◆ タヤクとミナミ
タヤクとミナミは崖に出来ていた洞の中を、奥へ奥へと進んでいた。入り口から数歩先に歩いただけで中は仄暗い闇となる。色鮮やかなミナミの髪色ですら、少しくすんで見えた。
「大丈夫か? ミナミ」
「う、うん……暗いね」
恐る恐る足を進めるミナミの手を取るとびくりと身を竦ませたが、タヤクの手だと分かると強く握り返してきた。少し汗ばんでいるのは、緊張からか恐怖からか。
ちらりと後ろを振り返れば入り口はもう遠く、外の日の光もほとんど見られなかった。洞に入る前に閉じていた左目を開けると、中の様子がぼんやりと、やがてくっきりと見えてくる。
「――意外に道はきれいなもんだな」
呟いたタヤクの声にミナミも頷き返す。
二人の足元は固い土になっていて思ったよりも歩きやすく、デコボコと歪んだ感じもしない。ミナミの手を取ったほうとは反対の手で洞の壁に触れると、当然ながらそこも土であり、タヤクの手のひらにしっとりとした湿り気を伝える。
「しかしまぁ、暗いのには変わりないから足元に気をつけろよ?」
「あ、ちょっと待ってタヤク」
「ん?」
「あのね、キーナから教えてもらったの、今から唱えるから待ってて?」
そう言って手を繋いだままなにやら口内で呪を紡ぎ、
『明かりよ――ライティング――』
彼女の手のひらに生み出された淡い光の玉が、空中へと放り投げられた。二人の前方、一メートルほど先までがパァッ、と明るく照らされる。その光に晒されてもなお道はさらに奥深く続いていたが、この明かりがあるだけでだいぶ心強くなった。
「これでいいかな?」
「おー、すごいな。こんなもの覚えてたのかぁ」
恍々と照らし出す明かりの下に、ミナミのはにかむような笑顔があらわれる。その表情はどこか誇らしげにも見えた。
「うん、キーナに色々教えてもらってたの!」
「そうか。ん? あぁ、もう手は放しても平気か」
「それはちょっと!!」
解かれそうになる手を慌てて握り返す。つんっ、と唇を尖らせて少しだけ拗ねたように、
「明るくても、怖いもん」
そう言ったミナミの姿は十四歳という実年齢よりも若干幼く見え、その愛らしさにタヤクも思わず苦笑した。
「分かったよ、じゃあ行こうか」
優しく笑いかけて再び手を繋ぎなおすと、タヤクは先を促した。ミナミもその隣に並んで歩く。
この二人だけで行動することは、今まで一度もなかった。ミナミはマサアといることが多く、タヤクはミカノとコンビを組むことが多かったからだ。それ故に、この際だからたくさん話をしてみようかな、とミナミは口を開いた。
「ねぇ、タヤク」
「ん? どうした?」
「タヤクはいつから“鳥籠”とか言うところにいたの?」
「んー……七歳くらいかな、たしか。オレ、最初のころ、年の数え方も分からなかったから」
そう言って恥ずかしそうに笑うタヤクに、心底驚いて目を丸くする。
「知らなかったの?!」
「あぁ。あの頃は読み書き計算、何もできなかったな」
「へぇー……」
少しだけ哀しそうに笑う彼に、それ以上は掘り下げないでおくことにした。
ミナミは全員と知り合ってまだ三年ほどと日が浅い。いずれまた話せるときに話してもらおうと、幼いながらもそう思ったのだ。
一方で、うーん、と次の話題を一所懸命考えるミナミを、タヤクは苦笑しながら眺めている。彼にとってミナミは初めての女の子らしい女の子で、正直扱いに戸惑う部分もあった。
いままで彼が見てきたミカノ・ハラルという女性は、性別問わず見る者すべてが「美人だ」と認めるほど、華があって明るく美しかった。
ポニーテールに結わえている烈火を思わせる鮮やかな紅い髪は膝裏にまで届き、意志の強い淡緑の瞳は凛々しく、その立ち姿は見惚れるほどである。
ただし中身は根っからの戦闘狂で、且つ相手を打倒し平伏させ、圧倒し蹂躙するほどの実力を持っている。さばさばとした性格もあってか、世の男性が想像するような『美人でおしとやかで』といった女性像には程遠い。
キーナはと言えば、濡れ羽色の肩でバッサリと切り揃えた髪に蒼みがかった瞳、眼鏡をかけてはいるが、「知的美人」というよりも「薄幸の人」という印象が強い。
彼女自身の華奢な体躯や雰囲気の儚さばかりが目立って、彼女を綺麗だとか思うことが少ない。ミカノよりは幾分女性らしい立ち居振る舞いはするが、それでもやはり、女性というよりも“戦友”というほうがしっくりくる。
そんな二人ばかりを見てきたせいか、ミナミの喋り方、動作、性格までもが新鮮だった。
いつでもどこでも人の眼を意識した動きや、抱きついたり手を繋いだり、とにかくスキンシップが大好きで、きゃらきゃらと花が飛ぶような笑い方も他の二人には見受けられない姿だ。
