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灰島新が産まれたその年、日本における未遂を含む殺人事件の認知件数は戦後初めて1000件を下回った。死体の発見されていない殺人と、死体が発見されても発覚しなかった殺人を無視すれば、ひとまず減少傾向であった。さらにオリンピックの日本開催を契機に、与党の国民民主党は「世界一の安全・世界一の歓迎」をスローガンとして掲げ、官房長官だった檜山恭史[ヒヤマヤスシ]を首相に擁立した。
第1次檜山内閣の発足から第3次檜山改造内閣の解体までの約5年間、彼は相対的善政をしいた。外交に注力し、歴史・領土問題の折衷案を決然とした姿勢で交渉し妥結した。また、品目を限定したメイドインジャパンの輸出拡大と、外国人観光客の呼び込みを図った。暫くぶりの淀みない言動は、国民の目に新鮮に映った。
彼はグレーゾーンを嫌った。内政においては特に極端であった。しかし結果として、積極的な情報開示と断捨離が透明度の高い政治を生んだ。全世帯に冊子を送付するなどし、安全保障関連や憲法改正の議論、そして殺人をはじめとする犯罪に対する厳罰化を、最小限の反発の中で進めていった。
後釜は那須川満[ナスカワミツル]官房長官であった。第2次那須川内閣が発足し、厳罰化法案が円熟を迎える頃には、年間の殺人・殺人未遂事件の認知件数が800件を切ったほか、厳罰化が適用されたその他の犯罪についても数値は軒並み減少という、過去に類を見ない変化が現れていた。
故意に人を殺せば、その人数、計画性の有無に関わらずほとんどの場合死刑が求刑される。殺人犯たちが社会復帰を許されることはまず無く、数年の拘置ののち、数百の死刑囚が各地の刑場で首を吊った。ひとつの刑場で、5日に1人は誰かが死んだ。本を読みながら、灰島新もまた、午前9時に訪れるあの世からの使節を何度となく見送らねばならなかった。まさに地獄絵図である。自身の命日は、執行の直前まで分からないのだ。
4日前の午前9時にも死刑囚がひとり、人影に囲まれて廊下の先に消えた。9日前の午前9時には、隣の独房の主がひとつの影と共に消えた。「お迎え」が 新のいる独房を通り過ぎるとき、ガラス越しの影の数は安定しなかった。複数のことが多かったが、なぜか時折ひとつになった。
今日はひとつだった。午前9時、汗と脂で重くなった作業机にしがみつき、口内炎を噛み潰した新の前に、喪服の男が立っていた。判を押した書類を持っている。国が人間を、それも無実の人間を殺すことに賛成した証拠だ。
これからあなたは殺されます、と男は言った。大臣の許可がどうとか、教誨師がどうとか、並んだ言葉は整然として美しかったが、要はそういうことだ。
「今後あなたの執行を監督する、査察執行官協会監督官、小路圭祐[ショウジケイスケ]です。どうぞよろしく」
ではどうして、おれはいま車に乗せられているんだろう。どうして塀の外の景色を眺めているんだろう。
「査察執行官協会は新しい死刑の提案を行っています。そのために、死刑囚の約4分の1にあたる29歳までの皆さんの執行をこうして引き受けることになっているのです」
夢なんだろうか。いや、夢にしては具体的すぎる。周囲の物も人も明確にあるし、言葉も男の口が開くまで聞こえてこない。じゃあこれは何だ。
「今日はおそらく移動で一杯なので、詳細は後日、執行のタイミングで伝えます。房への到着は夜です。では、どうぞよろしく」
助手席に座った男は事務的に言い終えた。後部座席の新は、先刻潰した口内炎を気にしながら無意味に手錠を鳴らした。舌先に、甘い血の味が触れた。
どうせ、死ぬことには変わりないらしい。そりゃそうだ。思いがけず拘置所からは出たが、裏口を開く前に金塗りの仏壇が光る部屋で儀式も済ませたのだ。あとはもう、死ぬだけなのだ。死に方が変わっただけなのだ……。
でもまだ、死んじゃいない。
視線の先を、スモークのかかったガラス越しに恋仲らしい男女が通り過ぎた。ふいに、新は今日が面会の日だったことを思い出していた。