血戦・巌流島(前編)

 時は慶長17年(1612年)。場所は豊前、小倉藩の舟島……俗に言う「巌流島」である。
 死闘が繰り広げられていた。波が打ち寄せるその砂浜に、潮風と共に躍る影が2つ。
 白刃を閃かせるのは、佐々木小次郎。愛用の長剣は「物干し竿」と渾名されている。その長身から放たれる斬撃・刺突は、繰り出される度に風を裂いて唸りを上げた。「燕返し」と呼ばれる疾風の如き太刀捌きは、視認不可。多くの剣者たちを屠ってきた。彼の剣名は高く世に知られ、藩の剣術指南役を務めている。整った装束と端正な顔立ちが相まってか、匂い立つような若武者振りだった。
 もう一方の男が握っているのは、櫓である。とは言え、この戦いの為に多少の加工を施してあった。ボサボサとした髪を無造作に鉢巻きで抑えていて、無精髭が伸びている。浮浪者とも思えるみすぼらしい身なり……しかし、その体躯は熊のように屈強だった。その男は、宮本武蔵。負けなしで巷を騒がせている、新進気鋭の武芸者である。
「デェエ――――イッ!」
 稲妻の轟音。それに似た気合が、虚空に響いた。武蔵の櫓が振りおろされる。それは何の躊躇もなく、小次郎の額に直撃した。
 哀れ小次郎、秀麗な眉目は無残にも破壊され、その長身が砂の中に沈んだ。
(さすがは、佐々木巌流。俺が今まで対峙したどの剣者よりも、手ごわい相手だった。しかし……)
 武蔵は、小次郎の骸を眺めた。寄せては返す波の音が、不思議と大きく耳に入ってくる。潮の匂いが、鼻の奥に滲みるようだった。
(佐々木巌流は、齢60近くの老人ではなかったのか? これではまるで、20にもならぬ若者ではないか。俺を油断させるための、謀(はかりごと)だったのか?)
 武蔵自身も、必死必殺の勝負を勝ち抜くために、様々な計略を使ってきた。それゆえに、佐々木小次郎を軽蔑する気は微塵も浮かばない。勝って生き抜いてこその兵法であり、負けは即ち「死」の1字なのである。
(なんにせよ、我が生涯、最強の相手と戦う事ができたのだ。剣の道に生きる者にとって、これ以上の幸せはない。佐々木巌流も……そうであったはずだろう)
 そう思い、武蔵は瞑目して右の掌を立てる。
(来世でもまた出会って、今度は友として酒でも酌み交わしたいものだ。その時は、よろしく頼む)
 武蔵は踵を返し、船頭の待つ舟へと足を進めた。

