Peace2:昔話

          1
「おい爺さ~ん!呼ばれたから来てやったぞ」
 俺はアメを連れて爺さんの工場に顔を出した。アメの素性探りは一旦中断だ。
爺さんの工場は錆びたシャッターが半開きになった古びたところだ。でかい箱のような四角い建物で、中はごちゃごちゃとして機械油の匂いがしていた。
シャッターをくぐって中に入るとアメもおっかなびっくり後をついてくる。初めにここを見たら確かに誰でもこういう反応になるんだろうな。
「おう、来たか黒」
爺さんは奥で何か作業をしていた手を止め、軍手を外しながら出てきた。外した軍手をそこら辺に投げ捨てる。
「案外早かったな」
「呼んどいて早かったはねぇだろ。で?試してぇことってなんだよ」
「あぁ、それはな……」
爺さんは足元に落ちていたスパナを手に取ると、はっ…?と思ったのもつかの間、俺の横をすり抜け走っていきアメにスパナを振り下ろした。
「!?アメ!!」
足を踏み出そうとした瞬間、アメが驚くべき手際で爺さんを取り押さえた。スパナが地面に落ちる音が響く。
「まじ、かよ…」
アメのとっさの動きは、無駄が殆ど無かった。
明らかに普段からこういうことをしている奴の動きだ。
「あっ!すみません!」アメが爺さんを慌てて助け起こす。
「いちち、いや別にいいさ。やっぱお前さん基礎はできてんな」
「基礎?ですか?」
「そうだ。“男の娘”のくせに」
「!」アメが慌てて口を押さえる。
「俺の目はごまかせねぇぞ、ニセ坊主」
にやりと笑った爺さんは意地の悪そうな顔をしていた。胡坐をかいて服についたほこりをはたく。
「あ、そそそ、それはっ」
「あん?」
するといきなりアメが土下座をした。
「すいませんでした!!あの、色々とのっぴきならない事情があったとはいえあなたをだますようなことをしてしまって!本当に申し訳ございません!」
「おいおい!そんなことしなくていいさ。顔を上げな。で、おい黒!ちゃんと説明しろ」
「うっ、分かったよ…… 」
アメが正座をしている横で爺さんが胡坐をかいているという不思議な構図の前に立つと、俺は一通りの事情説明をした。
「てぇ、わけだ。だからアメは今男子のふりしてんだよ」
「ほお?そういうわけか。そりゃ、大変だったなぁ嬢ちゃん」
「ぴやっ!?」爺さんは笑いながらアメの頭を撫でる。
「苦労したんだな」
「おいおい、あんまりアメに絡むなよ」
「ぷっ、一匹狼が随分と過保護になったもんだ」
「! うるせっ!」
「……ふふ、お二人は随分と仲が良いのですね」
『良くない!!』
俺と爺さんがハモッたのでアメにさらに笑われてしまう。
「あのあなたのことはなんとお呼びすれば?さすがに『爺さん』じゃかっこがつきません」
「好きに呼んでくれていい。爺さんでも、じっちゃんでも、何でも」
「じゃあ、そうですね……『スパナ』というのは?」
「…… ぷっ、はははははは!『スパナ』!『スパナ』か!いい名前だ。いいだろう、今日から俺は『スパナ』だ。よろしくアメ」
「ええ、よろしくお願いします。スパナ様」爺さんが差し出した手をアメが取り二人は握手を交わした。
「さて、じゃあ本題に入るとするか」爺さんが
立ち上がりながら話を切り出す。
「本題?あぁ、さっき言ってたあれか」
「そうだ。おい坊主、ちとそこで待ってろ」
「は、はい」
「黒はついてこい」
