◆ 炎
いままで対峙していた男の傍に現れたのは、見た目も雰囲気も全く違う男性であった。
細い銀糸のような髪に、水面を連想する菫色の瞳。涼しげで整った顔立ちなのだが、どこか酷薄な印象を感じさせる。
タヤクとミカノは一瞬目を見張ったが、すぐに空間転移の術を使ったのだと勘付く。それが大変高度な術だと知っている二人は、男たちと距離を保ったまま、いつ戦闘になってもいいように構える。
そんな二人を気にすることもなく、今まで相対していた男が楽しげに銀髪の男に笑いかけた。この状況には似つかわしくない、実に素直な笑顔に呆気にとられる。
「おっ! シア、お前あっちいってたんじゃねぇの?」
「あれだけの轟音と一緒に城が崩れ落ちていたら、誰だって駆けつける」
シアと呼ばれた男は茶髪の男に答えながら、ミカノのことをちらりと見て、ついでタヤクを見た。
「“炎の器”と“枯れた大地”か」
「おう。さっきの爆発もこいつだからな、オレはやってないぞ」
タヤクが口を開く前に、茶髪の男の方が先に聞かれてもいないことまで答える。その様はどこか滑稽で、シアも呆れたように息を吐いた。
「……そんなことは聞いていない。それより、予定変更だ」
「あ?」
「ここに移動している最中に連絡があった」
男に向かって言いながらも、鋭い視線はミカノとタヤクに向けられている。
その菫色の瞳には全く熱が感じられず、「こいつケイヤと似たタイプじゃね?」などというどうでもいいことをミカノは考えたのだった。
「そういうわけだ。今日はここで終わりにする」
「そう言われて、おとなしく帰らせると思う?」
「……いや、行かせよう」
「はぁ? タヤク、あんた何考えて」
「いいから」
口を尖らせて不満を訴えるミカノを適当にあしらいつつ、シアたちに『退け』という意味で手を振る。それを察したシアが男とともに一歩、また一歩と下がっていった。
「今度は退かない」
シアはそういって身を翻し、
「次はぜってぇ連れて帰るからなっ! 覚えとけよ!」
男はそう言って吠える、が。
「覚えるもなにも、あんたの名前すら知らないし」
「……あぁ」
ミカノの突っ込みにぽん、と手を打つ男。その様子をシアが『馬鹿じゃなかろうか』というように眉を潜めて睨みつけていた。
仲間のそんな視線も気にすることなく、男はふんっ、と意味もなく胸を張って大声で名乗る。
「オレはハイネリア・フィリップ・エイランだ!!」
「長い」
「……ハイネでいい」
ミカノに真顔で突っ込まれて、若干へこむ男――ハイネ。
緊張感が全く感じられないやりとりに思わずタヤクが脱力し、シアも目を瞑って天を仰いだ。
「あぁ、うん。シアとハイネだな。覚えておく」
「それからもう一人」
「……は?」
タヤクがぽかんと呟くのとほぼ同時に、周りを逃げ惑っていた騎士の姿がすべて掻き消えた。
『?!』
驚愕し、周りを見回すタヤクとミカノを気にも留めず、空から舞い降りてくる一人の少年。
柔らかな金色の髪に、健康的な浅黒い肌。ミナミと同じ十四、五くらいに見えるが、その年代の男子と比べると背はかなり小さい。
それらの外見要素と、何よりもわずかに尖った耳が、少年がホビット族だということを表していた。
ホビットはある程度の年齢まで育つと腕やら足やらが毛で覆われる。少年はまだ年若いのだと分かるものの、彼らの寿命は人の三倍以上はあるので、実際どのくらいの月日を生きているのかは分からない。
音もなくふわりと降り立った少年は、翠色の大きな瞳をにっこりと細めて、タヤクとミカノに挨拶をした。
「こんにちわ、初めまして。なかなか姿を現すことが出来なくてごめんなさい。ハイネが楽しんでたから邪魔出来なくて」
「誰も楽しんでねぇよ。むしろ“花嫁”に“口撃”されまくりで辛かったつーの」
「はいはい」
くすくすと笑うその姿は、神話に出てくる天使のようでひどく愛らしい。
「僕の名前はローウェン・エンデルクっていいます。ロウって呼んでください。さっきの兵士たちは僕の幻術です。もちろん、そっちのお兄さんを追いかけていたのは本物の騎士さんたちですけど」
エルフよりは魔力が低いとされるホビット族も、人に比べれば莫大な魔力の持ち主だ。複雑な動きをする幻でも、数十人程度なら赤子の手をひねるようなものなのだろう。
