第13話『護れない』
同日 アラーク共和国ザテリア自治区
「……ゲホッ、ゲホ……」
意識を失っていたフォリシアは、ナノスーツの電気ショックにより再びこの世に呼び戻させられる。どれほどの時間気を失っていたかは分からないが、辺りに赤茶色の土煙が立ちこめているあたりから想像するに、そう長くは倒れていなかったようだ。
彼女は細い上半身を起こして二重にぶれる目で周囲を見渡した。
(たしか、町の人が抗議行動中に銃撃されて……それで……)
徐々に記憶が蘇っていく。
彼女はハッとして自分が倒れていた方向を見ると、榴弾により作り出された大きなクレーターがあった。
乾レンガの壁は基礎だけを残して吹き飛び、その向かい側の建物は1階部分が崩れており、今にも倒壊しそうな危険な状態にあった。
そして彼女が一番見たくない現実が目に入ってくる。
人の原形を留めている肉塊が何ともグロテスクで、少女は胃に昇ってくる何かを堪えながら弱々しく立ち上がった。
「……トニちゃん。トニちゃん、どこ?」
フォリシアは数分前まで手を繋いでいた幼女の運命を知りながらも、それでも奇跡だけを信じ、名前を呼ばずにはいられなかった。
「トニちゃん……ッ!」
一方的な虐殺となっていた場に少女の声が木霊する。
しかし、遠くにこもった銃声が断続的に聞こえるだけで、誰からの応答も得られることはできなかった。彼女の中の奇跡が消え去っていく。
フォリシアは頭に血液がのぼり、毛穴という毛穴から得体の知れない液体が流れ出そうになる感覚に襲われる。
「……ねぇちゃ……ん」
探していたトニの声が辛うじて聞こえる。
フォリシアはおぼつかない足取りで声の主の元に近付くが「あの日」を経験した彼女でも無骨なグローブで思わず口を覆わずにはいられなかった。
うつぶせでこちらを見ていたトニは、まだ自分の下半身がどうなっているかは知らないのだろう。損傷の激しい身体で、意識を保っていられるのはそのためだろうか。
駆け寄った小麦色の少女は、差し出された手をしっかりと握って「平気? 痛くない?」とトニにたずねた。
しかし、平気でないのはフォリシア自身がよく知っていた。
最悪の場合、心肺停止状態になったとしても、6分程度までしか脳が保たない。近くの利用できる医療機関へVTOL(垂直離発着機)で急行したとしても間に合わない。
トニを看ていた少女は零れだしそうな感情を純白の歯で噛み潰すと、幼女を細い身体で抱きかかえて黒髪を慈しむように優しく撫でる。
「痛いよ……いたいよぉ……助けて、フォリシアお姉ちゃん……」
「大丈夫。今楽にしてあげるからね」
フォリシアは小麦色の顔で精一杯の笑顔を見せると爆風の被害から免れた胸元のポーチを探り、医療モルヒネを取り出すと口で保護キャップを外してそのまま地面に吹き落とした。彼女は赤黒くなった幼女の肌に眉をひそめるでもなく、終始穏やかな表情で淡々と作業を進める。細い針をその身体に打ってからしばらく経つと、トニは瞬きを何度か繰り返して強張っていた表情を緩め、とろんとした表情になる。
「ね、楽になったでしょ?」
「うん……でもね、お姉ちゃん……なんだか、眠いの」
「トニちゃん頑張っていたから、疲れたのよ。今は眠って、ね?」
「……」
トニは喉元まで出かけていた言葉を飲み込み、弱々しく口の端を上げて笑ってみせた。そして、漆黒色の強化グローブに包まれたフォリシアの小麦色の細く長い指をトレースするかのように小さな手を擦り寄せて目を閉じ、こう言った。
「……おやすみなさい。フォリシアお姉ちゃん、バイバイ」
「……ッ!」
そしてトニは眠るように息を引き取り、フォリシアの元から手が砂の大地へ落ちる。
最後の言葉が耳に飛び込んできた瞬間、フォリシアから微笑みを奪い去り感情の波が大きな薄紫色の瞳から留まることを知らずに溢れ出る。
「……ぁッ……! ぅぁ……!」
フォリシアは嗚咽混じりに感情に任せて泣いていた。ただ、泣き叫んでいた。胸の中で急激に冷めていく魂を抱きしめながら、祈りをこめて泣いた。
