5

 そのサラリーマンはうつむき加減に背中を丸めて、重たげな足どりで歩いていた。足元だけを見ていて、周囲にはまったく注意を払っていないようだ。
 ぼくらはターゲットを定めて、しばらく上から眺め様子をうかがってみる。人通りもないし、彼は顔を上げることもなく、とぼとぼと歩いていく。
「あ、あの人をおどかしてくればいいだな?」
「そう。これくらいうす暗ければ出会い頭の一発でおどかせる。気合いいれていけ」
「お、おう。おらがんばる」
 そう言ってスバルは下りていき、サラリーマンの後ろをついて歩く。ひょこひょこした足どりはコミカルでしかないけど、本人はいたって真剣そのものだ。
「あのぅ」
 スバルが声をかけるとサラリーマンは振り返って辺りを見回した。スバルの方が小さいから、すぐには視界に入らないらしい。スバルの姿を見つけて少なからずぎょっとしたようだ。
「うわ、なに?」
「この辺りで落し物しちゃったらしくて、おらの……を見なかっただか?」
「え、何を落としたの? 今、ここで?」
 いい人なんだな、この人。まったく見ず知らずの相手にいきなり声かけられて、あからさまに普通でない様子なのに、立ち止まってくれた。
「おらの片目、どこかで見なかっただか?」
 サラリーマンが聞き返すために少し屈んだタイミングを見計らい、がば、と顔を上げる。大きなひとつ目がぎょろりと彼を見据えた。
「ひ、ひゃぁぁっ」
 スバルが顔を突きだしたものだから、反射的にのけぞったサラリーマンはか細い悲鳴を上げて逃げ出した。カバンを抱え直してどたばたと走っていく。
「ゴン……サトシ! おらにもできただ!」
 ひとつだけの大きな目をきらきらさせてスバルがぼくを見上げる。ぼくのことをまだゴン太と呼びかけるのが憎らしい。それはともかく、今のは成功といっていいんじゃないだろうか。
「やったじゃないか。ぼくのアドバイスがよかったおかげだな」
「いやあ、おらが本気出せばこんなもんだべ」
 そしてすぐ調子に乗るところもちょっとイラッとする。
「あんたにしちゃ上出来じゃない」
 黙って見ていたミオも珍しくほめた。その顔には、鼻と口と耳がついている。彼女は二日も経たないうちに実績を上げ、それだけの顔のパーツを手に入れたのだ。どういう基準なのか判らないけど下の方からついていく。今の状態も充分妖怪らしくて怖いといえば怖い。
そのことよりも、ミオの妖怪としてのポテンシャルは純粋にすごいと感心していた。ぼくたちの面倒も見つつ、自分の成績も上げるなんて大変なことだと思う。おどかし方が時々えげつないことには目をつぶることにしとくけど。
「なに? あたしの顔、変?」
「あ、いやごめん。そうじゃない」
 まじまじ見つめていたせいか気づかれてしまった。ちょっと見とれていたとも言えず、ぼくは話をそらす。
「ミオはあと、目だね」
「そうね」
 目だけがない状態もなかなかに恐ろしげな感じはする。でも、鼻筋は通ってるし唇もきれいなピンク色をしている。これでぱっちりした目がついたらなかなかの美少女になると思われる。
 それでもミオはどこか浮かない様子だ。
 やっぱり、雲外鏡の言ったことは当たってるのかもしれない。ミオのためにも、ぼくたちはもっとがんばらないと。
「よし、行くぞスバル。今日中にもっとおどかしに行こう」
「えー」
 不満げな顔をしたスバルを無理やり引っ張る。あれだけ言い含めて約束させたのに、隙あらば楽をしようとするのには閉口する。
「いいから来い」
「うう」
 ぼくたちのやりとりを見ていたミオが感心したように声をあげた。
「ずいぶんがんばるじゃない、あんたたち」
「だって負けてられないだろ」
「おらはもう疲れただ」
「疲れるほどおどかしてないだろ、ターゲットはぼくが見つけてるんだし」
 本当に、ひとりおどかすのに成功したくらいで大仕事を成し遂げたような顔をしないでほしい。ミオはそんなスバルの態度には慣れっこになったのか、何も言わずぼくに笑顔を向ける。
「いいことだわ、がんばって行ってらっしゃい」
