◆ 反撃

◆ ◆ ◆

暗い暗い 何かの底
冷たくて 静かで

目を瞑ってるのかな
閉じてるのかな

黒すぎて 紅くなって 黒い場所

……さっきから泣いてる人がいる

なんでだろう
苦しい


『フィル フィル』
『ごめんなさい』
『愛していた ただそれだけでよかった』
『それだけだったはずなのに』


しくしく しくしく

真珠みたいに きれいな
でも 濁った涙をぼろぼろ零す


『あぁ どうか彼を憎まないで』
『どうか恨まないで』
『わたくしがその罪を背負うから』
『どうか彼を憎まないで』
『殺さないで』


そうか
この人はまだ『フィルさん』が好きなんだ

ぎゅうぎゅう 胸が締め付けられる

どうしてだろう
この人が嫌い

庇うことが『フィルさん』を愛していることになると思ってる



わたしだって『   』が好きだから分かる


――『   』?


『   』って 誰だっけ
思い出せない……――


『豪奢な金色の髪』
――柔らかな陽色の髪


『湖面のような深い藍色の瞳』
――優しげに笑ってくれる金色の瞳


声が出ない
呼びたいのに


『   っ』


呼んでほしい わたしを
大きい手で 頭を撫でて


『  アっ』


お願い
お願い お願い

大好きなの
こんな


――女神になんて乗っ取られたくない!!



『 マサアっ!! 」



◆ ◆ ◆


 不意に眼が覚めた。

「……っい?!」

 ぱちぱちと何度か目を瞬かせたミナミは、両手足に感じた痛みに声を上げた。きょろきょろと視線を動かせば、自分の四肢を引き裂かんとばかりに引っ張り続ける白布に気が付く。
 ぎりぎりと肉に食い込むほどの強さのそれがなんなのか、気を失っていたミナミには分からなかった。

「ふ……うっ……っ!」

 痛みに涙を滲ませて身を捩ろうとして、ふと気が付く。
 ミカノにキーナ、ケイヤやタヤクだけではなく、ハイネまでもが自分を見つめていることに。

 誰の目も一度も瞬くことなく、むしろこれ以上ないくらい見開いて、ただじっと一点を見つめ続けている。
 注がれる視線を痛みに喘ぎながら訝しげに見つめ返し、そして“正しく気が付いた”。自分の視線が誰とも交わっていないことに。

 何故なら誰も、ミナミを見ていたのではないのだから。


――わたしじゃ、なくて……


 その視線は宙に浮かぶミナミよりももっと低く、両手足を引き千切る痛みに抗いながら首を動かし顔を伏せ……見た。

 紅く紅く、鮮やかな赫を。


「ミナミ……」


 胸から。
 足から、手から、腰から、腕から。


「よかった」


 たくさんのナイフが彼の体を貫いていた。
 光る刃はどれも血で赤く濡れ、鼻を突く鉄錆の匂いが風に乗って届いた。

「ひっ……」

 喉を突いて出たのはそんな音だった。ただ吸い込んだ息が鳴っただけなのかもしれない。そんなどうでもいいことを考えるミナミに、マサアの血に塗れた腕が差し出される。

 皮が裂け、肉が見え、骨が折れ、爪が砕け……そんなぼろぼろになった彼の腕が――


「一緒にいこうな、ミナ」


――ミナミに届くことはなかった。


 掠れたその声は風に消え、飛ばされ、マサアの体は砂の海へと沈んでいった。柔らかな砂は彼の傷ついた体を優しく受け止め、そしてダラダラと流れ続ける血をどんどん吸い込んでいってしまう。

「マ……」

 倒れた彼の名を呼びかけて、ミナミの声は途絶えた。

 見開いたアメジストの様な瞳いっぱいにマサアの姿が映り、溢れた涙であっという間に滲んでは霞んでいく。口は間抜けに開いたまま、唇だけが震え、音が出ない。

「マサアっ!」
「マサアっ!!」

 誰かが彼の名を呼び、その声を追うように一斉に倒れたマサアの元へと駆け出し。


「いやあぁぁぁぁぁっ!!」


 ミナミの絶叫が、それを遮った。

「っ?!」

 真っ先に地を蹴ったタヤクは思わずその場に足を止め、他の面々も彼と同じようにぴたりと立ち止まる。その目の前で、倒れたマサアを護るようにミナミの魔力が渦巻いて天へと立ち上る。
 さながらそれは荒れ狂う竜巻のようで、瀕死のマサアの姿もその内側へ取り込まれていた。

