◆ ミカノ
「っ?!」
「――下がって」
言いつつミナミを自分の体の後ろへと隠し、呪文を紡ぎ始める。破壊のされ方から、相手は爆裂系統の呪を使える可能性が高かった。
ミナミも素早く身を翻し防護壁を張る。目と気配で窓の外を確認し「窓は大丈夫だよ!」と短く告げた。ここで過ごした二年の間に、こういった時にすべきことを教えられていたのだ。
そして散らかる破片が落ち着いた頃、部屋に飛び込んできたのは……――
「タヤク?!」
ミナミが心底驚いたように飛び込んできた人物――タヤクだった。
彼は言葉も返さず二人の前に立ち、いま自分が来た方向を確認し、視線はそのまま固定された。ミナミが安堵からか少し体勢を崩しベッドに座り込む。
――と。
「まだ油断するな」
いつの間にいたのか、ぎしりとベッドが軋み、ケイヤが立っていた。タヤクと同時に入ってきたのだろうか、ミナミにはさっぱり分からず、混乱したまま名を呼ぼうとする。
「け……」
「ミナミ、前を向いてて」
「マサアっ?」
さらに声は増え、視線を巡らせれば短刀を構えるマサアの姿が壁際に見えた。突然の展開に、ミナミはひゅっ、と息を呑む。
五人が一部屋に揃ったというのに言葉一つ交わされぬまま、静かに時が流れていく。緊張した面持ちのその只中にいたミナミが忙しなく瞬きを繰り返している……と。
「――来た」
誰が呟いたのだろうか。
その声が耳に沈んだとほぼ同時に。
『ヒィイィギィェァアッ!!』
ガラスをぎぃ、と爪で削るような、脳天を刺す叫び声が夜に響いた。
「な、なにっ?!」
『往け 我の敵は其の敵なり 霊朴伸召喚(ラクチュリア)っ!』
ミナミの消えそうな声を遮り、キーナの言葉が空を舞う。すると、どこからか現れた植物の――ケヤキの枝が、かつてドアがあった場所に群がり伸び上がってきた。風水術という、自然界の力を自然の姿そのままに召喚する術である。威力はないが、牽制や先制によく用いられている。
枝はあっと言う間に伸び、その本数は未だに増え続けていた。
「なに?! なんなのよ、あの声っ!」
「ミナミはバックアップ!」
「わかんないよぅっ!!」
彼女は半分パニックになっていた。無理もないが、この状況では邪魔にしかならない。
「下がってろ!」
半ば怒鳴るようにタヤクが叫ぶ。
同時に。
「飛んでっ!!」
息も切れ切れにキーナが叫び、何かが彼女の部屋と廊下を遮る壁を壊した。
「きゃあぁぁぁっ!!」
叫び声が夜の森にこだまする。五人は遥か下に見える地面へと落下していた。崩れた建物の破片が視界の端々に飛び交い、蒼白い月が夜の闇と混じってくるくると廻り……
化け物が、笑った。
丸い巨体のそこかしこに目玉が浮かび上がっていて、ぎょろぎょろと忙しなく視線を動かしている。鞭のような触手をざわざわとうねらせていたが、やがて歓喜の声を上げながら獲物に――ミナミに向かって真っ直ぐに落ちていった。
空中を落ちるさなかに攻撃されては避けるすべもない。彼女の傍にはマサアがいたが、ナイフを投擲してもこの風圧では吹き飛ぶのがオチである。ミナミ自身は混乱していて、保護の魔法も全く使えそうになかった。
「いやぁぁぁぁぁっ!」
『氷の矢(アイシクル・ランス)!!』
間に合え、とばかりに解き放ったキーナの呪文は魔物に命中し、わずかではあるが下降進路が逸れた。
「っは!」
間を置かずケイヤが勢いよく剣を振り下ろす。ガギッ、という鈍い音がし、魔物の皮膚がわずかに千切れて空へと消えた。
『ヒイィィィッ!!』
痛みからか、化け物の悲鳴が夜闇に響く。
そんなことには頓着せず、キーナはすぐに風系列の中位魔法を発動させて、自分たちの周囲に風を起こした。風に乗った五人は化け物と少し距離を置いた位置に着地を決める。コントロールが重要な飛翔の術とは違って、ただ風を起こすだけならば、五人まとめて術の影響下に置けるとキーナは判断したのだ。
五人はその風に身を預け、風が収まるのとほぼ同時に地面に足が付く。着地する際少しミナミがふらついた程度で、他に怪我を負ったりはしていない。
飛び出した屋敷は風に乗った影響か、数十メートル離れた場所に見える。視力の良いマサアには半壊した建物がよく見えたようで、「あーあ」と溜息をついたのだった。
「また直すの面倒だなぁ、あれ」
「生えてるケヤキはキーナのせいだろう?」
「正当防衛よ」
「ぼやいてないで倒すことを考えろ」
どこかのんびりと、いつもと変わらない会話を続けるマサアたちを、ミナミは泣き腫らした目で見上げていた。
「なん、なんっで、そん……っ」
「ミナミ?」
溢れ出す涙で上手く話せないミナミを、マサアが屈みこんで覗き込む。彼女の表情は恐怖で蒼褪めていた。
