竜の国フイネイ
そこは本来どこにも繋がらず、ただ二人を繋ぎとめる鎖の役割を果たす空間だった。
強いて言うならば、そこは位置的には玉座の下にある物だ。
お互いの手を鎖で結びつける形で、お互いを封じている。
そこはそうした機能を持つ場所だった。
「いつまで馬鹿な事を考えているつもりだ。カオスよ。いい加減に諦めろ」
その中で鮮やかな金の髪をした男が、相対する男に言う。
金髪の男も、その目の前にいる褐色の肌の男も、揃ったように瞳は金の光を宿していた。
「諦めろ、か。じゃあ俺はどうやってこの気持ちを静めたらいい? 愛する者を理不尽に殺されたこともない奴に、俺の何がわかる? 俺は赦せないんだ。何もしていないあの子を殺した奴らが」
褐色の肌の男――カオスは言う。
「だから言っている。もう復讐の相手はこの世にはいない。皆死んでしまった。お前と同じように愛する者を奪われる人を作るな」
「……いいや、まだだ。竜は死んでも魂は消えない。それは、まだ生きているのと変わらないだろう?」
カオスがすっと目を細めて呟く。
金髪の男は同じように目を細めてカオスを睨みつける。
「聖地の破壊を望むか。その為に悲劇を繰り返させるのか」
「城の中にいるお前の血族には俺の力は届きやすい。最近は当主が頑張ってるのかは知らないが、そうでもないのが心残りだが」
口元にだけ笑みを浮かべてカオスは一旦言葉を切る。
「三百年前の事件はいい火種になった。あの事件に巻き込まれて生き残った竜は二人。どちらがどう転んでも俺に損はない。だけど、きっといつか爆発してこの封印も壊してくれるだろう」
口調は楽しげに語るが目には炎が燃えている。
それは長年くすぶり続けた憎しみであり、後悔でもあった。
彼は復讐の為だけに生きており、金髪の男はそれを抑えるためにここにいる。
だけど、その場所は閉ざされていた。
誰もその場所を知らないはずだった。
ただ一人、この国の王であり金髪の男の子孫である男を除いては――。
その宿屋は暇だった。
正確には客が一応いるので暇ではないのだが。
「ねえ、リカルの兄ちゃん。いつまでここにいるの?」
宿の店主の弟であるキリィが無邪気に、この宿の唯一の泊り客――正確にはもう一人いるのだが――に尋ねる。
時間は朝。泊り客はのんびりと朝食を摂るところだった。
とは言っても、野菜のスープとパンだけという簡単なものだ。
「俺にはやることがあるんだけど、何をどうしたらいいのかわからなくてな」
目的があってリカルはこの宿に、もう数ヶ月も泊まっている。
だが、目的のために行動する方法がわからないのだとリカルは語った。
リカルは金色の瞳を細めて不思議そうに首を傾げる少年の頭を撫でる。
「じゃあさ、今日学校から帰ったら訓練つけてよ。俺、学校でたら騎士団に入りたいんだから」
リカルにとってはこんな歳の離れた少年と話すことは新鮮なようで困惑しながらも慎重に対応する。
「稽古ったって剣主体だろ。俺は剣は苦手だからお兄さんに当たりなよ」
「こら、キリィ。お客さんを困らせるもんじゃないぞ」
店主のエスノアがキリィに注意するとつまらなさそうに、キリィは口を尖らせる。
「わかったよぉ。じゃあ、行って来るね!」
キリィは膨れ面を見せて、走って宿を飛び出して行く。
「どうにも、すまない。店が心配なのかなかなか外に友達を作ろうとしなかった奴でな」
エスノアは弟の相手をしてくれたリカルに向かって頭を下げる。
そしてついでに、リカルの座るテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろした。
「それで、やっぱり竜に会う手段は見つからないか?」
リカルはこの国の竜に会いに来たのだと、以前この宿に泊まり続ける理由を語った。
それはリカル自身の目的であり、リカルの連れの目的でもある。
「全然だな。竜は王城の北から出て来ない。俺たちがそこに入る手段はない。――いや、俺が力を使って飛べばいいんだけど、それだと入れるのは俺だけだ」
両肘をテーブルに置いて、組んだ手に顎を乗せてリカルはぼやく。
竜は王族の護衛でない限り人の領域に立ち入らない。
また、竜の領域にも人間は立ち入れないのだ。
その境界線上に王城は存在する。
と言っても、竜の領域には質のいい鉱石の取れる場所が多いのだった。
資格を得れば、立ち入ることが出来るのだがどうにも審査が厳しい。
