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「ショーハンペウアーズ病院へ急行しろだって?」
現代の乗り物は、本人がハンドルを握らずとも完全自動運転が可能となっている。一切の操作を全自動モードに切り替え高速道路を走行する車中、『ヘッドギア生産工場爆破事件』担当官である青年役人は思わぬ指示に訝しげな声を上げた。彼は今回の事件の重責から降格や解雇すら覚悟し恐々としていたものだが、幸運な事にそれ以上のお咎めは無い様子だった。しかし首の皮一枚繋がったと安堵していたのも束の間、一見脈絡の無い仕事が上層部から申し付けられた様だ。
彼は自身のヘッドギア中継通信画面に映る相手を仰々しく見据える。相手の肥満体型な男は絶えず菓子やジャンクフードの類をヘッドギア越しから頬張っているらしい。漏れ聞こえる舌鼓や嚥下音が直接的に鼓膜へ響き、不快さから思わず顔を顰めたくなる。通信画面上から察するに、相手の座する場所はカーマ警察内部の一角、『電脳犯罪課特別対策室』の一部屋だろう。自動走行される車中からも今日は心地良い日和と感じられ、相手の居場所である警察庁も左程遠距離と言う事は無い。天候や気温に大差は無い筈なのだが……。
それにも関わらず相手の部屋のブラインドは全面的に垂れ下げられ、陽射しを遮断している様子が画面越しからも見受けられる。蛍光灯一つ点けられず薄暗い室内は、手広な部屋ではあるものの無造作に放置された専門雑誌書籍類、ジャンクフードの食べ欠片、趣味性に富んだフィギュア等が山積し雑然とした様相を呈していた。明光を発する様な光源は、無数に点在する機械類のディスプレイ画面からのみ。触手の如く複雑に絡み合うケーブル、コード類はそれ等部屋の調度品や床迄を侵食し、足の踏み場も無い有様だ。
相手の専門家、通称『サニー』は、青年の焦燥に満ちた態度を嘗め回す様に見遣り、敢えて一拍置いて思わせ振りに説明を始める。青年は毒吐きたくなる衝動を、胸中で必死に抑制していた。
(何て陰気な部屋、何て陰険な男なんだ……。自分が電脳犯罪対策の専門家だからと、頭脳労働担当では無い職員はそれだけで見下し優越感に浸ってやがる……! しかも俺や関係者達が、事件の収拾を付けられず叱責されている事態も高見の見物で嘲笑っている。そして今もこうして、わざと話しを謎めかせ俺を翻弄させる事で悦に入ってるんだ、畜生め……!!)
長年換気や掃除が施されてないと見て取れる淀んだ空気のその部屋だが、青年に取ってはその主こそが一番の汚物にすら感じられた。相手の専門家が偏屈で社交性が欠落している男だとは、庁内でも既に浸透した常識だった。故にこうして通信連絡を受信した瞬間から一種予想はしていたが、彼の醜悪振りは目に余るものだった。
(元々の彼の出自はハッカー犯罪者だったと言うのだから、仕方ないのか……?)
―そう、犯罪発生率が僅少なこの社会でも、更に稀有な電脳犯罪者として摘発された過去が彼には有る。様々なネットワークを経由させた政府機構への無断侵入、機密情報の取得と、彼の犯行は重篤を極めていた。しかし一旦検挙されたものの、そのハッカーとしての卓抜した有能性を買われ、警察業務へ協力する事を交換条件として秘密裏に免罪されたと言う。透明性在る治世を徹底している政府からすると、極めて異例な措置だった。
そして現在では鳴りを潜め表面上は警察内部で従事しているが、彼が改心し心根迄入れ替わったとは到底思えない。優秀な能力者である一点以外は、いつ飼い主の手を噛み、後ろ足で砂を掛けて来るかも判らない人材だ。飼い慣らせるか如何か、味方とも断言し切れない相手の尊大な態度に青年は益々怒気を発散し始めるが、相手は一向に意に介さず朗々と説明を紡ぐ。
「まず、学の無い君達みたいなのにも解かる様に、『ヘッドギア生産工場爆破事件』の犯行手口を説明しなくてはねえー。まあ面倒だし時間が無いから手短に……。一回しか言わないからちゃんと聴いててよ? この画面を観て……」
ディスプレイ画面には、複数の現場映像が同時に拡大して映写される。青年に取っては目を皿にして何度となく見返した映像資料だ。どれだけ巻き戻し再生した所で、何ら変哲も無い当時の仕事風景しか確認出来なかった。何の手掛かりも発見されなかった資料価値の低い物を、今更提示して来てどうするつもりなのか?
