「似ている瞳」
「似ている瞳」
次の日の朝、布団に包まったまま、亮太は眠たい頭を働かせる。
どうして日向を怒らせることばかり言ってしまうのだろう。
そんなつもりは全然なかったのに、気がつけばいつも言葉を間違えてしまう。
日向が百合とくっつけば、それでいいと思っていた。
そうすれば、百合が報われると思っていた。
でも、そうじゃなかった。
そこに日向の気持ちがなければ、何の意味もなかった。
そうじゃなければ、百合は幸せとは言えない。
―じゃあお前は、告白されて、自分がその子のことを、まだ好きかどうかも、
これから好きになれるかもわからないまま、その子と付き合うのか?
気持ちがないまま、付き合うのか?…それこそ、不誠実だろ。
日向の方がよっぽど誠実に、百合と向き合っている。
ちゃんと、百合のことを考えている。
自分は、そんな日向の気持ちを無視したことを言ってしまった。
百合のことばかりを考えて、日向の気持ちを考えられなかった。
自分はいつも空気に流され、目の前しか見えていない。
よかれと思って言ったことも、その場しのぎでしかない。
日向の苛立った顔が、今でも脳裏に焼き付いている。
そんなに怒ったり、睨んだりするような人間じゃないのに。
そんな日向を苛立たせるのは、いつも自分だ。
「日向…まだ怒ってるかな…。」
その場で謝ったが、そのあと一日中、日向はイラついているように見えた。
前に日向を怒らせたときは、なかなか仲直りできなかった。
日向が風邪をひいて、学校に来なくなって、
家まで行っても彼方に面会を断られ、「顔も見たくない」と言われた。
そんな風に思うほど、怒らせてしまったことを、死ぬほど後悔した。
4月にクラス替えと同時に、日向に声を掛けた。
面倒そうに素っ気なくあしらう日向に、声を掛け続けた。
それで、無理矢理友達になったつもりでいた。
ああ、でも、最初に日向に声を掛けようと思ったのは、どうしてだっただろう。
最初はただ、双子というのが珍しかった。
こんな海と山しかない人口も少ない田舎町に、双子など他にいなかったからだ。
興味本位で話しかけ続けて、暇があれば後ろから見つめ続けて、気づいた。
そうだ。見えたんだ。
日向の間後ろの席だから、見えてしまった。
日向は絶対に人前では学ランを脱がないのに、
授業中、ノートを取る時に袖が邪魔なのか、
ふとしたときに、右手の袖だけを少し捲る。
その学ランの袖から覗く白い腕の、不思議な痣。
それは薄くなっては場所を変えて濃くなる、不思議な痣だった。
長く休んだ後には、必ず新しい痣が増えていた。
あれは何だったのだろう。
たしか体が弱いからと言って、体育も休みだ。
何かの病気だろうか。
日向も彼方も部活はおろか、体育すら出ない。
だからスポーツで痣ができるなんてこと、考えられなかった。
どこかにぶつけるとしても、頻繁に増えては消える痣は不自然だ。
いや、もしかしたら、彼方があの痣をつけているのだろうか。
彼方の日向に対する執着や、独占欲は異常だ。
首筋の噛み跡と同じように、彼方がやったことなのだろうか。
だとしたら、彼方も学ランを脱がないのは不自然だ。
まだ彼方とも仲良かったころ、彼方は楽しそうに母親のことを話していた。
朝食も、弁当も作ってくれる普通の優しい母親。
虐待なんて、有り得ないだろう。
なんなんだ。何を隠しているのだろう。
あまり自分のことを話そうとしない日向は、何かを隠している。
仲良くなったつもりでも、まだ心の距離があるのだろうか。
日向も彼方も、自分の心の深いところに人を入れようとしない。
「でも、そんなこと聞いたら、また怒らせるよなー…。」
せっかく仲良くなったと思っていたのに、また日向が離れていくのは嫌だった。
きっと、人には言えない理由なんだろう。
配慮に欠けることは言わないようにしよう。
そして、朝一番にちゃんと謝ろう。
胸を張って、日向に友達と呼んでもらえるように。
自分は、日向の味方でいよう。
「日向、昨日はごめん。」
朝一番に、日向が教室に現れたのと同時に、亮太は謝った。
日向は驚いたような、意外そうな顔をして、目をパチパチさせた。
そして少し照れくさそうに、目を伏せて小さく呟いた。
「…俺も、昨日イライラしてて…ごめん…。」
「本当に、ごめんな…。」
申し訳なさそうに、しょんぼりと肩を落とす亮太。
そんな様子がいつもと違うような気がして、日向は少し困ったような表情をした。
「もういいって。…亮太らしくないぞ。」
「だって、前に怒らせたときも、顔も見たくないって言ってたし…。」
俯き気味に、肩を落とす亮太の言葉に、日向は不思議そうに首をかしげる。
「…?俺、そんなこと言ってないぞ?」
「え…だって…」
そうだ。あの時は彼方が、そう言ったのだ。
家まで押しかけた自分に、彼方があの事件を起こす前に、言った言葉だ。
もしかしたら、あの時から彼方は、
自分を、日向から引き剥がそうとしていたのかもしれない。
「あ…いや…なんでもない。」
「なんでもないって…。」
言葉を濁した亮太に、日向は何かを言おうと口を開けたが、
その言葉は千秋に遮られた。
「ねえねえ、お祭りのことなんだけどねー、
来週の日曜日の17時に、神社の鳥居の前で集合でどうかなー?」
そう言いながら、千秋が二人のもとへ近づいてくる。
朝からテンション高く明るく振る舞う千秋は、
