~龍の祠・③~
「なんでこんなとこに人がいるのよ!!」
「知るか! とにかく急げ!」
ティアが当然とも言える疑問を口にするが、私はそんなことを考えるよりも早く駆けつけることを優先するよう指示を出す。
ドラゴンによる仕業か? いや、ならばその巨躯がこの洞穴内で動く際の振動や音があってもおかしくはない。ならば他の魔獣か動物による仕業か? いったい何が起こっているのか?
――考えるための情報も、余裕もない。今はただ、声の主を助けなければ。
一瞬だが、確かに聞こえた悲鳴。反響音の大きさからしておそらくはそう遠くないはず。しかし、距離が近いといっても正確な場所がわからなければどうしようもない。
一か八か。足を動かしながら、私は懐から光晶石を取り出して握る。
指先でつまめる程度の大きさの白い石が、私の手に触れた途端に白色の輝きを放った。
(声は確か、あの先に――!!)
十分に魔力(マナ)を込めたことを確認すると、私は光を放つ光晶石を擲(なげう)った。
私の手から離れた光晶石は、まるで暗闇の中で生まれた太陽のように周囲を明るく照らしながら、放物線を描いて向こう側へと飛んでいく。
助けを求める人の発見と、もし魔獣か何かに襲われているのならば、閃光による牽制も兼ねていた。
半ば賭けであったそれは果たして、人を見つけるという点でまず功を成す。
白光が照らしだしたその先にいたのは、私のものと似たローブに身を包んで横たわる人影。顔はフードによって隠されて見えないが、おそらくは声質からして女性。
そして――。
「ッ、野盗!?」
その人影に跨ってナイフを喉元に突きつけている、賊らしき男が視認された。それだけでなく、周囲でその人物を囲うように取り巻く仲間もいる。
思わず驚愕の声を漏らすティアをよそに、私は敵の数を確認した。
数は一、二……全部で五人。全員がナイフやロングソードなどで武装しており、レザーメイルで身を包んでいる。悲鳴をあげた人物を押さえつけているのが一人。
幸いなことにその全員が、私が投げつけた光晶石――ひいては、私たちに注意を取られていた。
「ティア、これ持っててくれ」
「は? え、ええっ、ちょっと!?」
手に持っていたランタンと荷物をティアに放り投げ、素早くローブを脱ぎ捨てヴェンデッタと魔装制服(ドレスアーマー)を展開させると、私は一気に駆け出して賊どもとの間合いを詰める。
急接近する私に相手が呆気に取られている間、ローブの人物を押さえつけていた賊のナイフをヴェンデッタの右切り上げで弾き飛ばした。
斬撃の勢いを殺すことなく、私はそのまま右側に立っていた賊のロングソード――正確には、その剣を握っていた手に目がけて跳び蹴りを放つ。
「がッ!?」
衝撃を受けたその手から、ロングソードが抜け落ちた。
蹴りを放った後も、私は回転を止めずに残りの三人目が持つ得物を狙って鋭い一閃を繰り出す。
右薙ぎ気味に放たれた逆袈裟斬撃は、三人が持っていた剣をへし折った。
猛威を振るったヴェンデッタの旋転は、人を押さえこんでいた賊の首元でピタリと制止する。
「……あ……ぅ……」
「……下がれ。そこにいる他の奴らも全員だ。でなければ斬る」
