◆ 『騎士』

「遠い遠い、お話です。三柱の女神たちが破壊神を封じた、遠い遠いお話。そのあと、何があったか知っていますか?」
「……――そのあと?」

 眉根を潜めてミカノが問い返す。

 この世界には至る所で三柱に関する物語が伝えられている。話の内容が若干違うこともままあったが、どの物語も、どの口伝も、“女神が破壊神を封印した”と伝えるだけで、封印した後の話は一切伝えられていない。

 女神自身が封印になったせいで世界が不安定になり魔物が跋扈し始めた、というのは、三柱物語を研究する者たちの間でのみ語られている推測にすぎないのだ。

 ロウに言われた意味も分からずに、ケイヤとミカノはロウを見返す。

「なにがあったんだ」

 このまま黙っていても埒が明かない。ケイヤがすぐ訊ね返すと、彼は仕方ないとばかりに口を開いた。

「本当はもっと考えてほしいんですけどね。まぁいいでしょう……三柱の女神たちが破壊神を封じた後、僕たちホビットやエルフたちは考えました。どうやったらあの“厄介なモノ”を処分できるのかと」
「……」

 破壊神を“厄介なモノ”という言葉で片すには軽すぎる気もするが、間違ってはいないだろうとケイヤは思う。危うく世界を滅ぼしかけた存在なのだから。
 野放しには出来ないからこその“封印”なのだ。

「永い永い話し合いの末、僕らは人間の寿命の短さと理性に目を付けました」
「寿命、と」
「理性?」
「えぇ。人間はそこそこの知恵や理性を持っています。そしてその寿命は、僕ら他の種族の半分やそこら」

 人間の寿命は長くても百二十年が限界だという。
 対してホビットやドワーフは人の二倍以上、エルフや竜族に至っては十倍、百倍もの寿命を持っている。そう考えれば、確かに彼らからしてみれば人間の寿命などかなりの短さとして感じるであろう。

 ロウの言いたいことが理解できず、ケイヤは僅かに首を傾げる。反対に、少年は穏やかとさえいえる微笑みを浮かべていた。

「寿命が短いことがなんだというんだ?」
「――まさか」

 横から聞こえた声に視線を動かせば、口元を引きつらせたミカノの姿が目に入った。酷く不愉快そうな、嫌悪を隠そうともしない表情であった。

 そんな彼女の反応は正解だったのだろう。ロウは天使のように愛らしい笑顔を崩すことなく、高い声で続きを語る。

「あなたが思っていることが正解だと思いますよ。――僕らは、人の魂の転生を利用することにしたんだ」

 静かに告げられた言葉に息を呑んだのは誰だったのか。

「魂の、転生……」

 繰り返しなぞるように声に出したケイヤの頭が、ゆっくりとその言葉を理解していく。

「そう。あなたたちは、生まれたころの記憶を持っていますか? 憶えていますか? いないでしょう? ――それ、なんですよ」



――あぁ、理解できた



「“破壊神”を人の体に宿らせ、転生を繰り返させる。やがて記憶は薄れ、力も失せて、ただの“人間”になる」



――そんなことを、何年も繰り返していたというのか



「“魂の浄化”というわけです」
「――ふざけるなっ!」

 言うより早く、ケイヤはロウに向けて刃を振りかざしていた。それを見越していたのだろうか、自身に防御魔法でも張っていたのか、ケイヤの剣はロウの前髪一本も落とせずに空中でぴたりと止まる。見えない何かに拒まれているようだった。

 それでも構わずにケイヤは剣のグリップを強く握りしめ、ロウもその刃越しに真っ直ぐケイヤを見つめていた。大きな萌黄色の瞳は瞬き一つしない。

「人の身体を使って“魂の浄化”だと? その人間の命を奪うのか」

 力を込めるが剣は前へ進まず、ぎぃっ、と鈍い軋みを上げるばかり。

「その人間の命も、未来も、全てを、奪うというのかっ!」
「っ?!」

 ぱきん、という何かが砕ける高い音がして、ケイヤの剣は僅かに軌道を逸れてロウの頬を浅く切り、そのまま左の肩口を抉った。ロウの身体は大きく傾いで、たたらを踏んで倒れるのを堪える。

