Little Crown Ⅲ
世界。それはオレという人間にとって、複数の意味を持つ。
一つは言葉通り、この世界全般について。恐らくは万人が想像するであろう、現実の姿だ。
そうしてもう一つ、これが途方もなく厄介な代物だが、腐れ縁で今も同じ学校へ通う、とある少女のことだ。
ただ、どちらもオレの主観にしてみれば、一つのものに変わりはないのかも知れない。
「……あれは」
リーズ、か?
ちょうど廊下の角に消え、その姿をしっかり見ることは出来なかったが、確かにリーズのように見えた。
隣に世界の姿も見えたから……守備は上々、というところなのだろう。
オレの出る幕はなさそうだな、といつものように屋上へ足を向ける。
途中、オレと目を合わせないようにそそくさと帰宅していくヤツ等を無視して、人のいなくなる時間を見計らう。
「まったく、骨のないヤツ等ばかりだ」
「なら、骨のある試合なんて、久しぶりにしてみる?」
そんな陽気な声に、ようやく背後を取られていたことを悟る。
振り向いた先にいたのは、してやったり、という顔をした世界だった。
どうにか驚かずには澄んだのは良かったが、ここまで距離を詰められて気づかないオレもオレだ。
少なくとも、取られている。
そんな感覚に、少し不機嫌になる。
「試合?」
「んー、そうそう。ほら、前に相手してやるって、そういったじゃない?」
前、というよりも昨日か一昨日くらいの話だ。
あの時は軽い冗談か何かだと思っていたが、まさかコイツ、本気で言っていたのか?
「冗談じゃなかったのか」
思わず、笑みが浮かびそうになった。
こればかりは、どうしても認めるしかないが、オレはコイツに大きな借りがある。
その借りというのも、コイツに負けたという苦い経験だ。
「んー、冗談はあんまり好きじゃないからねー、で、やるの?」
この女は、こんな見た目からは考えられないが武術を習っている。
それも、父親が師範代だとかで、その影響から始めたということだが、そんなことはどうでも良い。
この決着は、今すぐにでもつけてしまいたかった。
「勝つのはオレだ」
「おお、良い心意義だ。そんな活き活きしてる宗司、久しぶりにみたよ」
落ち込んでいるのか分からないような、大仰な溜息が聞こえてくる。
コイツのことだから、本当に落ち込むなんてないだろうが。
「……こちらが、宗司?」
と、ひょこり、と覗き込むように、ソイツはオレのことを珍獣か何かのように観察していた。
ああ、こいつもいたのか……と思わず呆れて声を出す気にもなれない。
どことなく物腰が鋭く、それこそ軍人のような独特に洗練された動作が見て取れた。
「ああ、そうそう、コイツが私の愛弟子」
「誰がいつ、お前の愛弟子になった!」
「いやー、コイツさ、小さい頃は可愛かったんだよ」
人の話を聞かないとは、コイツのことを言うのだろう。
コイツは一度だって好き勝手なことをやりだせば、それを完遂するまで止まることはない。
これを自分勝手といっても良いが、ワガママや単なる自己満足ではないから、なお質が悪いのだ。
「偏ってるかもしれませんが……私が知っている情報を元にすると、水守宗司というのは不良だと断定していたのですが」
「ん?ああ、そりゃそうなんじゃない?偏ってるとかじゃなくて、色々と問題起こしてるしねー」
ねえ?という視線で尋ねられて、オレはあえて無言で肯定を示す。
実際のところ、問題を起こしているというのは事実だ。
気に食わない他校のヤツをぶん殴って、やけに絡んできやがった連中を病院に送り、警察や教師には過剰防衛だのどうのと散々注意された。
どこのどいつかは知らないが、賠償請求までしてきたヤツもいたが……弁護士が上手くやってくれたらしい。
「コイツもコイツで頑固なんだ、まあ、屋上にいるってだけで、私達は既に共犯なのだけど」
「……そういえば、そうでしたね」
このアンドロイドも、気づいているのかいないのか、もう既に世界の雰囲気に呑まれてしまっている。
あけすけのなさ、言ってしまえば表裏のないこの女は、いつの間にかこうして人を惹きこんでしまう。
おそらく、そんなことを世界は意図も考えもせず、自然にやってのけてしまうのだ。
「さって!用も済んだことだし、私は帰ることにするよ」
そうしてそいつは、今日もまた楽しそうに笑って、オレと別れる。
「ああ。それじゃあな」
その背中に、届くか届かないかもわからない呟きを投げかけると、肩越しに手をぶらぶらと振っていた。
そうして、リーズもそちらについていくのか、と思えば、意外なことにこちらに興味を持っているように見える。
オレはそちらに気づかないフリをしつつ、背中が見えなくなるまで見送る。
「……それで、なにか用でも?」
どうも、面倒事のような気がした。
確信があったわけではないが、こういう予感というのは人一倍強いほうだ。
だから当然のよう、警戒だってしてしまう。
機械と人間なんて、それこそ紙とハサミの関係に似ている気がする。
結束してより強固になる紙と、より鋭く、そして綺麗に細断することを目的に作られたハサミ。
そんな妄想力の豊かさに、オレも世界のようになったのか、とどこか諦めに似た感情が生まれてきた。
「一つだけ、質問を」
なんなりと、という意味で、オレは大仰に肩を竦める。
世界との関係について聞かれたのなら、ともかく昔の縁だと言っておくことにしよう。
「私の正体を最初に知ったのは、あなたですか?」
しかし、そうして訪れた質問は、予想の少し斜め上をいくものだった。
さて、どう答えるべきか、と深く考えるまでもなく、言う。
「世界が、アンタの身のこなしがどうのと言ってたから、オレは鎌をかけてみただけだ……アンタの正体に疑問を持ったのは、世界の方さ」
そんな信憑性もない受け答えに、機械の心はどう反応したのか……その鉄面皮の真意を探るには、オレは少し不器用すぎる。
ならば、しかるべき相手に、いつものように世界という存在に、任せるとしよう。
「……もうすぐ、下校の時間か」
オレはその脇を通り過ぎていき、下校とかこつけてこの場から去ろうと試みる。
また後で帰ってくる予定だが、家に帰るのも面倒だし、この学校の近くにコンビニだってある……冬でもなければ、ここで寝泊まりもできるだろう。
「では、最後に一つだけ」
「なんだ……?」
無理矢理帰ってやろうかとも思ったが、抵抗するだけ無駄だ。
肩越しに振り返り、そちらを見やると、先程とは違った、どこか人のような曖昧な表情を浮かべているように見えた。
「世界は、何を考えてるんでしょう?」
「さあ、どうだかな。アイツに聞いてみた方が、予想もつかない答えを返してくれるだろうよ」
オレに言ったように、アイツはさも当然のように、そう答えるだろう。
リーズを、人間にしてみたい。
そう語ったあの横顔を、オレはしばらく鮮明に思い出すことになりそうだった。