「なんで、落ち着いて、るのっ?」
やっと出た言葉はそれだけだった。ほかに何と言えばいいのか分からなかったのだ。
一瞬きょとんと目を丸くしたマサアは、すぐに彼女の背後に立つキーナとタヤクを見、またミナミに視線を戻す。その顔には困ったような、なんとも情けない笑みが浮かんでいた。
「慣れちゃったからかなぁ、こういうのに」
え? と問い返す間もなく体が宙に浮かぶ。マサアがミナミを抱え上げ、大きく後ろに跳んだのだ。
「え?! あっ」
浮遊する最中、ミナミがふと首を動かすと、自分たちに向かって飛び掛かる化け物の姿が目に映った。
「ふっう!」
呼吸法を駆使しつつ、ケイヤが切りかかる。その彼の後ろでは、邪魔にならぬよう小技程度の魔法を打ち付けるキーナの姿も見えた。
「ミナミは危ないからここで見学しててな?」
ケイヤ達からわずかに離れた木の傍に下ろされ、マサアはそのまま踵を返す。タヤクも加わり攻撃の手は緩めていないが、思った以上に魔物の肌は硬かった。
表面にぬらぬらと粘る液体が糸を引き、それが攻撃の矛先を逸らすうえ、鱗のように硬い肌はケイヤの剣戟を浴びても全く傷付きはしなかった。その間にも触手は幾本も伸びて彼らに襲い掛かる。
「ちっ」
舌打ちをし、タヤクが大きく後ろに下がって距離を取る。ケイヤとキーナも同じく、触手の届く範囲から逃れていた。
その時タヤクは横目でキーナを伺い見ていた。彼女は今もなお下位の術で応戦していたが、威力をセーブしているのがよく分かる。
――キーナが普通に下位魔法使うと、エラい目立っちまうよなぁ……
それは“鳥籠”から逃げ出してきたタヤク達にとってはあまり都合が良くない。廃屋周辺にはたしかに迷彩魔法を施してはいたが、その範囲からもどうやら出てしまっているらしい。迷彩魔法の効果がない場所で派手な魔法を使えば、“鳥籠”に勘付かれてしまう恐れがある。
「どうするかな……」
思考するタヤクの目の前では、化け物相手にケイヤが再び攻撃を仕掛けていた。
――こんな得体のしれない生き物が、その辺にいる魔物と同じなわけがない
それがケイヤの考えである。多くの魔物には種族ごとに名称が決まっている。ゴブリン然り、ドワーフ然りだ。
しかし、今目の前にいるそれは“化け物”としか形容できなかった。
「……」
襲い掛かる触手をまとめて切り伏せ、本体へと切っ先を向ける。細腕で振るうそれは、またわずかに体表を削るのみで終わった。
そうする間に再度触手はケイヤに襲いかかる。彼から武器を奪うように剣へと絡みつき、手足の自由を奪おうとするが、それはキーナの放った火炎魔法によってあっさりと燃え尽きた。
『ヒギィイぃいアぁッ!』
魔法によるダメージはあるらしい。化け物の苦悶の声が夜の闇に響き渡る。
その隙を逃さず、剣に絡みついていた触手の燃えカスを振り払い、身をよじって束縛から抜け出す。彼を追うように伸びた触手はまたも、キーナの魔法によって燃やされた。
――これも“鳥籠”の奴らが作ったキマイラか?
その様を眺めながら、ケイヤは内心で一人訝しむ。
二年前、“鳥籠”から逃げ出したケイヤ達はそこで生み出されたキマイラに襲われた。キマイラとは合成獣の総称でもある。キマイラという魔物自体が複数の生物を混ぜ合わせた姿をしていることから、転じて合成獣の呼び名にも使われることになったのだ。
目の前のそれも、幾つかの魔物を掛け合わせて生み出された生物なのだろう。
「……」
しかし、ケイヤは自分の考えに納得がいかなかった。
自分たちが逃げ出したのは二年前である。“鳥籠”の火災をきっかけに逃げ出したケイヤ達を追うように、魔物や合成獣が襲ってきたことは確かにあった。
火災によって逃げ出したのか、はたまた逃げ出した自分達への追手として差し向けたられたのか。それは分からない。
それでも、自分たちの後を走ってきた魔物たちに関しては全て叩き伏せたのだ。一匹の取りこぼしも無く、確実に殺した。
もしも生き残りがいたのならば、それは“飼育者”たちによって回収されていないのだろうか。この広大な森の中に、番犬の代わりとばかりに野放しにしていたというのだろうか。
「……」
合成獣は“飼育者”たちの手によって創られた生き物である。故に“飼育者”たちがそれらを制御できるように何らかの措置をしているはずだとケイヤは踏んでいる。それならば回収も簡単なはずだ。
「……」
ケイヤはある仮説を脳裏に導き出していた。
――“鳥籠”にいたのは、自分たちだけではない
目の前で触手がしなり、それを剣の腹で受け止める。ガィンッ、という鈍く響く音がして、触手が千切れ飛ぶ。びりびりと両腕が痺れた。
――“これ”は俺たちではなく、“あいつ”を追いかけてきたのではないか?