サニーはこちらの疑心暗鬼な面持ちこそ待ち望んでいたかの様に、嬉々として語り始めた。
「―全ては映像の上書きだったんだ―。
説明せずとも、全人民に支給されているヘッドギア端末には、装着者本人の主観視点の光景がリアルタイムに記録、保存されて行く機能性が備わっている。その映像記録は事件の際、証拠として転化も可能となる訳だ。このヘッドギアの映像機能こそが、犯罪発生への絶対的抑止力として働いているってのは子供でも理解出来る事だけど……。犯人は、その不文律の盲点を突き逆利用したんだ。不文律だからこそ誰も疑心を抱かない、誰も手を出さないと言う普遍的心理を突いてね。
犯人はまず一部のサーバーへ無断侵入し、現場の作業員や警備員達の主観視点映像を取得した。工場は、生産効率性を重視する為に殆ど全てが機械で稼動し、自動的に運営されている。作業員や警備員なんてのは、有事以外は建前として用いられる書き割りみたいな存在なんだよ。只事務的に、定型となった退屈な業務を日夜こなすだけなんだ。例えば昨夜の食事を思い出せ、と言われても案外記憶に残ってないのと同様で、彼等も毎日の決まり切った反復作業なんてのを逐一憶えてはいない。作業員は細々とした雑務を黙々とこなす、警備員は施設内を定時に定例の進路で淡々と巡回する……。そんな平凡な毎日だとすると、本人達ですら、昨日と今日の映像を観せられてもその区別を付け難いかも知れない……。
―そう、これが普遍的心理の盲点だったんだ。誰もが暇を飽かし、問題が発生するなんて露程にも想像してはいない。『デジタルマスカレード通り魔事件』は世間に取って衝撃的だったが、その影響から他の事件が連鎖している事もまだ通達されていなかったらしい。誰も、遂には工場迄が標的にされるとは夢にも思ってなかったんだろうな。―犯人は犯行当日の、施設内へ侵入する瞬間や工作処理し逃走する極く短時間の間、ダミー映像を労働者達のヘッドギア内部の視界に被せたんだ。彼等のここ最近の仕事風景の主観映像。それを編集した物を当日、彼等のヘッドギア内部で映写し、現実の視界を上書きする様にね。映像は使い易い普遍的な場面を継ぎ接ぎし、過去の会話部分や物音の様な音声は削除して、<今日>と言う日の状況を上手く演出したんだろう。
工場は自動的に運営され、基本的に無人に近い時間帯が一日の大半を占める。犯人は当然その時間帯を狙い、なるべく短時間で工作処理を完了させた事だろう。労働者達は合成された擬似映像を見せ付けられているとは頭にも無いし、錯視は極く短時間の話しに過ぎない。日々変化の乏しい作業風景な為に、油断し切っている少人数の労働者達から違和感を訴える者は皆無だった。視覚を奪われ一種偽物の映像を上塗りする様に見せ付けられているが、本人達はそれが現在の、現実の自分の視界だと信じて疑わない。
労働者達は今日と言う日に存在しながら、過去の映像をなぞる様にして行動し日常生活を送った。―現在に生きながら、過去の場へ住まわされたんだ。……そして問題無く一日の業務は終了した、事になった。果たして犯人は政府関連の施設でもある生産工場へ堂々と入門し、妨害工作を図った後には、また悠々と正面から立ち去って行った……。