 どんどんと勢いを増す風は、周囲で見守っていたミカノ達にも襲い掛かる。
 白い刃のように目に見える風が彼女らの服や皮膚を裂き、慌てて後退するも砂に足を取られて上手く動けない。

「うっ……」
「ちょ、ミナミってこんなに魔力あったのか?!」

 呻いてよろめくキーナを抱え、ケイヤが大きく後ろに下がる。その場所には他の面々も集まっており、思わず叫んだタヤクの問いに彼は淡々と答えた。

「違うだろう、腕輪が解放されたままなんだ」
「あ」

 その言葉に全員がミナミの腕に注目する。
 嵌められた腕輪は彼女の絶叫に呼応するように強く光り輝いていた。その光に煽られるように、風は今なお勢いを増している。
 女神の魔力と巻き上げられた砂の壁に、誰も立ち入ることが出来なかった。

 しかし。

「早く止めないと……」
「マサアが死んじまうっ!!」

 誰の目にもそれは明らかだった。

 もともと“ミナミ”の風によって切り裂かれた体を、リイセが投げた数十に及ぶナイフが貫いたのだ。流れ出ている血の量もおびただしい。
 ときおり砂嵐の合間から垣間見える程度ではつぶさなことまで観察出来ないが、彼が確実に死への橋を渡り始めていることは誰もが理解していた。

「……ミナミも、よ」

 口元に手を当てて言うキーナの言葉は、彼女を抱えていたケイヤの鼓膜を打った。そっと砂漠に下ろされながら、キーナはミナミのこともマサア同様に懸念していた。

「ミナミの身体も、あんなに強力な魔力を受け入れられる器ではないのよ。いまだって、制御できない……いえ、体に入りきらない魔力が暴走しているにすぎないわ」
「最終的にどーなりそうなの?」
「……爆発的な力を外に吐き出しながら、自分自身が収縮して魔力に飲み込まれて消えてしまうわ」

 キーナの説明に、タヤクは唾を飲み込む。ハイネの額から汗が一筋頬を伝い、ミカノの目はすっと細められる。
 誰もが神妙な顔つきでミナミを見つめた。

「幸い、ミナミの意識は戻っているから、なんとか誘導してあの力を腕輪に戻さないと……」
「誘導?」
「言葉と、力で」

 力、というのは女神の魔力に対抗する……もしくは魔力を再び腕輪へ導くためのものだろうとケイヤは理解する。それはキーナがやれば問題はない。

 問題なのは“言葉”のほうだ。

 これだけ傍に集まっているケイヤ達でも、かなりの大声でなければ聞こえないほど、風の音は凄まじく煩かった。
 ケイヤの内心に同調するように、ハイネはミナミから視線を外さずに言葉通りに怒鳴る。

