「唯一の救い」
「唯一の救い」
すっかり傷が消えた、綺麗な体。
誰とでも体を重ねる、汚い体。
今日も、彼方は女と体を重ねる。
相手なんて、誰でもよかった。
もう、こんなことをする必要なんてない。
女を抱いて、金を稼ぐ必要は、もうない。
金なんて、有り余るほどあった。
けれど、彼方はこの行為を止められなくなっていた。
毎日薄っぺらい愛を囁いて、女を抱く。
気付けば、一種の依存症のようになっていた。
愛されたい。
望まれたい。
求められていたい。
誰でもいいから、自分に居場所を与えてほしい。
「ねえ、麗華さん。」
情事が終わった後。彼方はベッドに寝転がる女に声を掛ける。
その日の相手は、麗華だった。
「なあに?」
麗華は、甘い猫撫で声を洩らして、上体を起こす。
彼方は麗華の細い肩を抱き、耳元で囁く。
「僕と、付き合ってよ。」
そのまま唇を奪おうと、頬に手を添え、顔を近づける。
けれど、麗華は人差し指を彼方の唇に押し当てて、キスを拒否した。
「残念。ベッドの上での言葉は、信じない主義なの。」
そう言って、麗華は妖艶に微笑んで見せる。
「僕、本気だよ?」
彼方は可愛らしく首を傾げて、麗華を見つめて微笑む。
麗華の好みは、カッコいい男よりも、可愛らしい男。
こういう仕草には、弱いはずだ。
「じゃあ尚更ね。」
軽くあしらうように、麗華はするりと彼方の腕の中から抜ける。
「そういう言葉は、ベッド以外のところで言ってちょうだい。」
そう言って、麗華は煙草に手を伸ばす。
細い煙草に火が点けば、薄い紫煙が揺らめいた。
「まあ、ベッド以外のところでも、返事は変わらないかもしれないけどね。」
なんだ、脈なしか。
麗華なら、いけると思ったのに。
「そっか。残念だなぁ。」
みんなそうだ。体は欲しいけれど、自分はいらない。
都合のいい関係しか、求めていない。
体を重ねても、心までは交わらない。
愛されているわけでは、ないんだ。
「智美さん。」
その日の相手は、智美。
情事が終わり、智美はベッドに腰掛けて、携帯画面に夢中だった。
「んー?」
メールを打っているのか、指先は忙しなく動く。
けれど、携帯に集中しているのか、返事は生返事だった。
「ねえ。僕のこと、愛してよ。」
彼方は、智美の隣に座り、携帯画面を見つめる智美の顔を覗く。
智美は反射的に、携帯画面を彼方に見えないように背けた。
「…それは、どういう意味で?」
智美は驚いたような、不思議そうな顔になっていた。
彼方は返事をせず、智美を後ろから抱きしめる。
その体は、情事の後の熱を残さず、冷房の風ですっかり冷えていた。
どうして女は、夏場でも体が冷たいのだろう。日向とは、大違いだ。
「どうしたの?最近ちょっと様子がおかしいんじゃない?病んでるの?」
智美は、心配そうに彼方の顔を覗きこむ。
そして、その細く長い手で、彼方の頭を撫でた。
日向よりも小さい。けれど、大人の手。
「ちょっと痩せすぎじゃない?前に焼き肉行った時もさ、全然食べなかったじゃない。」
智美の手は、頭から肩をなぞり、腕をすり抜ける。
「うん、ごめんね?あの時は、ちょっと食欲がなかっただけ。」
最近は、食事もまともに摂れない。
ほとんど食べていないのに、お腹がすく感覚はないし、口に入れれば吐き気に苛まれる。
おかげで体はフラフラするし、思考も鈍る。
それでも胃が食べ物を拒否するものだから、どうしようもない。
「智美さんは優しいね。いつも僕の心配ばっかりしてくれる。」
智美は心配性で優しい。
こうやって弱いところを見せれば、自分のことを気にかけてくれる。
「私は八方美人だから。」
そう言って、智美はおかしそうに笑う。
「八方美人なんていうのはね、誰のことも好きじゃないからできることなのよ。」
「…僕のことも?」
そう聞くと、智美は何も言わずに、ニッコリと微笑んだ。
その微笑みは肯定か。ああ、智美も、同じなんだ。
誰も、自分のことを愛してはくれない。
「美咲ちゃん、僕と付き合ってよ。」
その日の相手は美咲。
彼女は十九歳のキャバクラ嬢だ。
「えー無理だよー。私、彼氏いるもん。」
ベッドの中で抱きしめ合いながら、美咲は甘ったるい猫撫で声を洩らす。
美咲とも、何度もこんな夜を過ごした。
「彼氏がいるのに、僕と寝てたの?」
わざとらしく唇を尖らせて、彼方は美咲の顔を覗きこむ。
