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いわゆる幽霊というヤツになったぼくは気の向くままにふらふらしてみた。
とは言っても気になるのは家族や友人たちのことで、自然とそちらに向かっていた。
実家は事故の報せを受けて大騒ぎになっていたし、学校の友人にもじわじわと伝わっていって悲しみに暮れる様子を目の当たりにする。
――マジで?あいつが事故?
――なんつうか、ついてない、な。
人は予想外の事実を聞かされるとすぐには受け入れられないのだと、よく判った。
でも、時間が経つうちに実感が沸いてきて泣いたり湿っぽい雰囲気になってる友人たちや、いつまでも魂が抜けたみたいになってる両親が見ていられなくて、だんだん顔見知りの所に行くのは避けるようになった。
それに、昼間どこまで遠くまで行っても、日が沈むと、すぅっとあの現場に戻っているのだ。
ぼくが死んだ、あの田んぼ横の道に。
ぺたりと座り込んで、顔を上げるとあのひとつ目小僧がのっそりとぼくを見ている。
「……なんで?」
「おらに聞かれても、よく判らねえだ」
ひとつ目小僧は困ったように言うばかりでまったく要領を得ない。魂だけになると眠らなくてもいいらしく、ぼくは夜の間はひとつ目の後をついて歩くハメになっていた。
もちろん好きこのんでついていっている訳ではない。離れようと反対方向に歩いても、いつの間にか磁石で引き寄せられているようにひとつ目小僧にくっついてしまう。全力で走って離れて、姿が見えないように角を曲がっても、同じことだった。
そんなことを十数回試してみて、ようやくぼくは諦めた。
「なんでだか判らないけど、ぼくはお前から離れられないみたいだ」
真夜中、満月より少し欠けた月が中空から西に傾けかけたのを見上げながらそう言うと、ひとつ目小僧は本気でびっくりしたようだった。
「ええっ?!それ本当だべか」
「いや。そんなに驚かなくても。今までの様子でなんとなく判るだろ」
「それもそうだが。だけんどなんで離れられねぇんだ?おめえ、おらにずっとくっついてるつもりだか」
「ぼくだって好きでひっついてる訳じゃない。離れられる方法があるなら教えて欲しいくらいだ」
「えー、おちおち便所も行けねぇでねぇか」
妖怪がトイレ行くのか、今まで見たことないけど。
こいつのそばから離れられない、と気づいてから焦っていたのだけれど、ひとつ目小僧の動揺っぷりを見ていたらだんだん落ち着いてきた。
そう、ぼくはもう死んでいるんだからなにも慌てることはない。ただ、この状況に戸惑っているだけだ。
ひとつ目小僧は、悪いやつではないがあまり物事を知らないようだ。ぼくがこうなっていることについてもなにも判っていないのだから解決のしようがない。
「誰か、もっと物知りがいないものか」
思わず口からこぼれる。
すると。
うぉぉぉぉん、と獣が低くうなるような音がして、ぼくは飛び上がった。
腹にずんと響く重低音は風のように空気を揺らし、力強く伸びた苗を小刻みに震わせている。音は衝撃波だということを改めて感じるようなすごいものだ。
「なに、この音」
「あ、これは」
ひとつ目の視線を追って東に連なる山を見る。月に照らされてくっきりと稜線が見えていたが、そこからもこもこと奇妙なものが盛り上がり、煙のように広がってふもとに下りてきたと思うと、たちまちぼくたちの前にしまったひとつ目小僧は、そこでがたがたと震えていた。
「こぉら」
集まった煙は縦に伸びて、見る間に巨大な人の形になっていく。
顔にはやはりひとつ目しかないが、目つきはぎょろりとして、眉も太く、口ひげもあったりしていかにも怖そうな顔つきだ。
「えーと……どちらさまで?」
我ながらまぬけだとは思うが他になんと言っていいか判らない。背後にいるひとつ目小僧は役に立たなさそうだし。それに、新たに出現したひとつ目はぼくではなく、ぼくの後ろでかたかた震えているひとつ目小僧を睨んでいるようだったので、あまり怖くなかった。
大きな口が動き、予想した通りの低音が話しかけてきた。
「我は見越し入道。人の童(わらし)よ、こたびは災難だったの」
「はあ、災難といえば災難ですねぇ」
言いながら他人事っぽいとは思うけど、今さら怒っても泣いても生き返りはしない。身体はとっくに焼かれちゃって、今では小さな壺の中に納まっている。あれを見た時に、もう戻るところはないんだと、はっきり自覚したのだ。
