「後悔に溺れる」

 「後悔に溺れる」



「えーっ!?日向くん、来ないのー?」

千秋の残念そうな声が、神社の入り口で響く。
夏祭り当日、千秋と亮太と将悟は神社の鳥居の前に集まっていた。

普段はほとんど人通りがないこの神社は、
夏祭りという大きなイベントによって、賑やかに変身していた。
神社だけではなく、海沿いの通りまで、数々の屋台や電飾で明るく賑わう。
どこもかしこも、見たこともないくらいのたくさんの人々で溢れていた。

浴衣姿の女性や、仲良さそうに腕を組むカップル、手を繋ぐ親子連れ。
様々な人々が、楽しそうに笑顔を浮かべて行き交う。

「まあ、でも、日向は他の子と行くって言ってたから、どこかで会えるだろ。」

たった今集合したばかりなのに、亮太はラフな甚平姿で、すでにフランクフルトを咥えていた。
いつものように、口元や指に零れたケチャップやマスタードをつけている。

「おい、日向はデートなんだから、あんまり邪魔してやるなよ。」

将悟は体が細いことを気にして、少し大きめのシャツに身を包んでいた。

「え?日向君、彼女いたの…?」

白を基調とした花柄の浴衣に身を包んだ千秋は、
驚いたように口をポカンと開ける。

「ああ、最近できたらしいぞ。」

「そっか…。だからかあ…。」

日向に彼女ができたことを知った千秋は、
残念そうな声を洩らして、しょんぼりと肩を落とした。

「矢野ちゃん…?」

心配そうに、千秋の顔を覗きこむ亮太。
亮太はなんとなく、千秋の想いに気が付いていた。

「あのね、本当はね、この浴衣姿も日向君に見てもらいたかったんだあ…。
 日向君ね、白が好きって言ってたから、白い浴衣にしたのになあ。」

千秋はしょんぼりとしたまま、自分の浴衣の袖を掴んで広げて見せる。
淡い白色を基調として、上品な赤い花柄で彩られた真新しい浴衣だった。
皺やシミが一切ない綺麗な浴衣は、日向に見せるために、
この日に合わせて新調したのだろう。

「やっぱり矢野ちゃん、日向のこと、好きだったの?」

亮太の問いに、千秋は少し言い辛そうに、目を逸らす。

「…もうフラれちゃったよー。」

そう言って、千秋は少し不器用な笑顔で、取り繕って見せる。
その笑顔が、亮太には少し痛々しく見えた。
自分も失恋した身だ。想いが叶わない辛さは、嫌でもわかっている。

少し気まずい空気が流れて、しばらく黙って話を聞いていた将悟が、静かに口を開く。

「日向の、どこがいいわけ?」

千秋は頬に手を当てて、考えるような仕草をして、ゆっくり話しだす。

「優しところ、かなあ。
 素っ気ないように見えて、意外と人のこと気にしてくれてね、
 言葉は少ないけど、すごく気を使ってくれるんだよ。」

そして一息置いて、千秋はニッコリと微笑む。

「二人もさ、日向君のそういう優しいところがわかってるから、
 日向君と友達なんでしょ?」

見透かすように、千秋は笑う。
そうだ、自分たちも日向の不器用な優しさを知っている。
だからこそ、傍にいるのだ。
確かに日向は無口だし、素っ気ないように見えることも多いが、
人の気持ちに敏感で、さり気ない優しさを見せてくれる。

「矢野ちゃん、日向のことよく見てるんだな。」

感心したように、亮太が呟く。

「好き、だったからね。」

少し顔を曇らせて、伏し目がちに千秋は呟く。
けれど、すぐに顔を上げて、またいつもの笑顔を見せて、明るく微笑む。

「さあ、今日はいっぱいお祭りを楽しもう!」

そう言って、千秋は屋台が立ち並ぶ人波の方へと駆けだした。







彼方は揺れる電車の車内で、激しく後悔していた。

失態だ。完全に失態だ。
覚えていないわけがない。
いくら酒に酔ったからって、なんということをしてしまったのだろう。
あんなことをしてしまったら、何の意味もない。

必死で日向から離れようとしていたのに、
馬鹿みたいに日向に縋りついて、日向を貪って、自分は何をやっているんだ。
何度も何度も、日向の肌に噛み跡なんて残して、どうするんだ。

日向の目を見てはいけない。
日向に触れてはいけないと、思っていたのに。
あの優しい手を取ってはいけないと、思っていたのに。

指に、唇に、体に、日向の感触が残っているような気がした。
温かい、優しい日向の体温。
それがひどく嬉しくて、怖かった。

迷ってしまいそうだ。
間違えてしまいそうだ。
日向に触れた指先から、気持ちが溢れ出しそうだ。
散々酷いことまでして、日向と離れようとしていたのに。

日向の首筋を噛んだ時、日向は涙を零した。
けれど、満足そうに、小さく笑ってくれたのだ。
そんな日向の顔を思い出したら、愛しさで胸が苦しくなった。

日向のことが、好きだ。
誰の目にも触れないように、閉じ込めてしまいたいくらい、好きだ。
自分だけを目に映して、自分だけと話してほしい。
自分だけに笑いかけてほしい。

