◆ とある空中での会話

 六人の男女が走る様を、空中から眺めている者たちがいた。

 一人の少年が術を使い、その影響で他の二人も空に浮いているのだ。足場など当然なかったが、少年の魔力はよほど充実しているのか、安定している。

 一人は銀糸の髪に青いバンダナを額に巻いた青年で、もう一人の青年はアーモンド色をした髪を乱雑に括っていた。
 浮遊の術を使っているのは、尖った耳が特徴的な金髪の少年である。

 先ほどミカノとタヤクに接触した、シア、ハイネ、ロウであった。

 彼らが空から観測していた男女六人組みはミカノたちだ。シアたちが燃え盛る城をあとにしてまだ数十分程度だったが、六人の姿はすでに豆粒ほどの大きさとなっている。

 右手を額に翳しながら双眸を細め六人の後ろ姿を眺めていたハイネは、空中にも関わらず後ろにひっくり返り、「あーっ!」と大声を上げた。

「あいつらもうあんなトコにいるぞっ?! 逃げ足くっそ速ぇな、おいっ!」
「別に彼らの脚力がすごいわけじゃないよ」

 空中で仰向けになるハイネの隣で、ホビットの少年――ロウがくすくすと笑う。それは人間の少年と何ら変わらず、ひどく愛らしいものであった。

「よーく見てよ、なんか変じゃない?」
「んあ?」

 言われて今度はうつ伏せになり、再び六人の姿を目で追う。

「んんー……?」

 じっと目を凝らしてみるものの、段々と目が乾いてしばしばと瞬く。そうしていると、今度はロウとは反対側に立つシアが「風景が」と小さく呟いた。

「風景が、歪んでいる……?」
「へ? なんだそれ?」
「シア、正解」

 さらに目を細めて遠くを見るハイネに構わず、ロウは右手の人差し指をぴっ、と立てながらシアに微笑んだ。いまだに分からないハイネの横にしゃがみこみ、少年はゆっくりと説明を始める。

「彼らが走って行った道と、その周辺の風景。歪んで見えない?」
「いやだから、歪んでるってなんだよ」
「そのまんまだよ。たわんで見えるっていうのかな?」
「んあー……あ?」

 言われて風景に集中してみると、たしかに歪んでいるのに気が付く。彼らが走った道とその周辺の風景だけが、なんだか揺らいで見えるのだ。

 それは六人に近ければ近いほど歪んでおり、逆に彼らが走り去った場所は徐々に普通の風景に戻っていく。

「……精霊に干渉したか?」

 ぽつりと漏らしたハイネの言葉に、「うん、そう」と静かにロウが肯定を示す。

「“炎の器”にはそこまでの力はないかもしれないけど……たぶん、“壊された蒼”ともう一人の“花嫁”が、風と大地の精霊に干渉したんだろうね」

 ミナミに会っていないロウには彼女がどの程度の力を持っているのか分からないが、少なくともミカノよりは魔力があると踏んだらしい。
 一方で、ハイネは間近でミカノの魔法を見たこともあり、風の精霊にならミカノでも十分な効果を得られるのではないかと思っていた。風と炎の相性は非常に良いが、大地と炎の相性はよろしくない。

「大地の精霊に干渉して地面を動かして、風の精霊がその際に生じる風の抵抗を無くさせる、ってところかな」
「そこまでして逃げたいのかよアイツらっ!」

 精霊の無駄遣い反対! とじたばた悶えるハイネを尻目に、シアは冷静に菫色の瞳でロウを見返す。

「お前なら、アレに追いつけたんじゃないのか?」
「無理だよ。いくら僕だって、二つの精霊に同時に干渉して、シアたちを連れたまま追いつけるわけないよ」
「そうか……」

 なおも何か言いたげなシアであったが、ふと静かになったハイネにその視線が向けられる。それにつられてロウも彼へと目を向ければ、ぼんやりとした面持ちで六人が去った方向を眺めているハイネがいた。

 風と大地の精霊の力を借りた六人はとんでもないスピードで去って行ったため、その姿はとっくに見えない。それでもハイネの視線は見えない背中を追うかのように、真っ直ぐに固定されて動かなかった。

「――ハイネ?」

 不審に思ったシアがその名を呼ぶと、それに反応したかのようにハイネの肩から力が抜け、べしゃりとその場に突っ伏した。空中にいるためなんとも違和感のある光景である。
 ロウと同じようにその場に座ったシアが再び声をかけようとした瞬間、


「やっべぇわ、惚れた」


 空気に溶けてしまうようなハイネの声が、二人の鼓膜を揺らした。

「……なに?」
「えっと……え?」

 彼の言葉に一瞬固まったシアたちが思わず問い返してしまえば、がばりと起き上がったハイネは、水を得た魚のように一息に捲し立てた。

「あいつだよあいつ! えーっと“炎の器”じゃなくってぇぇぇ……そう、ミカノ! ミカノだ! いやほんとやっべぇよ! 見た時からちょっとキツい顔立ちだけど美人だな、とは思ってたし、あのさっぱりきっぱりした性格もいいし、つーかあのミニスカなんだよ! もう少しでパンツ見えるぞ! いやでもそこからあの白ーくて長ーい足がすらーっと生えてるのが美味しいんだけどよ!」