 ミオの励ましを背に、ぼくはスバルを引き連れターゲット探しにさまよい始めた。夜が更けると人通りが減ってしまうから、その前にもう二人くらいは成功させたい。
 ぐいぐいとスバルを引きたてて、夜の街を目指した。



「おぬしら、なかなかにがんばっているようじゃの。心なしか顔つきも妖怪らしゅうなってきたように見えるぞ」
「ありがとうございます、見越し入道さま」
 雲外鏡に映し出された見越し入道はひどく上機嫌だ。
連絡をとってきたのは向こうからだった。例のごとく雲外鏡を使っている。着信した時、ユーシが少しだけ面倒くさそうな様子を見せたのをぼくは見逃していない。
その気になればいくらでもこっちに来られるはずなのに、わざわざ雲外鏡の通信機能を使うのはやっぱり面白がっているようにしか見えない。妖怪にも意外とお茶目なところがあるものだ。
「ミオの指導は厳しいと聞いとるが、まことじゃの」
「当然です」
 腕組みしたミオが冷静に答える。黒目がちの大きな目が見越し入道をまっすぐ見つめていた。
 ミオは念願の『顔』を完全に獲得していた。これでどこから見てもふつうの女の子、これも彼女の努力の賜物だ。
「名は、サトシだったか。おぬしはもう一人前じゃな」
「おらは? おらも一人前だか?」
 必死の形相でスバルが割って入る。気持ちは判るけれど、あまり望みはない気がした。
 常に近くにいて見ているからがんばっている姿勢はもちろん伝わってくる。けれど、まだおどかしの成功率は六割くらいなのだ。それをどう評価してくれるのかぼくにも判断できない。
 案の定、スバルを見たとたんに見越し入道の表情が芳しくなくなった。それは、前に見たときよりもあからさまに不機嫌な感じではなかったし、スバルに対して苛立っているというより、言いにくいことをどう言ったらいいか困っている、という風に見えたのがぼくの気持ちに引っかかった。
「まぁお前もがんばっておるな」
「だべ? おら、今までにないくれぇがんばってるだよ! おらももう一人前でええかな?」
 こういう、すぐに自分を過大評価するところは若干腹立たしいけれど、悪気があるのではないのは判っている。スバルも必死なのだ。
 スバルの言葉を聞くと、見越し入道はますます困ったように視線をさまよわせた。
「それはだな、お前はもう少し精進してから、ということでどうかと、ダイダラボッチさまと話しておったのじゃ」
 ものすごく歯切れの悪い言葉だ。その物言いで十分察せられるのだが、スバルには通じていないようだ。
 雲外鏡につかみかからん勢いで迫ると、ユーシが嫌がるように宙に浮いた。
「ちょっと、むやみに触らないでよ」
「でも、でもぉ」
「落ち着けスバル。まったくダメということではない、あと少しなのじゃ」
「少しってどれくらいだだ? 明日? あさって?」
「いや、そういうことでなくだな」
「そしたらいつになるだよ?」
 雲外鏡に(正確にはその中に映ってる見越し入道なんだけど)迫る姿を見ていたら、苛立つのを通り越して気の毒になってきた。スバルが努力しているのは何よりぼくが一番知っている。
「見越し入道さま、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんじゃ」
「ぼくが一人前と認められた場合、何か変化があるんですか?」
 唐突に話を変えたためか見越し入道は一瞬面食らったようだが、少しほっとした様子を見せて話しはじめた。
「そうじゃな、そのひとつ目が次第に大きくなっていき、そのスバルのように顔の中央に寄るのじゃないか」
「え……」
 それは想定外だった。片目がなくなったのは諦めもつくけど、妖怪としての最終進化がこれ、というのはちょっと受け入れ難い。
「なんじゃ、不服か」
「かなり不服です」
「なんで? おらみたいになるの、いやだか?」
 いやだよ、と思ったけど口には出さなかった。
「スバルはちょっと黙ってて。前に、ユーシに伝えた件は聞いていただけましたか?」
「あの話なら聞いたが、おぬし、本気で言っておるのかの」
「もちろんです」
 スバルが思いきり首をかしげている。ミオも不思議そうにぼくを見ていた。
