第07話『禁忌と叫べ』

再編歴238年11月3日 エイシア連邦某所

『それでは最終試験を行う。004号、前に2歩進め』

 真っ白で目が痛くなるような空間の天井に設置されたスピーカーから、やや低い男性の声が流れた。
 ハーフミラーの窓と集音装置らしきものが浮かんで見える。
 004号と呼ばれた少女は小麦色の色黒の肌に、癖毛のあるブロンドの頭髪は肩が隠れるほどの長さで、整ったボディラインを銀色のワンピース水着のような姿で立っていた。
 愛らしい10代なかばの顔立ちとは違い、今は頬をぷくーっと息で膨らませて不快感をあらわにしている。

「ユーリ。その名前は嫌いって言ったじゃないですかぁー」

 鈴の音のように透き通った声色の少女は淡いアメジストの瞳を細め、窓に映し出された自分の姿を見つめながらその向こうにいるであろうユーリシス・ナイトレイに語りかける。
『……フォリシア。これでいいか、試験中だ。無駄口は叩くな』

 ユーリシスは冷淡な口調でフォリシアと呼ばれた小麦色の少女に言う。

「はいはい。分かりましたよーっと」

 不機嫌そうな少女が命令どおりに前へ2歩踏み出すと、目前の床が上に迫り出してきて左右に割れ、そこから幾重にも施されたロックが貯め込んだ圧縮空気を排出しながらそれを解除し、観音開きに開いた。
 そこにはダイビングで使うような首元まで覆う漆黒の全身スーツが収められている。

『第五世代ナノスーツ・レイチェットだ。装着してみろ』

 少女の頭には装着の手順が鮮明に焼き付いている。
 彼女はその手順に従い、丈が余るスーツで身を包むと、最先端技術を惜しげもなく用いたという銀色のメイン駆動ユニットを肩甲骨に走っていたスーツの溝に合わして装着し、ロックを施した。
 そして、手首のタッチセンサーを操作すると人工筋肉が一斉に収縮活動を始め、小麦色の肌とスーツの間の空気を外に押しだし始めた。
 フォリシアは真綿で全身を強く絞られる感覚に悶えながら「毎回のことですけど、これ……絶対に欠陥品っ」と涙声でユーリシスに訴える。

『次だ』

 少女は大きなため息を1つ。
 首元のセンサーに左手を近付けると、視界の左下に水色に発光するGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)が表示される。
 視線動作で各接続部の状態をチェックしていき「リンクチェック完了。問題なし」と報告をする。

『歩いてみろ』

 少女は何事もないかのように軽やかに歩いてみせる。
 足を動かそうとした瞬間に主駆動部が人工筋肉によるアシストを命令し、少ない力での歩行を可能としていた。

『次のポイントまで疾走後、バリケードを飛び越えろ』

 淡々と話し続けるユーリシスに愛想を尽かし、少女は与えられた事に専念しようと決め込んだ。
 彼女は無意識にナノスーツに命令を送ると、人工筋肉は爆発的な瞬発力を生み出し、25メートルもの距離を一呼吸する間に走り抜けて設置された高さ数メートルもある純白の壁を飛び越え、着地の余剰エネルギーを前方に2回転させて逃がし、ピタリと身体を止めてみせた。

『上出来だ。次は射撃テスト、休む暇ないぞ』

 フォリシアの後方に白いボックスがカタカタカタと音を立てて展開され、白の空間には不釣り合いな漆黒の強化樹脂製のアサルトライフルが姿を現す。
 アンダーバレル(銃身の下部)のレールには着脱可能な暴徒鎮圧から殺傷用までの25ミリの榴弾を射出できる多目的ランチャーが装着されており、回転式の弾倉には6発の弾を込めることができる。
 その傍らには残弾数が一目で分かるシースルーマガジンが転がっており、これには5.56ミリ口径の銃弾を最大50発装填可能だ。
 ライフルの総重量は一般の歩兵が持つ小銃に比べて1.5倍と重たいが、彼女はそれを片手で軽く持ち上げると異常がないかどうか点検を始めた。

