◆ ギルド
「時間は稼げたのかしら……」
自身に張り巡らせた耐魔功の結界。その向こうで、炸裂した火炎魔法の熱がようやく収まり始める。
ミナミが張っていた結界はとうに壊れて、逃げたり応戦したりしているうちにずいぶん移動してしまった。
「はっ……はぁっ……」
ミナミを逃がしてから、すでに半刻ほどが経過していた。
――高速移動の術を使っていたから、もう誰かしらとミカノちゃんの元へ行ってるはずね
もうもうと立ち込めていた黒煙と土煙が治まったころ、キーナの目の前には二十人ほどの人が立ちはだかっていた。みな、先ほどまでこの商店街で商売をしていた者たちであり、キーナ達が買い物をした店の店員もそこに混ざっていた。
「……悪い夢を見ているみたい」
かわいらしい花柄のワンピースを着た女性の手には大鉈が握られていて、雑貨屋の青年は腕まで続く錨つきのナックルを身に付けている。
防具屋の主人はさきほど火炎魔法を投げつけてきた張本人であり、その隣ではパン屋の店長とそこのアルバイトスタッフだと笑っていた少女二人が、キーナの結界の解除に努めていた。
――まさかこの人たちが“ギルド”に所属しているとは思わなかったわ
内心で歯噛みする。
もちろん全ての店の店員が該当するわけではなく、ここにいない“普通の店員”は、簡易結界を張った店内へ避難したままだ。
いかにしてこの場を切り抜けるか。
キーナが必死に策を考えていると、その耳を低い声が打った。
「――諦めろ。貴様の命運は決まっている」
ギルドメンバーの真ん中から彼らを分け入るように姿を現したのは、二十歳前後の青年だった。
白に近い、糸のように細い銀髪。
神官職に就いている者達が身につけている、スケイルメイルという呪力鎧をまとっている。
裏地が青の白いマントだけは、ミルク色のような柔らかい色をしていた。
その顔はケイヤと同じく美しかったが、前髪の隙から覗く菫色の瞳はどこまでも冷たく、キーナを捕えて動かない。
「“鳥籠”へ再び入れ。その時まで」
冷酷な声はキーナへ向かって粛々と言葉を吐きかける。
ミナミが走り去った後に現れたこの青年は、自分たちは“鳥籠”の関係者からギルドを通じて雇われた者だと言った。
ギルドというのはある種の“何でも屋”である。
何でも屋は大方の場合単独で身軽に動くものを指すが、ギルドの場合は組織である。ギルドの窓口を通して依頼された案件を、ギルドに所属するメンバーが請け負う。
依頼内容は様々で、迷子の捜索から暗殺まで、ありとあらゆることを網羅するという。多種に渡る依頼をこなす為、ギルドに所属するためには厳正な試験をクリアしなければいけない。
それ故にギルドの所属者は、個人個人がかなりの力を有している強者ばかりであった。万遍なく能力を伸ばすものもいれば、スペシャリストとして活躍する者もいるほどだ。
そして今回、彼らは“花嫁”を“鳥籠”へ戻すよう依頼を受けたという。
「……っ」
男の話を当初、キーナは信じられなかった。
廃屋に住んでいる頃も含め、どこかの町や村へ行くたびにさりげなく“鳥籠”のことを聞いて回っていた。わずかな情報でも欲しかったからだ。
しかし“鳥籠”はおろか、“花嫁”や“騎士”を知る者は誰一人として見つからなかった。
隠していたり、その存在に恐怖して口を閉ざしていたりするというのではなく、本当に知らないようなのだ。
自分たちが閉じ込められていた“鳥籠”のことを考えれば、外にそういった情報が漏れないよう、相当に気を配っていたのかもしれない。
――もしくは、よほどの大物が関わっているか……
タヤクがそう考えたように、キーナも同じことを考えていた。
イシヤの街の一件で、少なくとも領主クラスが“鳥籠”に関係していることは分かった。だがしかし、ギルドまで“鳥籠”の存在を知っているとは思わなかったのだ。