服装なんかも感心した。
ミカノはとにかく動きやすいようにとミニスカートや袖の短い服が多く、目のやり場に困る、というのがタヤクの正直な感想だ。露わになった白い太ももなど、男からしてみれば垂涎の的である。
キーナは黒いハイネックのロングワンピースがほとんどで、レースをあしらったものやカーディガン、ショールなどを羽織るのが精々である。慎ましやかで上品な印象を多くもたらすが、性格から何までミカノと対照的なのが面白い。
――それなのになんであんなに仲がいいんだろうな
普段の二人のやり取りを思い出して笑いながらも、隣に並んで歩くミナミの服装を眺める。
ミナミはフリルやリボンが付いた服がとにかく好きだ。色もパステルカラーなどの明るく可愛らしいものを上手に使う。タヤクはミナミと出会って初めて「そんな服が世の中にあるのか」と思った。
今日は白のブラウスに薄い桃色のスカートだ。裾からペチコートの細かなフリルが覗き、細い足には可愛らしいリボンのワンポイントがついた靴下を穿いている。靴は焦茶色の少々いかついデザインのものを履いていて、彼女なりのこだわりがあるのだろうと思わせた。
『自分をいかにして可愛く見せるか』に徹底してこだわった服であり、旅には向いてない。
「――令嬢の馬車の旅なら良かったかもな」
ぼそりと呟いた言葉は彼女の耳には届いてなかったらしい。
「ねーえ、どこまで続いていると思う? この洞窟」
「あ、あぁ、そうだな」
いきなり声をかけられたタヤクはなんとか平静を装ったが、その笑顔は引きつっていた。
「上から見た限りじゃ、ここの入り口の位置からして迷いの森を突っ切るみたいだったな。今のところ曲がっている様子もないし」
「そうなの? 私、グルグル回ってる気がして不安だったんだけど」
「歩いているときずっと指先を壁に当てていたんだ。壁をなぞるように掠めて歩いて、指が離れたり掌がついたりしなければ、通路は曲がっていない」
実際はかなり面倒ではあるが。
同じ間隔で指先を突き出していなければならないのだから、普通なら途中で腕を下ろしてしまう。長い間腕を上げたままにするのもなかなかの労力なのだ。
ミナミはそんな彼に感心し、素直に「へぇぇっ!」と感嘆の声をあげた。きらきらと、光球に輝くアメジストの様な大きな瞳にまっすぐ見つめられて、なんとなくむず痒い。
少しだけ困ったように笑ったタヤクは話題を変えるため、すぐ傍の壁を指さして目線を逸らした。
「ここの壁を見てみな」
言われるがままそちらを向いたミナミの瞳に映ったのは、壁からわずかに覗いた木の根だった。
「多分、あの森の木の根だろうな」
「へぇぇぇ……って、タヤクタヤクっ! ここも迷うようになってないよね? 大丈夫?!」
“迷いの森”と称された場所の真下を通っていることに不安を抱いたのか、繋いだ彼の手にしがみつくようにして問いかけると、タヤクも少しだけ真面目な顔で「んー」と考えた後、「大丈夫だろう」と微笑った。
「そっかぁ、よかった……」
ほっと胸を撫で下ろす仕草をするミナミに苦笑しつつ、先を急ぐ。
街道を歩く四人は一本道を歩くだけなので、自分たちよりも早く大陸の境を過ぎるだろう。
一方で、彼とミナミの進むこの洞は、どこに行くのか、出口があるのかすら分からないのだ。今のところこちらも一方通行ではあるが、少し早足になるくらいのペースで進まねば、差は開くばかりである。
「ミナミ、この光球の持続時間はどのくらいだ?」
「んと……光量を落としていいなら三時間くらいは持つよ」
「そうか。じゃあ頼む。ここがどのくらい深いのか分からないからな」
「うん、分かったわ」
言うが早いか、ふと周りが二段階ほど暗くなる。視界も先ほどより狭まったが、さして問題はない。
◆ ◆ ◆
「これは……困ったな」
どこまでも伸びる洞窟を手を繋いだまま黙々と進んでいた二人であったが、突然現れた土壁の前で途方に暮れていた。枝道のない一本の通路。道に迷うはずもなかった。
「ここまで来て行き止まりなの?!」
ミナミが心底嫌そうな声を上げ、タヤクもそれと同じような思いを抱いていた。歩き始めて延々三時間ほど。二人の前でふわふわと漂う光球も、光量が目に見えて弱くなっている。
「……ちょっと手痛いな」
腰に手を当てぷりぷりと怒るミナミの少し後ろで、タヤクは苦笑した。その表情には些か疲労が見える。
ここまで来たら否が応でも地上と繋がっているのではないかという期待をしていた。結果、見事に裏切られたわけだが。