『準備が出来しだい、単射で目標を撃て』

 ユーリシスが言い終わるが前にフォリシアは本体にマガジンを勢いよく装着し、ボルトレバーを引いて初弾をチャンバー(薬室)内に押し込む。
 そして立射の姿勢で25メートル先にある金属製のマンターゲットをアイアンサイトで素早く捉え、人さし指の腹で慎重にトリガーを引き、5.56ミリ徹甲弾で鉄のプレートを撃ち抜く。
 ライフルの乾いた銃声とともにパキンという甲高い音を立てて役目を終えたターゲットは倒れて姿を消す。
 すると、次から次に新しい標的が現われ、床のレールに沿って複雑に動き始めた。
 フォリシアはそれに戸惑うことなく、確実にターゲットを撃ち倒していく。

『次。エアバースト弾を使い、遮蔽物に隠れたターゲットを倒せ』

 少女はライフルが置いてあったボックスから25ミリエアバースト弾を1発だけ取り出すと、ランチャーの回転式弾倉にそれを放り込んで射撃位置に送る。
 GUIを表示させたのと同じ手順で目標までの正確な距離を瞬時に割り出し、スーツを伝ってランチャー内部のマイクロチップに弾が炸裂するタイミングを自動設定させる。
 左手をランチャー下部に添えたまま、右手をライフルのグリップから放してその前方にあるマガジンを握ってランチャーグリップとして使用する。
 視界に映し出されたガイドに従って射角をとり、人さし指でランチャーの重たいトリガーを引いた。
 ポンッという軽い音とは裏腹に、激しい反動が彼女の肩に襲いかかるが、それをうまく上方向に反らして運動エネルギーを逃した。
 刹那、遮蔽物の目標上空に到達した榴弾は炸裂し、周囲数メートルに金属片をばら撒いてターゲットをズタズタに引き裂いた。



***

「命中を確認。次は――」

 ユーリシスが薄暗い室内で窓越しにフォリシアへ指示を送っている。その部屋には複数枚の液晶ディスプレイが並び、監視要員が何人かいる程度だった。
 それもそのはず。彼女はすでに最終段階なので、これといってやることはないからだ。
 ただ、今日は様子が少し違っていた。
 当基地指令のバーンツ少将が視察に研究部を訪れていたからだ。
 気さくな人柄とはいえ、最高責任者である少将の来訪に班員の表情は緊張の色を示している。

「どうだね、ユーリ。出来の方は」

「上々です。明日からでも作戦投入できるでしょう」

「そうか。それはいい、それはとてもいいことだ」

 初老の域に達しているバーンツは、灰色の顎髭を撫でながら言う。

「しかしながら、少将。最初に進言させていただいたように――」

「『彼女たちは極力非人道的な作戦に関わらせるな』だろう? よく覚えているよ。しかしな、少佐。この世界では人の命を奪うことでしか解決できない局面も多々あるのだよ。罪の有無に関わらず、だ」

「……それでも私は、大人としての責務をあの子たちに押しつけたくはない」

 ユーリシスは視線をフォリシアに注いだまま、背中でバーンツに語りかけた。
 物言いたげなその背中にバーンツは平手でポンポンと叩くと「そろそろ夕食の時間だ」と締め括り、片手で研究員たちに挨拶を済ますと部屋を退出していく。

