第2章 第3話 招かれざる客

 シアルヴィの孤児院は岬の先端に近い海のそばにあった。
赤い屋根を持つ、二階建ての小さな孤児院。
南へ出ればすぐに砂浜にあたり、東へと出れば岬の先端、そして西には地方都市アルスターが存在している。
いつもと変わらない朝が明けはじめる。
ジークがここへきて、ちょうど一年になろうとする日のことだった。

 孤児院の朝は早い。
保父――シアルヴィは誰よりも早く起き出すと自身の身なりを整え、子供たちが目覚める前に食事を用意し、子供たちを起こしにかかる。
保父となって以来一日もかかさない、彼の日課だった。

「――誰だ!」
着替えの最中にあったシアルヴィが、突如、背後に気配を感じ振り返る。
視線の先へ映る扉が大きな音を残し、即座に閉じる。
閉じかける扉の影に、一瞬、銀色の髪が見えた。
「……ジークだな。構わない、入ってくるといい。」
「……。」
再びゆっくりと扉が開き、銀髪の青年が顔を覗かせる。
「すみません、着替え中に……」
「いや、構わない。……今日はずいぶんと早いんだな。」
ゆっくりと部屋へ入り、ジークは静かに扉を閉じる。
「なんだか……目が覚めてしまったんです。
 いつもの朝のはずなのに……何か違う気がして……。」
いつもならジークが起きてくるのは子供たちより少し先。
用意の出来た朝食を配膳し、子供たちを呼びに行くのが日課。
今日は明らかに早い。まだ調理の準備すら出来ていない時間なのだ。


「エリアンのことが気になるのか。」
「……。」
エリアンとは、昨日この孤児院を訪れた幼い少女の名前だった。
母親を亡くし、その叔母によって連れてこられたわけだが、あまりに泣き叫ぶあまり叔母はそのまま彼女を連れて戻ってしまっていた。
「あの子は叔母さんに引き取られたんだよ。
 肉親がいるのなら、私が手を出せることではない。」
「でもあの叔母さんは……なんだかあの子を愛してくれないみたいだった……。」
「……。」
言葉の奥の腑に落ちない部分を見透かされたようで、シアルヴィは口を閉ざすと、視線を下へと目を細める。
実際、珍しいことではない。
この孤児院へ来る子供たちには肉親を失った子が多いとはいえ、それが全てではない。
肉親がいながら、その愛を受けられずにここへ預けられた子供たちも少なからずいるのだ。
「私は今日にでもあの子の様子を見に行こうと思う。
そんな顔をするな、心配ない。
 ……朝食が出来るには、まだ少し時間がある。
 君も、もう少し休んでおくといい。」


 直後だった。
表の扉をたたく音に、彼らの会話は中断される。
「なんだか、やけに朝早いですね。」
「……ああ、ちょっと出てくる。
 もしかしたら、彼女かもしれないだろう。」
言ってシアルヴィは上着を羽織り、部屋を後に外へと出ていく。

残されたジークは部屋を見渡す。
その目に、部屋の片隅に隠すように置かれた一対の黒い棒状のものが映る。
昨日まではあったものだろうか。
惹かれるように、彼はゆっくりと手を伸ばした。


「お前たちは――!」
来客は、シアルヴィの期待していた人物ではなかった。
いや、期待などしてはいない、むしろ来ないことを期待していたような者たちであることはその表情にありありと示されていた。

「まさか、本当に生きていたとはな……。」
来訪者は全部で十人前後。一人を除き、揃いの制服に身を包んでいる。
おそらくは兵士だろう。その腰にはそれぞれ、一振りの剣が下げられている。
声をかけたのはその奥に守られるようにして立つ、一人、甲冑に身を包んだ男だった。
「あのガキのいうことを信頼するのも実際、眉唾物であったが……
たまには信用する意味はありそうだ。」
「……こんなところに何の用だ。
 ここには貴様らが欲するものなどない。」
憤りをあらわにしながら、それでもシアルヴィは低く押さえた声で告げる。

「目の前にいるだろう?
 なあ……『紅い死神』……?」
「――!」
シアルヴィの表情が凍りつく。来訪者はさらに続けた。

「陛下は再び『死神』を必要とされている。
 貴様が戻るのなら、過去の所業は全て水に流すとも言われている。
 どうだ、われわれと一緒に来い。」
「――断る!
 私はもう二度と、貴様らのために剣を振るつもりなどない!」
声を荒げるシアルヴィ。
そこにいるのは、もはや保父としての彼ではなかった。
その切れ長の眼は冷たく、普段のぬくもりは完全に失われていた。

しかし、来訪者もある程度まで予想はしていたのだろう。
「……貴様なら、そう言うと思っていた。
 だがな、われわれとて馬鹿ではない。
 ここ数年の貴様の動きなど、既に調べはついている。」
言って振り向き、その背後に命じる。
「おう、連れて来い!」

「―――エリアン……!」
甲冑の男の命令を受け、兵士が抱きかかえるように連れてきたのは、昨日叔母に連れられ町へ戻ったはずの少女、エリアンだった。
少女は気を失い、その首元には鋭利な刃が突きつけられていた。

「なぜ……!」
氷が解けるように、シアルヴィの眼から冷たさが失われていく。
「貴様の孤児の一人だろう?
 『死神』が保父だと?笑わせてくれるわ。
 どうだ、これでもまだ、はいと言わないつもり―――」


――――!
瞬間。風を切る衝撃音。
一陣の風が男の脇を過ぎる。
悲鳴を残し、少女を押さえていた兵士が後ろに倒れる。
少女の身体が宙に浮き、走りこんだシアルヴィによって抱きとめられる。
「――ジーク……!」
シアルヴィが風の名を呼ぶ。

――銀色の髪、長く尖った耳。走りぬけた風は肩で大きく息を弾ませ、その腕には漆黒の鞘を持つ、一振りの剣が握られていた。

「……きっ、貴様ら何してる!早く奴らを……!」
命じる甲冑の男。しかし、その命令が最後まで言葉になることは無かった。
彼が振り向いたとき、その背後の兵士たちは一人残らず打ち伏せられていた。

代わって立っているのは一人の赤毛の剣士、シアルヴィだった。
ジークに倒された兵士から奪ったのだろう。
左腕に少女を抱きかかえたまま右手に握り締めた剣には、しかし一滴の血も残されてはいなかった。
「貴様らの血で孤児院を汚したくはない。
 ――即刻立ち去れ!」

威圧と怒りを込めて叫ぶシアルヴィに、甲冑の男はここに残る理由を失っていた。
「おい、貴様ら起きろ!」
倒れた兵士たちに喝を入れると、逃げるようにして彼らは孤児院を去っていった。


「……。」
兵士たちが残らず去った後、シアルヴィは少女を抱きかかえたまま、その目の前にいる青年の背をただ、見つめていた。

ジークには先ほどの自分の行為が信じられないようだった。
その手から鞘を被ったままの剣が滑り落ち、彼は大地へと膝をついた。
「……。」
うつむき首を振る青年の肩を、歩み寄ったシアルヴィは膝を落とし、静かに背中から抱いた。
「すまなかった……怖い思いをさせてしまって……。」
背中越しに青年が振り返る。
抱きついてきた青年の震えが、そのままシアルヴィにも伝わってくる。

 その肩を抱きながらも、シアルヴィはこの出会いに、運命的なものを感じずにいられなかった。
「その時が……近づいているのか……。」
自分にのみ聞き取れるような声で、彼は小さく呟いていた。

藤井ひかる
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藤井ひかる

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