「ねぇ赤間さんは何故マジシャンになったの? 」
 文字通り「唐突な質問」。問いかけたのは、特盛りハンバーグを二人前食べて満足気な犬塚理沙である。

 喫茶『鈴の音』の常連客たちは、カウンター席で紅茶を噴き出しかけた赤間トオルをこっそりと見た。赤間は努めて冷静を装う。
「別に面白い話ではありませんよ、犬塚くん。私の能力を持ってすれば、マジックなど簡単ですからね」
「でも能力だけなら波子さんや土橋さんもマジシャンになれるじゃない。切っ掛けは何なの? 」
 窓際の席にいた作業着の中年男・土橋八則(どばし やつのり)が間延びした口調で口を挟んだ。
「いやいやいや、私には無理ですよ。大勢の人の前で恥ずかしげもなく、自信満々に術を披露するなんて」
「土橋さん。それでは、私が『恥知らず』だとでも? 」
 眉間に皺を寄せた赤間とは対照的に、土橋は笑いながら頭を掻く。
「あー、そんなつもりではないのですが」
 そう言いながら助けを求める土橋の視線に気づき、霧野波子が肩を竦めた。
「私も無理ね。アップになると歳がばれそう」
 この手の女性の冗談は否定すべき物だろう。しかし推定年齢千歳以上の波子と、同じ年頃の"人間女性"など存在しない。
「波子さんは美人だから沢山ファンがつきますよ」
「あら理沙クン、煽てても何も出ないわよ」
 波子は艶っぽく笑いながら言葉を続ける。
「ふふふ、赤間クンなら大画面になっても大丈夫よねぇ」
 これは助け舟らしい。
「そうですね。赤間さんは結構格好良いし」
「"結構"は余計です。もっと褒めて下さって構いませんよ、犬塚くん」
 いきなり上機嫌になった赤間に、焙じ茶を啜っていた壮年の僧侶の寿海が首を振る。
「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し、と言うもんじゃ」
 観葉植物の枝の上でつるべ落としが、丸い首だけの全身を揺らす。
「ひょっひょっひょ。懐かしい言い回しじゃな、琵琶の音色が恋しいぞい」
「そう言えば、最近は源氏の威光もとんと聞こえませんねぇ」
 時代錯誤な会話に寿海は苦笑して、再び湯のみを傾けた。
「とうの昔に終わりましたからな、鎌倉期は」
「ああ、そうでした。今の帝(みかど)……平成天皇ですか?将軍は置いていないんでしたねぇ」
 世紀単位で呑気な土橋である。

 その時、店主の五十鈴千鶴が奥の部屋にこもっていた少女を連れて店に戻ってきた。
「おや花ちゃん、こんにちは」
 赤間の興味が花に移ったので、この話題は一旦打ち切りとなった。

 喫茶『鈴の音』は『人のならざる者』たちの隠れ家だ。つるべ落としを除き、人間の姿を取っている彼ら。しかし真の姿は一般に『妖怪』『物の怪』『妖かし』『人外』と呼称される、「人」とは異なる者たちだ。犬塚理沙と五十鈴千鶴は妖怪の血を引く人の家系出身で、後天的に『人ならざる者』となった身。他の者は生まれ落ちた時からの人外だった。
 彼らが何故生まれたかは定かではない。一説によると人間の恐怖や畏怖などの強い思念に、次元を超越した存在が呼応したとも言われている。


 夕刻近くに店を出た赤間は、駅前に続く通りで足を止めた。日の短い季節の傾く太陽が常緑の街路樹を染めている。赤間は既視感に目を細めた。
「私は何故、今もここにいるのでしょうね」
 薄く笑みの形になった唇から、そんな言葉がこぼれ落ちた。


 「都会の子供たちは擦れてしまっていけない」
 ある時そんな考えに至った赤間は列車に飛び乗った。

 その頃この国は戦争の渦中にあり、旅客列車は次々と姿を消していた時期だった。しかし気配を消し、軍用列車に潜り込むことも彼には容易いことだ。
 赤間トオルの正体は、子供を攫う妖怪"怪人赤マント"である。自己の存在意義もあって、自他共認める大の子供好きだ。この頃は同族の説得もあり人攫いは完全に辞めていた。その代わり異能の技を手品として、子供に披露することに生き甲斐に感じ始めた時期だ。

