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毎度おなじみ、田んぼのあぜ道でぼくとひとつ目小僧は座りこみ、ミオを見上げていた。彼女は得意げに人をおどかすコツを伝授してくれている。
「さっきので判ったと思うけど、人をおどかすには出会い頭にガツンといけばだいたい成功するわ。向こうは油断してるからね。あたしみたいにか弱い女の子を装っていればさっきみたいにロリコン野郎が引っかかってくれるってわけ」
いや、どう見てもあのサラリーマンの人は善意で声をかけてきたごく普通の人だと思うけど。だけど彼女に言い返す度胸はないから黙っておいた。代わりに心のなかでサラリーマンの人に手を合わせて謝る。ごめんなさい、ぼくはそんなこと絶対に思ってませんから。
「確かに、ぼくでもおどかせるのは判ったよ」
「ゴン太すごかっただ」
ひとつ目小僧がしきりに感心している。突発的とはいえ、ちゃんと人をおどかせたのだから、あれは成功に数えていいだろう。ミオもうんうん、とうなづいた。
「あんた、けっこうやるじゃない。さっきのはなかなかよかったわよ」
少女は上機嫌で言った。目鼻がないから表情はもちろんないのだけれど、彼女の感情はちゃんと判るのが不思議だ。それに、褒められれば素直に嬉しい。
「そう? どれくらい怖いのか、自分じゃ判らないんだけど」
実は妖怪になってから、自分がどんな顔になったのか判らない。ひとつ目小僧に左目は取られたから目玉はない。そのせいでどんな容姿になってるのかまだ見てないのだ。鏡はもちろん、水たまりや池の水面にも姿が映らないのだ。吸血鬼も鏡に映らないって聞いたことがあるけど、妖怪もそうなのかと妙なところで感心してしまった。
「ああ、そうか。それなら、見てみる?」
「どうやって?」
ミオがこともなげに言うものだからぼくの方が驚いてしまった。
彼女は右手を高くかざすと空を見上げた。
「おいで、雲外鏡!」
「うんがいきょう?」
それがなにを指しているのか判らず、隣にいるひとつ目小僧に聞いてみた。
ぼけっとしていたひとつ目小僧ははっとしてぼくとのミオを交互に見た。
「ユーシちゃんが来るだか。久しぶりだなぁ」
「ユーシ、ちゃん?」
「あ、ほらもう来た」
見ればミオの掲げた右手がもくもくと雲のようなもので覆われている。それが次第に丸く形ができていき、彼女の手に鏡が現れた。一見、ごく普通の丸鏡で、周囲は雲のようなオブジェで縁どられている。
「ミオちゃん、久しぶりー。相変わらず顔つるっつるだねぇ!」
にゅ、と上部の縁どりに目が二つ出現し、ミオに話しかけた。
「ユーシちゃんも元気そうね」
「あったり前よぉ! 元気のない雲外鏡なんてどうしようもないじゃない。あら、」
どこから声が出ているんだろうと思ったら縁どりの下の方によく動く口がついていた。
「見かけないコがいるわね……やけに人間くさいけど」
「そりゃそうよ、人間からの新入りだもの」
「へぇ! 近ごろじゃ珍しいわねぇ。妖怪に出くわして死んじゃうなんて」
圧倒されて見ていたぼくに、雲外鏡の目がきょろりと向いた。くりっとした、といっていいのか、大きな目だ。
「どうも、最近妖怪になりました。こいつのおかげで」
ひとつ目小僧の頭を小突きながらいうと、雲外鏡はからからと笑った。
「ひとつ目小僧じゃなーい、相変わらず冴えない感じ? ウケる」
「そ、そったらことないと思うけども」
ずいぶんはっきりした性格のようだ。言葉に悪気は感じないから故意ではないんだろうけど、ものいいがストレートすぎる。もぞもぞと答えるひとつ目小僧は無視して話は進む。
「この子が自分の顔が見たいっていうから来てもらったの。お願いするわ」