首にヴェンデッタを突き付けられた野盗が、呻くように声をあげる。
刃を押し当てながら、賊にローブの人物から離れるよう誘導すると、相手はそれに従った。
賊たちは皆同じように苦々しい表情を浮かべて私を睨みつけてくるが、私は全く意に介さない。
得物は全て破壊されるか、その手からなくなっている。全員が剣の間合いに入った今、下手に動こうものなら目の前の男だけでなく一瞬で斬り捨てられる……それをお互い理解しているからこそ、こうして膠着(こうちゃく)しているのだ。
少し遅れて、ティアとゼクスが私の元へ駆けつける。
「ティア、ゼクス。その人を頼む」
「わかった」
私が指示を出すと、ティアが了承の返答をする。ゼクスからは特に返事がなかったが、彼女とともにローブの人物を介抱してくれていた。
それを横目で確認した私は、賊の方へ再び視線を向けるとそいつらに命令する。
「……ここで何をしてたのかは知らんし、聞く気もない。失せろ」
「な、なんだいったいテメェ! 仏の騎士がいったいこんなとこに何の用だよ、俺たちは――ッ!!」
首に剣を突き付けた賊が何かを言い切る前に、私は刃をより強く押し当てて相手を黙らせる。
「…………失せろ。三度目は言わん」
賊を睨みつけながら、私は最後の警告を口にした。
それを受けた賊は悔しげに歯噛みしながらも、命が惜しいのか何も口答えすることはない。湧き上がる激情を押し殺すようにして唸ると、賊は仲間たちに呼びかける。
「~~~~~~~~~~~~~ッどうせそんなヤツ商品価値もねぇ、テメェらにくれてやるよ! 行くぞお前ら!」
「クソッ、仏の騎士がふざけやがって!!」
「チクショウ! テメェもそいつみたく野垂れ死にやがれ!!」
それだけ吐き捨てると、そいつは仲間を引き連れて逃げ去った。他の者達も捨て台詞を吐いて洞穴の外へと走る。
暗い洞穴内に五人分の足音がけたたましく反響し、やがて聞こえなくなったときに、私はヴェンデッタと魔装制服(ドレスアーマー)の武装を解いた。
(……そいつみたく、野垂れ死にやがれ?)
賊の一人が言い残した台詞が気にかかり、私は小首を傾げる。
いったいどういうことなのか。その言葉の意味を知る前に、私はその答えを知ることとなった。
「……ッ! ナギ、この人……!!」
ティアが息を呑み、私を呼びかける。
その視線は、ローブの人物の顔に釘づけになっており、驚愕で目が見開かれていた。
何があったのかと思ったそのとき。フードが取れ、顔の全貌が明らかになり……私は二つの意味で、ティアと同じく驚愕に目を見開いた。
「……あなた達は……?」
息を荒げながら、ローブの人物――女性は、私たちに訊ねかけてきた。
まず最初に目に飛び込んできたのは、シャオよりも深い褐色の肌。
銀を糸に紡いだような長い髪は、ランタンの灯りに照らされて煌めいていた。
虚ろに開く双眼から覗ける瞳の色は、本物のように輝く金。
何よりも特徴的なのは……横に長く伸び、尖った耳。
別名、耳長族と呼ばれる亜人・エルフと同じ特徴……しかし、彼らの透き通るような白い肌とは対極的な体色を持つそれは――。
(ダークエルフ――!?)
