◆ 独りきりの逃亡
「昔はね、おじいちゃんとおばあちゃんが町で治癒院を開いてたの。そのお金があったから、おとうさんたちはお仕事辞めちゃった」
ぽつぽつと、ミナミは事の次第を語っていく。一つ一つ、体に残る痕をなぞりながら、その時を思い出すかのように。
「でもね、おじいちゃんたちは王様に呼ばれて、遠い国の人たちを助けに行かなくちゃいけなくなったんだって。だから治癒院も閉めてこの国を出ていったの」
「……」
少女の身の上話にタヤクは興味なかったが、マサアとケイヤがあまりに真剣に聞いているものだから、黙って先を促した。二人は、下で眠るキーナとこの少女を重ねているのではないか、とタヤクは考える。
マサアとケイヤとキーナ。
三人は同じ孤児院で過ごしていた幼馴染だった。
他にも子供はいたのだが、三人は自分たち以外を拒み、孤児院の中でも浮いた存在だったらしい。
そうしていたある日に、“鳥籠”の使いが孤児院に来たというのだが……
「――そのあと、お金が無くなっちゃって」
ミナミの声に、タヤクははっと我に返った。
何の話をしていたのか思いだし、頭を振って彼女の紡ぐ声に耳を傾ける。先ほどからどうにも集中力が鈍っている自分に、内心で叱咤した。
――適当なところで話を切らなきゃな
ミナミの不幸話はどうでもいいのだ。彼女の話によって、ケイヤとマサアが嫌な記憶を思い出すほうが、彼には我慢できなかった。
そんなタヤクの内心など露とも知らず、ミナミは語る口を休めることなく続けていく。
「だからわたしを売ってお金にしたかったみたいだけど、ずっと逃げ回ってたから」
それゆえに暴力に訴えられたのだろうとケイヤ達は察する。
「そのじーちゃんたちの治癒院を、ミナミの両親が継ぐことはしなかったのか?」
「うん。おとうさんたちは魔法が使えないから」
ぽつりと小声で答えるミナミに、三人は「あぁ」といった曖昧な言葉しか声に出せなかった。
魔法の元となる“魔力”は、人の体の奥底に眠っていると言われている。けれど、自身の体に魔力が眠っていることを知っている人間はほとんどいない。自分の体に魔力が宿っているかどうか、確認する術を知らないからである。
いまこの世界で魔法を使っている者は、魔導士協会によって自分の内に魔力があると分かった者が大半を占めていた。一定以上の術の使い手は他人の魔力を感じとることが出来、魔力の高い者を探し出しては協会にスカウトしているのだ。
こういった知識は“鳥籠”に入っている時に“教育”されてきたことの一部だった。
そのことを話してやれば、ミナミも大きな目をぱちぱちと瞬かせながら、
「そういえばおじいちゃん達も、元々は魔導士協会にいたって話してくれたことがあるわ」
と、答えた。
ミナミの両親にも魔力は宿っていたのだろうが、協会に感知されるほどの強さがないために、魔法の使い方を知らないのだろうとケイヤは考える。祖父母も特に魔法を覚えさせようとはしなかったようだ。あるいは、魔法を使いこなせないと踏んだのか。
「お前の両親は分かったが、お前自身は魔法を使えないのか?」
「使えないよー。おとうさんもおかあさんも使えないのに、わたしが使えるわけないわ」
首と両手を一緒に振って否定するミナミに、マサアも小首を傾げつつ問う。
「でも、ミナミのじーちゃんたちは使えてたんだろ?」
その言葉に少女は困ったように笑った。
「うんと、一回ね、おとうさんたちがおじいちゃんに頼み込んで、協会の人に私を見て貰ったことがあるの。魔法が使えるかどうか、って。そしたら、全然ダメだって」
「ダメって……どういうことだ?」
「使えないわけじゃないんだろうけど、せいぜい“光ライティングよ”程度だろうって言われたの」