 地方を放浪する見知らぬ手品師。瞳を輝かせて迎えてくれた子供は想像以上に多かった。

「おじさん、今日は何をするの? 」
「お兄さんですよ」
 たまに訂正を入れたが大抵の子供は聞いてくれない。赤間の手元を見つめて、矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる。
「鳩や兎は帽子から出る? 」
「箱の中のカードを当ててよ」
「動物やカードはまたの機会に。今日はこの賽子を使いますよ」

 地元の子供は家業や畑を手伝い、疎開の子供は勤労奉仕などもあったが、彼らと赤間は許される限り時間を共有した。厳しい顔の大人が眉間に皺を寄せることもあったが、警察からの尋問の前にはいつも逃げ果せた。

 時に親切な住人の世話になり、時に星空の下で一夜を過ごし。そんな暮らしが続いていた頃。

 ある村落で手品を見せていた赤間を、少し離れた場所から窺い見る少年と少女がいた。風貌が似ているので兄妹なのだろう。赤間が手招きすると二人は逃げるように去ってしまった。首を傾げて手を止めた手品師に、周囲にいた子供が言う。
「あいつは嫌われてるんだ」
「どうして」
 問い返した赤間に、子供たちは顔を見合わせた。
「嘘つきだから。あの子たちのお父さんは空を飛べるって言うの」
 ふくれっ面で言った女の子に、赤間は優しく笑った。
「私にも出来ますよ。手品でならね」
 子供たちは再び顔を見合わせる。
「おじさん、じゃああの子のお父さんも手品師なの? 」
「お兄さんです」
 抵抗を試みたものの、子供たちは口々に喋り始めてしまった。

 兄妹は親戚を頼って最近町から疎開して来たらしい。数日後には仲直りしたようで、他の子供たちと一緒に赤間の元へ遊びに来るようになった。想像通り兄妹の父親は手品師で、町の劇場によく出ていたという。何度か言葉を交わすうちに二人は、他の子供たちが帰った後も赤間と話をするようになっていた。

「風穴蔵(かざなぐら)って所を知っている? 」
「いいえ。どこかの地名ですか」
「うん、お母さんがそこにいらっしゃる。お父さんも戦争からお戻りになれば、また劇場で手品をなさるんだ」
「では君たちもそこへ帰るんですね」
 赤間の言葉に少年は頷いた。

 やがて日が傾き始める。赤みを帯びた太陽が木々を淡い蜜柑色に染める頃になると、いつも少年は妹の手を引いて足早に帰って行った。「親戚に遠慮があるのか」と問うと「違う」と兄は答えた。
「妹が夕陽を怖がるから」
「夕陽を? 」
 思わず聞き返した赤間に少年は微かに笑って小声になる。
「町が焼かれたのを思い出して」
 赤間は咄嗟に言葉が出ず、少女の頭を撫でた。彼女はくすぐったそうに笑ったが、幼い心は傷ついているのだろう。それは兄である少年も同じ。ただ妹を守るために、強くあろうとしているだけのこと。

 赤間は妹の前にしゃがんで視線を合わせた。
「手を出してごらんなさい」
「こう? 」
 小さな掌を上向けに握らせ、自分の掌で包み込む。
「夕方になっても怖くなくなる手品です。夕陽を少し手の中に閉じ込めますよ。さあ一緒に三つ数えて」
 赤間は、少女と「一、二、三」と声を合わせて数えた。ゆっくり手を開かせる。
「わあ」
 兄と妹が一緒に歓声を上げた。手の上には朱色の紐と小さな鈴がついた赤いとんぼ玉が乗っていた。
「くれるの? 」
「私からではありません。それは夕陽の破片、お日様の贈り物です」
 兄妹は嬉しそうに礼を述べて帰って行った。妹の歩調に合わせて響く鈴の音を背中で聞きながら、赤間もその日の寝ぐらを探しに向かった。

 それが、その兄妹との最後の記憶だ。

 仲間の妖怪から応援要請が届き、急遽その村を離れたためだ。人ならざる者同士の連携は、彼らが人の世で暮らすための手段の一つだ。数ヶ月後に決着がついた頃、この国は"敗戦国"という烙印を押されていた。

