激怒
北加賀理央は温厚で礼儀正しい性格である、このことは誰に対してもであり彼女が怒ったところを見た者は誰もいないと思われていた、だが。
理央本人はそう言われるといつもこう答えた。
「私も怒るわよ」
「えっ、そうなの?」
「理央ちゃん怒らないじゃない」
「いつも温厚でね」
「しかも礼儀正しくて」
「我を忘れないけれど」
「いえ、怒るし」
それにというのだ。
「それに怒ったらその時は」
「その時は?」
「その時はっていうと?」
「もう自分で後で呆れる位凄くて」
その怒り方がというのだ。
「とんでもなくて」
「凄くてとんでもないって」
「そんなに怒るの」
「そうなの」
「だから」
それでというのだ。
「そんな人じゃないから」
「絶対に怒らないとか」
「そうした人じゃないっていうの」
「そうなのね」
「ええ、けれど怒らない様にはね」
自分自身でとだ、理央は友人達にこの話題の時はいつも答えていた。
「努力しているから」
「自分でわかっているから」
「それでなのね」
「怒らない様にしている」
「そうなのね」
「ええ、これも修行と思っているし」
実に剣道そして合気道をしている武道家らしい言葉だった。
「だからね」
「そうしてるのね」
「怒らない様にしている」
「我慢しているのね」
「そうなの」
こう答える理央だった、そしてだった。
理央は温厚かつ礼儀正しく過ごしていた、誰もそんな彼女を見てそうしてまさか怒るとはと思っていた、そんな中でだ。
ある日だ、大学の剣道部の部活の師範が部員達に話した。
「今度の中学生がうちの大学に来るそうだ」
「中学生が?」
「うちの大学にですか」
「そうだ、うちの大学に稽古をつけて欲しいらしい」
それでというのだ。
「それで来るらしい」
「中学生なのにですか」
「えらい熱心な学校ですね」
「大学生に稽古をつけてもらうとか」
「凄いですね」
「そうだな、じゃあ存分にな」
師範は部員達に笑って話した。
「稽古をつけてやってくれよ」
「わかりました」
「そうさせてもらいます」
「その時は」
「ああ、武道家としてな」
その心を忘れるなとだ、師範は言った。そしてだった。
その中学校の剣道部の生徒達が大学の道場に来た、勿論中学校の顧問の教師も一緒に来ていたのだが。
その教師、大柄で丸々と太りヤクザの様なパーマをかけた細い目の三十過ぎの男を見てそれでだった。
理央は血相を変えてだ、こう呟いた。
「あいつは・・・・・・!」
「どうしたんだ、一体」
「はい、あいつはです」
理央は蒼白になった顔で男子の主将に答えた。
「私が中学の時に練習試合で会った他校の教師ですが」
「そうだったのか」
「とんでもない奴で」
「どんな奴なんだ?」
「見ていますと生徒に暴力を振るっていました」
「そんな奴なのか」
「動きが悪いと殴ったり蹴ったりしていました」
理央はその見たものを話した。
「そうしていました」
「おい、酷いな」
「そしてです」
「はい、そのうえで」
それでというのだ。
「私は稽古を受けていなかったですが私のかよっていた学校の生徒にもです」
「何をしていたんだ」
「はい、中学生に突きを浴びせたり。それもリンチ技のシャベル突きを」
竹刀を下から上に思いきり突きあげてそうして突きを入れる技だ。尚剣道の正規の技であるどころかリンチ技として実際の試合で使えばそれだけで警告を受ける。そうした外道ともいえる技とされている。
「浴びせていました」
「そんな奴か」
「酷いですね」
「中学生にそんなことしていたのか」
主将は驚いた顔で応えた。
「最低の奴だな」
「本当にそうですよね、見ていてです」
「怒ったのか?」
「その時怒りが収まりませんでした」
実際にとだ、理央は真剣に答えた。
「本当に」
「そんな奴が顧問か」
「その様です、まさかです」
「ここで会うとはか」
「思っていませんでした」
とてもという返事だった。
「夢にも、ですが」
「若しもな」
「はい、あいつが何かすれば」
その時はと言う理央だった。