ライティングとは光属性の最下位魔法である。空中に光の玉を生み出すだけの単純な魔法であり、迷宮攻略などの際、ランプ代わりに用いられることが多い。
この術程度ならば魔力はほとんど必要とせず、協会で配布される魔導書に目を通せば誰でも使えるようになる、とさえ言われていた。
魔導書は協会外への持出が厳禁の為、まず一般人の目に触れることはないが、危険もなく応用も効くために、協会に入ったばかりの者が覚えるのにはうってつけだとされている。
「じゃあ、学校とかは?」
「行ってないよ。わたしはずっと治癒院にいたの。お手伝いしながら仕事の合間に文字の読み書きを教えて貰ったり、患者さんにたくさん話を聞いたりしてたわ」
昔を懐かしむように、アメジストのような大きい目を細めてミナミは言う。
彼女の両親は魔法の才覚のない娘よりも、いまを遊ぶための金の方が大事だったようだ。治癒院に詰めっぱなしの祖父母もミナミの両親と話す暇もなく、せいぜい孫娘を傍に置いて可愛がるしかできなかった。
学校に関しては、元々裕福な家庭の子供しか行けない場所であり、農家の子供などは家の手伝いをしていることが大概である。
その点、ミナミの家は祖父母の収入によって、世間一般よりもかなり裕福な暮らしだったはずなのだが、彼女の両親がそれを食い潰してしまったのだ。
「裕福って言ってもね、おじいちゃんもおばあちゃんも優しいから、ほかの治癒院よりすごく安いお金で診てあげてたの。そのことでおとうさんたちが怒ってたのはよく覚えてる」
悲しそうに顔を俯かせたミナミの頭部を見つめながら、タヤクは「ダメ親」と心の中でため息を吐いた。
祖父母はきっと、孫娘のミナミの為に一所懸命働いていたのだろうと思う。
「おじいちゃんたちがいなくなって、お家のお金は全部おとうさんたちが使っちゃって。お金がなくなると、わたしに当たるようになって」
言いながら、全身に生々しく残る傷や痣を指先でなぞる。なかには火傷だろうか、爛れているものまであった。
「こういう傷とか。苛々するとすぐ蹴ってきたりしたし……」
消え入るような声で語るミナミだったが、次の言葉にマサアは耳を疑った。
「でもね、すぐにおとうさんたちは優しくなった」
「え?」
「残ったお金でわたしにたくさん食べさせてくれて、新しい洋服も用意してくれて……」
大きなアメジスト色の瞳が、伏せられる。
「それから何日かして、わたしを買いに来た人がいた」
「!」
マサアの表情が引きつる。眉間に皺を寄せ、目を僅かに見開き、口元はぎゅっと結ばれて。宙に浮いた手は少女の頭を撫でようとしたが、結局そのまま止まってしまった。
そんな彼に気がつくこともなく、顔を伏せたままミナミは続ける。
「それまでにもね、何度かあったの。知らない人が家に来たり、外で攫われそうになったり。そのたびに町の中を逃げ回っていたわ」
「……」
「ここに逃げてきた日は夜だった。寝てたら廊下の床が軋んだ音がして、飛び起きた」
淡々とした声は平静を装っていたが、未発達の細い肩が震えているのを、タヤクの目は見逃さなかった。
「……」
「このまま家にいたらだめだ、って。どうしたらいいか分からないけど、逃げなきゃ、って。気が付いたら窓から飛び出してた」
二階だったんだけどね、と笑う彼女の手足には、たしかに擦り傷のような跡も見られた。屋根伝いに木に飛び移り、そこから無我夢中で走っていたらしい。
住んでいた町の方向も分からなくなるくらい、走ることを止めなかった。
「暗かったし、道も分からないし」
「よく野盗とか魔物に出くわさなかったな」
「一度も襲われなかったし、見かけなかったわ」
タヤクの問い掛けにあっさりとした答えが返ってくる。何でもないことのように少女は答えたが、その言葉に三人は顔を見合わせた。