何度嗚咽を繰り返しただろうか。頬を伝う涙の痕が幾筋もできて痛々しい顔を上げ、改めて周囲を見渡した。
少し前まで5人の地元住人と共に路地裏を進んでいた地点に大型の榴弾が撃ち込まれたようで、着弾地点を中心に四方へ骸が無残に飛び散っていた。中にはピクピクと不気味に動く生き別れの手足もある。
先導していたフォリシアとトニは着弾点から最も離れていたが、ナノスーツに保護されていない幼女は間もなく死亡し、小麦色の少女1人が生き残ったかたちになる。
「なんのための『力』なのッ! 誰も守れないなんて……」
フォリシアが壁に拳を打ち付け、天を仰ぐ。
細かい砂が舞い上がっているのだろうか、エイシアの基地で見たような青空はどこにも見当たらなく、薄茶色の空が続いている。
彼女は憔悴しきった身体でトニの遺体を静かに下ろすと、フラフラと立ち上がって生気の抜けきった身体のステータスチェックを開始した。
(背面部がオレンジとレッド、それにより通信機能使用不可。運動性能が60パーセント低下……それ以外は問題なし)
主駆動部にかなりのダメージがあるものの、オペレーター(装着者)に致命的な損傷がなかったのは救いと言える。
しかし、ナノスーツが持つ本来の運動性能が大幅に低下している点は見過ごせなかった。こうしている間にも自動修復機能が働いてはいるが、完全に回復することはまず不可能であり、現時点での損害具合を考慮しても数十分かけて全体の7割ほどまでが限界だ。
次に手元の武装を確認する。
構えていたはずの5.7ミリ口径のPDW(個人防衛火器)は大きく飛ばされ、メインフレームが歪んでおり暴発の危険性があるので使用不可能。
PDWと弾薬が共通の貫通力に優れた小口径のハンドガンが1丁、
20発装填可能な予備マガジンが3本。
そして、ダマスカス鋼のロングナイフと、スローイングナイフが3本。
「また、お前を血で汚すことになっちゃうのかな……」
少女はそう言うと、ホルスターにそれぞれの武器を格納してハンドガンを再び構えようとした。
「おっと。動くなよ」
下卑た声が裏路地に響き、ジャリ、ジャリッと複数の足音が散開して少女に近付いてくる。フォリシアはハンドガンを投げ捨て、手を上げた。
「へへっ、素直でいいぜ。嬢ちゃんよ」
「おー。適当に撃った割にはストライクもいいところだな。いや、1人残ってるから違うか」
「次でスペアだろ? このコスプレ女、さっさとやっちまえよ。ブラッド」
後方から遺体を足蹴にする鈍い音が聞こえる。その振る舞いは野盗そのもので、軍人としての誇りは微塵にも感じられなかった。
「よし、そのままこっちを向くんだ。ゆっくりとな」
リーダー格のブラッドという男がフォリシアに指示をする。
彼女は何の戸惑いもなくそのまま彼の方へ向き直った。
自動小銃(アサルトライフル)、軽機関銃、ロケット砲で武装した7人で、いずれも乾燥地帯用の薄茶色をベースにした迷彩パターンの軍服を着ており、ヘルメットは数人が被っているだけで後は頭を露出させていた。
最後尾にはフォリシアと同い年くらいの少年が、目の前の惨状に耐えきれなくなったのか嘔吐をして崩れ落ちていた。
「まだ年端もいかねぇガキだが……いい身体してやがる」
フォリシアを厭らしい視線で品定めしていたブラッドが彼女に近付き、そのなだらかなボディラインを人さし指でなぞり、小ぶりだが形のよい乳房を鷲掴みにした。
「俺の女になるなら、命だけは助けてやる。どうだ?」
少女は胸を捕まれる感触と、顔にかかる臭い息に表情を変えることなくただ一点だけを見つめて立っていた。
「お願いがあるの」
「お? その気になったか、素直でいいぜ」
下卑た笑みを浮かべ、ブラッドが腰を突き出して『行為』の動作をすると他の隊員たちも色めき立ち、歓声を上げる。
そんな彼らを余所に、彼女は深く息を吸い込み、目蓋を長く閉じて一気に見開いた。