「あの嬢ちゃんの風、かなりすげぇぞ?! あんな風ががんがん吹きまくってる状態で、嬢ちゃんの耳に言葉なんて届かないだろ?!」

 それはキーナも勿論分かっていたことであった。どうにかしてあの凶悪な風の壁を越えなければ、ミナミに届く言葉などありはしない。

 それぞれが腕を組み、首を傾げるさなか、いち早く動いたのはミカノだった。
 緑の瞳を爛々と輝かせ、びっ! と勢いよく親指を立てながらキーナたちに笑いかける。

「それはあたしにまっかせて!」
「は? ミカノ、お前どうにか出来るのか?」
「出来るから言ってるんでしょうが馬鹿タヤク」
「おまっ」
「そこまでよ、ストップ」

 危うくいつものケンカに発展しそうになる二人を、キーナとケイヤで止める。あまりにもいつもと変わらない様子に、ハイネは「やれやれ」と首を振った。

「ミカノ、やれんのか」
「……あんたに名前呼ばれる筋合いはないんだけど、ハイネ」
「だから、もう……仕様のない人たちね」

 頬に手を当てふぅ、と息を吐き、

「ミカノちゃん、任せていいの?」

 不意に真剣みを帯びるキーナの、それでも少し震える声。
 そんな彼女を励ますように、ミカノは力強くにっこりと笑い返した。

「キーナちゃんは力の誘導をお願いねっ!」
「えぇ」

 そうしてミカノは一度だけ、キーナを軽く抱き寄せた。傷だらけの身体が痛まないように。

「大丈夫。ミナミもキーナちゃんも、タヤクやマサアやケイヤだって、死なせないから」
「――ミカノちゃん?」

 とんっ、と軽く押し離され、キーナは一瞬よろめく。それを後ろからケイヤが柔らかく支えた。

「キーナ、先に自分の治療をしろ」
「でも」
「怪我人を三人も運ぶほうが面倒だ」

 遠まわしな気遣いの言葉がケイヤらしくて、思わず苦笑する。タヤクも仕方ないな、という顔でそのやりとりを見ていた。

「分かったわ。ありがとう」
「……」

 もう何も言わないケイヤを一瞥して小さく呪文を唱えようとすると、ハイネが待ったをかけてきた。懐をごそごそと漁り、

「これを使え」

 そう言って渡されたのは小瓶に入った液体であった。青色とも藍色とも見えるそれはとろりと瓶の中で動き、ケイヤが訝しげに視線を向ける。

「……これは」

 一方で、手渡されたキーナはその小瓶のふたを躊躇することなく開ける。コルク栓を抜くとその液体は勢いよく飛び出し、キーナの身体を丸ごと包み込んだ。

「キーナちゃんっ?!」
「キーナ?!」

 無重力の空間に水を零すと、ふわふわと球形になって漂うというが、キーナが閉じ込められたのはそんな所だ。髪はゆらゆらと上へ漂い、目はぱちぱちと瞬いている。
 驚いたケイヤらが駆け寄る前に、それはパチンと弾けてキーナを解放した。液体はするすると空へ上って消えていく。

 残されたキーナはというと、傷は完全に癒え、裂けた服までもが修復されていた。

「な、なんだ、アレ? キーナ、なんともないか?」

 思わず彼女の肩や腕をぱしぱしと叩いて問うタヤクに、静かに頷き返す。

「ええ。初めて見たから驚いただけ」

 全く驚いてないような表情で言う。液体が弾けた反動で砂漠に座り込んだ彼女は、ハイネを見上げるようにして尋ねる。

「あれは、ウンディーネの鱗ね?」
「あぁ。ちょいとばかし“鳥籠”からくすねてきた。今から“女神さん”を封じるんだろう? 余計な魔力は使えねぇべ」

 してやったり、というようににやりと笑うハイネに苦笑するタヤクと、多少の苛立ちで目を逸らすケイヤ。

 ウンディーネとは水の精霊の名前である。数多いる水の精の中でも特に人に対する愛情が強い存在であり、水辺で子供が遊んでいるとどこからともなく現れて、水難から護るとも言われている。清い水の力を操り、治癒や守護に特化した精霊とされている。
 半人半魚の姿をした精霊の鱗には治癒の力が宿されているとして、求めるものも多い。しかし、ウンディーネから提供されない限り、決して剥ぐことが出来ないということからも、大変に貴重なアイテムであった。

 “鳥籠”からくすねてきた、とハイネは軽く言ったが、厳重に管理されていたであろうことは鱗の貴重さを分かっているキーナには容易に想像できた。

 そんなハイネの頭を勢い良く叩いたのはミカノであった。砂漠の空にその音はよく響き、思わず振り返った彼は視線を動かせなくなった。

「役に立つじゃん、ハイネっ! キーナちゃんの傷がきれいになった!」

 そう笑うミカノの顔を眩しそうに、そして嬉しそうに見つめ返す彼の耳は、見事なまでに真っ赤に染まっていた。

 そんなことも露知らず、ミカノは両の腕を組んでボキボキと鳴らす。ついで「んーっ!」と伸びをして、

「やろう、キーナちゃんっ!」

 そう微笑んだ。

伽世
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伽世

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