001 六道家

 この世には六つの世界が存在する。

 《天道》《人間道》《修羅道》《畜生道》《餓鬼道》《地獄道》。

 これら六つの世界をまとめて《六道》と言う。

 また《天道》の事を天界。《人間道》の事を人界。そして《修羅道》《畜生道》《餓鬼道》《地獄道》の四つを魔界と言う。



 これらは三つの世界に分けられる。

 一つ、天界。そこは神族と天族が支配する世界。争いはなく、全ての人が助け合い生きている理想郷そのもの。

 一つ、人界。そこは人間が支配する世界。他の世界から干渉を許されない独自の世界。

 一つ、魔界。そこは魔族と妖族が支配する世界。魔界では力が全て。弱い者は殺されても何も文句は言えない。


 そして世界は廻る。
 全ての命は生まれ変わり、死に変わり、また生まれ変わる。
 この六つの世界、《六道》をグルグルと無限に生死を繰り返す事を《輪廻転生》と言う。

 これはそんな六つの世界の物語。




 そしてここは、そんな天界に存在する王族の一つ《六道家》の一室。

「よいですかお嬢様?もうすぐ魔界に行かれるのですから、少しでも魔界の事を知らなければなりません。それはお嬢様が生きていく中で必要な知識なのです。ですので、しっかりとお勉強をしてください」


 しっかりと、と言う言葉をことさら強く言って言い聞かす。そう説明したのは燕尾服を身に包む白髪の老人だった。

 彼の名前は無塔(むとう)。この王族《六道家》に仕える執事だ。無塔は貴族然とした立ち振る舞いで、身長はスラリと高く、高齢であろうにもかかわらず背筋は棒の様にピンと伸びている。痩せこけた頬と鷹の様な鋭い目つきが、いかにもスパルタの雰囲気を醸し出している。


「はぁ~い」


 なんとも気の抜けた返事をしたのは小さな少女だった。この《六道家》の娘で、名前を輪廻(りんね)と言う。綺麗な金髪で、長さはちょうど肩にかかるぐらいだ。そして何より目を引くのが、その瞳の色だった。右目は真紅の赤、左目は金色の瞳で左右で色が違うのだ。

 天界では、そのほとんどが髪や瞳の色は金だ。稀に色素が濃く、茶色ぐらいまでならいるが、真紅の色は輪廻を除いて誰一人としていない。


「輪廻お嬢様。真面目にしなさい。よいですか?これから魔界の説明をしますよ」


 それに輪廻は、また気の抜けた返事を返した。


(はぁ。めんどくさっ)


「お嬢様。面倒くさがってはいけません」


(えっ?私、声に出してないよね?心の中で思っただけなのに、なんでわかるの?まさか心が読めるとかっ?)


「いえ。心は読めませんが顔に書いてあります」


(しっかり会話してるじゃん)


 輪廻は思わず自分の顔を手で触った。


「・・・・・嘘つき」


(ん~何だか本当に心が読まれている気がするけど、そんな事はありえないよね)


 自分に言い聞かせる。無塔は再び喋りだした。



「国王様は、もうすぐ魔界に行くとおっしゃっておりました。それは坊ちゃんの成人の為、王家を継ぐにあたって世界を知る必要があるからです。それにはお嬢様も魔界に行かなければなりません。最低限な知識を知らなければ・・・・・危のぅございます」


 最後の言葉は、ワザとひと呼吸おいて言った。それによって輪廻に真面目に話を聞かせる為だ。しかしそれは冗談でもなんでもない。それほど魔界という場所は何が起きても不思議ではない。