――そこに絶望はなく、ただ1つの希望もなく。ただ、紫色の燐光が2つ、静かに燃えていた。
そして、フォリシアはブラッドの濁った眼を真っ直ぐ見つめると口を開いた。
「祈りなさい。もっとも、あなたたちに神が居ればだけど」
凜とした声が辺りに響き、フォリシアはこの世のあらゆる理から解放された。左足でブラッドの足元をすくうと同時に手首を「軽く」捻りあげてそのまま投げ飛ばす。
彼が悲鳴をあげるよりも早く、側に居た7.62ミリ口径のアサルトライフルを構えていた兵士の懐に転がり込むと腰からロングナイフを抜き取り、ライフル目掛けて振り上げたように見えた。
鋼鉄製のパーツがスポンジのように容易く切断され、スプリングやボルトといった物が地面へと吸い込まれていく。そして、彼の身体に一筋の赤い線が腹部から左肩に走り、大きく裂けた。その間はおよそ0コンマ数秒。彼女は身を翻しながら太股の側部に納めていた刃幅の狭いスローイングナイフを取り出すと、渾身の力を込めてそれを前方に向けて放つ。
1本は強化繊維プラスチック製のヘルメットを貫通させただけでは物足りず、質量が軽いにも関わらず標的を押し飛ばした。
もう1本は無防備な兵士の喉元に突き刺さり、彼は喉元を押えながら崩れた。少女は姿勢を低くして砂利道を駆け、倒れてガクガクと喉元を押えていた彼の喉元のナイフを手にかけてそれを大きく横に引き裂いた。
文字通りの血の雨が降るが、フォリシアは返り血を浴びることなくスローイングナイフを左手に構え、もう1本のナイフを素早く抜き取り、手首を捻って刀身を回転エネルギーを加えて右前方に放つ。
それはアサルトライフルを構えて標的をアイアンサイトに捉え、トリガーに指を掛けようとしていた兵士の頸部に吸い込まれていき、悪い冗談のように文字通り「首を切り落とした」。
「ばっ……化け物……ッ!!」
分隊支援火器の軽機関銃を持った男は射線上に仲間がいるのにも関わらず、それを腰だめの状態で乱射した。
5.56ミリフルメタルジャケット弾が秒間18発というサイクルで銃身から発射され「弾頭を真鍮で完全に覆った」鉛弾のシャワーが彼の前方に展開される。
だが、それはフォリシアにとってあまりにも少なく、狙いも不確かなものだった。火薬の力で暴れ回る軽機関銃はしばらく硝煙を吐き出し、空薬莢を降らせていたが同じ隊員の背中を撃ち抜き、戸惑う男は一瞬だけ射撃を中止した。
刹那、崩れ落ちる兵士の陰から黒い物体が飛翔し、男に飛び掛かった。
彼はそれを迎撃しようと銃身を上げるが、弾は見当外れの場所ばかりに飛んでいく。それでも近付く度に被弾のリスクは増していく。フォリシアは左足の太股と右脇腹に衝撃を感じながらも、今はただ敵の殲滅だけを考えていた。そして、ロングナイフをヘルメットに突き立てると、大柄な男の両肩を蹴って空中で一回転して着地する。その直後、その男は真鍮の海に埋もれていった。
そこで最後尾にいた少年兵と目が合う。ブラウン色の瞳は怯えきっており、手足はカクカクと小刻みに震えている。銃を構えてはいるがとても撃てるような状態ではない。
「あなたも、この人たちと同じなの」
この上ない殺意と、憎悪を込めて少女は彼に言い放つ。尻餅をついた少年は銃口を下げて泣きそうな顔で首を左右に振った。
「いい子」
フォリシアは少年の短く刈り込んだ黒髪を撫でると、1人残ったブラッドの方へゆっくりと顔を向けた。次の瞬間、彼女は前腕部に装着された防弾プレートで顔を庇う。ゴンッという鈍い音と共に常人なら骨折・転倒してしまいそうな衝撃が彼女を襲うが、フォリシアは一歩もその場から動かずに耐えていた。
「くそっ、くそおッ!」
片手をだらんと下げたブラッドが、フォリシア目掛けて9ミリ口径のハンドガンを乱射する。銃火の中、彼女は少年兵を護るようにその場に立ち尽くしていた。弾頭の潰れた9ミリ弾が彼女の足元に次々と転がり落ちる。
そして、弾切れになったハンドガンは新しいマガジンを要求するようにスライドを大きく開けていた。
