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誓っていうけれど、ぼくは歩道とも呼べないような幅の白線の内側をきちんと走っていた。自転車だからもちろん左側通行も守って。通行量はさして多くなく、対向してくる車もごく普通のスピードで走っていた、と思う。そんな直線の道路でその対向車がいきなりぼくの方にハンドルを切ってきた。
「マジか!」
運転手のおじさんは聞こえないけれど口を大きく開けて何事か叫んでるようだった。だけどこっちも必死だ。避けようにもぼくの左側は田んぼが広がっていて。
がしゃん。
音は意外と軽かった。そして次の瞬間にはぼくの身体は飛んでいた。
「痛てててて…」
強かに打ちつけた後頭部をさすりながら起き上がると、異様なモノがぼくをのぞきこんでいた。
「うわっ、なに? なんだコレ!」
「おぉ、オラが見えるだかおめぇ」
「は?」
ぼくをのぞきんでいたモノは形は人間によく似ていた。背恰好は小学生くらいでちょっとずんぐりした体形。白と青の縞の着物は膝丈で、何だかコミカルだ。三角の、お土産屋で売っている編みがさのようなものを被っている。
今時こんな子どもがいるとも思えない。いや断言すると、こいつは人間ではありえない。笠の下からのぞく顔には大きな目がひとつだけ、その下に小さな鼻と口がついていて、肌はやけにつるりとしている。
「ふーん、そうだべか」
顔のほぼ半分を占める巨大な目玉がぎょろりとぼくを見た。
そしてそいつがやけに指の短い子どもみたいな手を伸ばしてきたと思ったら。
指先がぼくの左目に触れ、そのままずぶずふと入りこんできたのだ。
「え?」
何が起きているのかまったく判らなかった。
「ひ、ひぃぃぃ?」
混乱して後ずさる。するとそいつは一歩近づいてきて、指はぼくの左目につっこんだままだ。そしてすぐに気がついた。
全然痛くない……何だこれ?
目の奥をくすぐられてる感触がして、すぽん、と目玉が取り出された。
痛みはまったく感じなくてぼくは呆然とそいつの手のひらに乗った白い球を眺める。それは確かに今しがたまでぼくの左目だったはずなのだが、こうして見ると箸の先でえぐり出した焼き魚の目玉みたいで作り物めいていた。
「な……な……なんだよ、これ」
あわあわと言葉にならずに口を開いていると、そいつはぼくの目玉を自分の大きな目玉に押しこんだ。
どういう構造になってるのか、何の抵抗もなくぼくの目玉はずぶずぶと入りこんでいく。
「ふぅ」
すっかり入ってしまうとそいつは軽くため息をついた。
「まぁまぁだな」
「な、なんなんだよっ、お前はっ」
「おらはひとつ目小僧っつう、立派な妖怪だべ。おめぇの目をもらっておらの一部にしただ」
「はぁ?」
 話がさっぱり見えない。
「……オラが見えるっつーことは、おめぇ、もうおっ死んでるぞ」
「えーと、何言ってるかよく判らないんだけど……」
後頭部がまだ痛い。
急ハンドルを切ってきた車はどうしたんだろう。一言文句を言ってやらなきゃ、とようやくそのことに思いが至った。事故なんだから警察に連絡して話し合いをしなきゃならないし。
「自転車、無事かな」
辺りを見回す。それまで気づかなかったが、田んぼの中の道路ではあったけれど、事故のせいでそれなりに人は集まっていた。
するとぼくの身体は宙に浮いて座っている状態なのに気づいた。前に立っているひとつ目小僧も地面から浮いているのが判った。
「え、これなに? どういうこと?」
「だからよぉ、もう実体がないんだからしょうがねぇべ」
ひとつ目小僧の言うことはいまいち判らないが、どうやらこの状態で話ができるのは彼だけのようなので、仕方なく目を合わせる。
「ってことはぼくはもう、死んじゃってるってことか?」
「だからそう言ってるべ。見てみ」
指さす方を見ると、事故で周囲に集まって来た人たちの一部が事故を起こした車の運転手と話したり、自転車ごと田んぼの中に倒れたぼくをのぞき込んだりしていた。
かなりの人が集まっているのに、ぼくやひとつ目小僧には誰も見向きもしない。
ということはやはり見えていないんだろう。
