第01話『世界へ』
再編歴238年3月1日 エイシア連邦ファーブルグ市某高等学校
「世界の中心を探しに行こう」
高校の卒業式を終えた少女アイリが、涙の痕を手のひらでゴシゴシと擦りながら呟くように2人の元級友たちに言った。
3年間という時間を共に過ごした友人たちは、互いの顔を一瞬だけ見る。そして再びアイリの方を見て、「また抽象的なことを言うね……」と呆れていた。
ため息混じりにそう言った少女の名はフィリーネ。
明るめのブロンドのセミロングにアメジストのような幻想的な瞳、エイシア人としては柔らかな印象を受けるなだらかな輪郭線の18歳の少女。いや、もう1人の女性として扱ってもいい年頃だろうか。
彼女はアイリから無言の圧力を感じ取り、それを確認するかのように男友達のヨシュアと再び視線を交わした。
エイシア連邦南部に位置するこのファーブルグ市は近隣のアセリエと交流が深く、文化交流も盛んで数年前サクラの木の贈り物があった。
それを街道沿いに植樹して、今では毎年淡いピンクの花を咲かせて人々の目を楽しませていた。
本来は入学シーズンである4月まで持つはずなのだが、サクラの花は時折風にあおられて、薄紅色の花吹雪を作りだしている。
そのうちの1枚が同系色のアイリの頭の上に舞い落ちる。
こうして立ち止まっている間にも、他の卒業生グループが憂いを含んだ笑顔で級友と別れを惜しみながらの談笑に花を咲かせ、アイリたちの側を通り過ぎていく。
彼女は柔らかい春の日差しが降り注ぐ街中をゆっくりと見渡して口を開く。
「これが、私たちの3年間通った『世界』」
と、クラスメイトに振り返りながら呟くように言葉を紡ぎ出した。
「とても、小さいよね。私たちはもうすぐ大人になるのに」
「あー……何が言いたいか分かった。だけどなー……」
何かを言いたげにしているアイリに、男友達のヨシュアはダークグレーの後頭部をポリポリと掻いた。
その瞬間、吹き抜ける風に彼女の桜色のロングヘアがなびいた。
どこか虚ろげなその姿に、彼は思わず見とれてしまい「あ、ああ……いや。いいんじゃないかな。フィリーネが良ければ、だけど」と彼の横で棒立ちだったブロンドの少女に話を振る。
すると彼女はまるで会話を理解していない様子でまばたきを何度かする。
「えと……ごめんね。アイリが何を言いたいのか分からない……セカイ?」
彼女は心底申し訳なさそうに視線を自分の膝元に落としながら、消え入りそうな声で返した。
「……私たち、1か月後にはそれぞれの進路に向かうわけだよね。こうして一緒に居られるのも、あと僅かってこと。最後に見聞を広めに旅行とかどうかなって」
出鼻を挫かれたといった様子で、やや意気消沈したアイリがフィリーネに説明する。
鈍いというか、おっとりとしているというか……ヨシュアはどうしてこんな娘が陸軍士官学校に採用された事について疑問を抱かずにはいられなかった。
「ああ、分かったよ。でも、今は危なくないかな」
フィリーネが「危ない」と言っているのは、今年の1月に開始されたエイシア連邦政府によるアラーク解放作戦が、つい先月終結したばかりなのを指していた。
「解放」と言ってしまえば聞こえはいいが、実際のところはエイシア内外で多発するテロ行為に対する報復行為と言ってもいい。
テロリストたちの温床となっているアラーク共和国と、エイシアの国々の対立は古く、その溝は両国を隔てる深海のように深い。
時は再編歴100年初頭。
レアアースやレアメタルなどの希少資源を巡り、エイシアとアラーク間の戦争が勃発し、かねてより有色人種に対する差別が問題視されているエイシアはアラークに対して非人道的な仕打ちをしていたという。
それが今日(こんにち)の対立の原因となってはいるが、歴史は常に湾曲されるもので真偽は先人のみぞ知る状態だ。
「もうだいぶ経っているじゃない? 平気よ」
「そうそう。リーネは心配性すぎだって」
アイリとヨシュアが「あちら側」で手ぐすねを引いて待っている。
対してのフィリーネは心中複雑だった。
彼女は飛行機に乗ったことすらなく、たとえ国内でもどんな危険があるか分からないという不安があった。