「くっ……」
フォリシアが片手を砕いたせいで彼はマガジン交換に手間取っていた。その姿があまりにも必死で、惨めだったので少女は哀れみの色を僅かに示した。
次の瞬間、1発の銃声が凄惨な戦場に鳴り響く。
「あ……? お前……うら……ぎ……」
フォリシアの目の前にいるブラッドが血の滲む右胸を押えて片膝をついた。
それは少年兵によるブラッドとの決別の意だった。震える指で引いたトリガーはとても軽く、簡単にブラッドの命を奪ってしまう。
「引けたよ……引き金はとても軽かった……」
少年は全ての力を使い果たした様子でライフルを落とし、自分の手をワナワナと振るわせていた。
「……君は、どうしてあの人たちと?」
フォリシアは周囲を索敵しながら少年にたずねた。
「……あいつらが村にやってきて……みんな、みんなを殺して……。僕たちは抵抗することすらできなくてっ……!」
大粒の涙を浮かべて、鼻水を垂らしながら少年は語り出した。
虐殺に遭った村のこと。
そこで息づいていた命の欠片のことを。
少女たちは売春宿に売られ、少年たちは「安価な兵力」として男たちに強制的に麻薬を投与され、空腹や欲求を誤魔化しながら戦わされた。
6人いた仲間たちで脱走を試みたが、呆気なく捕まり1人が見せしめとしてブラッドにより処刑された。
恐怖を植え付けられた彼らにとって、ブラッドの命令は絶対だった。その数日後、地雷で2人の命が失われる。さらに1週間後、武器商人の隊商を襲い3人が身体を撃ち抜かれて死亡した。
今日、ブラッドは少年に言っていた。デモを「鎮圧」させるだけの羊狩りさ。楽な仕事だ。と。
「ブラッドは将軍と裏で繋がっていた。アンタたちに自走砲の榴弾を撃ち込んだのも、全部アイツの仕業だ……」
「それで、君はどうしたいの?」
先ほどまで揺らめいていた瞳の炎は収まったのか、フォリシアは優しく少年にたずねた。
「分からない。みんなの敵をとりたい……でも、無理だ」
絞り出すように答える少年をフォリシアは静かに見下ろしていた。
「……どうしたらいいか分からない。こんな世界、生きてる理由ないよ……」
彼は身体を投げ出し、母なる大地に横たえるが何も感じない。
打ちひしがれる少年の様子を見て、フォリシアの脳裏にある言葉が浮かび上がる。
「……希望を捨てては駄目。全てはあなたたちの中にあるのだから」
それは彼女が息をするように出てくる。
まるで、そうプログラムされているかのように。
「……?」
しかし、彼は何が何だか分からない様子だった。
「ごめんなさい。自分でもよく分からずに言っちゃった……要するに、希望は与えられるものじゃなくて、自分の中から生み出すものってことかな」
「……おめでたい考え方だね。お腹いっぱい食べてそうな国の人が言いそうなセリフだ」
自分でいいことを言ったと思っていたフォリシアに、少年の容赦のない言葉の槍が深々と突き刺さる。
「ぶー……。君も世界を見て回れば分かるよ」
「無理だよ」
「無理じゃない!」
「どうしてっ」
少年は立ち上がり、フォリシアを真っ直ぐ見てそう言い返した。
そして、再び視線を落とし「やっぱり無理だ……僕にはどうしていいのかさっぱり分からない」と消え入るような声で呟いた。
小麦色の少女は何も言わず、彼の目を薄紫色の瞳で見つめて手を差し出した。
「もし、あなたの中に少しでも生きようとする意思があるのなら、この手を取りなさい。あなたの知らない世界を見せてあげる」
「……」
少年はすぐにはその手を取らなかった。
それがどういう意図か計りかねていたからだ。
しかし、争いが相次ぐこの国にいては未来もない。藁をも掴む思いで恐る恐る彼女と手を合わせ、ゆっくりと握った。
そしてフォリシアに力強く引き起こされ、彼は改めて戦場の凄惨さに眉をしかめた。
生命の欠片が散らばっている。
欠片1つ1つにそれぞれの人生、世界があったのだろう。
それらを見た少年は思う。自分はそんな欠片で居たくない、と。