美咲は少し強引でワガママな男が好きだから、嫉妬をしたフリ。
「だって、こんなのただの遊びじゃない。」
子猫のような三日月の目を細めて、美咲は意地悪に笑う。
「彼方君とこうやって遊ぶのは好きだけど、彼方君のことは信用できないなあ。」
遊び、か。
彼氏がいるのに、遊びだと割り切って自分と寝るなんて、悪い女だ。
自分も人のことは言えないけれど。
「そっか。それは残念だね。」
結局、いくら体を重ねても、所詮は一夜の夢。
満たされるはずも、受け入れられるはずもない。
一瞬の快楽に、寂しさを誤魔化すだけ。
虚しいことだとはわかっていても、こんなことを繰り返すのは、自分が弱いからだ。
嘘でもいいから、求められていたかった。
優樹のマンションに帰ったって、ほとんど眠れやしない。
体も心も疲れているはずなのに、目を瞑ってみても、意識は明瞭のまま。
少し多めに薬を飲んでみても、微睡むことさえ許されない。
ベッドに寝転がってみても、眠れるはずもなく、時間だけが過ぎていく。
目を瞑って、何も考えないようにしていても、罪悪感が押し寄せてくる。
ああ、自分は何をしているのだろう。何がしたかったのだろう。
こんな日々、望んでたわけじゃないのに。
日を追うごとに、どんどん、汚れていく。
体だって、心だって、どす黒い何かに浸食されているような気分になる。
もういっそのこと、消えてしまいたい。
何も考えなくても済むように、死んでしまいたい。
自分なんて、自殺してしまえばよかったんだ。
死ぬのを怖がって、未練がましく生きていても、ただ辛いだけだ。
こんな汚い自分を、誰にも見られたくない。
みっともなくて、みすぼらしい自分。
誰も自分を見ないでほしい。このまま独りで隠れていたい。
けれど、何故かとても寂しくて、孤独が怖くなる。
独りになりたくない。誰かの傍に、おいてほしかった。
そうだ、京子に会いに行こう。
京子の傍は、何故か落ち着く。
色を使う必要もないし、気を遣う必要もない。
京子は、自分が傍にいることを許してくれる。本気で自分を拒絶することはない。
嫌味を言いながらも、仕方なしに、自分を傍に置いてくれる。
そんな居場所を失いたくないがために、京子と付き合った。
恋人と言う鎖で、京子を繋ぎとめた。
なんだかんだ言って、京子は優しい。
その優しさは少し日向に似ていて、辛くなる半面、とても安心できた。
本人は似ていないと言うが、日向と京子の性格は、少し似ている。
性格と言うよりも、自分に対しての接し方が似ているのだろうか。
素っ気なく、優しい手を差し出してくれる。
呆れながらも、心配してくれる。
怒りながらも、慰めてくれる。
戸惑いながらも、受け入れてくれる。
日向も京子も、不器用だけど、優しい人間なんだ。
正直、京子に愛情なんてない。
けれど、京子を傍に置くためには、恋人になるしか方法が思いつかなかった。
京子の隣では、飾らない素のままの自分でいられる。
そんな、安心できる居場所を近くに置いておきたかった。
恋人になった京子に、「好き」という言葉を、よく言うようになった。
それは、祈りや願いのような意味を含んでいた。
口にするたび、その言葉が本当になればいい、と思った。
好きだ好きだと言っているうちに、本当に京子のことを好きになれればいいと思った。
そうすれば、きっと自分は救われる。
京子を愛することができれば、日向を忘れられる。
そう信じていた。
間違えたんだ。日向を好きになった自分が。
自分と日向は双子だ。しかも男同士。
こんな自分が、日向に愛されるわけはない。
最初から、わかっていたことだ。
それでも自分は、この想いを隠していられなかった。それが、自分の過ちだ。
京子のように、隠してさえいられれば、日向と離れることもなかった。
日向との関係を、壊すこともなかった。
今こんなにも辛いのは、全部自業自得なんだ。
いつものように、駅前のケーキ屋に寄る。
そして、京子が喜ぶような、とびっきり甘いお菓子を選ぶ。
今日は「こだわり卵のトロけるプリン」を十個。
両手いっぱいにお菓子を抱えて、自分が住んでいた田舎へ向かう電車に乗る。
すっかり見慣れた景色は、ただただ車窓を流れるだけだった。
まるで、世界が自分を置き去りにしていくみたいだ。
「自分がいなくても地球が回る。」
