Peace3:少しの進歩と悪化の予兆

『○○、今回の仕事も順調だったらしいな』
部屋に戻ると黒い短髪で背が自分と同じくらいの男が喋りかけてくる。
『当たり前だ。こんな仕事…』
『“朝飯前だ”だろ?』
『なっ…!!』
『優秀な○○殿の口癖だからな。ハッキング専門の俺でもそれくらいは…いってぇ!』
軽口を叩く男にデコピンを喰らわせると『ばぁーか!』とニヤニヤ笑いながら言う。
『それくらいで威張るんじゃないよ。ほんとお前ってのぁ □□□□□…?』

「──っ!」ベッドから跳ね起きたアメの息は少し乱れていた。頭がズキズキと鈍い痛みを伝えてくる。
「今のは、一体…?」
懐かしいような初めてのような、不思議な気分だった。

☆        ☆         ☆
「…ロックが、かかってる?」
「えぇ、それも随分と厳重な」
 翌日の昼、俺はアメに内緒でまたあの自販機前に来ていた。時間がかかると言っていたわりには、羽柴からの連絡はすぐ今日の朝にきたのだ。中間報告がしたいという内容のメールだった。この前と同じでスーツ姿の羽柴は自販機の横で缶コーヒーを飲んでいる。もう八月も終わるとはいえまだ若干暑いのに、スーツだなんてつらくないのだろうか。
「政府のデータベースにあそこまで厳重なロックがかかっているなんて“普通の人間”ではまずありえないことですよ」 羽柴が疑問と警戒の入り混じった表情を見せる。
 政府のデータベースにアクセスって羽柴は一体何者なんだ?いや、それよりアメのデータに厳重なロックがかかっている?羽柴の話を聞いている俺の頭はあまりのことにすっかり困惑してしまっていた。
「請け負った以上最後までやりますが、予想以上に時間がかかりそうです。今日は彼女を注意して見ておくように、と言いにきたんですよ。彼女とんでもない“大物”のようですから。… 一体何者なんです?彼女」
「それが分からねぇからあんたに頼んだんだ」
「ふっ。えぇ、そうでしたね」羽柴が飲み終わった缶コーヒーを自販機横のゴミ箱に放り込んだ。『データにロックがかかっている』と聞いて思い浮かんだのは、アメが政府ぐるみのどでかい“何か”に関わっている可能性だ。それなら、最初に工場に行ったときのアメの動きにも説明がつく。やはりその“何か”は事件なのだろうか。
「…何か思い当たる節があるなら尚更ですよ。彼女が何者であるにせよ注意しておくにこしたことはありません。備えあればなんとやらです。彼女のためにも、あなたのためにもね」
「俺の?」
「彼女が政府ぐるみの事件か何かに関わっていた場合、彼女だけでなく彼女の関係者が消される可能性だってありますから」
「!!」
「私のような仕事をしているとよくそういうケースに遭遇するんですよ。脅すつもりはさらさらありませんがね。データにロックがかかっているとなると可能性は二つ。一つは先ほど言ったように彼女が政府ぐるみの事件などに関わっていた場合。もう一つは“彼女自身が政府側の人間だった場合”です」
「アメが政府側の人間…?」
「あの年齢では確かに考えにくいですが、可能性は───────ゼロじゃありませんから」

