三章『街角のカタルシス』
この世には、精霊や神と呼ばれる物が存在する。太古より、人間たちは大自然の脅威や日常の不思議な出来事を想像を超えた存在の業として、ある時は感謝しある時は畏怖していた。そんな強い思い・願い・祈りが、対象となる自然界に働きかけた結果、新しい奇跡や怪異を起こす事がある。
巨石を見て「大きな鬼が座る椅子だ」と恐れ信じ鬼という架空の存在をその岩と結びつける。或いは日照りが続くと雨を司る竜神に祈りを捧げる。或いは長年に渡って愛用していた物などには命が宿ると信じる。そうした人間たちの強い「思念」は、自身が認識している以上の力を持っている。特に多くの者が一つの方向性で放った思いは、超次元の存在にまでに影響を及ぼすと言われている。そこから新しく生まれ出た者がいる。それらは「物の怪」「精霊」「天使」「神」と、あたかも別々の存在のように呼ばれてはいるが、一様に実体を持たぬ超自然界の霊的存在が人の思念の影響を受けて生まれでた物だ。
人ならざる者、だが人無しでは存在出来ぬ者たち。人によって存在を否定されながらも、人によって生き長らえる者たち。彼らは生まれ出た当初は、恐怖を人に与えるという本能のまま、荒ぶれる存在であることが多い。だが時間と共に自我を持ち、この世の隙間にこっそりと住み着く者もある。
喫茶『鈴の音』。
心配そうな面持ちの千鶴がドアベルの音に振り向き、戻って来た一同を見て笑顔になる。
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
五十鈴千鶴は危険察知能力が非常に強い。先程サンタが影に追われて逃げ込もうとしていた結界が『鈴の音』の周囲に張られている物だったため、彼を追う影の気配に気づいたのだ。一般の人間家庭に生まれた千鶴は思春期前に「人ならざる者」の能力に目覚めた。五十鈴の家系には『鶴女』の血が流れていたのだ。おとぎばなしの「鶴の恩返し」「鶴女房」などに由縁するらしいが、詳しい記録は関東大震災の折に失われたため口伝が残るのみだ。この家系は代々女が家を継ぎ、生まれてきた女児に物心がつく頃には周囲の血縁の女が「先祖」である「鶴女」に関して語る習わしがある。祖母や母は普通の人間だったが、千鶴は数代ぶりに不思議な力を持って生まれた、いわゆる『先祖返り』だ。とは言え、鶴を由縁とする力は危機を回避のためには役に立つが、戦いには不向き。そのため店にいた他の者たちが、千鶴の察知した危険を避けるためにその場所へと向かったのだ。
「夜分失礼します、五十鈴さん」
店内に入ったサンタが千鶴に会釈する。
「ご無沙汰しています、サンタさん。一年ぶりですね」
千鶴はカウンターに入り、一仕事終えた仲間たちのために暖かい飲み物を用意し始めた。
彼らのような「人ならざる者」は、先に述べた通り人間とは表裏一体の存在だ。しかし憎悪や恐怖心から具現化したものが多いため、人間、もしくは社会への敵愾心を持つ場合が極めて多い。無論、怪異として人間からも疎んじられることも原因となっている。そんな中で人の世に馴染んだ一部の者が『人と物の怪の調停役』を担い、『人と仲間を守る』という意識を持つようになった。人間の生活を脅かさぬよう、時間や空間を密かに共有しながら。
五十鈴千鶴のいる『鈴の音』はそんな人外たちが集まる場所である。町の一角で喫茶店として営業しているが、訪れる客の大半は「人ならざる者」。普通の人間客は滅多に訪れない。この場所はいわゆる『結界』があり、人間たちが喫茶店が存在する事にもほとんど気がつかないためだ。気づいたとしても不自然には感じる事はない。そんな訳で喫茶『鈴の音』は住宅や商店の中にありながら、人間の地図には掲載もされていないのだ。建物も通常は見えないので、ここに来る事が出来るのは「人ならざる者」、或いは彼らと懇意に付き合う人間たちだ。余程信頼が置ける者でない限り、人外たちはこのような自分たちのテリトリーを外部に漏らすことはない。しかし、この手の妖怪同士のテリトリーは世界中に多数存在し、必要とあればお互いに協力しあう。稀に人や仲間と決別し危害を加える集団もあるが、大半は人間との共存を望んでいる。彼らの仲間とのつながりには明確なルールはないので、特定に場所に居着かない一匹狼もあれば、複数の仲間と常に交流をしている者もあるようだった。
『鈴の音』に出入りする「人ならざる者」は概ね十数名。常連に『つるべ落とし』『土蜘蛛』『河童』『蜃』という古き者、『犬神の姫』『鶴女』という人間家系出身者、『赤マント』『花子』の都市伝説として比較的新しく誕生した存在が混在している。そのためバランス良い知識と情報網、活動範囲を持つ。結界は幻影を作る事を最も得意とする『蜃』が担うため非常に堅固、更に全体に戦闘能力も高いつぶ揃えいう事で、近隣の仲間からは頼られることも多かった。