 キィン、と金属を打ち合わせたような音が鳴った。武蔵は足を止めた。
(何の音だ?)
 振り返ると、武蔵は目を剥いた。
佐々木小次郎の骸の上半身に、刃物で真っ直ぐに切ったような筋が入っていたのだ。
身体の真ん中にあるそれは、左右にユックリと隙間を広げた。小次郎の顔や首、胸の内側は、竹のように空洞になっている。そしてその下腹部には……年の頃にすれば十代も半ばの少女が、膝を抱えて詰まっていた。それはまるで、竹取物語のかぐや姫のようだった。
「はうう……痛かったよう……」
「何者だ、貴様!」
 武蔵が一喝する。すると少女は跳び上がって驚き、小次郎の下腹から転げ落ちた。
「ぁああああああのあのあの、アタシはその……」
「佐々木巌流に化けた……妖怪か! 成程、道理で姿形が違ったわけだ。」
 武蔵が櫓を少女に突きつける。少女は砂地を泳ぐように掻き、必死で距離を取った。ずり落ちた眼鏡を直し、呼吸を整える。
「あ、あ、アタシは、つつつ津田ツバメと申します! ろ、600年後の未来から来ましたっ! あわわわわ、そんな怖いもの、こっちに向けないでください!」
「600年後? 一体、何を言っているんだ……?」
 武蔵は首を傾げた。それでも彼の手にある櫓は、津田ツバメに油断なく向けられている。ツバメは生唾を飲み込み、頻りに目をしばたたかせていた。
「ウヌが入っていた、この佐々木巌流の殻はなんだ?」
「コレはですね!」
 ピョンと、ツバメは跳ねるようにして身を起こした。その身の丈は、武蔵よりも頭1つ分程も低い。しかしこの小柄な少女は、先程までの恐怖一色と打って変わって、興奮した様子で目を輝かせている。
「コレこそは、アタシのタイムマシンにして、最愛の小次郎様を模したパワードスーツなのです!」
「た、たいむましん? ぱわぁどすうつ?」
 武蔵が怪訝な表情を浮かべた。しかしツバメはそれに構わず、上気したままで話し続けた。
「アタシの時代ではですね、佐々木小次郎様を主人公にしたアニメが大ヒットしているのです! とってもカッコよくて優しくて、背が高くて足が長くてお洒落で、それでいてちょっとだけ天然ボケが入っているから、もう最高! グッズは実用、観賞用、保存用、ぜーんぶ揃えてあるし、舞台にだって行きました! ヒロイン役の子は、マジで殺してやろうと思いました! だって小次郎様にふさわしい女は、このアタシしかいないのだから!」
 ひとりで勝手に、歌うように喋りまくるツバメ。武蔵は彼女の言う事を少しも理解できず、背筋に冷たいものを感じていた。
「でもでも歴史を見れば、小次郎様はアナタに負けた事になっているではありませんか! そんなの絶対、許せません! アタシの小次郎様は、地上最強の男性なのです! お風呂嫌いで、きったなくて、脂ギトギトのむさくるしいアナタに、美しい小次郎様が負けるはずがないじゃないですか! なんですか、そのボサボサ頭は! 身だしなみに気を配らなくなったら、オッサン街道まっしぐらですよ!」
 武蔵の口が、あんぐりと開いた。
「そんな間違った歴史を正すために、アタシは時間移動の装置を搭載したパワードスーツを開発し、この時代にやってきたのです! ああ、アナタは未来の状況を全然知りませんよね? アタシの時代は、年齢に関係なく、優秀な人間はどんどん高度な学問を学び、社会で活躍できるようになっているのです。何を隠そうこのアタシは、9歳で博士号を取得した天才科学者なのでしたー! しかし残念なことに、アナタの実力はこのスーツの戦闘アプリケーションのレベルを遥かに超えていて……」
「ええい、黙れ!」
 ツバメは口を開けたまま、硬直した。
「意味の分からぬ事を、ペラペラと喋りおって! どんな理由があるにせよ、ウヌは俺と佐々木巌流との真剣勝負を穢したのだ! 万死に値する、ここに直れ!」
 そう怒鳴りながら、武蔵は櫓で地面を殴りつけた。ここに座って、死を受け入れろ、と言っているようだ。
 武蔵の鬼のような剣幕に、ツバメは金魚のように口をパクパクさせる事しかできなかった。この時代の厳しさを知らない少女が、突然、死を突きつけられたのだ。ツバメの天才的な頭脳は、完全にフリーズしていた。
「直らぬのなら、そのまま打ち殺すぞ!」
 武蔵の櫓が振り上げられた。ツバメはようやく我に返り、咄嗟に両腕で頭を抱えた。
「ひぃやあああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、全然知らなかったんです、武芸者の人たちが、そんなに勝負を大切にしていたなんて!」
「今更、遅い!」
 武蔵の目つきが鋭くなり、構えに腰が入る。だが、櫓を打ち下ろそうとしたその腕は、一瞬だけ動いて、すぐに止まった。
 武蔵を止めたのは、脳裏に浮かんだ記憶だった。
 京の一大流派である、吉岡一門との戦い……武蔵は約七十人の門下生との勝負で生き残るために、一門の代表に仕立て上げられた吉岡家の少年を、奇襲で惨殺した。それは兵法上、仕方のない事である。大将を仕留めれば、士気は一挙に下がるものだ。しかし断末魔を上げる無垢な少年の瞳が、今でも武蔵を捉えて離さない。記憶が蘇る度に、痛みと共に武蔵の心を締め付けるのだ。
 そして目の前で怯えるツバメは、奇怪なカラクリがなければ何もできない少女である。怒りに任せて血を流させた所で、一体何の意味があるだろうか。
「くっ……」
 武蔵は、櫓を脇に下ろした。
「許して……くれるの?」
「許してはいない。女子供を殺めた所で、恥にしかならんだけだ」
 そう言って、武蔵はツバメに背を向けた。
「武蔵さんはもしかして、優しい人?」
「知らん、そんな事は」
 ツバメは恐る恐る近づいて、武蔵の顔を覗き込もうとする。武蔵はすぐに、顔を背けた。ツバメは尚もしつこく回り込もうとするが、その度に武蔵は身を転じて顔を見せない。
「ところで……」
 辟易とした様子で、武蔵が口を開いた。
「おかしな事があるものだ。佐々木巌流の中からウヌが出てきたというのに、見分役どもは黙ったまま……この俺ですら、驚いているのに」
 武蔵が目をやった先には、長岡佐渡守をはじめとした細川家の者がいる。彼らは武蔵たちの方を向いたまま、沈黙を保っていた。
「ああ、アレはぜーんぶ、アタシが作ったアンドロイドです」
「あんど……ろいど?」
 武蔵は再び、拍子抜けした表情になる。
「要は、アタシの思い通りに動く、お人形さんって事です」
「思い通りに……? ウヌがいう科学者とは、妖術使いを言うのか? で、本物の彼らや、佐々木巌流はどうしているのだ?」
 尋ねられると、ツバメは小次郎スーツの中をまさぐり始めた。
「コレです」
「なんだ、それは?」
 ツバメの手には、鉄砲に似た物があった。
「お屋敷にガス弾を撃ち込んで、眠ってもらいました」
 また、意味の分からない言葉が出てきた。武蔵は頭痛がしてきて、頭を抑える。これは悪い夢だ。決闘前は、いつもコレにうなされるんだ。武蔵はそう思う事にした。無理にでも納得すれば、心は幾分か安らぐものだ。武蔵は、遥か遠くの水平線に眼差しを移した。

ちくわヌンチャク
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ちくわヌンチャク

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