「錯綜する想い」

 「錯綜する想い」



女子はいろんな噂話が好きだ。
囲まれて話していると、噂話が耳に入る。

あの子は好きな人がいるだとか、
誰と誰が付き合っているだとか、
あの子は何か悪いことをしているだとか。
そんな本当か嘘かもわからない、他愛のない噂話。

そんな噂話の中に、気になる情報が一つあった。


金曜日の放課後の飼育小屋。
追試を終えた彼方は、その中で一人でウサギと戯れていた。

動物は好きだ。
素直に可愛いとも思えるし、ずっと見ていても飽きない。
それに、言葉を持たない動物は、自分のことを否定もしないし、肯定もしない。
自分を言葉という暴力で傷つけることなく、ただそこにいるだけで、癒される。

狭い飼育小屋に、数羽だけしかいないウサギ。
こんな狭い世界だけでしか生きられないウサギを見て、
彼方は、まるで自分たちのようだ、と思う。

どこにもいけない。
ここで生まれて、ここで死んでいく。
このウサギたちは、外の世界を知らない。
外の世界で生きていく術を、知らない。
ただ死ぬまで飼われるだけの、自由のない人生。
自ら選ぶこともできずに、疑いもなく
この狭い飼育小屋の中を、世界の全てだと思っている。

―ああ、可哀想だな。

そんなことを考えて、そのうちの一羽を膝の上に乗せて撫でる。
ウサギは抵抗もせず、ただ気持ちよさそうに目を瞑る。


「彼方先輩。」

ふいに、彼方を呼ぶ声がする。
その声に、彼方は振り返ると、そこには少女が一人立っていた。

「ああ、京子ちゃん。」

飼育小屋の外に現れたのは、短い黒髪に細い体の少女。
彼女は二年生の竹内京子。
クールで少し大人っぽい、顔立ちが整った美人だ。

彼方はゆっくりとウサギを膝から降ろして、立ち上がる。
そして飼育小屋の外に出て、その少女に向き合う。

「どうだった?」

ニッコリと微笑む彼方に、京子は静かで上品な口調で答える。

「兄は、いいって言ってましたよ。」

「そう。よかった。」

「あ、でも一度、会いに来てほしいって言ってました。
 これ、お店までの地図です。」

京子は思い出したようにスカートのポケットに手を入れる。
そこから名刺サイズの小さな紙を取り出して、彼方に渡す。
彼方はそれを受け取り、そのまま人目に触れないようにすぐに自分のポケットに仕舞った。