サンタことサンタクロースは主に師走に活動をするため、冬季にだけ『鈴の音』に姿を見せる。他のシーズンは、「一般の人間として生きているのでここへ来る事は避けている」との本人談である。伝承でのサンタクロースは老齢の姿だが、人の姿を取った時の彼は若い姿をしている。西洋のサンタクロースが聖ニコラウス伝説と共に生まれ育った事を思えば、日本生まれの彼は相当若いのである。とは言え、実年齢は日本にクリスマスの行事が伝わった年生まれなので、本当の人間なら通常生きていられない年齢になる。ともあれ、若い姿を取っている事もあって仮の姿の時に彼とサンタクロースと結びつけるのは「人ならざる者」たちだけだ。
「サンタ! 」
花がサンタに駆け寄り、飛びついた。
「今年は来ないのかと思った」
「こんばんは、花ちゃん」
普段ほとんど大っぴらに笑う事のない花が「子供の笑顔」になっている。
「さすがサンタ・フェロモン。……花ちゃんの心もがっちり掴んでいますね」
思わず赤間がその様子を見入っている。
「ほほう、赤間さんのライバルですな」
寿海の冗談めいた言葉に、赤間は大真面目な表情で深くため息をついた。
「サンタクロースが相手では、私の分が悪すぎますよ」
確かに子供たちに無条件で愛される素養のあるサンタクロースをライバルにするには、「子供を攫って喰らう」と言われている怪人赤マントである赤間の分は悪すぎるだろう。
花はいわゆる「トイレの花子さん」だ。戦後生まれで赤間より二十年程若いだけだが、子供霊として認識されている彼女は見た目も精神面もほとんど子供同様である。彼女は毎年サンタが『鈴の音』来ることを最も心待ちにしていた。サンタも赤間も「子供が好きだ」という性格面は同じなので、花はどちらにも懐いてはいる。だが久しぶりに会ったサンタを歓迎している時は赤間には見向きもしない。その辺りが花の子供らしさでも有った。
「千鶴さんの淹れたお茶は本当に美味しいですねぇ。ああ、温まる温まる」
窓際の席では土橋が、背中を丸めた姿勢で両手で湯のみを持ってズズイとすすり飲んでいる。それに対して向かいに陣取り、既に紅茶を飲み終えた理沙は少々苛ついている様子だった。
「土橋さん、そろそろお話の続きをお願い出来ませんか? 」
「あー。何の話でしたかねぇ」
きょときょと小さな目を動かしながら土橋が呟いた。
「サンタさんの話です! 」
テーブルを叩いて立ち上がった理沙を、側にいた赤間が「まあ落ち着きなさい」と押し止める。
「ああそうでした、そうでした。早い話がですね」
全く早くない調子で土橋が路地で思いついた案の説明を始める。
「ええと、三太郎さんの事を子供たちに信じて貰えるように、直接会わせてあげるんですよ」
「ほう。しかし正体を隠したまま信じさせるのは難しいんじゃなかろうか? 」
寿海の意見はもっともだ。サンタクロースの持つ奇跡の力は大っぴらに人間に見せられるような物ではなかった。幾らサンタクロースだとしても人間たちに彼を人外だと知られない方が都合は良い。土橋は笑顔で言う。
「子供の夢枕に立つくらいなら、大丈夫でしょう」
「夢枕って幽霊じゃあるまいし! 枕元にプレゼント置いて回るならまだ分かるけれど」
理沙が呆れた顔で言う。
「いやいや、子供の枕元に立つだけで立派な犯罪者ですから」
今度は赤間が理沙の意見に反論する。
「赤間さんが言うと、妙に説得力ありますね」
切り返した理沙に赤間は真顔で答えた。
「ここ数年はやってません」
「第一あちこちプレゼント配れる程、僕には経済力ありません」
サンタ本人も自信なさそうに言う。
「もっと現実的な活動はどうじゃ。わしが檀家回りの時にサンタの有り難い説法を……」
「和尚の檀家さんって何軒でした? 」
「六軒。ああ、これでは子供が少なすぎますな。では境内で遊んでおる子供を相手に……」
「地味って言うか、地道過ぎるって言うか。商店街で皆でサンタのコスプレしてお菓子配るなんてどうかな? お金もあまりかからないし、アピールは出来るよ? 」
理沙の意見に再び赤間が首を降る。
「商店街で勝手な活動したら振興組合に叱られます。うっかりすると警察沙汰です」
「それも何か心当たりが? 」
再び切り返した理沙に赤間が頷く。
「以前商店街で子供にせがまれて手品をしていたら、いつの間にか人だかりが出来て……。いや、私の失敗談はどうでも良いじゃないですか。今の問題はサンタくんの話です」
「どうせなら子供を集めて頭上からサンタを落とす方が面白そうじゃな。わしとどばちゃんで手伝ってやるぞ」
観葉植物の枝の上に収まっていたつるべ落としが口を挟む。理沙は苦笑した。
「子供たちと戦う訳じゃありませんってば」
「んー。難しいですかねぇ」
話がまとまらないまま、提案者である土橋が呟く。
「そうでもありませんよ。要するに、だ」
赤間は一旦言葉を切り、まず土橋を見る。
「正体を隠しサンタくんと子供たちを会わせて」
次に彼は理沙と寿海の顔を見る。
「派手で大盤振る舞いに」
最後につるべ落としを見て言った。
「戦えば良い! 」
理沙と寿海が同時に叫んだ。
「何故そうなる!! 」