今の状況が嫌なのかと言われるとさほどでもない。こいつにくっついて離れない理由があるなら知りたいだけだ。
ぼくが間抜けた返事をすると、見越し入道はぎょろりと睨みつけた。ぼくに向いてはいるが、視線の先は明らかにひとつ目小僧だ。背後からひぃ、と情けない悲鳴がした。
「これ、ひとつ目」
「見越しさまぁ、許してけろ」
「まったくお前というヤツは。いったい、いつになったら一人前になるんじゃ」
「そ、そんなことが判ればおいらも苦労しないですよぉ。どうしたらいいんですかぁ」
「喝っ」
突然大声で叫んだ見越し入道はそれは怖い顔でひとつ目小僧を睨む。
「そんなことは己で考えることじゃ……我が来たのは今さらそんなことを言いにきたのではない。なんじゃこの有り様は」
「と、いいますと?」
まったく話が分からないぼくでも力の抜けるような口調だ。とにかく、ひとつ目小僧よりは見越し入道の方がまともに話ができそうだと察して、ぼくは彼を見上げた。ぼくを見た見越し入道の表情はさっきよりいくぶんか和らいでいる。
「人の童よ、お前さんはこのそこつ者のせいで命を落とした。気の毒なことじゃ」
「これも寿命だったのだと思ってあきらめてます」
「さよう、人にはそれぞれ天命があるからの。だが、そこに我ら妖怪が絡んでしまうとちとやっかいなことになるのじゃ」
「妖怪ってのはおいらですかい?」
ものすごく、まぬけなタイミングで割って入ってきたので見越し入道がぎろっと睨む。ぼくは背後に手を回してヤツの横腹をなぐった。
「いてえだよー」
「少し黙っててくれ、真剣に話聞いてるんだから」
「おいらだってちゃんと聞いてるだよ」
ごほん、と見越し入道がせきばらいをして話を続けた。
「人がその者の寿命で死ぬのはなんら問題がない。だがの、妖怪に関わりそれが元で死んだ時は、その者は妖怪にならねばならぬのじゃ」
「そんなっ、あんまりだっ。だいたい、ぼくが死んだ時、こいつの姿はなんて見えなかったのに、どうして……」
「あの時、そやつの姿を見たのはお前さんではない。車を運転していた者の方だ」
「車……?」
そういえば、急ハンドルを切ってきたのは不可解だ。ほぼ直線に近い道路で、何も障害物はなかった。でも、あのおじさんがひとつ目小僧の姿をいきなり見たのだとすれば、あの行動も納得できる。
「でも、ぼくには見えなかったのに、どうしてあのおじさんには見えたんだろう」
ぼくが疑問を口にすると後ろでぼそぼそと話しだした。
「あん時、蛙が顔に飛んできてびっくりしただよ。それでうっかり人間に見えちまったんだべ」
「え……」
そんな理由?こいつがどんくさくて間抜けだっていうだけでぼくの人生はあそこで終わってしまったのか。
急に怒りが湧いてきて、ぼくは振り返ってひとつ目小僧のえりをつかみ上げた。
「お前がそんなんだからぼくは……完全に巻き添えじゃないかっ、どうしてくれるんだよ!今すぐ生き返らせろ、この間抜け小僧!」
「な、なんなんだべ、いきなり怒り出して……」
「うるさいっ、ぼくがこうなったのも、全部お前のせいじゃないか。あの時お前なんかが近くにいなければ、ぼくは……」
ぼくの剣幕にひとつ目小僧は慌てふためいているようだった。それでも怒りが収まらなくて、つかんだえりをさらに引き上げる。
「く、苦じい」
「妖怪は死ぬことなんてないんだろ、いいじゃないか」
「み、見越しさま……だずげで」
大きなひとつ目に涙を浮かべて、じっと見ているだけの見越し入道を横目で見る。
深いため息をつく気配がした。
「お前さんのことは気の毒じゃと思う。こんな間抜けのおかげで境遇が変わってしまったのだからのぅ。絞め殺して気が済むのならかまわんのだが、あいにくそれくらいでは死なぬのじゃ、そんな奴でも妖怪だでのぅ」
「そう、ですよね」
見越し入道の言葉を聞いていたら少し落ち着いてきた。ぱっと手を離すとひとつ目小僧はどさりと地面に座りこんだ。しりもちをついたまま、ひぃひぃ言っていたけれど、かまわず放っておく。
「理由は判りました。腹は立つけど、今さらどうにもなりません。だけど、どうして妖怪に 関わって死んだら妖怪にならなきゃいけないんですか」
そこはまだ納得できない。