慎重すぎる性格が、思い出作りの旅行の邪魔をしようとしている。
「うー……」
一緒に行きたい気持ちと警告信号が交差し、彼女は思わずうなり声をあげた。
「何を迷っているのかは知らないけど、こうして遊べるのも最後なんだよ。フィリーネ、一緒に行こ?」
「……うん」
思考をフル回転させるのに疲れた彼女は、オーバーヒートした頭から煙をもうもうと上げながらそう答えるのだった。
「やった。リーネ、大好き!」
「わっ、痛いよ。アイリったらー」
「ほほう……これは、これで」
じゃれ合う女子2人に固唾を飲む男子1人。
奇妙な組み合わせの一行はそのまま学舎から遠ざかっていった。
***
数分後 同市フィリーネ宅
「お邪魔しまーす」
アイリの朗らかな声が玄関に響き渡る。
「あ、悪いけどここで靴脱いで、スリッパに履き替えてね」
その脇からフィリーネが手を伸ばして人数分のスリッパを出し、フローリングの床に落とした。
「ほー……初めて来るけど、アセリエスタイルなんだな」
「お父さんがね、アセリエかぶれで」
珍しい調度品の数々に感心があるのか、ヨシュアが興味深そうに眺めている。
3人がスリッパに履き替えて、2階へと向かおうとしていると左手の居間へと続くガラス戸が開き、エプロン姿の女性が顔を覗かせた。
「あら、いらっしゃい。リーネったら、お友達が来るなら電話くれたらいいのに」
フィリーネの母シビルは、チェック柄の布巾で両手を拭きながら娘に向かってそう言った。
「したよっ。メールも、ライフノート(SNSの一種)も、電話も!」
フィリーネは子供のように頬をぷくーと膨らませて抗議する。
すると、母はエプロンのポケットから携帯電話を取りだし、青色のインジケーターが点滅している事に気が付いた。
「あら……マナーモードにしていて、気が付かなかったみたい」
「もー、せっかく携帯買い換えたのにー」
「ごめんなさいね。お母さん、機械が苦手で……。お詫びに、あとでクッキー持っていってあげるから」
「やった! ありがとうっ」
母に飛び付くフィリーネを見て、まるで餌付けされている犬みたいだなー……と、ヨシュアとアイリの2人は同じ事を思いながら、母娘のやり取りを生暖かく見守っていた。
「えへへ。お母さんの焼くクッキーはね、美味しいんだよ」
「私も時々貰うけど、プロ顔負けのクオリティよね……」
フィリーネの言葉でアイリはその味を思い出したのか、唾を飲み込んで言う。
階段を上り、2階につくと板張りの廊下が奥へ続いている。
天窓からは日光が降り注ぎ、廊下全体を明るく照らし出していた。
ドアに掛けられた無表情の茶熊が「フィリーネ」というネームプレートを抱きかかえている部屋の前まで行くと、彼女は「ちょっとだけ待っててー」と中に入っていった。
ドア越しに何やら騒がしい音が響き渡っていたかと思うと、ブロンドの少女が額を手の甲で拭いながら「お待たせ。散らかってるけど、気にしないで」と友人らを手招きした。
「片付けるような物あったの?」
よく遊びに来るアイリが呆れた様子でフィリーネにたずねる。
すると、彼女は少しだけ視線を泳がせて「ヨシュアが居るから……ね?」と恥ずかしそうに告白した。
彼は家にお呼ばれした時点で男だとは思われていないだろうな……と思っていただけに、少し動揺してしまう。
「い、いや。なんというかな……」
ヨシュアは部屋のどこかを褒めようとゆっくりと室内を見渡した。
小学校の時から使っていそうなシールだらけの勉強机に、何度も補修したあとが見られる布張りの椅子。
その横には赤のカラーボックスが段々に階段のように組まれ、中には文庫本や教科書、参考書などが。ボックスの上には先ほどの無表情な茶熊が大小様々なサイズが大勢鎮座していた。
「もうちょっと色……いや、何でもない」
彼が率直に思ったことはフィリーネが普段から気にしていることなので、ヨシュアはそれ以上何も言わずにいた。
「じゃあ、作戦会議しよう。そうしよー」
大きなアメジストの瞳をキラキラと輝かせながらフィリーネが言う。
アイリとヨシュアも学生手帳とシャープペンシルを取りだし、一斉にその頭をチキチキとノックし始めた。