そうなると、それこそ空を飛ぶ以外に行く方法はない。
「せめて、その王族の護衛とやらを捕まえなきゃいけないんだが、目を隠して歩くのってなかなか骨が折れるな」
リカルの目は竜の特徴である金色をしている。
だから彼自身が顔を晒して歩くと騒ぎになる可能性があり、彼は外に出るときは基本的にフードつきのマントを使用している。
「そんなにほいほいと王族が出歩くもんか」
「それはそうだよなぁ」
エスノアの言葉にもっともだと頷いて、リカルはため息をついた。
「竜の国だっていうから、すぐに会えるもんだと思ってたんだけどな」
「で、お前とお前の連れだけど。会いたい竜は同じなのか?」
エスノアが何気なく聞くと、リカルは苦く笑って姿勢を正す。
そしてゆっくりと首を振った。
「いいや、違う。俺は風竜の血を引いていて、あの子は生粋の闇竜だ。会いたい竜が同じなわけないだろ。属性が違うんだから」
「ああ、そうか。目の色違うもんな」
リカルの連れの女性の名はセレナと言う。
てっきりリカルの恋人だとエスノアは思っていたのだが、話の流れで連れてくることになった知人らしい。
二人は南大陸からはるばるこの北大陸にやって来たのだ。
それも、仲間である竜に会うために。
「赤い目は闇竜のみの特徴なんだよ。しかも、南大陸では太陽の下に出ると火傷をすると来た。この国に入ってからはそんなこともないんだが、外に出て来やしない。少しは俺を手伝えっつーの」
連れについての愚痴をこぼすリカルに対して、頬杖をついて聞いていたエスノアは笑う。
この日はいい天気だった。
「もう、冗談じゃないわよ。私は出かけるって言ったら出かけるの」
地味な服に身を包んだ少女が腰に手を当ててプリプリ怒っていた。
その周りにいるのは、色こそ派手ではないが上質な揃いの衣服を身に着けた女官たちだった。
全てこの少女の傍に仕える者だ。
「姫様。どうか……どうか殿下が参られるまでここに留まりください」
懇願するように、年配の女官が進み出る。
「姫様がよく外出なさるのは私どももよく承知しております。しかし、しかしですね。姫様ももう年頃でございますし、護衛をおつけくださいませ」
必死に請う女官の姿に、だんだん少女もばつの悪そうな様子に変わった。
「そうは言っても、城に出て来てくれる竜ってジークだけじゃない。兄さんがジークと一緒に竜の領域の方に行ったって、護衛なんて見つからないわよ。長年護衛してるの、ジークだけなんでしょ」
それではいつまでたっても外になんて遊びに行けない、と少女は嘆く。
お忍び行動が好きで、すぐに城を抜け出す少女の悪癖をわかっているから女官たちも困り果てていた。
この緊張が解けたのは少女の兄が戻ってきてからだった。
「お待たせ。レイナ、みんなを困らせてはいないよな?」
肩を越える長さの髪を首の後ろでまとめた青年が、黒髪の青年を二人伴って姿を見せる。
一人はレイナにはおなじみの、兄の護衛のジークだった。
ジークの金色の目が柔らかく微笑んで、隣のよく似た青年を押し出した。
その青年はジークとよく似た顔つきで、背中まで伸ばした黒髪がジークとは違うところだった。
「レイナさん、僕の兄。護衛を引き受けてくれるってさ」
ニコニコとするジークを鬱陶しそうに振り払って、不機嫌そうに男は鼻を鳴らす。
「ルークだ。ルーク・ツヴァイト・ヴィント。お前、名前は?」
不機嫌丸出しのルークの態度にレイナは気分を害した様子がない。
それどころか上機嫌にスカートの裾をつまんで挨拶をする。
「初めまして。レイナ・オーロラよ。あなたが私の護衛してくれるの?」
「――頼まれたからな」
ぶっきらぼうなルークの返答に対して、うんうんとレイナは頷いて最初の任務を告げる。
「よかったわ。じゃあさっそく出かけましょ」
「は?」
レイナがいきなり出かけると発言したことに対して、ルークは反応できなかった。
もう一度言ってくれとルークが視線で問いかける。
「私、これから出かけるところだったのよ。護衛がいなきゃダメだってみんな言うから待ってたのよ。これで私が出かけてもいいわね」
嬉しそうな少女を、ルークはどうしたらいいかわからずに視線を自分の弟へ向ける。
「僕はイーザーの護衛だから。レイナさんをよろしく、兄さん」
彼の味方は誰一人おらず、ルークはやれやれと小さく吐息を漏らす。
この日初めて引き合わされた竜と王女は街へ繰り出す。
そこで待っている新たな出会いを知らずに。