第一章 怪盗ミルフィーユの引退宣言

*ニュース*
『五時のニュースです。本日正午、資産家の鬼頭(きとう)隆(りゅう)一(いち)さん宅に、怪盗ミルフィーユと名乗る人物からの盗難予告状が届けられました。予告状の内容は、今夜十二時に鬼頭邸より〈天使の像〉と呼ばれる宝物を盗みだすという内容のものです。
 怪盗ミルフィーユは、二年前より第一太陽系各地を騒がせているオーパーツ専門の……
          *鬼頭邸*〈ショコラ〉
 あたしが中に入った時、リビングルームは物々しい雰囲気に包まれていた。二百畳ほどの広さの部屋の中に配備された警官達が、一斉にあたしの方を振り向く。
「真奈美(まなみ)ではないか。どうしたのだ?」
 入って来たあたしに気が付いてそう言ったのは、白いあごひげを蓄えた老人だった。
 この屋敷の主人にして、あたしの祖父である……ことになっている鬼頭(きとう)隆一(りゅういち)翁(おう)。
「おじい様! こんな物が……」あたしは紙を持っておじい様の元にかけ寄った。「先ほど、わたくしのパソコンに、このようなメールが送られてきたのです」
 あたしが今、おじい様に渡したのは、そのメールをプリントアウトしたものだった。
『ごめん。ちょっと遅くなりそうや。昼間のメールでは、今夜十二時って言うたけど、事情により十二時十分に変更します。       華麗なる大怪盗ミルフィーユより』 
ちなみに昼間来たメールの内容はこうだ。
『今夜、十二時。〈天使の像〉をいただきにまいります。警察に知らせてもええけど、税金の無駄遣いさせるだけやでえ。        華麗なる大怪盗ミルフィーユより』
「ふざけたやつですな」おじい様から受け渡されたプリント用紙を見るなり、刑事さんはそう言った。「しかも、自分で『大怪盗』と言ったり、『華麗なる』などと形容詞を入れたり、恥ずかしくないのか?」
 本題から外れているような気がするけど、あたしも刑事さんの言ってる事に同感だ。
「ふざけた奴なのかもしれんが、こいつが大怪盗というのは事実だろ。現にこいつは、これまで十数回、予告状を出し、ことごとく盗みに成功しているという。そして警察はまったく手掛かりを掴んでいない。それで、今回は大丈夫なのかね?」
 そう言って、おじい様は部屋の中央に備え付けられた台座を指差した。台座の上には、一片三十センチほどの正方形のガラスケースが置かれている。
その中にそれはあった。
 赤く輝く金属の彫像。背中に羽のある十才位の少年をモチーフにしているので〈天使の像〉などと呼ばれているが、本当は第二太陽(ネメシス)系第二惑星〈エルドラド〉で、その昔飢えた民のために虚空から食べ物を出したと言われるマナ神の像だ。
 ところでこの像、普通の金属のように見えるけど、実はこれ周期表外(エクストラ)物質(マター)の一種であるヒヒイロカネで作られていた。
 周期表外(エクストラ)物質(マター)、通称EMとは、簡単にいうと、メンデレーエフの周期表には、当てはまらない物質という意味だそうだが、普通の物質とEMのどこがどう違うのかなんてことは、あたしにはさっぱり分からない。
 ただ、EMに関してあたしにも分かる事は二つある。一つは、超光速船のような超技術や、重力制御、力場障壁みたいにあたし達が当たり前のように使っている技術のいくつかは、このEMなしには有り得ないという事。もし、二十一世紀の半ば頃に、EMが発見されることがなかったら、人類は未だに月に住むことすらできなかっただろうと言われているくらい有り難い物質なわけだ。
 実際、今の人類は月どころか、火星を地球化し、太陽系全域に進出し、カイパーベルト、オールト彗星雲を制覇して、太古の昔に何者(おそらくアヌンナキたど言われているけど)かによって巨大な球状構造物に蓋い隠されて、外部から見えなくなっていた太陽の四つの兄弟星〈ネメシス〉〈ツクヨミ〉〈ルシファー〉〈テスカポリトカ〉を発見し、その惑星群に植民地を築いているし、さらに近傍恒星系に探査の手を伸ばしている。
 だが、それらの輝かしい成果は全てEMという謎多き物質に支えられているわけだ。
 もう一つ、あたしに分かることは、EMというのは非常に貴重な物質だということ。といっても自然界には、かなり大量のEMが存在しているみたいなんだけど、鉱石から金属を抽出するみたいに、EMを精製することはできない。現代の人類には……
 ところが、超古代文明の遺跡からはEMを加工した品物が多数出土している。つまり、現代の人類がEMを手にするには古代遺跡から発掘する以外に方法がないということだ。