「じゃあ、まずは予算ね。みんなバイトしてたから、貯金はたっぷりあるでしょう? 高校生最後の思い出作りだから派手にいくわよ」
「いや、ちょっと待て。俺は1人暮らしする予定だから、もう少し節約してだな……」
最初からエンジン全開のアイリにヨシュアはブレーキをかける。
「そうだね……。回る場所にもよるけど、大体1万コール(およそ10万円)くらいで考えよっか?」
フィリーネは人さし指をピンと張り、クルクル回していたかと思うと並みの学生の金銭感覚からは出ない数字を出した。
「たかっ!」
「確かに、それはちょっと高いわね……」
即座に突っ込んだヨシュアに賛同するアイリ。
良い家柄の長女であるフィリーネは、何不自由することなく育てられたが、社会勉強のためにアルバイトをしていた。
特に欲しい物があったわけではなく、本人の生活ぶりも質素なもので幸い周囲との摩擦は少なくて済んでいた。
「そうね……まずは行き先から決めましょうか。リーネ、明かり消してくれる?」
アイリが小さな手には似つかわしくない耐衝撃用のバンパーを取り付けたスマートフォンを取り出して操作していると、ブロンドの少女は手元のリモコンで照明の電源を落とした。
そして、スマートフォンのプロジェクターモードで天井いっぱいに世界地図が投影される。
「ここが私たちがいるファーブルグ市で、東には文化の中心って言われてるメントルシュ。そこから北西には経済の中心アイゼンブルグがあるわね。ここまではいい?」
「はい、アイリ先生」
「ヨシュア君、どうぞ」
アイリは挙手で発言の許可を求めたヨシュアを指差すと、彼は「首が痛いです」と続けた。
それを聞いたフィリーネはベッドからビーズのクッションを持って来ると、友人らに手渡して自分はそのままごろんとカーペットの上に横になった。
「フリーダム過ぎるでしょ……リーネさんや」
ヨシュアが視線でアイリに同意を求めるが、彼女もまたクッションを抱きながら横になった。
「頭いいねー。リーネちゃんは」
「えへへ……」
気心の知れた男子に対して警戒心ゼロの女子2人は、ゴロゴロとカーペットの上を転がりながらじゃれ合っていた。
「それで、人類の起源って言われてるのは……うん、ユークじゃなくてアラークよね。あそこの国、いつも捏造がひどいもの」
連日流れる「海賊版」王国の名前をアイリが言う。
ユークトリッド共和国は海を隔てたアセリエの隣国であり、世界一の人口と経済力を誇る。
しかし、多くの事例や文化などを自分たちの都合のいいように捏造・改変していることから国際社会の非難を浴びているが、資本主義の現代で自分たちこそが絶対と思っているのか、何を言われても涼しい顔をしている。
「さすがにアラークまでは危険だから、連邦内の2か所に行きましょう。みんな、パスポートはまだ持ってる?」
「修学旅行の時のがあるぜ」
「わたしも持ってるけど……」
アイリの問いにヨシュアは普通に答えるも、フィリーネは表情を曇らせた。
彼女は色々準備をして修学旅行を指折り楽しみにしていたのだが、前日に高熱を出してしまった。
あれほど心待ちにしていた旅行を、病床に伏せてしまっていた自分が情けなくて枕を濡らした記憶が鮮明に蘇る。
「大丈夫。1年前のあなたとは違うんだから、今度は大丈夫」
アイリは寝転がったまま手を伸ばしてきて、フィリーネの肩をポンポンと軽く叩いた。
それは級友の全く根拠のない励ましだったが、かつて病弱だった自分に立ち向かってきた少女にとって、とても勇気づけられるように思えた。
「……がんばる」
フィリーネはその手を取って、ギュッと握る。
「いい子。じゃあ、さくっと私の方から立案しちゃうね。まずは――」
アイリは学生鞄の中から道中で買った旅行情報誌を取り出して、スマートフォンとそれを交互に見ながらタッチパネルと学生手帳にメモを取っていく。
途中でシビルの差し入れを受け取り、クッキーと濃い目の紅茶に舌鼓を打ちながら陽が暮れるまで話し合いは続いていた。
きっと忘れられない旅行になる。
少年少女たちは不安と期待が入り混じる中、その3日後に最寄りのファーブルグ国際空港から家族たちに見送られ、未知の世界へと旅立って行った。