな顔をして俯く。
確かに、学校では、日向が彼方を目で追っているばかりで、
二人が話すところを見ることは、なくなった。
それと同時に、日向が今のように悲しそうな顔をすることも多くなった。

「喧嘩か?」

「…違う。彼方と喧嘩なんて…今まで一度もなかった。」

肩肘をついて話を聞く将悟に、日向は首を振る。
彼方とは違う、伸びた黒髪が揺れる。

「じゃあいいじゃねえか。今までベッタリしてたのが、おかしかったんだよ。」

ため息を吐きながら言う。
今の関係の方が、いいに決まっている。
前までの関係が、続いていいはずがない。

けれど、日向の瞳は、寂しそうに揺れている。

「まるで、お前の方が弟のこと好きみたいだぞ。」

将悟は肩肘を突きながら、手の平に頬を添え、再度ため息を吐く。

ため息を吐くと幸せが逃げるとか言うけれど、これはもう自分の癖になってしまっている。
昔はそんな癖なかったのに、きっと、彼女の癖がうつってしまったんだ。
今更直そうとも思わないし、直せる気がしない。

肩を落として俯く日向は、小さく呟く。

「…好きとか、よくわからないけど、…大事なんだ。」

不器用な奴だな、と思う。
日向は、悲しそうに、寂しそうに俯いている。
そんな顔をするくらいなら、腕引っ張ってでも捕まえて、話をすればいいのに。
きっと日向は、嫌われるのが、拒絶されるのが怖いのだ。
だから自分から動けない。聞けない。言えない。

「別にアイツだけが全てじゃねーだろ。」

まるで、日向の世界には、彼方しか存在していないような、そんな印象を受ける。
何かが、普通の人間とは違う気がしていた。
それは双子だからか。
それとも、彼方の歪んだ依存心のせいか。
日向の世界は、驚くほどに狭いような気がした。

―普通に生きてるなら、普通の人生歩めばいいのに。

どうしてそうやって、自ら暗い道へと向かおうとするのか。
彼方以外に、日向を友人だと思う人間も、好意を寄せる女子だっているのに、
どうしてそうやって、それを拒もうとするのか。
彼方と一緒にいたところで、幸せなんてないのに。

無言で俯く日向の視野は、狭い。
それは自分を守るためなのか、彼方を守るためなのか。
差し伸べられる手を、掴むのが怖いだけなのか。

「彼女でも作ったらいいじゃねーか。百合ちゃん?とか。
 あの子が、お前のこと好きなのはわかってるだろ。」

暗い表情をした日向は、一瞬顔を上げ、驚いたような顔を見せて、
気まずそうに眼を逸らして、また俯く。
そんな日向を、頬杖をしながら見つめる。
肩を落として、猫背のせいか、いつもよりも日向が小さく見えた。

「…告白、されたけど…断った。」

日向は、まるで自分を守るように、足の上で手を組み、小さく呟く。

百合はもう告白したのか。
亮太も百合に告白してフラれた。
日向も、変わってしまった彼方のことを、悩んでいる。
そして自分だけが知っている、もう一人の想い。
ああ、誰一人報われないな。

全ての想いが一方通行で、何もかもが噛み合っていない。
世界は思ったより、優しくないみたいだ。
そんなこと、わかってはいるけれど。

「なんでだよ?あの子は凄くいい子だぞ。
 あんなことがあっても、お前のことが好きだって言って、
 お前の弟を責めるわけでもなく、自分を責めてた。
 もう少し、誠実に答えてやってもいいんじゃねーの?」

その言葉に、日向は考えるように、また無言になる。
不器用なりに、いろいろと考えているのだろう。

百合の想いは真っ直ぐだ。
あんなことがあっても、自分に向けられる亮太の好意を断ってでも、
ただ一人、日向のことだけを想っている。
亮太だって、なんだかんだ言いながら百合の幸せを願っている。

報われてほしい、なんて思っていても、
それは自分が口出しすることじゃないこともわかっている。

「ま、それは全部お前が決めることで、俺が口出しすることじゃねーけどな。
 でも、俺だってお前のこと、これでも心配してるんだよ。」



鉄板からは、少し焦げ付いたお好み焼きの香りが立ち込めていた。

麻丸。
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