「すまぬ、それは神の定めた領域でな。我ごとき一介の妖怪ではどうにもできぬ。何故と問われてもそのように定められておる、としか言いようがない。世の理(ことわり)というやつじゃな。つまり、妖怪になり切れぬ場合、成仏することもできず永劫にこの世をそのような中途半端な状態でさすらうことしかできない、ということだ」
「それは、もう妖怪になるか、このままさまようか、ということですか」
見越し入道は申し訳なさそうな表情で力強くうなづいた。だからってぼくにはなんの慰めにもならないんだが。
いろいろな疑問が湧き上がってきた。だがここは、ひとつずつ解決していかないと。
「そもそも、妖怪は生まれた時から妖怪なんじゃないですか?」
ぼくの妖怪に関する知識は、せいぜいマンガやアニメから得たものくらいだ。だから根本的なところから判らない。
「むろん元から妖怪というものもおる。じゃが人から変化したものも少なくないぞ。なかには長い歳月を経て、己が人であったことを忘れてしまった妖怪もおるがの。なにせ妖怪には寿命というものがない。あまりに人の世で悪さをして退治されでもしなければ、何百年と生きておるものじゃ」
「へぇ、そんなもんなんですか」
意外だ。それに妖怪退治ってマンガじゃなくても実際にあるんだ。
ショッキングではあるけれど、これは受け入れないとどうにもならないんだろうなぁ。成仏したらどうなるかなんて判らないけど、ずっとこのままっていうのもなんだかいやだ。こうなったら潔く、一人前の妖怪を目指した方がよさそうだ。
「それで、妖怪になるにはどうしたらいいんです?」
「それなんじゃがな」
今まで滔々と説明してくれた見越し入道がいきなり口ごもる。なんだなんだ、よほど大変な修行をしないとダメなんだろうか。
「言ってください、どんな厳しい修行でもやりますよ」
「修行というほどのものでは、それもそうは厳しくはないと思われるが……そなたの場合、今は見習いのようなものじゃから、師と仰ぐものが必要になる。それで師となるのは、そなたが死ぬきっかけとなった妖怪になるのであって、その、な」
「はい? まさか、とは思いますが」
見越し入道の視線がぼくの足元を向く。ぼくも一緒になって足元を見下ろした。
「んあ? どうしただ?」
さっき転がったまま、座りこんでぼくらのやりとりを眺めていたらしい(あきらかに聞いてはいなかったみたいだ)ひとつ目が寝ぼけたような声を上げる。
ぼくが死んでしまったきっかけは間違いなくこいつであって、それが師になるということは。
「こいつを師匠に、妖怪になれってことですか?」
「察しがよくて助かるの、お前さんは」
「そんなとこほめられても嬉しくはないです」
「まぁ、そう言うでない。我はお前さんが気に入ったぞ」
ぼくがすべてを飲みこんだことで安堵したのか、見越し入道は晴れやかな表情を浮かべた。強面の顔つきだけど、案外判りやすい人かもしれない。
「と、いうことでの。ひとつ目、これからはこの人の童を引き連れ、立派な妖怪になるべくまい進するのじゃ」
「え、へぇ……それはつまり、どうすればいいので?」
へらへらしたひとつ目に、見越し入道は再び喝を入れた。
「この、馬鹿者が! 我ら入道一門の存在意義をなんと心得る!」
「ひっ」
情けない声を出したものの、ひとつ目はぴん、と背筋を伸ばして立ち上がった。よほど怖いんだな。
「人に恐れられる存在となること、です!」
「判っておればよろしい。この人の童が立派な妖怪の仲間入りができるよう、しっかり導いてやるがよい。それまでそなたらは一心同体じゃ」
「ええっ、それじゃこのままずっとゴン太はおいらとくっついたままですか!」
「……誰がゴン太だ。って、話聞いてなかったんだなお前」
ものすごく不安を感じながら立ち上がったひとつ目小僧を横目で見る。それでも収まらなかったから、軽く耳をつまみ上げた。
「い、痛いだよー」
見越し入道はといえば、伝えるべきことは伝えた、と言わんばかりに腕組みをしてぼくを見下ろした。
「では、達者でな! 人の童よ。一人前になった時、再び会いまみえようぞ」
高笑いを残して見越し入道は煙のごとく消えた。
しばらくすると、カエルの鳴き声が戻ってきた。
あぜ道でぼくは立ち尽くす。隣にはまぬけ面したひとつ目小僧、空には煌々と光る月が眩しいくらいだった。
ぼくはこれから、どうなるんだ。
その心境は、自分が死んだ、と聞かされた時よりも不安でいっぱいだった。