ニコニコと上機嫌なようだった。
無理もないだろう。
テストも終わって、来週から夏休み。
楽しみにしている夏祭りも、もうすぐだからだ。
「お、おう大丈夫だぜー!」
亮太がいつもの調子で元気よく返事をする。
その返事を聞いて、千秋は一層嬉しそうに笑った。
「よかったあー。日向君も絶対来てね!」
首を傾げて、嬉しそうに日向を見上げる千秋に、
日向は断ることができなかった。
「…ああ。」
その返事に、千秋は満足そうに微笑んだ。
放課後の裏庭。
彼方は一人の少女を待っていた。
たくさん小さな花壇と、ベンチだけがある広い裏庭。
花壇には、色とりどりの花が咲いていた。
―そう言えば、裏庭の花壇なんて、ちゃんと見たことがなかったな。
小さな花、大きな花、力強く咲き誇る花、まだ蕾のままの花。
赤、白、黄色、ピンクに紫。
いろいろな花を眺めてみる。
そして、一輪の大きな花に目が留まった。
繊細で綺麗で、力強い鮮やかな赤い花。
それはダリアと書いてあった。
―この花は日向みたいだな。
大きくて、美しくて、でも触れたら壊れてしまうそうな、そんな花。
その隣で、今にも枯れそうになっている白いダリアがあった。
―これは、僕みたいだ。
その白い花は、赤い花に凭れかかるように俯いて、今にも散ってしまいそうだった。
それが、まるで今の自分たちみたいで、何故か心が苦しくなった。
もう、日向に甘えているわけにはいかないんだ。
この花のように、凭れかかってはいけない。
自分でちゃんと立たなくては。
逆に日向を支えられるようにならなくては。
そんなことをぼうっと考えていると、ふいに、後ろから聞きなれた声が自分を呼ぶ。
「彼方先輩、お待たせしました。」
「京子ちゃん。」
振り返ると、竹内京子が立っていた。
その京子の手には小さな紙袋を二つ握られていた。
「これ、兄から、頼まれていたものです。」
そう言って、京子は持っていた紙袋を二つ、彼方に手渡した。
よく見る携帯電話会社の紙袋。
「ああ、ありがとう。」
彼方はそれを受け取り、中身を少し覗く。
指定した色は、赤と白だった。
それは自分と、日向の色。
「でもなんで二台も必要だったんですか?」
京子は不思議そうに首を傾げる。
「それは…内緒かな。」
人差し指を立て、口元に添えて、彼方は微笑む。
京子は彼方のこの微笑みが苦手だった。
彼方の笑みは、何かを隠すような笑顔だったからだ。
「ま、別にいいですけど。でも、兄に迷惑だけはかけないでくださいね。」
クールな表情を崩さず、京子は静かな声で言う。
そんな京子を見て、彼方は可笑しそうに、笑った。
「京子ちゃんってさ、お兄さんのこと、好きだよね。」
「…まあ、兄なんで。」
図星な様子で、少し気まずそうに目を背ける京子。
京子はいつも兄の話をする。兄の心配をする。
そんな京子に、彼方は興味があった。
「京子ちゃんはさ、許されないってわかってても、
お兄さんと一線を越えてみたいって思ったこと、ある?」
「なんですか、いきなり。」
突然、訳の分からないことを言われ、京子は頬に手を当て、考える。
いくら兄のことが好きだと言っても、それは兄妹愛だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「僕は、あるよ。」
「彼方先輩…女姉妹いましたっけ?」
「いないよ。」
彼方はニコニコと微笑んだままで、考えていることが読めない。
女姉妹がいないのなら、日向しかいないではないか。
京子はそんな有り得ないことを、考えた。
「え?じゃあ、あのもう一人の…。」
察したように、驚いた表情を見せる京子に、
彼方は再び、人差し指を立て、口元に添えて、首を傾げて微笑む。
「なーんて、冗談だよ。」
悪戯っ子のように、楽しそうに笑う彼方に、京子は安堵した。
いくら双子と言えど、同性愛なんて、有り得ないだろう。
京子は小さくため息を吐く。
「悪い冗談ですね。」
「本気にしちゃった?」
冗談めかして彼方は笑う。
けれど、京子の目には、ニコニコ笑う彼方に、違和感があった。
「正直、彼方先輩なら…有り得るのかな、と思って。」
「それは、どう意味かな?」
ニコニコと笑顔の仮面を被ったまま、彼方は問う。
京子は、彼方の笑顔が、笑顔じゃないような気がしていた。
その笑顔で、何かを隠しているように見えた。
「最近、彼方先輩ってイライラしているように見えるんですよね。
あのお兄さんとも、一緒にいないみたいだし。
だからですかね…女の子の前でニコニコしてても、なんか、変っていうか…。
やっぱり、お兄さんと一緒にいる時の方が自然っていうか…」
途中まで言葉を紡いで、京子は彼方の表情の変化に気付く。
伏し目がちで、少し、悲しそうな顔をしていた。
「…京子ちゃんの目には、僕はそういう風に見えるんだね。」
その姿はまるで儚い花のようで、風に吹かれれば消えてしまいそうだった。
笑顔の仮面を外したその顔は、とても弱く脆く、切なそうに揺れていた。
傷付いたような彼方の表情に、京子は何も言えずにただ、戸惑う。
「ああ、そんな顔も似ているね。」
ふいに、彼方の腕に包まれる。
背中に回された彼方の腕は、少し震えている気がした。
そして、彼方は京子の耳元で、低い声で囁く。
「ねえ、僕…傷付いちゃった。慰めてよ。」
そんな彼方を、京子は振り払うことができなかった。