「わからないです」
「怒るのか?」
「そうなるかも知れないです」
「君が怒るとかな」
主将もこう言うのだった。
「まさか」
「しかしです」
「それでもか」
「あの男が何かすれば」
その時はとだ、理央は歯噛みし怒らせた目で述べた。
「その時は」
「わかっていると思うが」
「はい、私は武道家です」
「剣道をしているな」
もっと言えば合気道をしている。
「それならな」
「武道家としてですね」
「ことにあたれ、あの先生が何をしてもだ」
「あいつと同じことはですね」
「君が知っている様なことはな」
決してとだ、主将は強い声で話した。
「するな、いいな」
「はい、そうします」
「怒ってもな」
「そうします、しかしあいつは」
その教師はというと。
「主将も気をつけて下さい」
「俺達の前でも暴力を振るうのか?」
「そうします、私の前で殴って蹴って平手打ちをしていました」
中学時代の理央の目の前でというのだ。
「その時のことを考えますと」
「今もか」
「普通にしてくるかも知れません」
「本当に酷い先生なんだな」
「ですから気をつけて下さい」
「師範にもお話をしておくか」
「そうしましょう」
こうした話をしてだ、理央は中学生達に稽古をつけてそうして稽古の一環として練習試合もした、そしてここで。
中学生のうちで一人の子が動きが悪かったがその子にだ、その教師はというと。
動きが悪いと怒ってだ、座っている彼のところに来て罵って膝で蹴って平手打ちをした。これには大学の誰もが驚いた。
「動きが悪いだけでか!?」
「あんなに怒るか?」
「あれは罵倒だろ」
「しかも蹴って平手打ちをして」
「あれは暴力だろ」
「何て先生だ」
「やはり変わっていないな」
理央は教師のその所業を見て目を怒らせた、それでだった。
主将にだ、怒りを隠せない声で言った。
「主将、是非です」
「怒ったか」
「はい、あの教師と試合をさせてくれませんか」
こう申し出たのだった。
「そしてその場で、です」
「武道家としては」
「主将の言われる通りにです」
そこは守ってというのだ。
「そうします」
「よし、ならな」
主将は理央の話を受けてだ、そしてだった。
すぐに自分の生徒に暴力を振るっていたその教師のところに行って試合を申し出た、そうしてだった。
理央は教師と試合をすることになった、見ればだった。
教師は防具の面を着ける時にだ、人相が生徒に暴力を振るっていた時よりもさらに獰悪なものになっていた。面の中に見えるその顔を見てだ。
主将は既に面を付けて立っている理央にだ、こう囁いた。
「おい、あの先生な」
「はい、私にもですね」
「何をするかわからないぞ」
それこそというのだ。
「あれは暴力を楽しむ奴の顔だ」
「その通りですね」
「武道家じゃない」
到底、というのだ。
「ヤクザかゴロツキだ」
「そうした類の輩ですね」
「俺もさっきでやばいと思ったがな」
中学生への暴力でだ。
「今確信した」
「ヤクザかゴロツキですか」
「君が相手でもな」
「容赦なくですね」
「笑いながら暴力を振るってくるぞ、そしてな」
理央に暴力を振るったうえでというのだ。
「その暴力を自分の生徒に見せてな」
「私を徹底的にいたぶって」
「それで恐怖で縛るつもりだ」
「自分に従わせますか」
「あいつはそういう奴だ」
主将も確信したのだ。
「だからな」
「それで、ですね」
「あいつにはそんなことは許すな」
「わかりました、絶対に派手にやってきますね」
「それがわかってるならな」
「はい、それじゃあ」
「考えて試合をしろ」
暴力で来る相手にというのだ、こう話してだ。
理央は教師との試合に入った、すると立っていきなりだ。
教師に渾身の突きを入れた、教師は立ち上がってから仕掛けるつもりだったがその相手にだったのだ。
いきなり突きを入れた、理央は全身の体重を込めて突っ込んで突きを入れたので教師の巨体が大きく後ろに吹き飛び。
壁に後頭部から打ってだ、それでだった。
動けなくなった、そうしてだった。