歌だったか、ドラマだったか、そんなことは忘れてしまったけれど、昔テレビで聞いたセリフ。
確かにそうだと思う。自分がいなくても、日向は幸せそうに笑っているだろうし、自分に好意を寄せてきた女子たちだって、自分のことを忘れて他の誰かを想っているだろう。
学校も何事もなかったかのように、いつも通りの退屈な授業を繰り返す。
自分がそこにいる必要なんてないんだ。
自分が望まれた居場所ではなかったんだ。
もう戻れない。戻る気もない。自分は、汚れきってしまったから。
そんなことを考えていると、電車は地元の駅へと到着する。
電車を降りて駅を出ると、遠くから学校のチャイムの音が聞こえた。
携帯電話で時刻を確認すると、ちょうど五時限目が始まったみたいだ。
自分と同じ学校の生徒に見つからないように、地元の町を歩くのは、高校の授業の時間と重なるようにしてきた。
京子のアパートは、駅から徒歩十分の距離にある。
通いなれたこの道を歩いて、京子のアパートへ向かう。
そして、京子に貰った合鍵を使って、京子のアパートの部屋を開ける。
京子のアパートは1Kのシンプルな作りだった。
八畳の部屋と、キッチン、お風呂とトイレは別。
ベランダは広くて、陽当たりがいい。
すっかりヘビースモーカーになってしまったから、片道二時間の煙草が吸えない電車内は辛い。
口が寂しいというか、手持無沙汰というか、体がニコチンを欲している。
しかし、京子には、部屋の中は禁煙だと言われている。
だから、周りの住人に見つからないように、ベランダにしゃがみ込んで、煙草を吸う。
缶コーヒーの空き缶を灰皿代わりにして、京子が帰ってくるまでの時間を持て余す。
京子の部屋はシンプルだ。綺麗に片付けられている。
服は綺麗にクローゼットにしまってあるし、本は本棚にびっしりと並んでいる。
テレビ台の横に、優樹が誕生日にプレゼントした簪を見つけた。
普段使いはできないだろうから、ショーケースに入れて飾ってある。
その横には、少し雑にネックレスやブレスレットが置いてあった。
去年付き合っていた彼氏に貰ったものだろうか。
それとも、優樹がプレゼントしたものか、自分で買ったものか。
思えば、いつもお菓子ばかりで、形に残るものはプレゼントしたことない。
恋人、なのだから、何かプレゼントした方がいいだろうか。
時計を見ると、午後四時を回っていた。
そろそろ京子が帰ってくる時間だ。
そんなことを思っていると、玄関の鍵が開く音がした。
「おかえり、京子ちゃん。」
彼方は、ひょっこりと玄関を覗き込む。
「ああ、また来てたんですか。」
京子は顔色一つ変えず、素っ気ない口調で言う。
けれど、嫌がったりはしない。静かに、自分が隣にいることを許してくれる。
素っ気ないのは、京子なりの照れ隠しなんじゃないかと思う。
京子は靴を脱いで、真っ直ぐ部屋に入って、ソファーに座る。
こうやって、自分の隣に京子が座るのは、ごく自然な日常になった。
「今日の貢物は、プリンだよ。」
彼方は、慣れた手つきで、菓子箱を開けて見せる。
本人は気付いていないのかもしれないが、お菓子を見せると、京子は子供のように目を輝かせる。
それはもう、わかりやすいほど、嬉しそうな表情を見せるのだ。
そんな表情を見るのが、楽しみになっていた。
クールな京子の表情が綻ぶのを、見るのが好きになっていた。
「ねえ。僕とのデート、考えてくれた?」
彼方はプリンと、付属のプラスチックのスプーンを京子に差し出しながら、京子に問う。
京子はそれを受け取って、また目を輝かせた。
けれど、すぐにいつもの澄ました顔に戻る。
「デートって言われても、どこ行くんですか。」
ペリペリとプリンの包装を剥がしながら、京子は言う。
「何でもいいよ。買い物でも、映画でも、遊園地…はちょっと遠いけど。
京子ちゃんは、何処か行きたいところある?」
「じゃあ無難に、買い物行きましょ。」
そう言って、京子はプリンを口に入れる。
幸せそうに緩む頬が、なんだか可愛らしい。
乗り気じゃないと思っていたが、そうではないみたいだ。
「そういえば、街の方の駅前のショッピングビルがね、なんか改装してたよ。
今週末リニューアルオープンだって。そこ行く?」
「土曜日ならいいですよ。学校もバイトも休みだし。」
「ホント?じゃあ土曜日にしよう。」
そう言って自分が微笑むと、京子は少し照れた様子で顔を背けた。