「ありがとう。じゃあ明日行こうかな。お兄さんに伝えといてよ。」

「明日ですね。わかりました。
 でも学校にバレるとか、噂になったりとか、そんなヘマはしないでくださいよ。」

ニコリとも笑わずに、涼しい顔をしたまま、
京子は落ち着いた声で、彼方に釘を指す。

「任せて。それは絶対大丈夫だから。」

彼方は人差し指を立てて口元に当て、首をかしげて微笑む。
二人には、秘密がある。

とある噂話を聞いて、彼方はこの少女に、ある相談をしていた。

「ところで、京子ちゃん。これから空いてないかな?」

「どうしてですか?」

表情を変えずに聞き返す京子の手を取って、彼方は目を細めて微笑む。

「僕とデートしようよ。」

まるでエスコートをするように自分の手を握る彼方に、
京子は戸惑う素振りも見せず、冷静にその手を振り払う。

「…誰にでも、そういうこと言うんですか?」

「うん。誰にでも言うよ。」

微笑んだまま、悪びれもなくそう言う彼方に、京子はため息を吐く。

「そこは嘘でも、そんなことない、って言うべきですよ。」

「わかってるよ。でも、正直…時間潰せれば誰でもいいんだ。」

彼方は微笑んだまま、おどけるように肩を竦めて両手を肩の高さで開く。
そんな彼方に、京子は呆れたように呟く。

「…彼方先輩って、嫌な人ですね。」

「そうだね。自分でもそう思うよ。」

京子は、嫌みを言ってもただニコニコとしている彼方が、気味が悪いと思った。
この笑顔の仮面の裏には、いったいどんな本性を隠しているのか。

「せっかく彼方先輩人気あるのに、そんな嫌な性格だってバレたら、
 彼方先輩に好意を寄せている女の子たちが、幻滅しちゃいますね。」

「ふふっ。それはそれで、別にどうだっていいや。
 で、デートしてくれるの?してくれないの?」

自由奔放な人だと、京子は思う。
どれだけ自分に自信を持っているのか、それとも、適当なだけなのか。
どちらにせよ、高橋彼方という人間は、京子の苦手なタイプだ。

京子の顔を覗き込むように首を傾げて問う彼方に、京子は素っ気なく返す。

「私はこれからバイトなんで。」

「そっか、残念。じゃあ適当に学校に残ってる女の子に声かけようかな。」

残念そうな素振りは一切見せず、彼方は校舎の方を見つめる。
下校時刻を知らせるチャイムも鳴った後だ。
もうほとんど校内に生徒は残っていないだろう。

「ホント、最低ですね。」

「ああ、でも僕は結構、京子ちゃんのこと気に入ってるよ。」

「それはどうも。」

表情一つ変えずに、京子は小さく呟く。
そんな京子を見て、彼方は嬉しそうに微笑んだ。

「そういうクールなところが、僕の好きな人に似てるんだ。」






高橋彼方は、この田舎の狭い学校の中では有名だ。

三年生にイケメンの双子がいる。
その双子は同じ顔なのに正反対の性格をしていて、いつも一緒にいる。
兄は物静かで大人しい。よく言えばクールで近寄りがたい雰囲気を持っている。
弟は兄とは違い、人当たりよく、いつもニコニコと笑って周りに人が溢れている。

そんな噂だ。
彼方が髪型を変えてからは、余計に目立つようになった。
二人の見分けがつくようになったし、二人が一緒にいることがなくなったからだ。
二人に興味があった女子は、彼方のことを話すことが多くなった。
そして彼方のことは、自然と京子の耳にも入ってきた。

京子は興味がなかったが、クラスの女子が毎日のように噂をしていたので、
いつの間にか、その双子のことを覚えてしまった。

そしてある日、高橋彼方に声を掛けられたのだ。
彼方も同じく女子の噂話を聞いて、自分に声を掛けてきた。

「ねえ、君のお兄さんって『              』って本当?」

そう声を掛けられたときは、面倒だと思った。
別に隠しているつもりはないが、なんとなく後ろめたさがあったからだ。
それに、自分のことではなくても、噂の対象にされるのは嬉しものではない。

最初は否定して、適当にあしらった。
ニコニコと噂話の真意を聞いてくる彼方が、煩わしかった。

けれど、何度も何度も声を掛けてくる彼方に、
その時は若干イラついていたのだろう、その噂を認めた。

「そうですよ。だから何ですか。私には関係ないじゃないですか。」

畳みかけるようにそう言うと、怯むこともなく彼方は笑った。

「やっぱりそうなんだ。じゃあ、お願いがあるんだ。」



どうしてあんな頼みをしてきたのだろう。
自分もどうして、その頼みを聞き入れたのだろう。
彼方は何不自由なく、ニコニコと人に囲まれているのに、
何故そんなことを望んだのだろう。

けれど、京子の目に映る彼方は、たくさんの女子に囲まれていても、
なんだか寂しそうで、冷たい雰囲気が漂うそんな人、という風に見えていた。
そういうお願いをするということは、何かしらの事情があるのだろうと、
なんとなく、わかってはいたけれど。

―人は見かけによらないな。

そんなことを考えながら、京子は携帯電話を取り出して、
兄にメールを書き始めた。







「…でさ、本当にひどくない!?亮太ってば、その百合ちゃんって子のことばかりなんだもん!」

お好み焼きを囲みながら、目の前の少女は憤慨した様子で亮太の愚痴をこぼす。

将悟は、学校が終わった後、特に予定もなく真っ直ぐ帰宅して、
ギターの練習をしていると、日も暮れるころに一通のメールで呼び出された。
相手は渡辺真紀。亮太の幼馴染だ。

真紀のことは中学の頃から知っている。
同じクラスになったことはないが、亮太の所属するバスケ部のマネージャーで、
部活以外でも、よく亮太と一緒にいるところを見ていた。
亮太の幼馴染らしく、将悟も気がついたらいつの間にか仲良くなっていたのだ。