田んぼの中で、だいぶ根を張ってきた苗に埋もれて仰向けに倒れたぼくは、斜めに顔を傾けていて、一見すると眠っているだけのようにも思える。だが頭の下に黒い石を枕のように敷いていた。
あの石に直撃したのか、それはかなり不幸な巡り合わせだな。ほんの少しでもずれていたら違う結果だっただろうに。
「石の上だったのか」
「一発だな。まぁ、これも人間の寿命ってやつよ」
この風貌でしたり顔で言われるとちょっといらっとするけれど、こうして自分の死にざまを目の当たりにするとそうかもしれないな、とも思えた。
「で、なんでぼくはこうなっちゃったんだ? 普通、成仏するんじゃないか?」
ひとつ目小僧に聞いてどうなるとも思えなかったが、話しかけるのが彼しかいないので自然と尋ねる格好になっていた。編み笠の目を指でいじっていたひとつ目小僧は、んー、と気のない返事をしながらも律儀に応えてくれた。
「人間ってのは強い想いをこの世に残してると魂が残ることがあるだべ、いわゆる幽霊っつうヤツだな。それ以外にも、おめえさんみたいにぽっくり逝っちまって、自分が死んだことに気づかないやつも残ることがあるのさ。あっちの世界に行くのもタイミングってものがあるみてぇでな」
「なるほど……」
「おめぇはぽっくり型だが、何か思い残したこともあるんでねぇか?」
「ぼくに……?」
まったく自慢にならないがおよそ執着というものには縁のない人生だった。
成績は中の中。運動で目立つこともなく、体つきも中くらいでクラスでは常に地味な存在だった。小学校中学校高校と、良くも悪くも目立った試しがない。
女子を泣かせたこともなければモテたこともない。
現在、大学に通ってはいるけれど将来にどういう大人になりたいのか何がしたいのか、明確なヴィジョンも目標もない学生なのだ。
あ、何だか振り返ってたら切なくなってきたぞ……。
落ち込んでる場合じゃなかった。
「別に、思い残したことなんて……」
「今は魂もびっくりして忘れてんのかもなー。そのうち思い出すかもしれんて。それで、今日からおめはおれの弟子な」
「……は?」
今度こそ訳が判らない。
「何を、言っとるのですかアナタ? 何でぼくが」
「細けえことは判んねけど、この世にとどまった魂が最初に会った妖怪なり幽霊ってのはそいつを弟子にできるって決まりがあるだよ」
「弟子って……いったい、何を教わるんだ」
ひとつ目小僧は軽く首をひねって考えこむ仕草をした。
顔の半分以上を占める目がぎょろ、と動いて少し可愛らしいと思わなくもない。こういうのはキモカワっていうんだろうか。
「んー、そう言われても困るだが……一人前の妖怪や幽霊になるためじゃなねぇか」
「そんなものにはなりたくない」
いくら死後だからって、一人前の妖怪や幽霊を目指してどうする。普通なら成仏するもんじゃなかろうか。
ぼくがあまりにきっぱり言い切ったためか、ひとつ目小僧は困り切ったようだ。
「って言われてもなぁ。じゃあおめぇどうするだ?」
「どうって、こうなったらしょうがない、ぶらぶらして過ごすよ。そのうち成仏できるんじゃないか」
ぐい、と伸びをする。
足元では警察車両や救急車が来て、それはもう騒ぎになっていた。
救命処置をされながら、担架に乗ったぼくの身体が運ばれていく。
これでもう自分の身体ともお別れかぁ、とあまり実感も伴わないままぼんやり考えた。
ぼくにぶつかった車のドライバーが真っ青になっていたけれど、不思議と恨む気持ちはなかった。お互い単に運が悪かっただけですよ、と言ってあげたかったけど、それを伝える術はぼくにはもうない。
自由の身になったのなら、気ままな生活を満喫してみよう。成仏っていつできるのか判らないし。
「なぁ、おらの弟子にはならないだか?」
「悪いけど」
そう言って歩き出してみると、ふわふわと心もとないながら前に進めた。
正直言うと、抜けがらになった身体が見ず知らずの人たちに見られているのがいたたまれなくて、ぼくはその場を離れる。
田んぼ一つ分離れてから振り向くと、ひとつ目小僧はぼくの身体を淋しそうに見下ろしていた。




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