ただただ流れるように言葉を紡ぐロウを、タヤクはぽかんと口を開けて眺めていることしかできない。
ロウが口を閉ざしたのを見計らって、シアが呆れように声をかければ、彼はまた愛らしい笑顔でそれに答えるのであった。
「終わったか?」
「シアは気が短いね。うん、いいよ」
炎渦巻く崩れた城を背景に、シア、ハイネ、ロウが佇む。
「行くぞ」
「じゃあな、今度は容赦しねぇぞ!」
「また逢いましょう」
口々に告げ、シアがマントをばさりとひるがえす。ひらりとたなびいたマントがなくなったかと思うと、初めからそんな三人組なんていなかったかのように一つの痕跡もなく消え去っていた。
「まーったく、メンドくさそーなのが次から次へと……」
心底そう思っているのであろう、ミカノは苦虫を噛み潰したような表情でため息とともに言葉を吐き出す。それをジト目で見つめながら、タヤクも同じようにして彼女に口を開いた。
「お前もだよ、ミカノ」
「へ? なにが?」
言われて彼女はきょとん、とした視線をタヤクに向ける。何のことを言われてるのかさっぱり分からない、という風なミカノに頬を引きつらせつつも、
「お前、知ってたんだろ、全部」
そう彼が言えば、実に簡単に「うん」という答えが返ってきたのであった。
ハイネの話を聞いていた時、ミカノのリアクションがやけに薄かったことをタヤクは気にしていた。それは“興味がない”というよりも、“知っていることを話されても退屈”というような態度に感じられたのだ。
話が先へ先へ進んでもミカノの態度は変わらず、タヤク一人が驚いてばかりだった。そうしていつしか、ハイネの話を聞きつつミカノのことに意識が逸れていった。
彼の話とミカノの態度とを自分の中で咀嚼し、織り交ぜていき――辿り着いた答えが、“ミカノはハイネが話したことを全て知っていたのでは”というものであった。
取り出していた槍を一振りし、三つに折り畳んで腰に下げ直したミカノは、うんと背伸びをしながら語り始める。
「あたし自身、別の“鳥籠”に居て、そこからあんたらのいる“鳥籠”に入ったから。知らないワケないのよ」
「……そう、だったのか」
「そうそう」
あくまで軽いノリのミカノに対して、タヤクはやや呆然と彼女の言葉を聞いていた。他の“鳥籠”の存在を知っていたのは、恐らくミカノの“教育者”が教えたのだと思っていたのだが……
――こいつ自身が別の“鳥籠”の“花嫁”だったとはな
そんな話はこれまで一度も聞いたことがなかった。てっきり彼女も売られるなり浚われるなりして“鳥籠”へ入ったのだとタヤクは思っていたのだ。恐らくケイヤ達も自分と同じだろうとも考える。
「前に居たとこもまぁ、でかい国だったわ」
ミカノは特にどうということでもないように、淡々と話を続ける。
「ちょっとそこで暴走しちゃってね。“鳥籠”が丸焼け。制御するような魔法技術も持たない国だったから、すぐ危険レッテル貼られて放りだされたんだわ。そんときにあんたらがいる“鳥籠”の“飼育者”が、あたしを捕まえてあそこへ入れたってワケ」
「……」
彼女の話を聞きながら、タヤクは当時の“鳥籠”のことを振り返る。
“鳥籠”に一番最初に入ったのはキーナと、それを止めようとしたケイヤとマサアだった。その次にタヤクが放り込まれ、最後にミカノが連れてこられたのだ。
その時ミカノは十歳、タヤクは十一歳であった。
「前の“鳥籠”は“騎士”候補がなかなか集まらなかったから“花嫁”の教育だけがどんどん進んでてね。まぁ、教育というか……洗脳だよね。女神さまがどーたら、人柱がこーたら。世界を救える君たちは素晴らしい、みたいなね」
聞きながら、タヤクは「おや?」とミカノの表情を伺う。いつも溌溂としたミカノらしくない、どこか陰鬱な口調に怪訝そうに眉を潜めた。
その視線に気付いているのかいないのか、ミカノは口を尖らせて、「世界なんて救ったってしょうがないのに」と呟いた。
それは心底からの言葉で、整った面立ちと相俟って、強くタヤクの心を穿った。
「ほんとに助けたい人を助けられないなら意味はないのに」
その言葉に、タヤクは沈黙で返すしかなかった。