 それはともかく、おじい様が〈天使の像〉を手に入れたのは、今から五十年前の事だという。当時、この惑星〈シャングリラ〉に入植したばかりのおじい様が裏の畑を耕しているときに、愛犬が見つけ、それ以来、幸運続きで、あれよあれよという間に今のような金持ちになったという嘘か本当が分からんような逸話を聞かされたが、これが今回のミルフィーユのターゲットだ。
「私が思うには、この予告状はイタズラですよ。たぶん時間になっても何も起きないんじゃないんですか」刑事さんは時計を見ながら言った。時計は一二時を指している。あと十分。「ミルフィーユが、今まで犯行を働いたのは、小惑星〈セレス〉、土星の衛星〈タイタン〉、木星の衛星〈エウロパ〉、そして地球。今まで、第一太陽系にいた奴が、わざわざ一千天文単位も離れた第二太陽系くんだりまで来ますかね。大方どっかのバカが第一太陽系のニュースを見て、こんなメールを出して我々をからかっているんですよ」
「だと、いいのだがな……しかし、そのメールが本物ならばどうする?」
「もちろん、我々が完璧にガードして見せます」
 刑事さんは、自信たっぷりに言う。
「大した自信だが、何を根拠に言っているのだね?」
「いえ、こういうふうに答えるよう、警察マニアルで決まってますので」
 一瞬、あたりの空気が凍り付いた。
 普通、言うかよ! そんな事。
「なあ、真奈美よ」おじい様は心底不安そうな声であたしに話しかける。「今から、どこぞの私立探偵を雇った方がよくないか?」
「おじい様。この時間ではどこの探偵事務所も閉まってますわ。それに、もう時間です」
 あたしがそう言った直後、突然部屋の明りがすべて消えた。
 非常灯も灯らない。
 あたりは真っ暗闇となる。
 周囲が騒然としだした。
「だれだ! 明りを消したのは!」「懐中電灯持ってこい!!」「蝋燭はどこだ!?」
 停電くらいで混乱なんて、つくづく無能な警官達だわ。
 だいたいにして、予告状の時刻に部屋の明かりを消してから犯行におよぶのは怪盗の常套手段なんだから、それに備えて暗視ゴーグルぐらい手元に用意しときなさいよ。
 あたしが内心つぶやいた時、けたたましい警報が鳴り響いた。
 この警報音はガラスケースに何らかの異常があったときに鳴るものと同じ音だ。
 と言う事は……
 あたしはポケットから懐中電灯を取り出すと、台座のあるあたりを照らした。程無くしてライトの明りが台座を照らしだす。だが、その上にあるはずの物がなかった。
「おじい様!! 〈天使の像〉がありません」
「なに!?」
 暗闇の中からおじい様が聞き返す。警報音がうるさくて聞こえないようだ。
「〈天使の像〉が無くなってます」
「なに? 良く聞こえん。ちょっと待て。今、警報を切る。……おや? どうなっとるんだ。音が止まらん」
 ライトをおじい様の方に向けた。リモコンのスイッチをカチャカチャ押しているのが分かる。不意に警報がやんだ。
「おお、やっと止まったか。で、なんだ?」
「だからあ、〈天使の像〉が無くなってるんだってばあ!!」
 ハ! いかん。言葉使いが乱れた。
 だが、おじい様はそんな事を気にする様子は無かった。まあ、この状況では当然だろう。あたしは、再び台座にライトを向けた。同時に複数のライトが台座に集中する。
 警官達のライトだ。
 ここで、ようやくみんな〈天使の像〉が無くなっている事に気が付いたらしい。
「やや! いつの間に……」「おのれ! してやられたか」
石造りの台座が多少ゆがんでいるように見えるが、誰もその事に気が付いていないみたいだ。
「おい! 天窓のところに誰かいるぞ」
 警官の一人が叫んだ。全員の視線が天窓に集中する。
 月の光を背景に、人物のシルエットが浮かび上がっていた。
「ほーっほっほっほっ!」突然、若い女の高笑いが響いた。「無能な警察のみな様、こんばんわぁ・うちがミルフィーユどすえ。あんじょうよろしゅうに」
「貴様!! 〈天使の像〉を返せ!」
 暗闇の中で刑事さんの声が響く。
「あかん、あかん。これはもう、うちのもんになってもうた。ほな、さいなら」
 人影は飛び下りた。
「逃がすな! 追え!」
「おお!」
 刑事さんの号令と同時に、警官達は一斉に部屋の外へ飛び出して行く。部屋の明りが再び灯ったのは、そのすぐ後だった。

津嶋朋靖
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津嶋朋靖

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