母との出会い
シコメ姫は、きびきびとした足どりで牢獄ぞいの通路を進んでいった。
牢獄に入ってから、数にして二〇〇歩ほど進んだ地点。
シコメ姫の目の前には、大きな槻木や鉄で作られた高さは六尺強、横方向が三尺のヨモツの国章や装飾の刻まれた半鉄製の扉がそびえていた。
扉の一部は、長い年月、城の地層にしみ込んだ水やそれにともなう湿気にさらされ、補修すらされてこなかったためか腐食が進み、二尺前後のいびつな穴があいていた。
「うち、ようついてる。扉のとこが腐ってて通れるようになってるわな。」
シコメ姫は、歓喜のあまり、頬をほころばせて手をたたいてひと言つぶやいた。
さっそく、彼女は松明を壁に立てかけ、肩にかけていた長槍を一旦地面にとんとおろし、しゃがんだ体勢でこぶしを握って持った。
「ほな、いっくで!!」
シコメ姫は、身体にあるすべての余力を足や槍を持つ腕に集め、のども張り裂けんばかりの叫び声と共に腐った木材の部分を十字に切り裂いた。
長槍を受け、腐敗した木材は粉々に砕かれ、細かなちりとなって地面に降り注ぎ、人が這って通れる程度の穴が出来た。
彼女は、長槍や袋・松明類を先に穴の中に送り、自らも母親の胎内から生まれ出てくる赤ん坊のごとく通り抜けた。
扉の先には、四方八方が石垣で覆われた小さな部屋があった。
そこには、東方はオハリのセントで焼かれたであろう玉虫色の壷、黒い着衣に灰色の腰帯を着させられた中年くらいの女性が桐木づくりの板の上で眠っていた。
女性は、中年にしては一〇才ほど若く見え、顔や体つきは、タキリ姫、そして目の前にいるシコメ姫に似ていた。
そう、この女性こそタキリ姫、シコメ姫を産んだ母親で、前すばる王朝の最後の王妃のヤカミ妃本人てある。
板の上で眠っているヤカミ妃は、まるで娘のシコメ姫をきたのを察したのか、顔にほほえみを浮かべていた。
その顔は、明るくて一切黒い部分がなく、まさに三人の娘を持つ母親にふさわしい表情であった。
「お母様の顔、夢の中でしかみたことないし、じかに目で見るのは初めてのことやわ。」
シコメ姫は、明るい松明の光に照らされたヤカミ妃の顔を見つめ、思いつくままにつぶやいた。
さっそく、彼女は松明を近くの壁に立てかけてヤカミ妃に近寄り、両脚を石畳のうえにおろして正座させ、腰帯に下げている袋の中から天日干にした柑橘の果実を取り出した。
なお、干した柑橘の果実は、『目覚めの果実』とよばれ、薬草や術などによるありとあらゆる眠りを打ち破る効能がある。
シコメ姫は、目覚めの果実を食べやすくちぎり、両手で開けたヤカミ妃の口に壁から染み出た湧水と共にふくませた。
これと共に、
「お母様。うち、助けに来たで。早よう目覚めてや。」
彼女は、うるうるとヤカミ妃を見つめ、言葉まじりにその身体をやさしくゆすった。
その言葉や行動などには、娘(シコメ姫)として、長きに渡って眠らされてきた母親のヤカミ妃に目覚めてほしいという気持ちがこめられていた。
ゆすり始めてからしばらく時が経った頃。
目をつぶり、微動だにしなかったヤカミ妃がついに目を開け、身体全体に力を入れて起き上がった。
ヤカミ妃は、久々に目を開けたためか、松明の灯りを見るなり、利き手でそれを覆っていた。
「シコメ。ほんまにわてのこと、助けに来てくれたんやね。おおきに。」
ヤカミ妃は、おぼつかない足取りでシコメの元におもむいて言葉をかけた。
彼女は、このとき、心の奥からふつふつと湧き出る助けられた喜びを押さえきれず、目からぽたぽたとしずくを流し、娘であるシコメ姫の身体を抱いた。
四九寸強ほどの小柄なシコメ姫の身体は、母親であるヤカミ妃に抱かれ、どくどくという心臓や血管の鼓動がいつもより激しくなった。
これこそ、長い間、離れ離れになっていた母娘が初めて顔をあわせる感動的な出来事であった。
「そんくらいええの。うち、お母様のこと、父ちゃんよりも好きやから、いっつも助けたいって思うてたねん。」
シコメ姫は、きらきらとして可愛らしい眼差しでヤカミ妃を見つめて答えた。
そのとき、彼女は左右の頬を桃やさくらの花色に染め、にこにこと照れくさそうな表情をしていた。
また、彼女は残した塩のにぎりめしをヤカミ妃に食べさせた。
そして、
「シコメ。このえげつないことばかりしてる国から逃げるやさかい。ほな、行くで。」
ヤカミ妃は、顔にやさしげな表情を描き、まるで国の指導者のようなたくましい口調でシコメ姫に言葉をかけた。
「お母様、わかったで。」
シコメ姫もまた、上下に顔を動かしてうなづかせ、ヤカミ妃に対して真剣な物言いで答えた。