俺と爺さんはアメを残して奥へと向かった。
爺さんは奥から何か取って来るつもりらしい。
「おい、本題ってアメに何するつもりだよ」
思わず声をひそめながら話をする。
「簡単に言うと坊主を鍛える」
「はぁ!?おい!俺はアメに『喧嘩屋』なんざさせる気はねぇぞ!?」
「馬鹿、わしだってんな危ねぇことさせねぇよ。一時的にしろここで暮らすうえに事件に巻き込まれたことがあるかもしれないときた。だから自分の身ぃ守れるように護身術程度は仕込んどくんだよ」
「あ、確かにそれは教えといたほうがいいか」
「たく早とちりしやがってこの過保護が」
「はぁ!?んな訳ねぇだろ!」
「ふっ、へいへい」
爺さんが床に置いてあった古びた段ボール箱を持ち上げる。中くらいのサイズで横にマジックペンで『訓練』と殴り書きされた文字。俺にとっては見慣れた馴染みのある箱だ。この中には警棒やらスタンガンやら護身術に使う一通りの道具が入っているのだ。
「じゃあ、お前さんはお使い行ってこい」
「……はいぃ?」
「だから、お使いだよ」
唐突なその発言に俺は目を白黒させる。
「え、何それ」
 爺さんの言うお使いというのは東京のとある下町で次に爺さんが作る武器に使う部品を入手してくることだった。こんな簡単なこと自分でやりゃあいいのに何で俺に頼むんだか。
「まさか俺に関して変なこと言ってねぇだろうな…… 」
爺さんとはかなり長い付き合いのせいで必然的に色々と弱味を握られているのだ。
爺さんと初めて出会ったのは十四年前。俺が八歳の時だった筈だ。
「大分、時間が経ってんだな。あれから」
 あの時の俺は一人ぼっちで、方々を彷徨っているうちにいつの間にか九十九里に来ていた。そこで俺がたまたま烏崎の人間に絡まれてそいつらをぼこすまでの一部始終を爺さんは見ていたのだ。
『おい坊主、お前一人か?』
それが爺さんに話し掛けられた最初の言葉だった。そうして俺は爺さんに拾われ、烏崎で暮らすことになったのだ。
爺さんには俺の親代わりになって色々と世話をしてもらったが、その代わり散々色々な特訓をさせられたものだ。
 がらにもなく昔を思い出しながら車を走らせ“お使い”を済ませると、俺は爺さんの工場に向かった。
 車を降りて工場に入ろうとすると中から爺さんがアメに体の動きを指導する声が聞こえてきた。二人に気づかれないように中を覗くと丁度アメが警棒の使い方を教えてもらっていた。なかなか様になっている。
「俺、お邪魔かな?」
俺の声でアメは構えていた警棒を下ろし、笑顔で振り向いた。
「黒夜様!お帰りなさいませっ」
「何、警棒の訓練?」
「はいっ」
「黒、この坊主かなり筋がいいぞ」
爺さんは満足そうに言いながらアメから警棒を回収して地面に叩きつけて棒を引っ込め、箱に戻す。
「そんなことないですよ。私全然慣れなくて…」
「いやいや、大丈夫さ。誰だって最初はそうだからな。あそうだ、拳銃もやってみるか?」
爺さんがにやにやしながら箱から拳銃を取り出して見せた。
「!?おいっ!!」
「はっはっは!冗談だよ。そんなに怖えぇ顔すんなって」
爺さんの趣味の悪い冗談に呆れているとアメがポツリと呟いた。
「かっこいい……」
「へ?」
「それ六発装填できるリボルバーですよね!?実物見るのは初めてです!」
そう言うアメの瞳はキラキラと輝いている。
もしかして、こういうのが好きなタイプなのか?