「はいはーい、お安い御用」
「うわわ、ちょっ、ちょっと待って」
のっぺらぼう少女が雲外鏡を突きだしてきたから、思わず顔を背けてしまった。不覚にもひとつ目小僧にすがりつく格好になって。
「何してんのよ」
「やだー照れてるの?」
ミオと雲外鏡のユーシにそろって呆れた顔をされてしまった。
「いや、心の準備が。片目がないってどうなってるのか想像もつかなくて」
「大丈夫よ、あんた男前だから」
「なんか調子いいなぁ」
「そう言わずにほらほら」
「あー、はい」
見たいと言いだしたのはぼくなのだし。
深呼吸して顔を上げる。ミオから雲外鏡を受け取って、えいっと目を開けた。
「う、わぁ」
左目がないのは判っていたけど、予想以上に凄惨な感じだった。目玉かないからまぶたがたれ下がって目の部分を覆い隠している。右側は元のままだから、よけいに際立って見える。
これは、いきなり顔見せられたらビビるなぁ。
「あらぁ、ご不満? 人間だったら判るけど、妖怪としては悪くないと思うわよ。見た目でおどかすのが一番効果的だもの」
「でしょうね。不満はないけど、初めて見たからびっくりして」
ふふ、とユーシが笑いかけてきた。
「自分でも驚くくらいなら、人間なんておどかし放題じゃない。その調子ならすぐに一人前になれるわよぉ」
「だといいけど」
「だいじょぶだいじょぶ」
ミラはずいぶん調子のいい性格のようだ。すると突然ユーシが震えだした。全身がぶるぶると小刻みに震えている。何ごとだろう。持っていたミオも慌てている。
「え、なになにどうしたの?」
「きっと見越し入道さまからの入電だわ。ミオちゃん、右側にあるボタン押して」
「にゅうでん?」
「よく判らないけど、あたしで離れたとこにいる相手と話ができるらしいのよ。早く!」
言われた通りにすると、鏡面に見越し入道が映し出された。どういうシステムなのか不明だけど、テレビ電話みたいなものか。
『おお、人の童よ。息災だったか?』
ぼくの姿を見るなり見越し入道は機嫌よく話しかけてきた。答えようとすると、ひとつ目小僧が大仰に慌てだした。
「わわわ、見越し入道さま、い、いつの間に来たです?」
「落ち着けよ、ここにいる訳じゃないって」
「でもでもそこに見えてるだ」
『喝っ』
見越し入道がひと声あげるとおとなしくなった。というか、腰を抜かしたようだ。
『相変わらずだの、お前は』
「それほどでも、えへへ」
「ほめられてないって」
こっそり耳打ちしたけど聞いてないらしかった。
「どうしたんですか、見越し入道さま」
『どうじゃ? 雲外鏡にツウシンキノウというものをつけてみたのじゃ。最近は人間の影響でからくりに長けた者も増えてのう。面白いものじゃ』
「はぁ」
携帯電話を持ちはじめて、初めて子どもに電話してきたお父さんみたいだ。こうしてみるとすごく微笑ましいけど、ミオは少々げんなりしているようだ。
「なにか御用ですか、と聞いてるんですけど」
『すまんすまん。ミオの指導は順調に進んでおるかと思ってな』
「新入りの方はいいと思いますけど、こっちが」
そう言って座りこんでいるひとつ目小僧を見下ろす。彼女の様子で察したらしく、見越し入道はそれ以上は言わなかった。
『ところで、先日今年の妖怪総会があったのだが、そこで決まったことを伝えようと思っての』
そんなものがあるのか。今年の、ってことは毎年あるの? 誰が集まって何を話し合うんだろう。
聞いてみたいことはたくさんあるけど、とりあえず黙って聞くことにした。あとでミオが教えてくれるだろう。
『まず、のっぺらぼうたちから出ていた、顔の件は承認されたぞ。これからの実績により、目鼻をつけることが許されるようになる。ミオも今月から励むがよい』