ふうっ、と大きく息を吐き出し、「よしっ!」と意識して明るい声を出す。悪い空気を断ち切ろうとするその声にミナミも振り返ったが、その頬はまだ膨れていた。
「仕方ない、少し休憩したら折り返そう」
「えぇっ!!」
「しょうがないだろう、ここでこうしていたって進めないんだから。あんまり疲れてるならおぶってやるから、無理はするなよ?」
「うー……」
タヤクに窘められるが、やはりやりきれないのか。ミナミはぶつくさと口を動かしつつ、行き止まりから少し離れた通路の壁に寄りかかるように座り込む。弱くはなったもののまだ淡い明るさを保った光球も、彼女の傍へと移動した。
そんな彼女の様子を少しだけ困ったように笑って見ていたタヤクだったが、すぐに行き止まりとなった土壁に向き直る。光球がミナミの傍へ移動した為に視界は暗くなってしまったが、それでも困るほどではない。
――ここが遺跡やらダンジョンなら、隠し通路とかありそうなんだがな
出来る限り調べてからここを脱出しよう。そう思っていたタヤクは行き止まりの壁に手を伸ばしかけ……
「ちょっと待て、ミナミ」
ミナミの名を呼んだ。
「なぁに? どうかしたの?」
「座ったばかりで悪いけど、ちょっとこっちに来てくれないか?」
「?」
疑問符を浮かべながらも、言われた通りに彼の傍へと寄る。ミカノと対峙している時以外はいつも落ち着いて穏やかなタヤクにしては、珍しく興奮した様子だった。
「いいか、俺の右手を握って、その光球を消してくれ」
「え? でも……」
入り口で体験した、暗闇に閉ざされる洞窟内を想像したのか、ミナミは僅かに躊躇う。その不安も吹き飛ばすように、タヤクは優しく笑ってやった。
「大丈夫だ。すぐ明るくなる」
「え?」
「ほら、手を繋いで、消してくれ」
渋々言われた通りに彼の手を握りしめ、反対の手にある光球を消した。
すると。
「わぁ……なに、これ?!」
光球が消えた後も、洞窟内はうっすらと淡く輝いていた。壁面がきらきらとした薄淡い緑色の光を放っている。
光球に比べればかなり弱い光ではあるが、二人が並ぶだけでやっとの狭い通路には、それだけでも十分な明かりとなった。
やがてその弱い光にも慣れ、うっすらと見えるタヤクの横顔を眺めながら、彼の口が開くのをじっと待つ。その視線に気が付いたのだろう、彼はにっこりと笑いながら、
「たぶん、ヒカリゴケだろうな」
と、そう告げた。
「ヒカリゴケ?」
「オレらは用心の為に光球を使ってたが、本当はそんなものがなくても十分だったんだ」
言いながら来た道を振り返るタヤクにつられて、ミナミも握った手を離さないよう、そろりと後ろを振り返った。
暗く光のない道だと思っていたが、目が慣れてくると今いる場所と同じように、通路の壁や天井に淡く輝く何かが張り付いていることが分かった。
「気付かなかったわ……」
「初めのうちはここの暗さに目も慣れてなかったからな。それに、ほら」
タヤクが繋いだままの手を上げ、視線をそちらへと誘導する。
「――あ」
思わず声が漏れたミナミの視線の先には先ほどの行き止まりがあり、そこからは幾筋もの細い光が漏れ出ていた。
「これって……」
「外の明かりだろうな。ここは落盤かなんかで塞がれちまったんだろう」
漏れ出る光は本当にわずかな、細い線として伸びていたため、ミナミが発動させた術の光に紛れてしまい判別が出来なかったのだ。座り込んだ彼女に合わせて光球も動いた為にわずかな暗がりが生まれ、そこに差していた光にタヤクが気付いたのだった。
彼の言葉にミナミの表情がにわかに明るくなる。長時間歩いてきた疲れなど、一気に吹き飛んでしまった。
「え?! それじゃあ……」
嬉しそうなミナミの声に、自然タヤクの声も弾む。
「あぁ、これさえ壊せばたぶん外に出れるだろう。まぁそんなわけで、悪いがちょっと下がっててもらえるか?」
「うんっ! がんばってねタヤク!」
右手に繋がれた体温が遠ざかり、たかたかと距離を開ける足音が聞こえる。その音が止まるのを確認してから、一息。
「だらぁぁぁぁっ!!」
気合い一線、目の前の壁にタヤクの正拳突きが撃ち込まれた。激しい地鳴りのような音とともに、目の前に立ちはだかった壁はあっさりと崩れ落ちていく。
「うっ?!」
「う……ん?」
いきなり飛びこんでくる、目を焼くような太陽の光……を想像していたが、二人を迎えたのは、柔らかなオレンジ色をした蝋燭の明かりだった。
「タヤク?」
「これは……」
不安そうにタヤクに駆け寄り彼の服をぎゅうと握りしめるミナミ。
タヤクはただ茫然と、壁の向こう側を眺めるだけだった……――