 彼が出て行くと、張りつめていた緊張の糸が切れていつもの研究班の空気が戻ってくる。

「はー……緊張しました。しかし、少佐はすごいですね。あの少将と平然と話せるのですから」

「ヴィックス。お前も年を取れば分かるさ」

「先の戦争で戦果をあげ、生きながらにして英雄と呼ばれた男――……それがバーンツ・シドウェル少将ですけど、正直申しまして全然そうは見えません」

「ドロシー。お前はもう少し緊張感を持とうな」

 ユーリシスと2人の部下のやり取りに、クスクスと笑いが洩れる。
 いつものうちの班の雰囲気だ――黒髪の男はそう思いながら室内を眺めた。

『あのー……次の指示は?』

 1人放置されていたナノスーツ姿の少女が、マイクに向かって小さな身体を震わせて叫んでいた。

「ステータスはどうだ」

「オールグリーンです。神経系統もクリア、問題なし」

「……だそうだ。もういいぞ、『フォリシア』。常識の範囲内での通常食を許可する。試験は合格だ」

 ヴィックスの言葉をユーリシスはそのまま小麦色の顔の少女に伝えた。

『やった! 一度でいいから、ここの食堂で食べてみたかったの』

「ああ……それは禁止だ。食堂で作ったものを持っていかせるから、部屋で待っていてくれ」

『ぶー』

 再び、頬をぷくーと膨らませて抗議するフォリシア。

「みんなもお疲れ様だな。実験報告書は明日で構わないから、各自休憩に入ってくれ」

 ユーリシスが宣言すると、班員は思い思いに休憩に入ったようで、彼もまた背伸びをしてあくびを噛み殺していた。フォリシアがナノスーツを脱ぎ、実験場から退出していくのを確認し、ユーリシスもまたモニター室から出て行った。

 ここはエイシア西部の片田舎にある陸軍基地兼研究施設。
 研究施設と言っても、戦闘で負傷した兵士を治療するクローニング技術が主な対象で、その他は歩行戦車の次世代モデルコード「エイジス」が開発中だ。
 ナノスーツ「レイチェット」とそれのオペレーターであるアドバンスド・チルドレンたちは他施設で開発・育成され、実地テストのために当施設へ数か月前から滞在していた。
「まったく……どういう因果だろう」

 廊下を歩くユーリシスが呟く。
 あちらはまったく覚えていなかったが、こちらは忘れたくても忘れないほどに記憶に強く刻み込まれていた。
 自分が多くの命を奪うことになろうとは、大口径のハンドガンを手にした時から覚悟をしていた。それで救われる命があるなら、人殺しでも何でもやってみせる。そう、男は自分に言い聞かせたつもりだった。
 しかし、救えなかった。

「……はぁ」

 ユーリシスは普段のポーカーフェイスを崩して、腰に左手を当てて窓にもたれかかった。

「よー、よー。少佐さん。元気ないな?」

 そこに緑のパイロットスーツに身を包んだレコンが通りかかる。
 男の身長はユーリシスよりも高い190センチ台だろうか。
 大柄な体格に似つかわしくなく、よく通る声で少佐に話しかけてくる。肌の色は白く、彫りの深い顔だちにブラウン色の頭髪に瞳といったよくあるタイプの組み合わせだ。
 レコンは両手で世界的人気の炭酸飲料「モカコーラ」が入った箱を幸せそうな顔で抱えている。

「ちょっとな。それより、その箱は何だ」

「見て分かるだろ? モカコーラだよ。カロリー0じゃないほうな」

「お前……まだ調整中だろ」

「いやいや? 整備班のみんなに差し入れだよ。好きだよなー、ハハハ」

 レコンがユーリシスから目を逸らして言うものだから、黒髪の男は「絶対、お前1人で飲む気だな……」と詰め寄る。

「……おやっさんには言わないでくれ。頼むっ」

「さて、どうしたものか」

 少佐はこの基地で最も長い付き合いのブラウン色の男を見た。
 彼はまるで命乞いをするかのようにプルプルと震えており、それが演技だと知っていても強く言及する気になれなかった。

「4本だ」

 しかし、黒髪の男は指を4本並べて極めて世俗的な取引をレコンに持ちかける。

「……2本」

「3」

「ぐぐ……持ってけ、ドロボー」

 レコンはやけくそ気味にモカコーラの箱を破き、中から0.5リットルの大型缶を3本取り出してユーリシスの懐に投げつける。
 黒いパッケージには「期間限定! プレミアムフレーバー」と金色のリッチなフォントでプリントされている。

「高かったんだぞ。味わって飲めよ!」

 レコンはそう言い放つと、子供のようにズカズカと足音を立てながら去って行った。

「さてさて……」

 両手にプレミアム・モカコーラを持ち、ユーリシスは女子寮の方へ向かい始めた。

音無 陽音
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音無 陽音

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