8 災厄の男
「破壊せよ、破壊、壊した先にしか得られるものはない!」
父親の声を背に受け、ニスタは地を踏みしめた。
「親子揃って自我崩れの出来損ないか!」
赤髪の女は両の手に持った剣振るい、ニスタに応戦しようとした。が、ニスタの狙いは女ではなかった。
一瞬前まで殺気を向けられていたはずの女の意識が追いつくまでの一瞬に、ニスタは管を破壊した。水音とともに、災厄の顔が飛び散る。
突如、ニスタの声に被さるように高笑いが響いた。ニスタ自身から笑い上がるようなその笑いは幾重にも重なり、狂気を辺りに振り撒いた。……その笑いは、ニスタに埋め込まれた顔から発せられたものだった。
「まさか……顔も元人格も自我を有して……!?」
女の呟きに、カプリスが笑った。
「だから、言ったろう。こいつらは、自分の意思で、殺戮を繰り返しているから手に負えないってね」
「馬鹿な……あれは思考回路までを侵食するはず……」
女は信じられないというように首を振った。
「あれだけ人体を弄くり回して、まだ精神が壊れていないはずが……!」
驚愕に目を見開いているうちにも、ニスタは研究所の中を切り刻んでいく。
「火をつければ早いものを」
カプリスは嘲笑して、扉の方へと向かった。
「分かったね? あれは異常だ。手を引いた方がいい。本当の『災厄』になってしまったんだよ」
その皮肉は最早、ニスタの耳には届いていなかった。女は後ずさると、カプリスの後を追って下水道に姿を消した。
研究所の書物という書物を引き裂き、飼われていた寄生生物全てを殺し尽くしたあと、ニスタは父親の前に立っていた。
「ニスタ……お前が最後に壊すべきは、この俺だ」
父は両手を広げて、ニスタの前に仁王立ちをする。
「私はもう疲れた。この顔の意思を封じ込めておくのも限界だ。お前のように壊れ、お前を襲う前に……殺してくれないか」
ニスタはつまらなさそうに父を見遣ると、大剣を背負った。
「壊れりゃあいい」
「な……」
「このくそったれな世界を壊す手間が省けた」
ニスタの声が止むと同時に、父親の身体はどうと地に倒れた。その唇からは、微かな笑い声が漏れていた。
「さて、始末完了と。王都の研究所はこれで大体破壊できたかな」
扉の元にまで戻ってきていたカプリスが、さして興味もなさそうに研究所の中を見遣って呟く。
「ご苦労さん、狙い通りに動いてくれたね」
「ああん?」
ニスタは獲物を見つけた目で、カプリスを見遣る。
「これからどうする気だい? あの女は、南に向かったよ。殺すのかい? それとも、北でも東でも、好きな街に災厄を振り撒きに行くかい?」
ぶん、と振るわれた大剣をひらりとかわして「どれでもいいんだけどね」とカプリスは笑った。
「僕も世界の破壊とやらが見たいね。ついていかせてもらうよ」
カプリスの笑いは、倒れ臥したままの父親の笑いと相俟って、聞くものをぞっとさせるような不気味さを醸し出していた。
「さあ、綺麗な『太陽』のない今日こそ出発日和だ」
新月の夜。二人は下水道の闇の中へ、その身を眩ませていったのだった。