「持ってみるか?」
爺さんがそう言った瞬間アメの表情がぱっと明るくなった。
「え、いいんですか?!あっ…」
アメが俺の方へ心配そうな視線をよこす。
俺がさっきあんな反応をしたから気にしているんだろう。俺はすっかりアメの保護者になってしまっている。
「はぁ… 分かったよ。ちょっとだけな」
「!ありがとうございます!!」
 アメがキラキラと瞳を輝かせながら拳銃をくまなく凝視しているのを爺さんと二人で眺める。女子がこういう物が好きなんて珍しいこともあるもんだ。
「おい爺さん、ちゃんと弾抜いただろうな」
「坊主に渡すんだ。流石に弾倉は空だよ」
爺さんが手に持った弾を見せる。
「ならいいが」
俺が再びアメに視線を戻した瞬間、爺さんが「…あのよ」と口を開く。
「坊主、結構ややこしいやも知れんぞ?」
「どういうことだよ。事件に巻き込まれてるかもってんならとっくに承知済みだぞ」
「そうじゃねえ。筋が良すぎるんだよ」
爺さんは胸ポケットから煙草とライターを出すと煙草を咥えて火をつける。
「?良すぎる?」
「体の運びが慣れた奴のものだった。普段からやってなけりゃあれは無理だ。何者だ?あの坊主」
爺さんの吐き出した煙が空気に溶けていく。眼鏡の奥に光る目が、これがいつもの爺さんの冗談なんかじゃ無いことを物語っていた。“アメが何者か”その感覚は俺も感じていたことだ。
「ただたんに護身術を習ってたとかじゃねえの?最近はそういうのよくあるじゃねえか。それか元々喧嘩がつえぇとか」
「護身術で警棒の使い方までやるか?普通。それに元々強かったとしても最初はお前さんのように無駄が多いもんだ。坊主の動きは無駄が無いとまでは言わんが、少なくともかなりの場数をふんでる奴のもんだ」
爺さんの言葉で最初に爺さんがスパナで攻撃したときのことを思い出す。あの時確かに俺も爺さんと同じことを感じていた。
「まあ、気を付けてやれってことだ。坊主の記憶に潜んでいるのはとんでもねえ秘密かもしれねえ。それもわしらが想像してるよりもどでかい」
爺さんの言葉に思わず息を呑む。
とんでもない秘密、一体どんな秘密なのか。知りたいような知りたくないような。
「わかったよ。ちゃんと見てりゃいいんだろ。おいアメ?」
「!はいっ」
「それはおもちゃじゃないんだ。そろそろ爺さんに返しな」
「あ、すみません!なんか勝手にテンション上がってしまって」
アメが顔を赤くしながら爺さんに拳銃を返した。こうやって見ていると男装をしていても中身は普通の?女の子なんだがな。
「?黒夜様、どうかされましたか?」
「何でも。爺さんが仕事するらしいからもう帰るぞ」
「あ、お邪魔いたしましたっ」
アメが爺さんにペコリと頭を下げる。
 なんだか、一緒にいる時間が長くなっていくにつれて余計に謎が深まっている気がしてきたのは気のせいだろうか。



         
         2       

 「ほう、ではあの娘はまだ生きているのかも知れないと?」
男の太く低いゆっくりとした声が部屋に響く。男は身長が高くかなり体格がよく、オーダーメイドのいかにも高そうなスーツに身を包んでいた。黒い革張りのいかにも社長が座りそうな背もたれ付きの椅子に腰掛けている。
「はっ、はい!ですがあの状態では死んだとしか… 」
その男と机を挟んで立ち、質問に怯えながらこたえたのは細くてのっぽの体をスーツに包んだいかにも頼りなさそうな若い男だ。
「だがお前は娘の死体を持って帰らなかったよなぁ?しかも後で行ってみたら死体は無かったと。たかがいっかいの女子高生に何を手こずっているんだ」
「お、おおかた『死体漁りの黒男』か何かが拾っていったのでしょう。あそこは人通りはほとんどありませんし、あの状態で自力で助かるとは……」
「黙れ!!確実に殺せと言っただろうが!ご託宣並べてねぇで証拠持ってこい!さっさとあの娘の首持って来やがれ!!」
「はっ、はいぃ!」
若い下っ端の男は部屋を転がるように出て行く。
「ちっ、あの娘一体どこまでこちらの情報を持ってるんだ。一体どこまで…… 」
唇を噛んだ男の目線の先には机上に置かれたポニーテールの少女の写真があった。