「あ、ありがとうございます!」
「よかったねミオちゃん」
「これでやる気も出るってものよ」
こうして見ると、妖怪でも女子トークしてるみたいで微笑ましい。
「がんばらなくちゃ」
『それと、そこのひとつ目小僧たちのことじゃがの』
「はい?」
話が自分に向いてきて姿勢を正す。
『同じ里にひとつ目小僧が二人いるのは二百年ぶりでの。名前をつけないと紛らわしい、ということで、それぞれ名前を決めてほしいのじゃ』
「こいつはゴン太だが、オラも名前つけるだか?」
「誰がゴン太だよ!」
このままではぼくの名前がゴン太で定着してしまう。ちょうどいい機会だ、違う名前を考えて周囲に認識してもらおう。
「少し時間をいただいてもいいですか? ふたりで相談してみますから」
『いいだろう。ユーシはしばらくそっちにいていいぞ、決まったら連絡してくれ』
やっぱり携帯電話扱いだ。
用件はそれだけだったらしく、見越し入道は笑いながら話を切り上げた。
鏡面から見越し入道の姿が消えるとユーシが目をぱちくりさせた。
「きみ、ありがと。これけっこう疲れるのよね、ちょうどいい頃合いでやめてくれて助かったわ」
これが人間なら首でも回してるのかもしれない。ユーシの疲れた感じを見ていたらそんなことを考えて、おかしかった。
「名前かぁ。いざ好きにつけるとなると迷うな」
「呼びやすければなんでもいいんじゃない?」
夕方の公園でぼくらはうだうだと進まない話し合いを続けていた。
見越し入道に言われてから考えてはいたのだけれど、なかなかこれといったものが思いつかなくて一日がすぎてしまった。ちなみに昼間は何をしているのかというと、どうやら眠っているらしい。意識がないからどういう状態になっているのか不明だけど、気づくといつも夕方なのだ。
「おら、考えただ。スバルってどうだべ、カッコいいだろ」
得意げなひとつ目小僧をぼくとミオ、ユーシが見つめた。
本人がそれでいいなら文句をつけるつもりはない。ないけれど、この素朴な外見にホストみたいな名前ってのはミスマッチもいいところである。
「スバル」
「なんだべ?」
「ダメだ、決定的に合ってない」
呼んでみたミオが頭を振った。ユーシもため息をついた。
「難しいものね、名前をつけるっていうのも。きみはどうなの? 人間のときの名前にする手もあるのよ?」
「それがまだ思いだせてないんだ。サトシとかヒトシとか、そんな感じだった気はするけど」
その気になれば実家に行ってぼくの痕跡を確かめれば判ることだけど、そこまでするつもりにはなれなかった。人間だったころを再確認するのは、まだ少しつらい。
「どっちかでいいじゃない。あんたは特に違和感ないわよ」
「うーん、じゃあサトシにする」
こっちの方が何となく呼びやすい気がして決めたのだがさして深くは考えてない。ユーシがにこにことうなづいてくれた。
「いいんじゃない? カッコいいわよ。それできみはいいとして、あの子どうするの。スバルで決まり?」
「ダメだか? スバル」
「うーんダメってことはないんだけど」
すぐにはうなづいてやれないのが心苦しい。
その時、公園の一角で甲高い歓声がした。ミオがすばやく反応してそちらを見る。
つられてみると小学校低学年くらいの女の子の一団が楽しそうに遊んでいた。
微笑ましい気分で見ていると、傍らを風が吹き抜けた。
「ミオさん?」
「あらーミオちゃんたらまた」
ユーシがのほほんとした声をあげる。ミオはものすごい勢いで女の子たちの方へ走っていた。
「また? 何する気なの彼女」
「あれくらいの年ごろの子を見るとね、それはもうおどかすのよ」
言葉が終わらないうちに、それまでの歓声が悲鳴に変わった。
「お、お化けだ」
「いやー」
「怖いよう」