「じぃや。あまり輪廻を怖がらせるな」


 そう声が聞こえて、輪廻が扉の方に視線を送ると、そこには壁に背中を預けながらキセルをふかす一人の男が立っていた。


「坊ちゃん」


「お兄様」


 そう言われ男は壁から背を離し、二人の近くに歩いて行く。


「坊ちゃんはよせ。僕はもう成人するんだぞ?あぁ可愛い妹よ。ちゃんと勉強はしているかな?」


 兄が妹に向ける優しい笑顔を見せ、その右手をポンと頭の上に乗せた。


「うん」


 輪廻はそれに満面の笑みで返事を返した。


「坊ちゃん・・・・・いえ、紫苑様(しおん)。またその様な物を」


 無塔は嫌そうな顔をした。


「別にいいだろ?それにこれだって《六道家》の家宝だ」


 言って紫苑はキセルをクルクルまわした。そのキセルは金属部分は金色で木の部分は赤く、二十センチほどある美しいキセルだ。


「まったく・・・・・キセルはほどほどにしてください。ところで魔界に行く準備は整いましたのですかな?」


 輪廻の兄、紫苑。金髪を短く刈り込み、その髪をハリネズミの様に逆立てている。少し獰猛な獣の雰囲気を漂わせている。


「あぁ。準備は出来ている。後は神殿から護衛が来ればいつでも行ける」


 神殿にいる天使の仕事は、主に世界の秩序と安定。そして王族の要望に応えること。今回は護衛だ。


「残念でございますが、こちらはまだでございます」


 無塔は言いながらチラリと輪廻を見た。


「頑張って勉強してくれよ輪廻」


「うん」


 輪廻は元気よく応える。


「では続きにまいります」


 再び無塔が話し出す。紫苑も輪廻の隣でそれを聞く。


「魔界において一番注意すべきものはただ一つ。お嬢様、わかりますか?」


(注意すべきもの?なんだろう・・・・・)


 その問いに輪廻は腕を組み「う~ん」と唸る。そして何かを思いついたかの様に顔がパッと明るくなった。


「一人で行動しない」


 その答えに無塔は目を瞑り頷く。


(え?違うの?)


「確かにそれも注意すべきことですな。しかし答えはもっと単純なものなのです。それは魔界三大御伽噺の一つにもなっている銀魔邪炎の男です」


「ぎんまじゃえん?」


「そうです。魔界でもっとも野蛮で恐れられている人物です。簡単に言えば銀魔邪炎は通り名ですな。魔界には二つ名を持っている者が多い」


 それに紫苑が口を挟む。


「しかしじぃや。それはあくまで御伽噺だろ?存在しない者の事など・・・・・」


 無塔は紫苑が話し終える前に被せる様に言葉をつなげる。


「存在します。銀魔邪炎は一般的には御伽噺であって存在しないとされていますが、十中八九存在するでしょう。それはなぜかと言いますと、この《六道家》が存在しているからです」


 二人は話が見えないとばかりに首をかしげている。


(どういう事?意味がわからない)


「まずは紫苑様、銀魔邪炎の伝承を言えますかな?」


 紫苑は頷き喋りだした。


「伝承。その髪は銀髪で獣の耳と尻尾を持ち、独自の気と黒い炎を自在に操るとされる。しかし矛盾があり、誰も姿を見たことがないと言われている。それは出会った者は命を奪われ、通った後には何も残らないからだ。そして銀魔邪炎の前では全ての理は意味をなさない」


 紫苑が言い終わると、無塔は手をパチパチと叩いた。


「正解でございます。そしてそれと同じぐらいの御伽噺があるのはご存知ですね?」


「当然よ」


 そう答えたのは輪廻だった。


「ではお嬢様、説明を」


 そう言われ輪廻は話しだした。


「魔界三大御伽噺の一つナイトメア。白く光輝く洸気という気と妖刀【紅桜】操り、魔界を支配していたという。その気は全てを浄化し、妖刀【紅桜】は一振りで無数の桜の花びらの如く斬撃を飛ばし、全てを紅に染めたと言われている。そのナイトメアが創ったのが、この天界と王族の一つ、私たち《六道家》だと言われている。どう?」


 輪廻は自信気に手を胸に当てて鼻を鳴らした。


「エクセレントでございます、お嬢様。つまりはお嬢様方《六道家》が存在していると言う事はナイトメア様も存在していたと言う事になります。そして同じく三大御伽噺と言われている銀魔邪炎も存在するのです」


 それに紫苑が再び口を開く。


「しかし、ナイトメアが《六道家》を創ったと言う話は有名だが、信憑性は全くないと言われているのも事実だろう?」


「はい。そうですね。しかし決定的な証拠がございます。それは今現在、貴方様たちの父上が持っていらっしゃる、代々受け継がれてきた妖刀【紅桜】です。その刀は実在しております。それはイコール、ナイトメア様も実在した・・・・・と言う事なのです」