監視カメラも同様の手口だ。24時間体制で稼動する監視カメラだが、実際に監視者が気付かなければ殆どその意味は無い。映像記録は外部端末装置に日々蓄積されて行く訳だが、彼等はご丁寧にも、サーバーごともう一体のコピーを製造した様なんだよ。そこから無人の内部風景や労働者達の所作に合わせた編集映像を用意して置き、犯行当日に遠隔地コピーサーバーを本体サーバーと挿げ替えデータベースに繋げる。そして矢張り、<今日>と言うリアルタイムの物に見せ掛けて編集映像を同時的に流す……。この両面からの工作で、人間の記憶にもデジタルの記録にも犯罪映像は残らない。
こうして、丸で透明人間が現場に侵入したか、一部の時間や場所だけ別次元に切り取られたのか、と錯覚させられる様な手品は成功した訳だ。巧妙な手口だったよ。データベース上では、個人情報の足跡なんかは一切発見出来なかった。映像を途中で差し替える行為の瞬間も絶妙で、微細にでも間断や継ぎ接ぎは垣間見えない。丸で旧来の、映画フィルムを繋ぎ合わせる熟練した職人の様に……。工場内の大半の時間帯が無人で占められると言う特徴は、実際の犯行へ及び易く、尚且つ編集映像が疑惑を持たれない事にも一役買っていたのだろう。無人の風景が多ければ、変化も無く只機械が反復作業をしているのみだしね。
しかし、僕は不審に思った。機械の誤作動や不調から火事が発生した訳ではない。確実に、人為的に爆弾を設置された形跡があると鑑識から報告されたんだ。爆破跡には、工場の製品開発とは無関係な燃料成分や乾電池の破片等が発見されたからね。そこで矢張り、人為的な、故意に因る時限爆破の疑いが濃厚になった。透明人間や幽霊等存在しないし、超常現象世界の住人ならば犯行理由を持たない。結局、どう考えても犯行動機を抱く者はエス本人やその共感者達しか有り得ないんだからね。必ず何かの種は有る筈だ……、と見据え直した。そしてロイトフ長官からの依頼もあり別角度から調査した所、案の定様々な齟齬が生じた。映像は上手く編集されてはいるが、解析後の蓋然性の低い結果から、矢張り改竄映像だと確信出来たんだ……。
―うちの研究開発室では、『人物追跡システム』と言う技術が開発されていてね……。
そのシステムは簡単に説明すれば、一場面の映像からでも複数人それぞれの移動情報を自動抽出する事が可能な技術なんだ。まず追跡対象とする人物だけでなく、背景迄も含めた画像全体の領域を抽出する。そしてこの領域の形状や位置の時間的な変化を解析する事に由って、自動的に人物追跡が開始される。従来の様な人物の数理的モデルが不要な上、遮蔽物のせいで人物の形状が変化して見えた場合でも、問題なく追跡出来る……。本来の開発目的は、大型店舗なんかの大勢の人間でごった返す場所で、通行の流れを自動的に検知し集計する機構の構築にあったんだ。今回は、空間利用の安全性と効率を向上させる為のこのソフトが、思わぬ所で役に立ったって訳だね」
そうして自分の弁舌に酩酊した調子で、サニーはディスプレイ画面の結果を再拡大し表示して来る。無機質なインターフェイス画面には、複雑多岐に渡る項目と数理結果が表示されていた。専門的なグラフ結果が膨大な情報量で全体像を占める中、片隅には当時の現場映像と過去の内部映像の一群が列をなして再生されている。