「うっ……く」

 とっさに身をひねって躱したロウだったが、そのせいで肩はばっくりと切れ、絶え間なく血が流れ続けていた。肩を切られた左腕は指先まで真っ赤に染まり、地面を赤く、黒く染めていく。

 一瞬息を詰めたロウだったが、すぐに右手を切れた肩に当てて撫でるような仕草をする。おそらくホビットの治癒魔法なのだろう、あれだけ流れていた血はすぐに止まり、傷口もほぼ完治している。
 人間とは比較にならない魔力を持つ彼らには、この程度の治癒に詠唱など必要ないのだ。

「いきなりひどいことをしますね」
「思ったまま動いただけだ。ミカノが動く前に」

 先ほどから妙に静かなミカノへと一瞬目を向ける。
 ケイヤにしてみれば、彼女が暴走するほうが見たことのない破壊神よりもよほど恐ろしい。しかし、ロウから目を離すわけにもいかない。

 ミカノのことを理解しているわけでもないロウは小首を傾げて「どういう意味か」とでも問いたそうにしていた。しかしそれも無意味だと思ったのか、何事もなかったように再び続きを語り始める。

「まだ話は途中なんですから……あぁ、そうだ。“魂の浄化”でしたね」

 血で汚れてしまった自分の服の袖をビリッ、と破り捨てる。

「仕方ないでしょう。人間よりも寿命の短い生物は確かにいる。けれどそれは同時に、人間よりも弱い生き物ばかりです。僕たちの先祖は、一人の青年を破壊神の依り代として使いました。その青年は、三日とたたず発狂して死んだそうです」

 少年の口はただの真実だと言わんばかりに淡々と告げていく。

「それから、破壊神の依り代が死ぬたびに新しい依り代を見つけてあてがった」



ある時は村一番の力自慢を。
ある時は森に迷い込んで朽ち果てそうだった男を。
ある時は……



「そうやって何万何千何百年。転生を繰り返させて、破壊神の記憶も能力も徐々に薄れてきています」

 ロウと、ケイヤの視線が交わる。天真爛漫とはとてもいえない壮絶な微笑みを、ロウは浮かべていた。

「もっとも、効果的になったのは“鳥籠”が出来てからでした。それまでは竜族が気まぐれに攫った人やエルフが見つけた迷い人を使ってばかりでしたが、やはり“自分たちで一から育てる”と段違いに効果は高くなった」
「育てる?」
「はい。一所懸命育てましたよ。あなたたち“騎士”を」

 ふふっ、とロウが笑った。

 先日カレアナンでキーナが語った、“封印を施した花嫁を封印の祠まで運ぶ”という“騎士”の役目とは違う話に、ケイヤとミカノは訝しげに目の前の少年を見返した。



――“花嫁”への教育も万事が万事、正しいというわけでもなさそうだな……



 自分たち“騎士”候補の者たちですら詳しい“騎士”の役目が明かされず、ただひたすら鍛錬を続けていたという事実も、ケイヤにその考えを抱かせる要因となっていた。

 何も知らされずいきなり“破壊神”を身の内に宿らされ、そして三柱の依代となった“花嫁”たちによって封印を施されるのであろう。

「“騎士”として育てた心は簡単には折られなくなり、“騎士”として育てた肉体は強固な檻となった。主に“飼育者”は人間にやってもらっていますが、あれは人間の醜さがあったからこそできたんです」

 ケイヤがあちこちに思考を巡らせている間にも、ロウは滔々と堰を切ったように語り続ける。

「他人を蹴落としてでも生きていたいという欲求。全てをその手で支配したいという願望。金さえあれば何でもやるという汚さ。実に簡単だったそうですよ。“鳥籠”の管理を任せることは。褒美をチラつかせただけで今話したような“真実”を話さずに済んでいますしね」