 村を再訪問した時、あの兄妹は「親元へ帰った」と他の子供は言っていた。彼らが気になった赤間は、「風穴蔵」という土地を探した。しかし焼け野原から復興しつつある町で、かの兄妹は見つからなかった。手品師だという父親の情報も手繰ったが、わかったのは「戦死したらしい」という噂だけだ。

「その子たちの目に触れやすいように、劇場で手品をしてはどうですか」
 それは近隣の"同族"のたまり場『鈴の音』の先代店主・鈴鹿真緒からの助言だった。少々悩んだが、結局赤間はその助言を受け入れることにした。やがて『鈴の音』に来る仲間とも懇意になり、赤間は常連の一人として数えられるようになった。手品師としての活動も順調で、大きな劇場やテレビに出る機会も出来た。

 しかし兄妹との再会は果たせないままだ。

 既に時は何十年も過ぎ、地名も「風穴蔵」から「新白扇」に変わった。彼らが生きているとしても、赤間のことは覚えていないかも知れない。

 それでも赤間トオルはマジシャンとして、この地の小さな舞台に今日も立つ。彼のカウントはワンツースリーになり、マジックの種類もより多彩になった。素性を知られないよう今は「二代目の赤間トオル」ということにしている。それでも昔から変わらないことがある。

 「可能な限り子供と触れあう時間を作る」

 赤間はショーの終了後、舞台に呼んだ子供たちの手に菓子を出現させることがある。これは彼の妖怪の術で「タネ」はない。だがマジックだと信じる多くの子供が喜ぶ芸の一つだった。

 この日最後のキャンディを受け取ったのは幼い男の子だった。満面の笑顔にあの兄妹の面影を感じて、赤間は思わず目をこする。一緒にいる保護者は祖父か、或いは曽祖父だろうか。かなり年配の男性が目を潤ませて赤間を見ていた。目が合うと老人は掠れた小さな声で言った。
「わしは子供の頃に妹と一緒に、同じ手品を見たことがありましてなぁ。菓子でなく赤いガラスの玉ですが……懐かしい思い出です」
 赤間は目を見張り、喉元まで出かけた声を飲み込んだ。その代わりに笑顔を作る。
「昔の手品師さんと同じ技とは奇遇なことです。妹さんはお元気でしょうか? 」
「いや、数十年も前に他界しましてな」
「そう、でしたか。失礼なことをお聴きして申し訳ありません」
 赤間は一礼した。かの少年の面影を映す男の子が老人の手を握り、二人は舞台を降りて行く。後ろ姿にあの日の兄妹の姿を重ねながら、赤間はもう一度深く頭を下げた。

「赤間!」
 立ち尽くす赤間の元に、赤いスカートを翻しながら女の子が走り寄る。
「花ちゃん、来てくれたんですか」
 『鈴の音』で店主の五十鈴千鶴と同居している少女・花である。
「花も皆も赤間が好き。当たり前」
 背後を向いた花の視線を追い、赤間は「一体何事か」と問いたくなった。舞台裾には、先程まで『鈴の音』にいた全員がいた。土橋の肩の上に、つるべ落としまでが浮いている。
「赤間の元気がないと心配」
 花が赤間の袖口を引っ張った。

 少し気まずそうな犬塚理沙の表情で赤間は悟る。彼はかつて風穴蔵と呼ばれたこの地に、縁のあった子供を探して来た。当時から『鈴の音』に出入りしていた土橋、つるべ落とし、寿海、波子はそれを知っている。恐らく赤間が店を出た後にその話を聞いた理沙が心配になって、全員連れて応援に来たのだろう。

「こんなタイミングであの子と再会するとは。運命の神とやらに何か一言申し上げたいものだ」
 ずらしたシルクハットの陰でそう呟いたマジシャンを、花が小首を傾げて見上げた。

 時は巻き戻せない。兄妹と赤間の時間が交わる機会はもう二度と無いだろう。だが彼らとの出会いと別れがあればこそ、かけがえない同士とも出会うことになったのだ。

 花に手を引かれて、赤間トオルこと"怪人赤マント"は舞台裾に向かう。背後で鈴の音が聴こえた。過去からの幻聴なのか、それとも死せる妹の声援なのか。
 しかし躊躇うことなく一歩を踏み出す。仲間の元へ。過去から続き、未来に伸びる見えない道のさらなる先へと。

(了)

nyan
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