 それを聞いた二人は「ふ~ん~」と声を漏らしながらも納得できていない感じだった。


「それが《六道家》が天界から嫌われる理由でもあるのですがね」


「どう言うこと?」


 輪廻が眉にシワを寄せて聞き返した。


「おそらくナイトメア様は魔界の住人だったはず。その魔界の住人が創ったとされる《六道家》。つまりは他の皆さまはこう考える訳でございます」


 無塔は一度言葉を切り、そして続けた。


「あいつらは《六道家》は魔界の血を受け継いでいるのではないか・・・・・と」


「そんなことっ」


 輪廻は即座に反論した。


「たしかに《六道家》はナイトメア様の子孫であるという言い伝えもあります。天界を創り《六道家》を創った。世界を創るなど、それこそ神にでも出来るか分かりません。しかしそれは本当の事なのだと思います。そして、その血を受け継いでいると言う事が、本当なのだとしたら、貴方たちは魔界の血が流れている。かと言って天界で肩身を狭くする必要はございません。胸をはりなさい。神にも等しい素晴らしい存在の血を受け継いでいるのですから」


 二人は何も言えずに黙ってしまった。

 この話は御伽噺として、天界でも魔界でもかなり有名な話だ。しかしその魔界三大御伽噺の銀魔邪炎とナイトメアは存在が確認されていない、あやふやな話なのは間違いない。

 唯一この御伽噺の中で存在が確認されているのが生命の樹だ。
 それは魔界に生息する巨大な一本の樹。古くから存在し、そして誰も近づく者はいない。今回《六道家》が魔界に行くのは、その生命の樹を前に紫苑の成人の儀式をする為である。


「とにかく魔界で注意すべき事は銀魔邪炎です。妖族か魔族かも分かってませんが、伝承を聞く限り妖族だと思いますが・・・・・必ず存在します。もしかしたら成人の儀式を見に来るかもしれませんね」


 それを聞いた兄妹は身体をビクリとすくませた。


「今日はこれぐらいにしましょう」


 そう言い三人は、その部屋を後にした。

 輪廻は一人頭を悩ませていた。無塔の話を全てを事実とするのなら矛盾が生じる。そしてそれは自分の家が否定されることになってしまう。何が本当で何が真実なのか。そんな事を考えていると後ろから声がした。


「輪廻」


 その声に反応して後ろを振り返ると、そこには男が立っていた。


「お父様」


 それは輪廻の父であり《六道家》当主の宝水(ほうすい)だった。背は高く身体は鋼の筋肉で覆われていて、当主と言うよりも百戦錬磨の騎士だと言った方がしっくりきそうな雰囲気だ。


「無塔に勉強を教えてもらったのか?」


「・・・・・はい」


「どうした?」


 宝水は娘に元気がないことをすぐさま気がついた。


「お父様、私は魔界に行きたくありません」


 その言葉に少し間をあけ聞き返す。


「・・・・・それはなぜ?」


「魔界は怖い所です。そんな場所には行きたくありませんし、お父様やお兄様にも行ってほしくありません」


 それを聞いた宝水はなぜ輪廻がその様な事を言いだしたのか合点がいった。


「無塔に魔界は恐ろしい所だと言われたか?」


 その問いに輪廻は無言で頷いた。そして宝水は膝を曲げて視線を一緒にして話だした。


「たしかに一般的にはそうかもしれい。だが私はそうは思わない。魔界の住人全てを悪だと決めつけるのは失礼だと思わないか?実際には、平和に穏やかに暮らしたいと言う者たちもいるかもしれない。それを人から聞いた話だけで恐ろしい場所で皆、野蛮な奴ばかりだと鵜呑みにしてはならない。自分の目で確かめ、感じてからでも遅くはないと私は思うぞ?」


「では銀魔邪炎はどうなのですか?」


「それは私も会った事がないからわからないな。でも実際に実在していて、会って話してみれば案外いい奴かもしれないとは私は思っている。たしかに魔界には野蛮な連中が多い。そんな中で、力の頂点に立つ者が、話がわからない馬鹿ではないと私は思う。もし会えたなら勇気を出して話しかけてごらん。きっと応えてくれる」