ケイヤが確信めいた思いを抱くと同時に、
「おーい、ちょっとどいててー」
そうマサアが声をかけてきた。
声のした方へ視線を向ければ、ガラス瓶を手にしたマサアがすぐに見つかった。その中身をケイヤが気にするよりも早く、
「ひうっ!?」
短い悲鳴が耳に届く。その声に全員が再び視線を走らせると、キーナが化け物に殴り飛ばされているのが見れた。
幾本もの触手が絡み合い丸太木のように太くなったそれは、彼女の体を易々と吹き飛ばす。勢いよく木の幹にぶつかった彼女の体からは、みしりという骨が軋む嫌な音が聞こえた。
「や……やっ、やぁぁぁぁぁっ!」
「ミナミ、落ち着けっ!」
ずるずるとその場に崩れ落ちるキーナを見て、ミナミが泣き叫ぶ。それをタヤクがどうにか収めようとするも、彼女は頭を抱えて髪を振り乱すだけであった。
一方で、キーナが殴り飛ばされる様をまざまざと見てしまったマサアは、
「っのヤロウっ!!」
という掛け声とともに、手に持っていたガラス瓶を化け物に投げつけた。剛速球で投げつけたにも係わらず、それは化け物にしっかりと命中し、中の液体をぶちまける。
『いイぃィイぃっ!!』
皮膚が溶ける嫌な音とともに、そいつの巨体がどろりと崩れていく。液体が飛び散ったあたりの雑草も、じゅうじゅうという音と共に枯れていった。
マサアが投げたガラス瓶の中身は、とある植物から採れる液体であった。
薬草学にも明るい彼は、廃屋で暮らし始めた当初から幾種もの植物を育てていた。今投げた液体はそのうちの一種、食虫植物から採れる消化液である。それを、別の植物から採れる実やら薬品やらと掛け合わせて、化け物をも溶かす強力な消化液へと調合したのだ。
ミナミが茫然と見ている間にも、消化液はどんどん化け物の皮膚を溶かし、肉を爛れさせていく。夜の闇に化け物の悲鳴がこだました。
「よっし!」
これならばキーナの魔法だけでなく、ケイヤの剣やタヤクの拳でも十分通じるようになっただろう。そうマサアは満足げに頷きながら化け物の様子を見守っていた。
――が。
「馬鹿マサアぁぁぁぁぁっ!」
タヤクの怒号がその場を縫い走った。思わずミナミがびくりと肩を竦ませるほどに、彼にしては珍しいほどの怒気を込めたものだ。
“馬鹿”と呼ばれたマサアも、
「な、なんでだよぅ」
と、いくらか気弱げに応じる。キーナの傍にいたケイヤまでもが呆れたようにマサアに向かって口を開いた。
「あんな状態のものに剣で切りかかれば、刃が溶けかねない」
「オレだって、殴ろうと思ったらあいつの肌が弾け飛んできて危ねぇしっ!」
「えっ?! うそ失敗っ?!」
タヤクの言葉に思わず魔物をまじまじと見る。たしかに溶けていく化け物の肌は、さながら炭酸水のようにぱちぱちと弾けているのがわかった。
――でも、溶けてるんだったらこのまま放置じゃダメなんかな?
そうマサアが思ったその時。
「どっいてぇぇぇぇぇっ!!」
――五人が疑問に思う間もなく。
鈍い 音。
断末魔の 声。
化け物の 終わりの 言葉。
その頭に突き刺さるは、青白い月に燦燦と輝く、赤錆色の、槍。
「ミ、カノ……――?」
闇夜に鮮やかな深紅の髪を振り乱し、とん、と軽い音をたてて地に降り立った少女は。
特徴的なポニーテールをばさりと鳴らし、艶やかに笑った。
「おや、タヤク。久しぶりね」
それは、初めて出会った十年前と、寸分違わぬ笑顔。
鮮やか過ぎる 赤を撒き散らして。