unreality Ⅱ-Ⅱ
さて、あれだけ颯爽と屋上を去ったまではよかったのだが、さっそく尾行がばれた。
「……あー、ぐ、偶然だなぁ、昨日振りっすね!」
おいおい、どうして敬語になってるんだ。
笑みも引きつってるだろうし、不自然なことこの上ないだろうけど、とりあえず今すぐ姿を消したかった。
「何か、私に用があるのではないでしょうか?」
「あるには、あるんだけど……そんな重要でもないかな、あはは」
こりゃマズいことになったなぁ、と他人事のように考えながら、それとなくリーズの所作を見つめる。
やはり、どこからどう見ても、それこそ私と同じような、普通の少女と変わりないように見えてしまう。
そんな相手を初見でヒトっぽくない、なんて思ったのは他ならぬ私なのだけれど。
「光崎さん、でしたか」
「あ、はい……そうですが」
覚えてくれていたのか、と少し警戒しつつ、できるだけ自然な笑みを心がけてみた。
相手はそれこそ、ヒトのようでヒトとは違ったものなのだから、意味があるのかどうかなんて分かりはしないけれど。
「覚えててくれたんですねー、いやはや……光栄なことだ」
そう言われてしまうと、こちらもいちいち対応していては疲れてしまうだけだ。
肩の力を抜いて、いつでも逃げられるようにと身構えておいた身体をリーズの方にしっかりと向ける。
遅かれ早かれぶつかるのなら、今でも問題はないでしょ?
「アンタ、アンドロイドか何か?」
違います、とは言わなかった。どこか探るような視線を感じたのは、私の感覚がそこそこ鋭いからだろう。
沈黙。けれど嫌いな沈黙じゃなかった。
「まさかとは思ってたけど、驚いた……私の勘って良く当たるんだな」
まあ、宗司が手助けしてくれていなかったら、今頃はリーズのことを別の視線で眺めていたこともあり得る。
だとしても、私はなんだかんだと、私自身を貫いていただろうけれども。
「それで、私に何か要求でもあるんですか?」
そんな事務的な問いに、思わず吹き出してしまった。
そうそう、こんな感じだ……この少し突飛な非日常を、私はきっと望んでいたんだろう。
「いや、いや……あーダメだ、お腹が痛い!」
ひとしきり笑って、人には見せられないほど好き勝手にはしゃぐ。
目の前にいるのは機械の少女。困惑の眼差しと、納得していないような表情は、どうみても人間のよう。
好奇心が出てくるというか、もしかするとまた別の興奮を覚えてはいるけれど、ともかく悪意はない。
「えーと?とりあえず、悪意も害意も、これっぽっちもないよ……私はただ、あなたと友達になってみたいというだけ」
私は非日常に、自分の日常を求める。
ただ、それだけのこと。
そこにはあるのはいつも、私のワガママと勝手だけしかない。
「なんだか、変わってますね」
まさかそんな言葉を貰うとは思ってもいなかったけれど。
それもまた、一つの経験であって、掛け替えのないものに変わっていくのだろう。
「私はあんまり変人じゃないよ……ただワガママが多いってだけ」
宗司には、そういうところが変わってるんだ、と言われるだろうけど、どちらにしても私であることに変わりはないのだ。
それが私。それが光崎世界の信念。
「で、一つだけ疑問があってさー…」
「――っ!」
「え」
リーズが動いた、と目に捉えたときには、ぶおん、と、耳元で風がうなるような音が響いた。
ほとんど条件反射で回避をしていたが、まだぴんぴんしているのが不思議なほどだ。
「……え、えーと?」
「伏せて!」
その鬼気迫る声に、弾かれるように身体が動いて……背後、何かの影を尻目に捉える。
なにか一瞬、リーズの手元がキラリと光ったような気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。
「説明、してもらえると助かるかな……?」
それはまるで日常に迷い込んだ、異常という名の何かがこちらを見た……そんな感覚が伝わってくる。
肌を刺すのは、チリつくような殺気。目に映るのは、不可解に浮かぶ等身大の人影。
あれは、そうだ……あの写真に映されていた――
「バグ……少なくとも、私たちはそう呼んでる」
引き絞るような声と、鬼気迫る表情に、私もスイッチが変わっていく。
ここは、日常じゃない。
それはお粗末な夢のような感覚だ。
まるで現実に似せて、そこに理由や意図があるでもなく配置されたような、不安定でどこか不安になるような、得体の知れない何か。
バグ。電子関係に詳しくないけれど、その言葉は正鵠を射るようなものだと感じた。
「は、はは……痛った!よし、これ現実みたいだ!」
試しに自分の頬を抓ってみたが、どうやら現実だったようだ。
興奮しすぎて少し自分をコントロールできそうにないけど、この高揚に身を任せてしまいたくなる。
「世界さん、離れていてくださいね」
そうしてリーズは、風よりも早くその懐にまで距離を縮めていた。
うそ。と言葉にする間もないほどの速度。もはや視覚で捉えられない、圧倒的なまでの速度の境地。
さながらそれは電光石火のように峻烈で。ただ唖然とすることしか許されない、刹那の対峙だった。
実体のない影が、二つに割れる。
それは空を割くような銀の輝き。
リーズの手に握られていたのは、一振りのサバイバルナイフ。
それはリーズが持つにはあまりに武骨でありながら、そこから生まれてきたかのような安定感が感じられた。
「除去(イレース)、完了(コンプリート)」
その言葉を皮切りに、光の粒子と化したナイフは、瞬く間に空気に溶けていく。
まるで、蛍の光のよう。
きらきら、きらきらと空気に溶け、そうして残ったのは、いつもの日常の風景だ。
「……大丈夫、ですか」
「ん?あ、ああ……少しビックリしたけど、ケガはしてないよ」
この非日常な一日は、私とリーズとをつなぐ、最初の懸け橋となった……。