そして、その指には龍が描かれた指輪がはめられていた。

☆          ☆       ☆
 
 今日でアメが家に来てから丁度二週間になる。長年一人暮らしだったのが嘘のようにアメはすんなりと俺の生活に馴染んでしまった。時々アメが居なかったときはどんなだったかと思ってしまうくらいに。俺の生活スタイルはもうアメ込みで固まってしまっていた。
 アメの部屋は物置になっていた俺の部屋の隣にある空き部屋を整理してつくったもの。部屋の中のベッドと本棚・机・椅子は二人で買いに行ったもので、全部アメが好きだという黒色だ。流石に服は黒一色ではなかったが。
 アメはまだ子供ながらしっかりしていて、生活費のやりくりから何からテキパキと慣れた様子でこなしていくから俺は勝手に独り暮らしだったのではないかと推測していた。
 ここ二週間アメと一緒にいて、アメについて色々とわかったことがある。
甘い物が大好きなこと。ニュースを見るのが好きなこと。本が好きなこと。色々な分野の知識を持っていること。歌が上手いこと。裁縫が得意なこと。一人で何でもやろうとしてしまうこと。人に迷惑をかけることに怯えてよく我慢をしてしまうこと。
 色々わかったことがあっても、肝心のアメの消えてしまった記憶についてはいっこうにわからなかった。
手掛かり一つさえも。
「ん?」
コンビニから帰ってきて扉を開けた俺は違和感を覚えた。いつもなら玄関にアメが立っていて、『お帰りなさいです 黒夜様!』と笑顔で出迎えをしてくれるからだ。
「アメ?…!なるほど、そういうことか」
リビングに入るとアメはソファーの上で四角いクッションを抱き枕代わりにして横になり眠ってしまっていた。居眠りしているところなんて初めて見た。
レジ袋の中のアイスを冷凍庫にしまうとつけっぱなしになっていたテレビを消してアメに毛布を掛ける。
「たっく、風邪ひいちまうだろうが」
これは今になってようやく“本当に”心を許してくれたということなのだろうか。
その時何故かふと、“家族”という言葉が頭に浮かんだ。
「“家族”、か。本当にそうだとしたらお前も俺を置いていっちまうんだろうな… て、元々記憶戻ったらここ出て行くんだったか」
苦笑しながらアメの顔に掛かっていた髪をかきあげる。
「記憶なんて戻らなきゃいいんだ。ずっとこのまま…」
「 ふぁっ!!?」突然起き上がったアメが素っ頓狂な声をあげたせいで俺の鼓膜は一瞬強い衝撃を受ける。ようやく起きたようだ。
「やっと起きたか。もう俺が帰ってきてから三時間経ってるんだが」
「え?!あ、そそそれは本当に申し訳ありませんでしたっ!」大慌てでアメが乱れた髪を直す。
「嘘だ。本当はさっき帰ってきた」
「え、何でそんな微妙な嘘ついたんですか!?というか本当にすみませんっ」
「いいさ別に。しっかり眠らないと大きくなれないぞ少年」
「なっ!私は少年じゃなくて少女です!」
「そうかそうか」
 アメは基本的に礼儀正しいうえに素直ないい子だから気になるようなところは特にないのだが、ただ一つ もう八月も終わるというのにいまだに敬語が崩れないことだけが気になっていた。まあそれでも多少なりとやわらかくなってはいるのだが。元々敬語で話し掛けられることなど皆無だから、慣れないのと相まってことさら気になってしまうのだ。
「もういいですよ… 少々遅いですが夕食つくりますね」
「おぉ、ありがとう」
「さてと、アメも台所に行っちまったし俺は…」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うおっ!?」
突如家中にアメの大声が響く。まさか火傷でもしたか?!
「アメ!一体どうし…」
台所に駆けつけるとよく分からない状況になっていた。
IHの脇の壁に向かって構えの姿勢を取っているアメ。その右手にはこの前大掃除したときに処分組になった 歯の欠けた果物包丁が握られていた。アメの背中からはピリついた空気が伝わってくる。
「何、してるんだ?」
「戦です。茶黒の体を持ち、人類にもっとも忌み嫌われる昆虫との絶対に譲れぬ戦です」
「…ゴキブリが出たということか?」