『……』

 身振り手振りを合わせつつ身悶えするハイネの姿はあまりにも酷かった。話しているうちに段々興奮してきたのか、声は熱を帯び、頬もほんのりと赤く色付いていく。

「――ロウ」

 今もなお何やら言い続けているハイネを無視し、呆然と彼を見ているロウに向かってシアが声をかけた。

「あいつらはこの大陸を出ると思うか?」
「え? あ、あぁ、うん。出ると思うよ。国が絡んでいるのを知ったから」

 未だハイネの告白で受けた衝撃が抜けきらないのか、多少どもったロウだったが、すぐに思考を切り替える。

 カレアナン王国の領土は広大で、いま現在彼らがいるこのローア大陸は、ほぼ全てがカレアナンの手中にあると言っても過言ではない。その気になればカレアナンに属する村や町に詰めている兵士たちを動かすことも可能なのだ。

 村長などではなく、領主クラスに厳命を下すことも出来る。
 そうなれば、ミカノら六人はこの大陸にいる限り、常に誰かしらに狙われることとなるだろう。

「そうなると、この大陸に居続けることは彼らにとってデメリットしかないからね」
「なら、出ていかれる前に船を押さえるか?」
「うーん……」

 再びシアに問われ、ロウは口元に指を当てて考える。

 王都カレアナンから馬で二日ほどの距離に港町があり、そこからすぐ隣のレズウェル大陸へ渡る定期便が出ていることは事前に調べがついている。本数はそう多くないのだが、それ故に、取り逃してしまえば追うのにも時間がかかってしまう。

 それともう一つ、ロウには懸念していることがあった。

「この大陸とレズウェル大陸って、陸続きだから歩いて渡れるんだよね」

 その言葉にシアも「あぁ」と眉間に皺を寄せた。

 ロウが言う”徒歩で大陸間を渡れる道”は、元々海に沈んでいたものであり、数百年ほど前、水位が下がった際に突如現れたのだ。その当時は、ローア大陸とレズウェル大陸はかつて一つの大陸だったのでは、という声も上がったのだが、結局別々の大陸としていまなお分けられている。

 馬車で通るには狭すぎる道幅で、徒歩で行けば十日はかかるとされているが、ミカノらが高速飛行の術を使えることをロウたちは知っているのだ。もしかしたら先ほど見たばかりの、精霊に干渉する術を使う恐れもある。

 船に乗ったとしても三日はかかるのだ。術を使われてしまえば、陸路でも海路でも、六人に大した変りはない。

「どうするか……」

 ふむと考え込むシアを見、「別れよーぜ」と提案したのはハイネだった。

「どっちも怪しいんだったら両方一片に手を回しちまえばいーじゃんかよ」
「簡単に言うが、戦力が分断されるんだぞ?」
「――いや、それでいいよ」

 眉を潜めて反論するシアの言を覆し、ロウの高い声が空気を震わせる。彼の言葉に驚いて目を丸くしたシアだったが、ハイネは面白そうにひゅっ、と口笛を鳴らした。

「珍しーじゃん、オレの意見が採用されるなんて」
「ハイネは何も考えないで言っただけなんでしょ?」
「まぁなー。考えるのはお前らに頼むわ!」

 ちっとも悪びれる様子のないハイネに苦笑する。反対にシアは眉間に皺を寄せて彼を睨んでいた。三人にとっては見慣れた光景であり、何度も繰り返してきたことであった。
 故にロウは手慣れたように「まぁまぁ」とシアを諌め、これからについて話をまとめていく。

「シアとハイネはギルドの人たちと一緒に港町に向かって。そう大きくないから数に物を言わせて探せばすぐに見つかると思うよ」
「で、お前は一人で大陸間の道に行くってか?」

 さすがにそれはどうかと思ったのか、ハイネはロウのことを睨むように双眸を細めたが、睨まれた本人はいつものように微笑んで頷いて見せた。

「うん。僕一人なら術で立ち回りできるし、いろいろと都合がいいし」
「でもよ……」

 なおも言い募ろうとしたハイネの言葉は、すぐに掻き消される。

「大体、ハイネみたいな考えなしがあんなところで暴れたら、それこそ“花嫁”たちもろとも海に落ちそうで怖いよ」

 くすくすと笑いながら言われた言葉にむっと頬を膨らませたハイネだったが、自分でもそんな気がして否定もできなかった。

「大丈夫なのか、ロウ」

 一瞬生まれた間を逃さず、シアもロウの身を心配する声を投げ掛ける。
 表情こそ乏しいが、彼もまた友人思いなのだ。ハイネやロウがそうであるように。

「やだな、シアまで。僕は大丈夫だよ。それよりシアにはハイネのおもり役も担ってもらうんだからね。頑張ってよ」
「ちょっ、おもり役ってなんだよ?!」
「……頑張らせてもらう」
「否定しないのかよシアぁぁぁぁぁっ!!」

 叫ぶハイネの声はもう、二人に聞き入れられることはなかった。

伽世
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伽世

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