「おい、あいつ何かな」
「失禁してないか?」
「してるよな、股間から出て来たぞ」
「うわっ、臭いな」
「漏らしたの小だけじゃないぜ」
「大の方もかよ」
悪臭からこのことがわかった。
「汚いな、おい」
「一撃でやられてかよ」
「無様なだな」
「試合の状況撮ってたか?」
「撮ってたぜ」
一人の学生が携帯電話を出して答えた。
「さっきの暴力行為もな」
「よし、早速ユーチューブにあげろよ」
「ニコニコとかひまわりとかデイリーにもな」
「そうしてやろうぜ」
「中学校の名前も入れてな」
「そうして教育委員会にも通報してやれ」
「そうしろ」
師範も拡散と通報を認めた。
「あの暴力を見てどうしたものかと思ったがな」
「そうしてやるべきですね」
「ああした奴は」
「生徒にああした暴力を振るう奴は」
「そうするべきですね」
「あれは武道家のすることじゃない」
こうまで言う師範だった。
「わしも通報しようと思っていたがな」
「はい、丁度録画してましたし」
「それ流してやりましょう」
「そうしてですね」
「潰してやりましょう」
こうしてだ、理央の突きの一撃で気絶し失禁した教師は完全に破滅し教師の職も失うことになった。しかし。
この試合の後でだ、理央は一人だった。
道場に残り練習用の台を竹刀で関西弁で怒鳴り散らしながら散々に打ち据えた、それは全身で汗をかき肩で息をする様になって動けなくなるまで続いた。そうしてだった。
怒りを収めた、後日彼女に友人達は聞いた話を尋ねた。
「試合で暴力教師成敗したんだって?」
「突きの一撃で」
「理央ちゃんがその暴力に激怒して」
「やったじゃない」
「理央ちゃん怒るって自分でも言ってたけれどね」
それでもというのだ。
「恰好いい怒り方じゃない」
「一撃で吹き飛ばして終わりって」
「相手みたいに暴力は振るわない」
「恰好いいわよ」
「いえ、実はね」
理央はその試合の後でのことをだ、友人達に苦笑いで話した。その後練習台を散々に打ち据えて怒りを収めたことを。
そのことを話してだ、友人達に話すのだった。
「こうなっていたから」
「だからなの」
「理央ちゃんは恰好いい怒り方じゃない」
「むしろ逆だっていうのね」
「そうよ、私は本当は怒ったら」
その時はというのだ。
「もうどれだけ暴れるかわからないのよ」
「そうなのね」
「じゃああの時も必死に抑えてたの」
「それで一撃で終わらせたの」
「けれど実は怒りが収まっていなくて」
「稽古の後でだったの」
「そうしたから。怒ったら本当に手がつけられないのは」
自分でもと言う理央だった。
「何とかしないとね」
「ううん、そうは見えないけれど」
「理央ちゃん自身が言う通りなの」
「実は怒ったら凄い」
「そうなのね」
「そうなの、どうにかしていかないと」
自分の怒った時のことはとだ、理央は自制を込めて言った。だから後日教師の暴力に苦しんでいた中学生達から直接お礼を言われてもどうにも返答に窮した。かえって自分のその怒った時をどうするのかを考えていくのだった。手がつけられなくなる自分自身を。
だがその彼女にだ、主将は話した。
「ああしてもいいからな」
「その時は一撃で終わらせてですか」
「後で一人で怒りを発散させるのもな」
「そうですか」
「話は聞いた」
道場で一人怒りを発散させたことはというのだ。
「それでいい、しかも君は自分のことではなく悪事に怒った」
「あの教師の」
「そうした怒りはいい、怒りを向ける対象と発散のさせ方はな」
この二つはというのだ。
「弁えておくことだ、それがな」
「武道家ですね」
「そうだ、だからこれからもな」
「怒りのことはどう向けるかどう発散するか」
「あの時みたいにしていくことだ」
「わかりました」
理央は主将に微笑んで応えた、そうしてこれからはそうしようと自分自身に誓うのだった。武道家として。
激怒 完
2017・10・26
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