「確実に仕留めます」
「まて、まさか壁に包丁ぶっさしてゴキブリ殺そうとしてる訳じゃないよな?」
「え、そうですよ?害虫は確実に仕留めて駆逐します」
「まてまて、ゴキブリが嫌いなのはわかった。でも壁に包丁ぶっさすのだけはやめろ!」
「あ、そういえばここ賃貸でしたね!すみません…」アメが壁、というかゴキブリを睨んだままで流しに包丁を置く。
「いや、それもそうなんだが。普通に考えて壁にゴキブリが打ち付けてあるの嫌だろ」
「あ、そういうことですか」
「逆に何があるんだよ… ほらアメ、これ使え」脇の棚からスプレー缶を取ってアメに投げて渡す。受け取ったアメはラベルを見てびっくりした顔を見せた。
「ゴキブリ除去スプレーだ」
「その手がありましたか。すっかり忘れてました」
「普通、まずこっちを思いつくと思うんだが」
 ほどなくして無事ゴキブリは退治された。アメは時々突拍子もない行動をするが、今回は本当にびっくりした。どう考えても“包丁でぶっさす”という手段のほうが思いつきにくいだろうに。本当に面白くて変わった子だ。
 ゴキブリ事件の翌日の昼、俺とアメは車で食材の買い出しに出掛け、帰って来たときにはもう夕方の五時半頃になっていた。車窓から綺麗な夕焼けが見える。
「黒夜様!夕焼け綺麗ですね!」
「そうだな」
アメが車の窓を開けて風をあびている。俺も昔はよくああしたものだ。風邪が少し冷たくなってきているのが夏がもうすぐ終わることを告げていた。
「あの、黒夜様。変なこと言っていいですか?」アメが助手席の窓から外を眺めたままで口を開く。丁寧なのはいつも通りだが、その言葉は変に改まった感じがした。
「変なこと?別にいいが」
「最近思うんです。私…」
アメが何かを言い掛けたその時、俺は慌てて急ブレーキをかけた。道を突然猫が横切っていったのだ。
「ひゃぁっ!?っ!痛い…」びっくりしたアメが開いた窓枠の上の方に頭を強打して助手席で頭を抱える。
「悪りぃ!大丈夫か!?」
「は、はい… なんとか」振り返ってそう応えたアメは涙目だ。
「ほんと大丈夫か?ちょっと見せてみろ」
「本当に大丈夫ですよ」
「でも怪我とかしてたら」アメの方に身を乗り出しながら手を伸ばす。が、その体制で俺は動きを止めた。
アメが頬と耳を赤くして固まっていたのだ。
何で顔が赤いんだ?頭打ったのがそんなに効いた?いやいや、そういう類いの反応じゃないだろこれ。じゃあこれって…
俺の頭は混乱していた。様々な思考が頭の中を飛び回る。
「あ!!ほ、ほら!はは早く帰らないと夕食が遅くなりますよ!帰りましょう!」
アメは早口で一気にそう言うとさっさと座り直して、両手でシートベルトをぎゅっと摑みながら前を向いた。横顔でも目がまだ若干泳いでいるのがわかる。
「あ、あぁ。そう、だな」
 そこから家までは二人とも終始無言だった。アメが言おうとしていたのはもしかしてと、ある考えが頭をよぎったが俺はすぐにその考えを消した。そんなことあるわけ無い。絶対に。

────十四年前 二〇〇三年 秋
 
 オレは一人道をふらふらと当てもなく歩いていた。
 今日学校から帰ると家はもぬけの殻だった。玄関の扉は開けっ放しで、中の家具もなにもなくなっていた。あまりにも突然のことだった。
オレの家は父さんと母さんと三人家族でとても仲が良く、いつも笑顔が絶えない幸せな家庭だった。昨日だって週末に遊びに行く約束をしたのだ。
「なのに、何が一体どうなって…」
何もなくなった家の中を見つめながら玄関で途方に暮れていたが、何回も時計の長針が回った後何故かオレの足は外に向いていた。
当てもなくただふらふらと歩き、行き着いた先は九十九里浜だった。
秋なうえ、天気も怪しく少し肌寒いせいか人が全然いない。もうほとんど沈んでしまった夕日が海に反射していた。
浜に腰を下ろして体育座りをし、冷たい潮風を頬に感じながら波を見つめる。
「母さん…父さん…」
置いて行かれた、というか捨てられたのか…?まさかそんな筈ない。でもじゃあ他にどうやったらこの状況を説明できる?
 悲しみはだんだんと裏切られた怒りに変わっていく。なんで!なんで!!