その分割された画面群では、一見どれも同様の内容が映写され続けている様に見受けられた。しかし専門家たる彼の説明通り、個々の映像に由って時間の経過や人間の動きには微妙な不一致が出始めている様子だった。何よりその項目の下には、赤字で煌々と輝く文字列が厳然たる異状を主張しているのだ。
―それは基になる映像素材と各自の素材を照合させた場合の、不適合を示す誤差数値表示だった……。
(確かに一つ一つの映像は日常的な作業風景として酷似してはいるが、全く同じ映像を並べて流している訳ではない……。こんな風に仕組まれていたのか……!!)。
「ねっ? 各種監視カメラの場所、時間帯を総合的に分析すると、今日と言う一日なのに形状や領域変化が微妙にずれたりしてるでしょ? 人間が進行すると思われる自然な軌跡を動線と称するんだけど、この映像の場合、位置検出システムからすると滞留比率や位置行動把握に不可解な解析結果が算出される。動線距離や指定した移動体の経路、到達時刻表示を視覚化すると更に解かり易い。警備員の時間滞在や歩行経路を確認すると、始点から終点の追尾に齟齬が生じる箇所も有る……。画像は処理し切れず、従来の数理モデルを導入して見ても明らかに可笑しい物理演算結果が出てるんだ。
どれだけ上手く継ぎ接ぎしたりしても、空間運用の結果迄は誤魔化せないと言う事さ。犯人が、うちのソフトはほんの些細な身動ぎでも検出出来る程に高精度だって事を証明してくれた様な物だがね。
……<今日>は今日で別の日、新しい一日だから、どんなに作業的で反復に満ちた毎日でも昨日と全く同じ一日にはならない。まあ、全く同一な昨日の映像を流せば逆に感付かれ易い可能性も考えられるからこそ、犯人は<新しい今日>を演出する為にこうした編集が必要だった訳なんだろう。犯人がうちに有る様な予測技術迄も応用して映像を加工していたとしたら、真相の究明は更に遅れたかも知れないけどね……」
青年は固唾を呑んでサニーの説明に聴き入っていたが、不意に我へと返った。
(究明は更に遅れたかも、だと……? 少し違うな。確かにこれ等の新技術は電脳犯罪課特別対策室の技術班が開発したんだろうし、今回の調査に貢献したかも知れない。しかし、まず犯行現場から犯人達の工作手法を推理し、大部分を的中させ、調査を迅速且つ適切に指示したのは誰だと思ってる? ロイトフ長官の洞察があればこそだったろうが……。あくまでも下請けに過ぎない元電脳犯罪者が、全てを自分の手柄の様に思い上がりやがって……)
青年は、口幅ったい彼の器の底を見透かした心持ちになり、急速に相手への怒気や嫌悪感が冷めて行く事を実感した。彼は一線を引き、理性的に質問を乞う。
「ここ迄の理屈は良く解かったよ……。犯人は一時的に施設内の人間と監視カメラの視覚を奪い、仮想現実を視せている隙を狙って犯行を完遂したと。人間の目からすると一見では自然な映像も、解析して見れば理論に合ってないと言う事だろう?
しかし、人物追跡システムと言ってもGPSでは無いんだ。あくまでも一部の空間に限定した移動情報予測技術の筈じゃないか? 何も地球の裏側に迄飛び立った相手の動向や、相手の今後の人生迄延々と予想出来る物ではないだろう?
