carry out,fuck up!
何かの合図や意思疎通があったでもなく、互いに別々の敵へと意識を割いていた。
足場は良いが、視界は悪い。わずかにでも油断すれば命取りになるだろう。
そのせいか、オレと剛健の企図することは同じだったらしい。
いつの間にか互いに背を預け、敵と向き合っていた。
「坊主、こっちの声は聞こえてるな?」
先程よりも緊張感を帯びた声が背中から伝わってくる。
ほんのわずかな意識をそちらに向け、全神経は敵へ取り残しておく。
「先に断っておくが、二人同時に相手をするのは無理だ。少なくとも、向こう側はオレとお前がこの場にいることを想定していたらしい」
「……それは、随分と好かれたものだな」
「ふ。それもそうだな。だが、男に好かれるような趣味はない」
背中越しに山がそびえるかのような覇気が宿る。
ただの警官ではないと思っていたが、ただ構えただけでこれほどまでの圧力を感じるとは想像だにしていなかった。
それに押しつぶされぬよう、こちらもまた腰を落として身構える。
「坊主、そっちは任せたぞ」「――無論だ」
やり取りを終え、踏み出したのは同時だった。
中腰から足を活かし、彼我の距離にまで空間を踏み抜く。
懐へと踏み入ろうとする中、予備動作もなく拳が飛び込んでくる。
それを背負い込むように肘で向かえ打ち、最良のタイミングで利き手を鳩尾へと叩き込む。
ドウっ、という独特な感覚が拳に伝わり、即座に身を離す。
やはりというべきか、打撃が効いていない。
「ふむ」
拳の感覚を確かめつつ、殴った感触の残滓を手繰り寄せる。
が、当然、そんな余裕を与えてくれるような相手ではない。
放たれた蹴りが鼻先を掠め、続くもう一つの蹴りを崩れた態勢で貰う。
寸でのところで防御は間に合ったが、明らかに常人離れした打撃力が平衡感覚を揺らしていた。
「……人ではないか」
ギリギリと人体ではありえないような異質な音を立て、肉体がせめぎ合う。
このまま我慢比べを続けたところで、相手の方に軍配が上がるのは明らかだ。
――壊せ。
身体の内のどこか。
心臓の近く。その意志はオレの思考を侵食するように木霊していく。
壊せ。壊せ。破壊しろ。
その衝動の使い方を、オレはどこかで知っていた。
いや、記憶を失くした今であっても知り尽くしているとさえ言って良いだろう。
『――ッ!?』
その瞬間、声にならぬ悲鳴が白い男から発せられた。
不可視の意志が形を成し。不可知の衝動が世界へと顕現する。
異能(シンメトリ)と呼ばれるそれは、およそ万象を覆す絶対にて彼岸の存在。
それが今、炎という形を成してオレの掌へと瞬く間に収束していく。
「灼けろ」
もはや照星とさえ見紛うほどの暴虐を掌より解き放つ。
瞬き、星が砕ける。
暗い視界が閃光に弾けたその瞬間、火薬庫が内側から弾け飛ぶような爆砕が白い男を襲う。
その余波のせいで空間そのものが揺れたが、大した被害にはならないだろう。
油断なく掌へと炎を収束させつつ、敵を確認する。
「…………」
あれだけの攻撃を受けてなお、白い男は立ち上がってきた。
だが、その白い装束はもはや千々に裂け、その内部が覗き込んでいる。
機械。そう見て間違いないような部品がところどころから剥きだし、あるいは損傷していた。
それでも一撃での絶命を免れたのは、単に運が良かったのかも知れない。
「なるほど。その耐久力にも合点がいった」
この損傷具合だ。止めを刺さずとも機能が停止するのは時間の問題だろう。
しかし、手負いの相手ほど油断していい手合いはいない。
視線を外さないように注意しつつ、剛健の方を確認する。
そちらでは既に機械の男が地面に縫い付けられている状態だった。
「おう、そっちも終わったようだな?」
「見ていたのか?」
