~龍の祠・④~
視線を、女性の顔へと移す。
金色の双眼も同じく私の顔を見つめている。おびただしい量の丘疹が浮かんだその顔には、不安と悲しみの色が見えた。
ダークエルフ。それは、世界中で忌諱され、疎まれている種族の一つ。
エルフより稀に生まれる彼らの生態と性質は、その肌の色以外には何らエルフと変わりない。彼らと同じく魔法と魔導どちらにも秀で、長寿で老いることはなく美男美女ばかり。しかし欧の州の歴史の中で、ダークエルフは数々の惨禍をもたらした者達なのだ。
その多くは犯罪、そして戦争。かつて勃発した国家間の闘争や紛争、それらの戦場に傭兵として参戦する彼らは、強力な魔法と魔導によって甚大な被害をもたらしてきた。
彼らが駆り出される戦場には、必ず多大な死者と大規模な破壊が発生する。
災いを呼ぶ者として忌み嫌われる一族、それがダークエルフ……今まで彼らはそう認知され、そして今でも多くの人がそう考えている。
「ああ、知ってるさ」
さも当然、というように私は彼女の問いに応える。
ますます理解できない、というようにダークエルフの女性は戸惑いの表情を浮かべる。
当たり前だろう。自身が世界中から忌み嫌われる人殺し集団の一員だとわかっていながら救おうとするなどと、納得できるはずもない。
そんな彼女の疑問に答えるように、私は言葉を付け加えた。
「お前らが、元は同族だったはずのエルフから捨てられた者達だということも。誰も何も守ってくれないこの世界で生きるために、仕方なく戦場に出ていたことも」
戦場があれば、迷わずそこへと赴き姿を現したダークエルフ。
だがそれは、彼らが生きていくために仕方がなく行ったことだった。エルフより生まれた彼らは一族から忌み子として疎まれ、捨てられる。
仲間の庇護も、親の庇護すらも受けられぬ彼らが生きる唯一の術。それは、『奪う』こと以外には何もなかった。
誰も何も与えてくれず、他の生き方を教えてくれる人すらいない……そんな中で生きるため、数少ない自分たちの仲間を守るために必死になったダークエルフたちを責めることができる者など、誰もいないのだ。
ごくごく最近になってその事実が世界中に認知されるようになってはきたものの、やはり人々に植え付けられた怨嗟の念は根深く、彼らは未だ差別と暴力に晒されている。
「……それでも、私たちは多くの人間を、エルフを、ドワーフを……数え切れないほどの亜人たちを殺めてきました。何があろうと、人殺しは咎人……それは変わらない事実なのですよ?」
「わかってるさ。でも私はお前に友人を殺されたわけでも、家族を殺されたわけでもない。私は罪人を裁く神でもなんでもないし、権利もない。そしてお前を蔑む気もない。それに――」
会話の途中で、私は彼女から目を逸らして言葉を続ける。
「――私は騎士だ。誰かが救いを求めているのならば、手を差し伸べる。理由などそれだけでいいだろう?」
「…………」
目を丸くして、ダークエルフの女性はまじまじと私を見つめてきた。
まるで私の言葉の真偽を問うているかのようなその視線を、私は真っ向から受け止める。
誰もが沈黙し、時間だけが流れていく。
しばらくお互いに見つめ合っていると、やがてダークエルフの女性は安堵したように息を吐いて、
「……あなたのような騎士らしい騎士なんて、初めて会いました……」