けれど、そんなこと許されるはずがない。
日向の未来のために、自分は日向から離れなければいけないんだ。

乱暴で、残酷なやり方で日向を突き放す。
そうすれば、自分のことなど気にせずに、日向は自分のやりたいように生きれると思った。
ちゃんとした友達ができて、彼女もできて、進路も決めて、日向の未来が、明るく拓けると思った。
今までは上手くやれていたのに、どうしてあんなことをしてしまったのだろう。

きっと、酒のせいだ。
記憶はあるが、どうして自分があんなことをしてしまったのかが、わからない。
目が覚めた時、日向が自分を抱きしめていたことに、驚いた。
首筋や、肩口から痛々しい歯形を覗かせて、幸せそうに眠る日向を見て、死ぬほど後悔した。

冷静になろうと思って、シャワーを浴びたら、
あんなことをした後なのに、日向は嬉しそうに食事の用意をしてくれていた。
日向の嬉しそうな顔は、久しぶりに見た。
涙が、出そうだった。

自分に向けられる日向の嬉しそうな顔が、久しぶりで、嬉しかった。

けれど、もう日向に甘えるわけには、いかない。
日向は優しいから、自分が縋りつけば、少し困った顔をしながら、自分の手を取ってくれる。
でもそれじゃダメなんだ。
日向のためには、自分が日向から離れないといけない。
噛み跡なんてつけて、執着してはいけないんだ。

覚えていないと嘘を吐き、酷い言葉で日向を傷つけた。
傷付けるつもりなんてなかった、なんて言ったら言い訳がましいけれど、
ああ言わないと、自分の本心が、暴かれてしまいそうだった。

ベッドの中での言葉は、酔っぱらいの戯言。
それでいいのだ。本心じゃない。

家を出る時、日向の顔が見れなかった。
見なかったんじゃない。見れなかった。
日向はきっと、ひどく傷ついた顔をしていただろうから。
そんな顔を見たら、自分は足が竦んでしまう。

逃げるように家を出て、すぐにいつもの発作が起きた。
最近気付いた。日向を傷つけると過呼吸を起こす。

きっと、これは罰だ。
日向を傷つけた、自分自身への、罰だ。
けれど日向は、自分より苦しかったんだと思う。
過呼吸なんかより、ずっとずっと、苦しんでいるのだと思う。
全部自分のせいだ。

日向には幸せになってほしい。
笑っていてほしい。
満たされていてほしい。

早く、自分以外に日向を幸せにできる人が現れればいいのに。
ちゃんとした友達と、綺麗な彼女を作って、進路も決めて、
「自分なんかいなくても幸せだ」そう言って、残酷に笑ってほしいのに。

自分は日向がいないと、生きていけない。
だからこそ、日向から離れようと思った。
日向の人生を、縛ってはいけない。
差し伸べられる手を取ったら、二人一緒に暗闇に落ちてしまう。
その手を振り払って、せめて日向は、明るい方を進んでほしい。

日向のことが好きだから、日向のために。
自分のできることをする。
どんな汚いことでも、やれる気がした。
そうだ、自分は上手くやれている。
上手くやれていたはずだ。

日向の体温が、優しさが、自分の体に纏わりついている気がする。
その感触が、とても嬉しいはずなのに、辛かった。

今はただ、日向以外の体温が欲しかった。
日向以外の体温に、身を沈めたかった。
自分の体に残る日向の体温を、塗り替えてほしかった。






千秋は途中で女友達に出会い、「ちょっとだけ友達と一緒に回ってくる」
そう言い残し、女友達の方へ行ってしまった。
確かに、日向がいないのだから、自分たちといるより、女友達といる方が楽しいだろう。
しかし、亮太と将悟は、二人きりになってしまった。