犯人の所在は特定出来たのか、何故今、例の病院に直行するべきなのか? 勿体付けないで説明してくれないか?」
サニーは一瞬意外そうな反応を浮かべるも、余裕綽々と軽口を叩き続ける。
「おや、思ったより理解は早いね。そう、これだけでは犯人の正体や所在の特定迄は不可能だ。実は、ここからは並行していた別作業の成果なんだ。
―ネット上の犯罪予告検知ソフトウェアのね。
このソフトは事件予防の為に、ネット上の不穏当な言語や議論を分析し情報を認知出来る。これは直接的な単語で無くとも、高精度の検索エンジンと検索結果の自動分類、関連キーワードの可視化機能を統合した検索システムに由って有害情報の検出が可能なんだ。
エスはヘッドギアを捨てた為に、GPSやネット上の情報と言う枷から放たれた。だから本人への電子的な追跡は難しいが……、実は氾濫しているエス関連の文書群から、彼へ協力したい意志を示唆する様な書き込みが発見されたんだ。情報規制され始めたと言っても今だエスに関する話題は溢れ返っているし、彼への賛同を表明する様な信者の書き込みは後を絶たない。
―そして、その中でもどこか異質で、その他大勢と違い真摯さが伝わる様な毅然とした調子で『俺はエスを助けに行く』と言う一文を書き残して行った者が居る。
解析して行った結果、そいつは過去の僕の様に珍しいハッカーなのではないか、と推測されて来たんだ。一連のテロ染みた事件を含め、その男が実際にエスへ接触を図り既に協力している可能性は高い。
機動隊がエスを一旦捕獲寸前迄追い詰めた一件は知ってるよね?しかしその寸前の所で、丁度出現した何者かが妨害工作を謀り逃走の幇助をしたと言う。エスの逃走経路は地下下水処理場だった。偶然第三者が遭遇する様な場所じゃあないよね。そして男は、下水処理場の機械扉を開いたり、機動隊の特殊装備を逆手に取る様な武器を駆使して来たと言う……。
これは、どう考えても事前の下調べが無ければ起こせない行動だろう。それも、そいつは警察や行政機関の機密情報迄も取得したと見える。その気になれば僕に取っては簡単な作業だけど、まあ僕から見てもそいつは中々のタマじゃないかな。
―そして男の個人情報、過去の主観映像記録等は警察権限で照合する事が出来たが、それがどうにも怪しいんだ。
特に最近の事件前後の生活は、矢張り擬似映像で上書きされていると思う。自分の過去の生活映像は勿論、親しい人間の視覚や有り触れた既存の映像を素材として、様々な合成と編集を加えているのではないかと僕達は推測している。
……しかしその男はヘッドギアを脱ぎ捨てる度胸迄は無いのか、GPS情報だけは取得出来たんだよ。
情報からすると、彼の現在地は病院……。相手の目的は現地へ到着してみないと当然解からないが……。何かで病気や怪我を負ったか、病院で潜伏し何か事を起こそうとしているか。エス本人ではないが確実に重要人物と目される男なので、君に直行して欲しい、と言う事なんだ。既に近隣の警察隊もパトカーで出向している。出来ればここで手柄を立てて、名誉挽回すると良い。相手は一筋縄で行く相手ではないから、君ではどこ迄やれるか分からんがな」
相手は逐一棘のある一言を付け加えないと気が済まない様な、口さがない性分らしい。しかし青年の胸中はそんな非礼な揶揄も取るに足らない雑音として聞き流す様な、丸で別次元を向いた毅然さに溢れ始めていた。
それは或る一つの確信……。延々と弁舌を拝聴する内に、奴の内奥を見透かしたからだった。
青年はあくまでも理性的に、訥々と反駁し始めた。
「……ご説明、ご忠告と御膳立て、感謝痛み入るね。しかしね……。今の話しの中で一つ訂正させておきたい事がある。エスやその助力者が、あんたと同類だと?