呆れたような、感嘆としたような口調で、そう呟いた。
「……とりあえず、今は動くな。薬か何か、役に立つものを街から調達してくるからな」
私はこれ以上何も答えるつもりはない。
言外にそう伝えると、ダークエルフの女性は頷いて了解の意を伝え、目を閉じる。
それを確認した私は、ふと隣で安堵したように胸をなでおろしているティアを見てふと呟いた。
「――よかったのか? お前らは」
「え? 何が?」
いったい何のことを訊ねているのかと、ティアは首をかしげて私に聞き返してくる。
「成り行きとはいえ、ダークエルフの女性の面倒を見ることになったんだ。その……あんなことを言った口上だが、お前らはいいのか?」
「…………サムライのくせに二言するわけ? 男らしくないわね」
「女なんだが、私」
私に問いかけられたティアは、顔を顰めて苦言を漏らす。
どうでもいいが、サムライだけでなく、いよいよ男扱いすらされるようになった私はどうすればいいのだろう。
ハァ……とティアは嘆息して肩を落とすと、私に向かって口を開く。
「……ダークエルフの話は、あたしも聞いたことがあったの。生きるために他者を殺す。それでも罪は罪かもしれないけれど、もしあたしが同じような立場だったなら、きっと彼らと同じ選択をしていた。責めることなんて出来はしないわよ」
そこで一息をつくと、続けてティアは言葉を紡ぐ。
「――自分や他の誰かを守るために、他の誰かを犠牲にする。それで誰かが傷ついても、誰かが生き残れたなら……それでも、いいじゃない」
そう言い放つティアの声は小さく、顔は悲しげに目を伏せた。
その声音に混じっていたのは、後悔と、悲嘆の響き。
私はそれ以上、何かを聞くつもりはなかった。
こうしてダークエルフを匿うことに、異論はないとわかっただけで十分であるし……人の過去を根掘り葉掘り聞くなどということは、出来ない。
ゼクスの方へ向き直ると、私は彼にも同じく訊ねかける。
「ゼクス、お前もいいのか?」
「……別に」
ゼクスはただ肯定の返答のみをこちらへよこした。
理由は語らなくとも、こちらも意思さえわかったならばもう何も言うまい。
私は立ち上がってティアたちにあとを頼むことを伝える。
「ティア、ゼクス。すまないが、とりあえずこの場を頼めるか?」
「………………いいだろう。看ておいてやる」
「う~っ、お願いだから早く帰ってきてよね! ドラゴンがいるかもしれないこんな場所にずっとほったらかしなんて御免だからね!」
ゼクスは長考した後に妥協。ティアは渋々、といった様子でそれぞれ了承の回答を口にした。
それらを受け取った私は小さく頷き、洞穴から外へと出ようと歩き出す。
……そのときだった。
『待て、仏の騎士』
腹の底から全身を揺さぶるような低く重い声が、耳に飛び込んできた。
「「「――ッ!?」」」
突如として洞穴の奥から聞こえてきたその声に、私は立ち止まって振り返る。
二人にもそれは聞こえていたらしく、目を見開いて闇の奥へとその目を向けていた。
「……なに?」
ティアが疑問の言葉を漏らすが、ゼクスも私もその問いに応えることはできなかった。
ダークエルフの仲間かとも思ったが、あんな声を人間や亜人が出せるとは到底思えない。ならばいったい何者が、私たちに言葉を投げかけたのか?
何もわからないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
やがて。
『……お前一人で、こっちへ来い。奥で待っている』
二度目の声を、洞穴の奥から『何か』が私たちに向けて放った。
私たち三人は互いに目を見合わせ、どうするべきかを問い合う。
声の主に従って、奥へと行くべきか。それとも行かないべきか。
(……行ってみるしかないだろう。罠かどうかなどわからないし、この人を放っておくわけにもいかない)
苦しげに息を荒げて横たわるダークエルフの女性を一瞥し、私は一人で行く旨を二人に伝える。
私の意見も尤もだと考えてくれたのか、ティアとゼクスは洞穴の奥の闇を見つめながら立ち上がった。
手持ちの光晶石をいくつかティアに手渡すと、ランタンを返してもらう。
ティアの魔力(マナ)に反応して、光晶石は淡く白い光を放ち始めた。
「気をつけて」
「ああ」
忠告の言葉を送るティア。それに返事をすると、そのまま私は洞穴の奥へと進んでいった。
自分の足音と、ランタンの揺れる音だけが辺り一面に響き、一寸先も見えぬ闇が再び自分を覆う。
その手にぶら下がる小さな炎だけが唯一の灯り。見えるのは、仄かな光に照らされた岩肌と剥き出しの黒い土のみ。
どこまで続いているかわからないその闇の向こうへ、私はひたすらに足を進める。
一歩……。
一歩……。
さらに奥へ……。
歩を進めていく……。
やがて、振り返れば見えていたはずの光晶石の白い光すら見えなくなったとき……
「……ん?」
私は、壁に突き当たった。
(行き止まり? いや、これは……)
壁というよりも、それは岩が崩れて出来たような山。まるでそこから先の場所で落盤が起きたかのように、行く先が塞がれている。
自然に起きたものか、はたまた先に進めぬよう人為的に起こされたものかはわからないが、これでは立ち往生してしまう。
どうしたものかと思ったその時に横をチラと見てみると、向こう側に何か不自然な影らしきものが見えた。
不思議に思って見てみると、足元に人ひとりくらいは入れそうな小さな穴がぽっかりと開いていた。どうやら奥に続いているらしい。元々あった小さな隙間を慎重に広げ、通れるようにしたようだ。
(随分と都合のいいものだな……いや、以前にもこうして人を誘ったことがあるのか……?)
穴をしげしげと見つめながらそんな推測を思い浮かべるが、今はそんなことはどうでもいいと判断すると頭の隅に追いやり、中へ入ろうと試みた。
少し狭いが、通れないということはない。進路の奥や来た道から妙な気配が迫ってはいないか、ここが再び崩れる危険はないかと注意しながら、慎重にゆっくりと這いずるように奥へと私は侵入していく。
闇の広がる洞穴の深い場所にまで進み、今度はこうして地中を這っていることを考えると、まるで自分がモグラか何かにでもなったような奇妙な気持ちになっておかしかった。
(土龍(モグラ)か。その進む先に炎龍がいるというのだから笑えないな……っと)
そこで出口が見えてきたことに私は気づく。
外が見える位置から、何かが潜んではいないかを注意深く観察し、安全を確認すると私は穴から這い出た。
起き上がり、身体中についた土ほこりを一通り払い落とすと、着いた場所がどんなところであるか確認する。
が……周囲を見渡してみても、依然として暗闇が広がるだけ。いやむしろ、さっきまで通っていた通路などよりもずっと広がった空洞に出たようだった。
まさか、まだまだ先は長いのか? と私は辟易してため息をついてしまう。
やれやれ、またここからしばらく歩くことになるのか。
そう思い、足を再び前へ出そうとしたその時。
『――よく来てくれたな、仏の騎士』
大地を揺さぶるような、低く重い声が耳に飛び込む。
ハッとして顔をあげると、巨大な二つの光る球体が空に浮かんでいるのが見えた。
その二つの球体はどちらも黄色に輝き、黒い線のようなものが縦に入っている。妙な紋様が描かれたその球体を眺めて、私は首を傾げたが……やがて、その正体に気付く。
『――ほう? 随分とまた若い騎士がいたものだ。まぁ、さっきの身のこなしからして相当な剣の腕前だというのは見受けられるが……さてさて、どうしたものか』
……違う。あれは球体じゃない。
目だ。動物の、眼球。それが、私をじっと見つめているのだ。
「……これは……」
ランタンの灯りを反射して輝く二つの眼球。
それはやがてゆっくりと私に近づき……それと同じくして、新たな部位が私の目に見えてくる。
それは形容するならば、巨大な赤い蛇の頭。
細長い首の先に真紅の鱗で覆われた頭部が生え、耳は尖っている。目つきは非常に鋭く、口は見るからに鋭利で大きな牙が数多生えてギラついている。
私の身体など、簡単に一飲みできてしまいそうなほどの巨躯。
赤い蛇は、目を丸くした私をしばらく見つめていると、嘲笑するかのように口角を吊り上げて、
『随分とマヌケな面を晒すじゃないか。ドラゴンを見るのは初めてか? え? 小娘』
私に向かって、こう言った。