夕方から始まっているお祭りは、すっかり日が沈み、
花火が打ち上げられる時間が近付いていた。

二人は神社から程近い海岸沿いを歩いていた。
屋台からは少し離れていて、人通りの少なく、花火の絶景スポットだ。

「男二人で花火か…。」

将悟が少し嫌そうに、呟く。

「しゃーねーだろ!お前も彼女連れてくればよかったじゃねーか。」

嫌そうにする将悟に、亮太は少し拗ねるように表情になる。

「忙しいんだよ、彼女は。」

亮太の前を歩く将悟は、振り返らずに答える。

「年上だっけ?」

「二個上。」

「いいなー。年上のお姉さんとかめっちゃ羨ましいわー。」

「そーだろ。」

将悟は振り返ることもなく、羨ましがる亮太を小さく鼻で笑う。

将悟に彼女ができたのは、高校に上がる前だった。
けれど、亮太は将悟の彼女を見たことはない。
プリクラや、写真でさえ、将悟は見せてくれなかった。

しかし、亮太は気付いていた。
彼女の話になると、将悟はいつもより言葉少なになることを。
自分に彼女の話をしたくないのか、適当に受け流すことが多いのだ。

きっと、聞かれたくないのだろう。
それが何故かなんて、無理に聞き出す必要もない。
日向の時のように、余計なことを言って、将悟を怒らせてしまうかもしれない。
亮太は空気を読めるようになろうと、必死だった。
軽率な発言をして、友人を失いたくはなかった。

けれど、いつもあまり考えずに話をしているため、
いざ考えると、どんな話をしたらいいか、どう話しかければいいか、わからなかった。
少し、気まずい沈黙が流れる。

将悟はそんな亮太を気にする様子もなく、
海岸沿いを歩いて、その先の防波堤の上に座る。
ここが、人も少なく、静かで、花火が一番見やすい場所だ。

亮太も防波堤に座る将悟の隣に、腰を下ろす。
静かで穏やかな波音。
湿度をまとった緩やかな潮風が、頬を撫でる。
亮太が自分の隣に座るのを確認すると、将悟が静かに口を開いた。

「亮太さ、彼方と殴り合いしそうになったんだって?」

その言葉に、亮太は驚いた。
自分は誰にも言っていないし、
彼方がそんなことを言い触らすようにも思えなかった。。
それに、そんなことを将悟に報告しても、
心配をかけるだけだと思って、黙っていたのに。

「…誰から聞いたんだよ。」

「真紀ちゃん。」

将悟は澄ました顔で、短く答える。

そういえば、その場に真紀もいた。
真紀が自分を喧嘩しないように、連れ出してくれたのだった。
殴るつもりはなかったけれど、彼方のわけのわからない言葉に、
感情が昂って、殴ってしまう寸前だった。
きっとあの時自分は、真紀に助けられたのだ。

「…殴り合いはしてない。…けど、なんかわけわかんねえこと言われた。」

その言葉に、将悟は小さくため息を吐く。

「俺もこの前、彼方と話したんだけどさ、最近、アイツなんか変だよな。」

「…髪切ってから、なんか変わったよな。」

彼方が髪を切った日から、二人は変わった気がする。
彼方は日向を見なくなったし、日向は落ち込んでいるように見える。
二人の間に、亀裂があるように思う。
二人の間に、何があったのか。

「やっぱ…俺のせいだよな。」

ポツリと、将悟は呟いた。

最初に日向に、彼方と距離を取ること、将来のことを話したのは将悟だ。
こんな状況になってしまって、後悔しているのだろう。

隣に座る将悟は、俯いて、ゆらゆら揺れる水面を見つめていた。

「…将悟は悪くないだろ。」

「そうかな。」

小さく洩らす亮太の声に、将悟は顔を上げないまま呟く。

「そうだろ。…誰かが、言ってやらないといけないことだったんだよ。」

将悟が落ち込むのは、珍しい。
いつだって、自分とは違い、将悟はちゃんと考えて、正しい道を示してきた。
自分が間違えてしまうことも、将悟は余裕そうな顔をして、難なく正解の道を歩む。

俯く将悟の横顔は、眉間に皺を寄せて、思いつめた様な表情をしていた。

「でもそれは、…きっと、俺が言うべきじゃなかった。」

悔やむように、将悟は小さく言葉を洩らす。

「なんか、珍しいな。
 変なこと言って、後から落ち込むのはいつも俺なのにな。」

「…俺だって、たまには落ち込む。」

顔を上げた将悟は、むっとした表情で、亮太を見る。

しっかりしていて、少し考え方が大人びている将悟だって、
自分と同じ人間なのだ。
間違えることくらい、ある。
落ち込むことも、あるはずだ。

「日向もおかしいけど、彼方もなんか変だ。
 このままほっといたら、ダメな気がするんだ。」

何かを考えるように、ゆっくりと将悟は言葉を紡ぐ。
将悟は彼方と、何を話したのだろうか。
自分と同じように、彼方に牽制されたのか、
それとも、何か核心に触れたのか。

「そうだな。いざとなったら、俺らがアイツらの力になってやったらいーじゃねーか。
 俺たちはアイツらの友達なんだから!」

明るい亮太の言葉に、将悟はの険しい表情が少し緩んだ。


足元の海では、ゆらゆら、ゆらゆら、波が揺れている。
それはまるで、人の気持ちのようだった。


麻丸。
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麻丸。

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