 竜族からは果てのない知識を与えられ、エルフからはその秘薬を与えられる。ドワーフやホビットからは金鉱脈やオリハルコン鉱脈を教えられた。

 各国の王たちはこぞって“鳥籠”の設置を急いだ。金も地位も、そして“他人の命で世界を救う”という名誉を手に入れるため。

 自分たちの欲求が叶えられること。
 満たされること。

 それさえ分かっていれば、“鳥籠”を創る理由も、“花嫁”や“騎士”の活用方法も、その行く末も、彼らにとってはどうでもよかったのだ。

 表向きの理由を適当に話せば勝手にそれが“真実”だと思い込んでくれる。それらも都合がよかったのだ、とロウは言った。

「一人の“騎士”が依り代となり、残りの二人は“予備”となる。無事に、転生が成功するように」

 先ほどから手にしていた靄の玉を、ロウは高く掲げて叩き割った。途端、自分たちの周りだけ晴れていた靄がするするとたち消えていき、森の中から一切の靄がなくなった。

 ふと後ろを向くと今まで歩いていた街道が見え、目を凝らせばわずかに縁が欠けた部分があり、ミナミが下に落ちた地点だということに気が付く。驚いたミカノが自分の足元に目をやれば、彼女たちの立っている周辺の地面には無数の足跡が残っていた。

 二日間、ケイヤとミカノはただ同じ場所を歩き通していただけだったのだ。

「シアから聞きましたよ。あなたたちが“鳥籠”から逃げ出した理由。二人の“花嫁”を死なせないよう、破壊神を殺す為だそうですね」

 それはマサアがロウの仲間である白銀の青年――シアに対して放った言葉であった。カレアナンから撤退した後、シアはロウと、もう一人の仲間であるハイネに話したのだ。

 ハイネは「無理だ」と鼻で笑い、シアもそれに深く頷いて同意したそのすぐ傍で、ロウだけは別のことを考えていた。

「――僕は、あなたたちがどうなろうといいんです。破壊神を上手く封じようが、破壊神を殺そうが」

 どちらでもいい、とその声は言う。

「あなたたちを特別“鳥籠”に戻そうという気は、正直に言えば僕にはあまりありません。たしかにあなたたちは歴代の人たちに比べればかなり強力な“力”を持っています。でも……」

 靄が完全に晴れたことによって森は穏やかな表情を見せていたが、三人の間にはそれに似つかわしくない緊張状態が続いていた。いつミカノが飛び掛かってもおかしくないな、と頭の片隅で彼女への警戒を怠ることなく、ケイヤはロウの話に耳を澄ませていた。

「“鳥籠”は世界中に用意されている。あなたたちが破壊神を殺すのに失敗したのなら、他の“花嫁”と“騎士”に頑張ってもらえばいい。ただそれだけの話です。一から封印を施すのは骨が折れるでしょうが、それでも殺すよりは遥かに簡単でしょうから」

 話しながら、ロウの体が徐々に宙へと浮いてゆく。ケイヤとミカノを――人間を心底から見下す笑みを浮かべながら。

「僕はただ、寿命を全うして死にたいだけですから」
「……?」

 微笑みを浮かべるロウの言葉に、ケイヤは眉を潜めた。

 ハイネはミカノとキーナが女神の依代に最適だと言い、それはつまり、より長い間、破壊神を封じ込めていられるということでもあった。女神と依代との相性が良いほど、そして依代の性能が良いほど、封印はより強固になるのだから。

 けれどもロウは「自分の寿命が尽きるまで」と言ったのだ。

 ホビットであるロウの寿命は人の三倍以上、彼がいま幾つなのかは分からないが、三百年程度は生きることになる。



――百年経たずに封印が解けたときもあったはずだ



 “教育者”に教えられた記憶を掘り起こしながら、ケイヤはロウの言葉の真意を探ろうとする。もしも六人が破壊神の消滅に失敗したときは、六人も死ぬだろう。その場合、ロウは自身で言った通りに他の“花嫁”や“騎士”を使って新しく封印を施すのだ。



――しかしそれは、キーナたちを使った封印よりもずっと弱いはずだ……



 それは以前ハイネがミカノとタヤクに言った言葉で分かっている。曰く、他の“花嫁”など足元にも寄せ付けない力だと。

 それほどのことを言うのだから、キーナとミカノを利用した場合の封印は、よほど長い間持つと見込まれている、とケイヤは判断する。それこそ、ホビットであるロウの寿命……三百年以上は固い。これまで繰り返されてきた歴代の封印の中で一番長く持ったものは五百年ほどだといい、それ以上の封印を施せるかもしれないのだ。

 逆を言えば、キーナたちを利用しない封印は、三百年の時を生きるロウの寿命までは保証出来ないかもしれないのだ。

「……」

 ふとケイヤは一つの答えに思い至ったが、自分たちを見下すロウの視線とその答えがあまりにかけ離れていた為に、納得出来ないでいた。

伽世
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