女の子たちが逃げ惑うように出口に向かっている。けれどおどかした張本人のはずのミオはどこにも見えなかった。
「あれ、いない」
すると公園の外からまた悲鳴がして、ばたばたと足音が遠ざかっていく。
「三段オチはのっぺらぼうの得意技だからね。落語なんかになってるでしょう、行く先々でのっぺらぼうに出くわす話。かわいそうにあの子たち、家についたらまたダメ押しでおどかされるのよ」
「うわぁ」
それはトラウマになりかねないではないか。でも、この前のサラリーマンの人のときはそこまでしつこくなかったのに。
ぼくの疑問を察したのか単に話したかったのか、ユーシはぺらぺらと話しだした。
「今の子どもの服ってすごくしゃれてるじゃない。もっとも、昔から女の子は着物や小物にはこだわってるものだけども。ミオちゃんは言わないけど、それがすごくうらやましいのね。ほら、妖怪って着てるもの変わらないから」
「ああ、なるほど」
女の子がいつの時代もおしゃれが好きだというのは何となく判る。
「見越しさまが言ってたでしょ、これからは顔がつけられるようになるって。それはそれで嬉しいのは確かだろうけど、そしたらきっと服も変えてみたいんじゃないかしら」
「だろうな、女の子だもんな」
「女の子はおしゃれしたいもんだか? おら、この着物気に入ってるぞ」
聞いていないかと思っていたひとつ目小僧が誇らしげに胸を張る。井桁模様の着物は確かによく似合っている。逆に現代風の服装はすごく違和感がある気がする。
「お前にはよく似合ってるからいいんじゃないか」
「えへへ、やっぱりそう思うか? それより、ミオ戻ってこねえな」
「やぁね、まさか一人ひとりおどかしに行ってるのかしら」
それは怖い。そうだとすると、よほど服装に執着があるんだな。
「あのさ、雲外鏡。見越し入道さまにきいてみてほしいことがあるんだけど」
「なになに? なんなら今つなげようか?」
「いや、それは遠慮しとく」
ミオがいつ戻ってくるか判らないから内緒話はしにくい。それに見越し入道と話すのはなかなか疲れるのだ。
ユーシにこそこそと耳打ちする。
「まぁぁ、素敵じゃない。粋なこと考えつくのね、元人間にしては。それとも元人間だから、かしら」
「どうかな」
「何だだ? おらにも教えてくれろ」
どうしよう、こいつに言うとしゃべっちゃいそうだからな。
考えている間にミオがふわりと戻ってきた。
「楽しそうね、何の相談?」
「いや別に。それより、ずいぶんすっきりしたみたいだね」
「そうかしら。久しぶりに思う存分おどかしてきたから」
にやりとする顔はすごみがあった。何かが違う、と思ったら『口』がついているのだ。今ので成績が上がったのだろう。女の子たちには気の毒だと思うけれど、ぼくにはどうしようもない。後々、笑い話にでもしてくれればいいと祈るばかりだ。
こういう風にパーツが増えてくのか。これはこれで怖いぞ。
「ミオちゃん、口がついてるわよ。すごく形のいい唇! 羨ましいわ」
ユーシも気づいたようだ。しかし同性だとこういう感想になるのか。ぼくにはない発想だ。
ミオはまんざらでもないように指先で唇をなぞっていた。
「これが、わたしの顔か」
「よかったじゃないか、この調子でやればいいんだろ」
「そうね。スバルも見てよ」
すっかり上機嫌なミオは一つ目小僧をスバルと呼んだ。もう名前なんかどうでもいいのかもしれない。ぼくももうそれでいい気がしてきた。
いやに静かになっていたスバルが何をしていたかというと、地面にしりもちをついて目を回していた。
「どうしたんだよ、スバル」
「いや、ミオの顔が怖くて腰抜かしちまっただ」
「………」
本当にこいつは妖怪としてどうなんだろう。
ぼくたち三人は顔を見合せてがくりと肩を落とした。