「くっそぅ!!」
苛立って、立ち上がり砂を摑んで海のほうに投げると長い橋が目に入った。あの長い橋の先にある埋め立て地は、学校で『犯罪都市』と噂になっていたところだ。天候がよくないせいかその埋め立て地は見えない。
ポケットから水色の砂が入った小さな砂時計のストラップを取り出す。これは去年の誕生日に母さんと父さんがくれたものだ。オレの唯一の宝物。
すると、後ろから突然声をかけられた。
「ぼーく。なぁにやってんの?」
振り向かずともその声から男だと分かる。声の調子から何となくチンピラだと察しがついたので振り向きたくはないが、仕方が無いのでしぶしぶ振り返る。
「よお」
男は六人組。皆一様に黒一色のスーツ姿だ。肩幅が広くてがたいもよく、普段からきたえているのが分かる。埋め立て地の奴らだろうか。
「何でしょうか」
「おいおい、つれないなぁ。お兄さんたちは君と遊びたいだけだよ~」
グループのリーダーらしき男がニヤニヤしながら言う。
怪しい。何が目的だ?金か?でも、何でこんな子供のオレにそれはないだろう。何でこんなときに限って訳の分からないことに巻きこまれなくてはいけないんだ。
「お兄さんたちはさぁ、君に頼みたいことがあるんだよねー。ん?おいおい、そんなに身構えないでくれよ~」
男がニヤニヤしながら言う。
何が目的だ?喋っている男以外の奴にも注意を向ける。さっきから少しずつ動いて、オレを囲むように立ち位置が変わっていっているのだ。後ろに二人、右に二人、左に一人、正面にはさっきから喋っている男。砂時計をポケットに入れる。
「お兄さんたちのお願いっていうのはね?君にちょっと一緒にきて欲しいところがあるんだよ~」
後ろに立っているの男の一人が何か取り出したかと思った次の瞬間、オレの耳は独特な電撃のバチバチッという音を捉えていた。
───── スタンガン!
後ろからきた男の攻撃を紙一重でかわすし男達と距離を取る。誘拐目的なのか?
「ガキの癖して素早い奴だな。まあいい。俺らに勝てるわけねぇからな。やれっ!」
一人の命令で他の五人の男達が一斉に向かってくる。
「ちっ、面倒くせぇ…」この程度なら、楽にやれる。
 即座に戦闘態勢を整え、最初に来た奴のみぞおちに一発喰らわせてダウンさせる。
と、崩れてきたそいつの体を盾にしてすぐ後ろから来ていたスタンガンの男をかわす。後ろにまわってスタンガンを持った手を取ってひねりあげ、スタンガンを回収しそいつに喰らわせて気絶させた。スタンガンは普通のものよりかなり威力が強かった。改造でもしてなきゃこの威力は無理だ。
「なるほど、改造版か」
「!!?」
一気に二人倒したことで他の奴らがたじろぐのがわかる。四対一、しかもスタンガンを装備しているこの状況なら確実にオレが勝つ。足場の悪い砂場なら尚更オレが有利だ。
「てめぇ…!ガキの癖して生意気な!!」
殴ってきた奴の拳を交わして右腕を摑み地面にうつ伏せで倒すと、そのまま摑んだ右腕をひねって折る。鈍い音がして、男が痛さに悲鳴をあげた。もう戦闘不能だろう。
これであと三人。
「オレは今さいっこーに気分が悪い。手加減なんてしねぇぞ」
「っ!…く、くそっ。たかが ガキ一人がなんだ!さっさとやっちまえ!!」
男の命令で二人が左右からかかってくる。
「楽勝」
攻撃を交わして片方の男の下に滑り込むと片手で体を支えて一気に押し上げ、逆立ちの体
勢 をとる。そのままオレを捕まえるためにしゃがもうとしていた男の首を足で絞めて地面に叩きつけながら回転するように起き上がると、足を首から外してスタンガンで残りの一人も倒した。
「さ、残ったのはてめぇ一人だ」
オレが歩み寄っていくとさっきまで余裕しゃくしゃくに指令をだしていた男は警戒心むき出しの顔で構えた。
「お前何者なんだよ!こんなっ、こんなことがあっていい訳っ…!」
「オレか?ただの、一匹狼だよ」
その男もスタンガンで気絶させるとスタンガンを砂浜に放り投げて手と服をはたいた。
結局、こいつらは一体何が目的だったんだろうか。まあ、何にしろろくな目的じゃないだろうが。
「おい」
いきなりどこからかしわがれた爺さんの声が聞こえてきた。辺りを見回すと海岸沿いの道から一人、薄汚れたつなぎ姿で白髪頭、丸い眼鏡をかけた爺さんが歩いてきた。まさかこいつらの仲間だろうか。
とっさに身構えるが「おい坊主、お前一人か?」という爺さんの予想もしていなかった謎の発言にすっかり面喰らってしまった。
「まあ、一人でもなきゃこんなとこにおめぇみたいなガキいねぇか」
そんなオレをよそに爺さんは大口開けて豪快に笑っている。
何なんだ?この爺さん。仲間って訳じゃなさそうだ。ゆっくりと構えを解く。
「おめぇさんの動きは筋はいいが無駄が多い。磨けばもっと強くなるぞ」
「は?さっきから何なんだよ。何者だあんた」
「なぁに、烏崎にいるただの変わり者の武器商人さね」
「武器商人?…んで、その武器商人さんがオレに何の用だよ」
何だ武器商人って。時代錯誤過ぎだろ。仲間じゃないにしろめちゃくちゃ怪しいな。というかあの犯罪都市の奴か。じゃあ、こいつも犯罪者なのか?