「そう警戒心を出すのは構わないんだが、そんなに睨むなよ」
睨んでいるような気はなかったが、どうやらまだ殺気が消えていなかったらしい。
それに、手も塞がっているようだった。
右手に収束しておいた炎を掻き消し、倒れている二人……いや二体を見つめる。
「腰にある手錠を取ってくれ……まあ気休めだが」
言われた通り、剛健に手錠を渡す。
近くの石柱と機械の腕を繋げ、かなり損傷したもう一体も同じようにしておく。
しかし、この剛健という人物は驚くべき相手だ。
見たところ異能もなく、かといって法外の能力を行使したわけでもない。
積み重ねた修練と恐るべき技術。それはオレでさえも脅かされる危険性がある。
「まあ、お互いに言いたいことや疑念もあるだろうが、この場では何も起こっていないし何も見ていない。そういうことで手打ちにしないか?」
「……そうだな。一食の借りもある」
「ほう?もうちっと頭の固いヤツかとも思ったが、そうでもないらしい」
楽しそうにひとしきり笑った剛健は、さて、と居住まいを正した。
その顔に先程までの緊張感はないが、また別種の感情が渦巻いているようだ。
「答えたくないなら答えなくても良いんだが……腹の探り合いはなしだ。お前さん、ここの近くで人を殺してはいないか?」
告げられた言葉は、酷く冷たい。
それを拒絶するだけの言葉はあった。だが、それさえも阻まれるような圧力がある。
その姿は断罪者に近しく、そこに介在する嘘偽りはもはや張りぼての意味すらなさないだろう。
「こちらに来てからは、人を殺した覚えはない」
視線が絡む度、腹の底が冷える。
まるで極寒の中を歩いているかのような心地だ。
「――そうか、すまん。大人気ないことをした」
その視線が外され、先程までのプレッシャーがウソのように霧散する。
とはいえ、頭のどこかが痺れているような感じで身体は思ったように動こうとはしない。
まったく。本当に底の知れない男だ。
「さて、機械相手に何を訊いても無駄だとは思うが」
「お前たちを操っている人物は誰だ?」
言葉を向けられたことに反応している様子はない。
無駄骨か。そう剛健が呟いて背を向けると同時、捉えられた男が嗤った。
『はははははハハッ!!』
わずかに混じったノイズが、この場ではないどこかから発せられた声だと告げている。
怖気の走る哄笑はこの空間に反響し、残響のように鳴りやまない。
『いや失敬失敬。まさか完全ではない目標と、かつての仇敵に壊されたのだから笑いたくもなるというものだ』
背筋に氷水を差し込まれたような感覚だった。
不愉快。いや、それ以上に満ちた悪意に身体が反応している。
オレはこの男を知っている。
ぶつ、と記憶の端を過ぎ去ったのは夢の続き。本能がそう知覚していた。
嗤う男から逃げる、オレと、誰か。
奇しくもこの状況とまったく同じような記憶が、光の速さで脳裏を翔けていった。
「何者だ」
『さあねえ?何者だろうねえ?時間を巻き戻して一から再生してみれば、きっと分かるんじゃないかな?』
傑作とばかりに、男は哄笑をまき散らす。
まともな会話など望むべくもない。
それ以上に、今すぐこの場から不快な異物を排除したかった。
「なぞなぞは好きじゃない。答えるつもりがないなら、この二体を破壊する」
『はっは!別に破壊するのは構わないさ。ああ、構わないとも。彼等は君達に敗れた。それは弱肉強食という理が絶対の摂理たるこの世界にて、君達という勝者が持つべき生殺与奪の権利というものだ!』
ただし、と。
ねぶるような笑みが、今にも浮かんできそうだった。
『彼等に勝利した祝いだ。私達の名はね、』
広域作戦部隊群、機体兵科小隊というんだ。
その言葉を皮切りに、通信は一方的に断ち切られる。
後に残ったのは、もはや微動だにすることのない二つの残骸だった。