 輪廻はそれを聞いて渋々うなずいた。しかしその表情から恐怖は消えてはいない様だった。


「輪廻。心を強く持ちなさい。決して揺るぐことのない真っ直ぐな信念を持つのだ。でなければ飲まれる事になるぞ?」


「飲まれる?何にですか?」


「世の中には七つの大罪というものがある。その内の一つに憤怒というものがある。それは簡単に言えば怒りだ。怒りは時には必要だが、それは人を間違った方向へと向かわせる。つまり憎しみや嫉妬、憎悪に変わるのだ。それは絶対に持ってはいけない感情なのだよ。輪廻、何があっても憎んではいけない。その様な心は絶対に持ってはいけない。我々は天界の王族《六道家》だ。その誇りを忘れてはいけない。憎しみに飲まれてはいけない」


 輪廻は迷うことなく「はい」と答えた。


「そうだ。ではいい物を我が愛しの娘に貸してあげよう」


 そう言うと腰から一本の小太刀を輪廻の前に差し出した。


「これは・・・・・?」


「これは妖刀【紅桜】。何か危険な目に遭った時はきっと守ってくれる」


「で・・・・・でもお父様が持ってないといけない物ではないのですか?」


「愛しの娘に貸すのにいけないと言う事はない。それにその刀は抜けない刀なのだよ」


「抜けない・・・・・ですか?」


「それは代々受け継がれてきた物だが、抜けたと言う話は一度も聞いた事はない。言わば、お守りみたいな物なのだ」


 そう言いズイっと輪廻に無理矢理わたす。それを受け取った輪廻はマジマジと妖刀【紅桜】を見つめる。

 不思議な感じがする。刀なのに生きている感じがするのだ。鍔はなく黒い漆で塗られ、その上から桜の木が描かれている。その時、【紅桜】がドクンと脈打った気がした。輪廻はそれを握り締め言った。


「お借りします」


 宝水は優しい笑顔を見せ、輪廻の頭に手をポンとおき、立ち上がった。その直後、紫苑が走って来た。


「父上。神殿の者が今回の事で話があると来ています」


 宝水は「そうか」と一言いい、紫苑の来た方向に歩いて行った。


「輪廻、僕らも行こう」


 そう言い、二人も父の後を追った。

 回廊を走り、扉が開かれている部屋の前で止った。その部屋の中にいたのは、まぎれもない神殿の者だった。


「私は中級天使三隊・第六階級・能天使シャムシェルと申します。後ろの二人は、私の直属の部下です。この度、魔界に行くにあたって四大天使が一人、ラファエル様より命を預かって参りました」


 天使には階級が存在し上から第一階級から第九階級までがある。

 第九階級・天使(エンジェルス)。
 第八階級・大天使(アークエンジェルス)。
 第七階級・権天使(プリンシパリティーズ)。
 この三つをまとめて下級天使三隊と言う。

 次は中級天使三隊。
 第六階級・能天使(パワーズ)。
 第五階級・力天使(ヴァーチャズ)。
 第四階級・主天使(ドミニオンズ)。

 そして最後が上級天使三隊。
 第三階級・座天使(スローンズ)。
 第二階級・智天使(ケルビム)。
 第一階級・熾天使(セラフィム)。

 そしてこの頂点に立つのが、神と言われる天界の長、天王。

 天界には三つの王族が存在する。

 《六道家》《天道家》《神道家》。この三家が天界を創ったと言われ神の保護下にある。


 シャムシェルと名乗った男は、胸に手を当てて深々とお辞儀をした。少し長めの金髪。優しそうな瞳の奥には、強固たる意思が宿っている。それは力強さを表し、またその意思は絶対の自信と誇りで身体全体を包んでいた。


「ほぅ。あの四大天使のラファエル殿の使いか。それならば安心できるな。宜しく頼む」


 宝水もまた、身体を折り曲げ頭を下げた。


「何があってもお護り致します。この血、この肉、この魂。私の全てを賭けて、神に誓います」


 天界において四大天使とは神である天界の長、天王に匹敵するほどの存在だ。階級は下級天使三隊・第八階級・大天使に属するが、別名として特別階級と言われている。そして全ての階級を動かす力を持っている。

 その四大天使とはラファエル、ウリエル、ガブリエル、そして天使の頂点と言わしめる天使長ミカエル。

 この四人がいて、天使の階級は成り立っている。その一人である、ラファエルが選んだと言われる今回の護衛隊長シャムシェル。何も心配はいらない。その場にいた誰もがそう思った。ただ一人、輪廻を除いて。

水無月 夜行
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水無月 夜行

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