「そんなにその百合ちゃんって子、可愛いわけ?」

不機嫌そうに、ウーロン茶のグラスに挿してあるストローを噛みながら、
真紀は将悟に問いかける。
将悟は首を傾げ、少し考えて、答える。

「まあ…うん、百合ちゃんは普通に可愛いよ。」

「普通にって何よ!普通にって!私よりも可愛いわけ!?」

将悟の言葉に、真紀は腹を立てたように声を荒げる。
まるで自分が責められているようだ、と思いながらも、
将悟は真紀を宥めようと、必死で当たり障りのない言葉を選ぶ。

「いや、真紀ちゃんと百合ちゃんは系統が違うから…。
 うーん…。なんっつーか、比べられない。」

悩んだ様子の将悟に、真紀は面白くなさそうに呟く。

「なにそれ…どんな子なのよ?」

「どんな子って…大人しそうなんだけど、大胆?」

「大胆?なに?色仕掛けでもしてくるわけ?」

再び不機嫌な様子で、テーブル越しに将悟に詰め寄る真紀。
将悟はなんとか真紀を落ち着けようと、必死に百合より優れている部分を探す。
頭のてっぺんから、足の先までじっと、見つめて考える。
その視線は、真紀の胸元へと注がれた。

「あ、胸は真紀ちゃんのほうがあると思う!」

「最低。」

そう吐き捨てるように、真紀はおしぼりを力いっぱい将悟の顔に投げる。

「痛っ!」

真紀は少し乱暴だ。
男勝りで気が強く、怒らせると怖い。
将悟はおしぼりをぶつけられた額を押さえながら、ため息を吐く。

「なんっつーか、その、あれだ。
 真紀ちゃんはどっちかって言うと体育会系だろ?
 百合ちゃんは完全に文化系タイプ。」

「なにそれ…亮太はそんな根暗な感じが好きだって言うの?」

少し落ち込んだ様子で、再びストローを噛む。
真紀は少し思い込みが激しいのだ。

「いや、百合ちゃんは根暗とかじゃないから…。」

思うままに怒ったり、落ち込んだりする真紀に、だんだん将悟は、
自分はここで何をしているのだろう、と呆れ果てる。
真紀が不機嫌な理由は、もうわかっていた。

「亮太のこと好きなら、さっさと告白でもすればいいだろ。」

「だって、今更って感じもするし…。
 亮太は、その百合ちゃんって子が好きだって言ってるじゃない。」

伏し目がちに、少し恥ずかしそうに、
ふわふわのショートカットの髪を揺らして、真紀は俯く。

幼いころからずっと一緒にいるからこそ、
真紀はあと一歩を踏み出せずに、こうして悩んでいるのだろう。

いつも見せる強気な態度よりも、
こういう女の子らしい仕草をしていれば可愛いのに、と素直に将悟は思う。

「その百合ちゃんも、他に好きな奴がいるんだけどな。」

その言葉に、真紀は驚いたように目をぱちくりさせる。

「え?誰?」

「うちのクラスのあの双子の…」

「あの茶髪の奴!?私アイツなんか苦手。」

将悟の言葉を遮り、勝手に嫌そうな顔をする真紀。
そう、真紀は人の話を最後まで聞かないのだ。

「いや、兄の方。髪黒い方。」

「あー、あの暗そうな方ね。
 この前、亮太があの茶髪の方と殴り合いしそうになってたから、
 てっきり、そっちの方かと思った。」

あっけらかんと、真紀は頬杖を突きながら呟く。
将悟は、思いがけないことに、びっくりした様子で聞き返す。

「は?なんだそれ。」

「私もよくわかんないんだけどさー、
 月曜日に亮太があの茶髪の胸倉掴んで、
 今にも喧嘩になりそうな雰囲気だったから、
 ヤバいと思って、私が亮太をつまみ出したの。」

亮太は自分が知らないところで、またそんなことをしようとしていたのか。
或いは、彼方の方が亮太を挑発したのか。
どちらにせよ、これ以上ややこしくなるのはごめんだ。

将悟はため息を吐いて、真紀を見据える。

「まあ、アイツが馬鹿なことしないように、ちゃんと首輪しとけよ。
 大会、明日からなんだろ?」

「負けたらその時点で、三年生は即引退だけどねー。」

頬杖をついたまま、真紀はどこか遠くを見つめる。
高校三年間を亮太と共に、部活に掛けてきた真紀には、
感慨深いものがあるのだろう。

切なそうな瞳をする真紀が、少し大人びて見える。


「引退したら、亮太と会うことも少なくなるなあ。」



真紀は寂しそうに、小さな声を洩らした。


麻丸。
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麻丸。

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