「しかし、自分たちの実績を他者にやるというのはまた、思いきったことを言う」
「納得してやることですから、問題ないです」
「ねぇ、いったい何の話してるの?」
「ミオ」
 見越し入道に呼ばれてミオが少しだけ背筋を伸ばした。
「これからは、服装と髪形も自在に変えられるものとする。ただし、のっぺらぼうとしての本分を忘れるでないぞ」
「え、と。どういうことですか?」
「そこのサトシから申し出があったのだ。自分たちの実績で、おぬしに服装の自由をやってくれとな。彼奴の実績が充分な量に達したゆえ、そういうことにするのじゃ」
「ミオちゃん、これからはイケイケな今時のファッションもできるのよぉ、すごいじゃない」
 ユーシの言葉に、ミオは口もとを覆った。頬が紅潮している。泣き出しはしなかったけれど、興奮しているのが判った。
「あんたたち、そんなことを考えてたの」
「ほら、ぼくは別に外見はこのままでもいいし」
「なぁ、おらの実績もミオにやっちまうってことだか?」
「まあまあ。お前のは大したことないし」
「なんだと……ふがっ」
 ここでスバルに騒がれると面倒なのでなだめつつ、口をふさいだ。
「見越し入道さま、ぼくらこれからもがんばります。大丈夫です、すぐにふたりとも一人前になってみせますよ」
「はっははは、これは頼もしい。案外、妖怪にむいているのかもしれんぞ、サトシ」
「でしょうかね」
 今となってはそう言われるとちょっと嬉しいのはだんだんなじんできているんだろうか。確かに受け入れてもらえるのは気分としては悪くない。
「大丈夫です、このスバルもものすごくがんばってるんですよ。見た目が怖そうな人でもおどかしに行くし、少しでも怖がらせようと怖い顔の研究もしてるんです!」
 言ったとたん、ミオがすごい勢いで吹きだした。ユーシも全体が震えている。
 気持ちは判るけどさ。ちょっとばかり気の毒だろ、笑いすぎだし。
「ゴン……サトシぃ」
 未だに名前を一度で呼べないことにはカチンとくるけど、ぼくはスバルが憎めない。確かに抜けたところは多いけど悪いやつじゃないし、一生懸命なのだ。
「そうか、それならばよし。これからは四人で励むがよい」
「ちょっと待ってください、あたしもですか?」
 それまで笑っていたミオが身を乗り出した。意外なことを言われた、という様子だ。
「仲間がいる方がミオも楽しかろ。それに見ておればなかなかに相性もよさげであるぞ」
「だけど、こいつらとなんて」
 ひどい言われようだけど、彼女にしてみればぼくらのお守りなんて面倒なだけなんだろうな。いつまでもぼくらに引きとめておくのも気の毒だ。
 だが見越し入道はミオをじっと見つめて言った。
「いいじゃないミオちゃん、あたしもご一緒するからさ」
「ユーシちゃん、そんなこと言って」
「だって楽しそうだもの。あたしたちに大事なことは、『毎日を楽しく明るく人間をおどかす』よ、この四人てなかなかいいチームだと思うのよ」
 ユーシの言葉に気持ちが揺れているようだった。そこへスバルがおずおずと話しかける。
「ミオ。おら、あんまりドジ踏まないようにするだから、一緒にいよう? みんなといた方が楽しいに決まってるだ」
 そして一歩近づこうと踏みだしたとたんに何故かその場で転ぶ。これはもう、こういうやつなんだろうな、スバルは。
その様子を見たミオはぷっと吹きだし、スバルに手を差し出した。
「わたしがいないと本当にダメね、、あんたは」
「へへへ、ありがと」
 スバルが立ち上がるのを見届けると、見越し入道はカカカと笑った。
「達者でな、楽しみにしておるぞ」
 一言残して通信は切れた。
 解放されたユーシがぼくらを見る。
「あたしたち、これからチームね。素敵、きっと絶対に楽しいに決まってるわ」
「ああよろしく」
 ぼくが手を出すと、それぞれならって手を重ねた。ユーシの手だけ異様に細い。
「なんだかワクワクしてきただな!」
 こうしてぼくらは、きちんと仲間になった。

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