「さっきのアレ見て俺はおめぇさんが気に入ったんだよ。どうせ一人ならうち来ねぇか?」
「…は?」
「だ、か、ら、うちに来ねぇかって言ってんだよ」
「はぁぁ!?」
            
 今俺は家に一人だった。アメは爺さんのところにまた体術を習いに行っているのだ。迎えに行くまでまだたっぷり四時間はある。
「暇だな… 自販機でも行くか」
ソファーから腰を上げると財布とスマホだけ持って家を出た。自販機に行くだけだから格好はTシャツにジーンズとサンダルという適当なものだ。自販機は家から歩いて十分程のところにある。烏崎唯一の自販機だ。
いつも思うのだが、こんな治安が悪いところでも、例え一つだとしても、自販機があるなんて本当に奇跡に近い。まあ、値段は相場の2倍近かったりするのだが。水が一本二五〇円だなんてぼったくりもいいとこだ。そのうえ補給も少ないから常に品薄状態ときた。唯一にして最悪の自販機だ。
今日は珍しく先客がいた。スーツ姿の俺と同じ位の背をした男だ。赤というかピンクに近い髪は肩の上辺りまで伸びていて、ハーフアップにしてある。
「おや?」
向こうがこちらに気づいて振り返る。手にはコーラのペットボトルが握られていた。随分と人の良さそうな顔をしている。
「すみません… どうやら私で最後だったみたいです」
男が全てのボタンが準備中のランプで光っている自販機に視線を向けた。男の声はゆったりとした顔と同様人のよさそうなものだ。
「あぁ、そうですか。わざわざどうも」この烏崎にも礼儀正しくする奴がいるのかと妙な感心をしながら軽く頭を下げ帰ろうとすると後ろから声をかけられた。
「あの、待ってください」
「?何ですか」
「これを」男は歩み寄ってくると俺に小さな紙片を渡した。この男の名刺らしい。
『情報屋 羽柴 太一』と書いてある。
「情報屋…?」
「はい。私はフリーで情報屋をやっていまして、最後の一本を持っていってしまうお詫びに貴方からの依頼はどんなことでも一つただで請け負います」
「え?いやそんなの悪い。たかが飲料水ひとつでそこまでしなくても」
「いいんです。宣伝のためのお試しってことで。まだまだこの世界では新参者なので実績を積んでおきたいんですよ。これでもどんな依頼でもこなせる自信がありましてね。依頼されれば顔写真一枚からでも素性を探れます。まあ、情報が少ない分かなりの時間は要しますが」
「ん?おい今『顔写真一枚からでも』って言ったか!?」
肩を摑み興奮気味に言う俺の様子に羽柴は驚いてしまっている。
「ええ、言いましたけど…」
「ほんとにただでやってくれるんだな?」
「ええ、一つだけならなんでも」
「…じゃあ、お言葉に甘えて一つ頼まれて欲しいんだが───────────」
 アメを車に乗せて帰る道中アメが今日何があったか楽しそうに話すのを聞いていたが、俺の方からは何も話さなかった。さっきの男の話は何故か直感で黙っておこうと思ったのだ。もしこれでアメの素性が本当に分かったら…
「黒夜、様?」
「へ?あぁ悪い。で?爺さんが何だって?」
「はいっ。あのですね?それから───」
アメを見ながら俺は羽柴からアメの素性を聞いた後どうするんだろうかと、考えていた。開いた窓から入ってくる風が妙に生ぬるかった。

黒猫鬼灯
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黒猫鬼灯

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