人柱がおとぎ話の女神の見立てだというのなら、人柱たちはその身を封印の柱とするべく、退魔の水晶に自身を沈めて封印を施すことになる。生きているのか死んでいるのか、曖昧な状態だ。
彼女はキーナのことを想って言っているのだろうが、タヤクはそれとはまた別の光景を思い浮かべてしまう。
水晶の柱に漂うミカノの紅い髪。
閉じられたまま二度と開かない大きな瞳。
長い睫は彼女の頬に影を落として……それだけなのだろう。
「……っ!」
やけに鮮明に想像出来たその姿を、タヤクは脳裏から振り払った。
自分のおぞましい考えを誤魔化すように「さっさと言えよな」と口早に言えば、ミカノはすっとぼけたように、
「いやぁ、だってね」
と頬を掻いた。
「別に言う必要はないかなぁ、って思ったし。あたしが別の“鳥籠”にいたことなんてさ。あぁでも、あたしとキーナちゃんが正式な“花嫁”に決まったのはアンタらが逃げたあと知ったのよ? それもほら、もう逃げた後だし、まぁいっかぁーってね」
「――オレは“騎士”なんだろ? だったら少しは守らせてくれや」
矢継ぎ早に言うミカノの頭に、大きな手をぽんっと乗せる。そのままがしがしと乱暴に撫でると、その動きに合わせて彼女の体もふらふらと揺れた。
ミカノは目を白黒させて驚いていたが、タヤクは素直にそう思って声に出した。
――いつだってミカノはこうだ
――とんとんと、一人で事を成し遂げようとする
それを知っているからこそ、タヤクは彼女のことを見続けていたのだ。
“鳥籠”に居る時も、“鳥籠”から出た後も。
タヤクの視線の先には必ずミカノがいた。
どんな時でも不敵に笑い、力強く生きる道を切り開き、その紅い髪はタヤクにとって、導きの炎のようでもあった。
――みんなはキーナが危うい、って言うけど、ミカノはもっとだと思う
ミカノがいくら強いと知っていても、傷を負わないことなんてないのだから。
それを少し減らすことが出来れば、それでいい。
それは、タヤクの誓いだった。
自分のことを真剣な目で見てくるタヤクに、ミカノの緑の眼は一瞬きょとんと大きく見開き、そしていつものようににやりと笑った。あははっ、と笑う姿は炎の赤に紛れ、輪郭がぼやける。
――本当に、“炎の器”って名前がよく似合う
それは、“飼育者”たちがタヤクたちにつけた“魂の形の名前”。
性格や能力をその名前で表したというけれど、ミカノに関してはピッタリだな、と彼は思う。
燃えさかる炎のように、激しく揺らめいて。
「さって、あたしらも移動する? この国に留まる気はないでしょ?」
「というか、お前が壊した城の一部を追及される前に逃げる」
「男なんだから細かいことは気にしないっ」
「全っ然こまかくねぇよ。鍛冶場のほうにケイヤがいるから合流するぞ」
「キーナちゃんたちもそっちに?」
「もう移動してるはずだ」
一息にそう言い合って、お互いに軽く頷く。
白亜の道は道中タヤクが煉瓦壁を壊したせいで通れなくなっている為、城の脇から延びる細い道を走り抜ける。この道は国の災害時などに騎士たちが使う為のものであり、通常では民間人の利用は許可されておらず、封鎖されている。
しかし、錠前の一個や二個、分厚い鉄扉などミカノの前では壁にもならず。
『暴発の一撃――バースト・ボンブ――!』
彼女の手から放たれた五つの火炎の球が鉄扉にぶち当たり、一撃で鉄屑と化す。轟音は白が燃え盛る音に掻き消され、彼女は満足そうに笑った。
各地点は扇状に結ばれているので、噴水広場へ出ないこの道は城と隣り合う鍛冶場へ向かうにはむしろ近道になった。
「さっ、さっさと行くわよっ!」
言いながら早くも駆け出したミカノの背を追って、慌ててタヤクも走り出す。肩越しに後ろを振り返れば、ミカノが放った火が勢い衰えぬままに城を蝕んでいるのが見えた。
「早くケイヤ達と合流してこんな街出て行くよっ!」
「そうだな」
「じゃあ、善は急げってことで!」
ぐんっ、と走る足を速め、先へ先へと走っていく。
紅い紅い髪が揺れる。
「……」
それを見ていることしか出来なかった。
追いかけて追いかけて、いつでも守れるように。
強く足を踏み出す。
自分自身が揺らいでしまわないよう。