冗談じゃないぜ。確かに能力からすればあんたは奴等の犯行と同等か、それ以上の芸当も可能かも知れん。あんたの知力や技能は大いに認めよう。
しかし、あんたとエス達じゃ丸で人種が違うんだよ。エスは自己を獲得し存在証明を果たしたいが為に、素顔を曝け出して迄世界へと対峙した。たった独りでね……。それは一見すれば無謀で青臭い、自己陶酔にも陥り得る蛮勇だったかも知れない……。しかしその犯行に打算は無く、真摯で純真で、自己の人生に誠実な姿勢が根底に在るからこそ共感者達迄が出現し始めた……。今、危険を背負い街中を戦場に変え奮闘している彼等と、庇護された密室で安穏と生活するあんたと、一体どこが同じだと言うんだ? 同じ様な犯罪でも、あんたはあくまで電脳世界の中でしか遊泳する事が無かっただろう。
奴等は違う。現実世界の中で現実を感じようと、痛みを感じようと、感じさせようと叫び、本当の意味で生きようとしている。所があんたはどうだ? いつも机上で知謀を廻らすだけだ。そしていつしか、嘲笑っていた筈の支配者の下でぬくぬくと暮らしている。皆はいつあんたが反旗を翻すか分からない、と爆弾を扱う様に慎重に怖れているが、俺は確信したぜ。
あんたにはもう事を起こす意志や度胸は無い。檻の中で飼われる事に居心地の良さを見出したのさ。どうだ、図星だろう? 俺からみればあんたは観念の飼い犬に過ぎない。動物園の中の動物が、檻の中から外の人間へ向かい威嚇する事を、芸として仕込まれている様なものさ。牙を剥いて相手を威す様に見せ掛けているが、本心には無い闘争心。全て約束された決め事の芝居……。あんたが仄めかしている背信の実体なんてそんなものさ。吼え声だけは威勢が良いいが、実際は虚勢に過ぎず、噛み付く牙なんて既に折られ持ち合わせて等いやしない。
狡知に長けた手練手管よりも、稚拙な行動を持って示した者の方が余程説得力が有る。百の言葉よりも、一の行為こそが雄弁なんだ……! エスは、あんたの様に相互で暗黙の了解がされた予定調和の反抗を続け、示威を見せているのとは丸で違うぜ。奴等は後ろ盾も無く全ての代償を背負い、素顔を晒して戦おうとしているんだからな」
画面の向こう側で対峙するサニーは、青年から繰り出される突然の舌鋒に絶句した。進退窮まり追い込まれている筈だった青年の急激な変貌振りに驚愕し、そしてその論旨が彼に取っては正鵠を射る苦言でもあった為に返す言葉も失ってしまう。
―そう、それは内心ではどこかで自覚しつつも、真実から目を逸らす自己欺瞞的な姿勢。
彼自身も潜在的には既に気が萎え、権力の軍門に下っていた。しかし自尊心からその敗北感を隠蔽する為に、既に折られた牙を周囲へちらつかせる素振りを見せ続ける。そんな姿勢を一貫すれば敵に与せず逆利用しているだけ、いつかは叉離反し反撃するかも知れない、と言う面目が立つ。全ての態度は、自己弁護する為の虚勢に過ぎなかったのだ……。
「解かったらその下らんゴミ箱みたいな口を閉じるんだな。エスは飼い犬でも批評家でもない、行為者なんだからな」
青年は最後にそう吐き捨てると、相手の反応も待たず不躾に通信を切断した。
(一体、俺の中でも何があったんだ……?)
彼自身が、自身の心境の変化に戸惑っていた。先刻迄は、エスの犯行に由って自分の立つ瀬が奪われ掛けたと言うのに……。何故か、他者にエスやその共感者達を中傷される事には不快感が募った。
(何故、俺は敵方を庇う様な発言をしたんだ……? 自分がやり込められそうだったから、反論の材料にしたいが為に敵を引き合いに出した、と言うのとは違う。純粋に自分の思いの丈をぶち撒けたくなった、心底からそうだ―)
青年は根底に在るその感情へ自制を掛けなければ、と動揺する。しかし必死に抑制しようとすればする程、込み上げて来る内奥からの声は止め処なく溢れ出るばかりだった。
(……俺は自分の立場を失調され、社会的にも悪と見做されるエスに対して、羨望や憧憬すら抱き始めている……)
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