目の前に立つ青年を睨みつけ、血を吐くような声でキーナは答える。
「いいえ、戻れないわ」
魔力の出力を上げ、すでに発動していた結界に干渉し強度を上げる。膨れ上がったその力に耐えられずに、結界を解除していた三人はそのまま後方へ大きく吹き飛んだ。
「私にはやることがあるの」
「この世を犠牲にしてもか?」
「……ごめんなさい」
許されることなど望んでいない。
ただ、我儘を言っているだけなのだから。
「ならば、強引にでも籠の中へ還す」
「できるものなら」
どちらの視線もお互いから外れることはなく、真正面からかち合う。
先に動いたのは、銀髪の青年であった。
「――覚悟を決めろ、“壊された蒼”」
青年は両腰のレイピアをするりと抜き取り、一足跳びにキーナの眼前へ踏み込んだ。だんっ、と強く地を踏み、勢い良く両手のレイピアを振り下ろす。
高らかな反射音が響き、キーナの防御結界にヒビが入った。
「くぅっ!?」
結界が揺すぶられ、魔力を注いでいたキーナ自身も思わずたたらを踏む。
触れていた薄い壁を思い切り叩かれたような、そんな振動が彼女に伝わったのだ。
内心で舌を巻く。
三人の術者、それもギルドに属せるレベルの者が解除できなかったものを、彼は一人で、しかもレイピアでヒビを入れてみせた。
――この結界では持たないわね
思うと同時にいま現在発動している結界への干渉を断ち切る。
不審げに眉を潜める青年に構わず一呼吸し、魔力を整えたキーナは新たな術を詠唱し始めた。
『踊れ悪魔の手、立ちはだかる脅威を悉く阻め』
「――古代魔法か」
キーナが唱える術の系統を看過して、男がポツリと声を漏らす。
その声にも構わず詠唱を終えた術を解き放ったキーナは、すぐにまた新たな術を詠唱し始めた。
『両目両手両足に跪き、神の指を舐めよ』
「神聖魔法……? 同時に発動させる気か?」
淡々とした声ではあったが、その音にはわずかながらの動揺が滲んでいた。
――古代魔法と神聖魔法。
すでにこの世から失われたといわれる魔法であり、古文書に僅か記されているものと、古い神殿や祭壇などに、紋様のように刻み込まれているものとが存在している。
それらはいま使われている言語とは違う古代文字で残されていて、いまだ解明されていないものが多い。稀に、文字どころか数字や絵として残されていたりするものさえあった。
白魔法は神々の力を、精霊魔法は精霊の力を借りて発動しているのだが、神聖魔法と古代魔法は“なにから力を借りて発動させているのか”が全く分かっていない魔法である。
便宜上、“古文書に記されていたから”古代魔法と呼び、“神殿や祭壇から見つかったので”神聖魔法と呼んでいるだけなのだ。
いまだ魔導士協会で研究中であり素性の全く分からない魔法ではあったが、威力は強大無比であり、現在ある白魔法や黒魔法とは比べ物にならないとさえ言われている。
一方で、その強大な威力に比例して、コントロールの難しさと莫大な魔力の消費が欠点とされ、使いこなせる者は世界で片手に満たなかった。
「ふ、ぅ……っ」
魔力は底なし、コントロール力も抜群のキーナであっても、この二つの魔法を同時に発動させるには、それなりの負担が出てくる。
――けれど、そんなこと言っている暇はないわ
古代魔法で魔法攻撃に対する防御結界を張り、神聖魔法で物理攻撃に特化した防御結界を張る。そうしてこの場をやり過ごす。
詠唱を続ける彼女の意図を読んだのか、男は射抜くような目でキーナを見つめ、薄い唇を開く。そこから吐き出される声は、先ほどよりもさらに低く、冷たくなっていた。
「――完成する前に潰す」
しゃりっ、と二本のレイピアを擦り合わせて、再び構える男。それを受けてキーナが詠唱を速めようとしたその時。
「どっあぁぁぁぁっ!!」
『?!』
何かが空から落ちてきた。