そして。その種族と同等に私を仰天させるものが、そこにはあった。
荒い呼吸を繰り返すその人の顔に浮かぶ、多数の丘疹(きゅうしん)。
以前は見る者を魅了する蠱惑な美しさを誇っていたであろうその顔立ちには、その美貌を全て消し飛ばしてしまうおぞましい数の丘疹(きゅうしん)が見えた。
通常ならばそんなにも浮かび上がるはずのないそれは、私の脳裏にある病気の名前をよぎらせる。
「ナギ、この人天然痘に罹ってるわ!!」
不治の病、悪魔の病気。あらゆる忌み名で呼ばれ、古代より猛威を振るった最悪の感染症。
一度罹れば、生存は絶望的。致死率とともに恐ろしく高い感染力を持つこれは、たとえ治癒したとしてもその顔と身体に痘痕(とうこん)と呼ばれる痕跡を残し、その後も感染者を苦しめ続ける、まさに脅威の伝染病。
現在は種痘(しゅとう)と呼ばれる予防接種を行うことで、安全かつ高確率で予防することが出来るようになった。だがそれでも、発病してしまえば治療するのは難しく、また死ぬ確率も高い。
まず確認すべきことがあると考えた私は、二人に呼びかける。
「ティア、ゼクス! 予防接種は受けているか!?」
「あたしは受けてる!!」
「俺も問題はない。ナギはどうだ?」
「私も騎士学校の学生だったころに受けている、大丈夫だ!」
投げかけた質問に肯定の返事を受けとり、ホッと一息をつく。
とりあえず、ここにいる者達が天然痘に感染する可能性はほぼないと考えてもいいだろう。
街に戻ったならば、住民全員に予防接種の勧告をしてもらう必要がある。対策方法が確立した今、多くの国や州で種痘は行われているが、万が一受けていない者がいれば急がなければならない。感染した後も種痘が有効なのは、四日以内なのだから。
いや、今はまだそれよりも、目の前のこの女性のことが先だ。
(天然痘特有の丘疹(きゅうしん)が浮き出て、熱も出ている……発症してから少なくとも一週間は経過しているか……!)
天然痘の発症には、段階がある。
一段階目で、高熱を発して腰痛や激しい頭痛、吐き気を催す。
二段階目で解熱するものの、顔を中心に全身に丘疹(きゅうしん)が発生する。
三段階目で再び高熱になり、内臓器官にも体表面と同じ丘疹(きゅうしん)が発生する。これらにより肺が損傷を被り、重篤な呼吸困難を引き起こすことで大抵の感染者は死んでしまうのだ。
もうすでに、この人は三段階目にまで達している。せめてもう少し早く見つけることができて、種痘を行うことが出来れば……完治は無理でも、症状を軽くすることが出来たかもしれないというのに。
歯がゆさで、私は思わず舌打ちをしてしまう。
「……ティア、この人の治療は……」
「……残念だけど、無理よ。私でもこれは治せないわ。ともかく安静にするために、医者のところへ連れて行かないと……」
僅かな希望を込めて訊ねかけてみたが、返ってきた回答はやはり否定だった。
そう返答するティアの言葉は小さく、不安で揺れていた。その理由は、私にもわかる。
病気もそうだが……この人の種族は、病院に連れていくには大きな障害となり得るものなのだから。
今ならばどんな人でも受けられる予防接種を受けていないのが、その証拠だ。
せめて、症状を緩和することができるものはないか。
ティアが持っていた私の荷物を開きながら、藁にもすがる思いで中を探す。
そのとき。
「どうして……ですか?」
不意に、ダークエルフの女性が私たちに何かを問いかけてきた。
突然語り掛けられたことに驚愕し、私もティアも互いに見合う。
しかし病人、しかもこんなにも重い症状の天然痘患者に口を開かせることなどさせるわけにはいかない。
そう思った私は、彼女に話しかける。
「あまり喋らない方がいい。静かにしていろ、苦しいだけだぞ」
「そうよ、あなた重患なんだから口開かない方がいいわ。今は息するのもつらいでしょうに」
「……あなた達は、なぜ私を……治そうとするのですか?」
安静にしていろと私とティアが勧告したにも関わらず、ダークエルフの女性は私たちに再度訊ねかけてきた。
それは、なぜ自分を助けようとするのかを問う疑問の言葉。
投げかけられた質問に、私は荷物の中を探しながら返答する。
「私は騎士だ。誰かが苦しんでいるなら助けるのが騎士の道理だ」
もう国には仕えていないがな、と私は苦笑して最後に付け加える。だが、相手はそんな答えでは納得など出来ない様子で顔を顰めた。
「……たとえそれが、人殺しの一族の末裔だとしても、ですか?」
――人殺しの末裔。自らの素性を語るにはあまりにも自虐的なその言葉に、私の手がふと止まる。
「……知っているのでしょう? 私たちが、この世界で……この州で、この国で何を成してきたのか……」