「おいっ!黒っ!おいって!」気づくと爺さんの手のひらが顔の前でひらひらと踊っていた。ようやくアメを迎えに工場に来ていたことを思い出す。すっかり昼のことで頭がいっぱいになっていた。
「お前さんが考え事で人の話を聞いてねぇとは珍しい。なんかあったのか?」
爺さんが不思議そうに首をかしげている。
「なんもねぇよ」
「ふ~ん?ならいいが。それより自分の身を守る為に周りに注意しろっていってんだよ」
「はぁ…だからそんな出所も不確かな噂気にしなくていいって」
「お前なぁっ!さっきまで何聞いてたんだよ!」
「別に平気だろ」
「なっ、お前なぁ!」
 爺さんの言う“噂”というのは俺がこの前ファイトで負かした奴が復讐しようと俺を狙っている、とかいうものだった。
 根も葉もない爺さんがどこかよく分からないところから仕入れてきた噂だし、事実だとしても俺に負かされたということは俺より弱いということだ。別に気にするものでもない。
「大丈夫だって。ほらアメ!行くぞ」
「あっ、はい!」
 工場の出口にいる猫と遊んでいたアメが慌てて顔をあげる。今日のアメは白の半袖Tシャツに黒のハーフパンツとスニーカー姿で、いつものようにキャップをかぶっていた。
「たく、黒!お前は今一人じゃない。アメがいる。これだけは忘れるなよ。今お前が死んで、一番悲しむのは誰か」
俺はその言葉に応えるかわりに、アメの方へと歩きながら軽く右手をあげてひらひらと手を振った。
「何のお話をなされていたのですか?」
「何でもねぇよ。アメは心配しなくていい」
アメの帽子のつばを摑んで引き下げる。
「わっ!?な、ならいいんですけど。何か深刻そうでしたので」
アメが手を中に入れて髪を直しながら、帽子をかぶりなおす。
「そんなに深刻そうだったか?」工場のすぐ前に駐めた車の鍵を開けると、車に乗り込み中から助手席側のドアを開ける。アメは振り返って工場の中に向かい『スパナ様今日もありがとうございます!お疲れ様でした!』といつものように挨拶をしてから乗り込んだ。それを確認してから車を発進させる。本当に礼儀正しい子だ。
「まあ、ただの取るに足らない話だよ」
「そうですか…?」
帽子を脱いだアメは、まだ若干納得のいっていない様子だった。それも当然か。何かを察しているのだろう。
 アメが今日の報告を話すのを聞きながら車を走らせていると、唐突にアメが「黒夜様、落ち着いて聞いてくださいね」と深刻そうな声色で切り出した。
「??どうした?」
「驚かないでくださいね……1台、バイクに尾行されてます」
「は!!?」驚きのあまり思わずアメの方を見る。
「ちょっ!黒夜様、前前!」
ハンドルを握る手に力が入る。サイドミラーを確認すると、青のバイクに乗った黒いフルフェイスの人物が写っていた。ある程度の距離をとり徐行運転をしている。
「本当に尾行してきてるのか?ただ向かう方向が一緒ってだけじゃ」
「いえ、さっきから見ていましたが確実に黒夜様を尾行しています。曲がり角なども何回か曲がっているのに、まったく経路が一緒なんてそうそうありませんよ。それにあのバイク…実は前にも見かけているんです」
「えっ?」
「黒夜様がファイトに行った翌日に工場に向かうときも見たんです。その時は工場の直前でどこかに消えましたけど」
「まじかよ…」
「すみません。その時にすぐ言うべきだったのですが、思い違いかもしれないと思って…」
アメのほうを見なくても、その消え入りそうな声からうつむいているのがわかる。
「そんな声出すな。それだけじゃ言わなくても当然だ」顔は前に向けたままで左手を伸ばしアメの頭を撫でる。
「しかし相手はバイクか。小回りが利かない分こっちが不利だな」
一瞬、今すぐ車を降りてあの謎の人物のもとに行くことを考えたのだが、爺さんが言っていた言葉を思いだす。もしあの人物が俺に復讐しようとする奴だとしたら、アメを危険にさらすことになるかもしれない。だとしても放置するほうが危険か…
「アメ、ちょっと無理するぞ。しっかりつかまってろ」
「へっ?何をするおつもりですか?」
「ただ…俺の真っ紅な『レディ』の性能を教えてやるだけだよ」
「それどういう───ひぁっ!!!?」いきなり俺がスピードを上げたのでアメが短い悲鳴をあげ体を強張らせる。トップスピードにまで速度をあげ、最初にぶつかった曲がり角を曲がった瞬間、ドリフト走行でけたたましいスリップ音をたてながら車の向きを逆方向に変えた。これで俺を追って曲がってくるであろうバイクと向かい合うかたちになる。
「あ…あ、あの…黒夜様ってドリフトできたんですね。しかもクーペで…」
アメは余程驚いたのか半ば放心状態でそう言った。
「悪ぃ、ちょっと無茶しすぎたかも」
「“かなり”の間違いですっ」
さっきのドリフト走行の派手な音が消えたつかの間の静寂の後、バイクの走行音が一気に近づいてきた。
「伏せろアメっ!」
アメが伏せた次の瞬間、バイクが車の前に滑り込んできた。と同時に急ブレーキがかかる。謎の人物はバイクを停車させたまま動こうとしなかった。
 一か八か俺は車を降りると歩み寄っていく。もちろんその数メートルの間に車のロックはかけて。バイクの車種はツアラーだった。
「てめぇ何者だ。尾行なんざどういう…」
俺が言い終わらないうちにツアラーのライダーはひらりとバイクからおりた。黒いのはフルフェイスのヘルメットだけでなく、黒のパンツに革ジャンとスニーカーといった服装だった。体格から男だということが分かる。その男がヘルメットの前部分をあげたことでヘルメットがフリップアップ式なのが分かった。鼻筋のとおった二枚目で、背は俺より少し低いくらい。俺より肩幅も若干せまく細身だ。
「あの、黒夜 剣介さんですよね!」
いきなり男が大きな声でそう言ったので思わず拍子抜けする。敬語なのにも驚く。これが復讐しようとする奴の態度か?
「そ、そうだが…」
男は慌ててヘルメットを脱ぐ。短い黒髪はオールバックにまとめられ、左耳に小さな銀色の丸いピアスをつけていた。ヘルメットを小脇に抱え、男は深々とお辞儀をする。
「俺を、黒夜アニキので、でで弟子にしてくださいっ!」
「…はいぃ!?」
 それから男の話した内容をかいつまんでざっとまとめるとこうだ。男の名前は『龍馬 誠』(たつま まこと)。やはり以前俺がファイトの場で倒した奴だった。復讐しようとしているというのはまったくのデマで、寧ろ服従をしようとしているのだと自身満々に語った。
まあ、それもよく分からないのだが、要するに俺が闘っている姿に憧れを抱いたらしく「俺を強くしてください!」と瞳を輝かせながら頼み込んできたのだ。
「“弟子入り”ねぇ?」
龍馬のツアラーに腰掛け、腕を組みながらため息をついた。安心なのかがっかりなのかよく分からない感情だ。
龍馬はヘルメットを抱えたまま気をつけの姿勢で直立不動の状態だ。まあ、真面目ないい奴…らしかった。弟子なんてとる気はもうとうないが、この感じだとまともに言っても納得しそうにない。
「どうすっかなぁ。俺は弟子をとる気なんてさらさらねぇんだよ」
「えぇ!?お願いしますアニキ、そこをなんとか!買い出しでも家事でも何でもしますから!」
「必要ねぇな、うん。寧ろしてもらうと困る。それに、お前のアニキになった覚えはないし──ん?」何かを言い掛けたとき俺はあることに思い当たった。
龍馬という名にどこかで聞き覚えがあったのだ。一体どこでだったか… 
「あ、アニキ?」
「~っ!?」驚きのあまり思わず龍馬のほうを見る。俺の反応に龍馬は目を白黒させていた。ぐるぐると思考を巡らせた末に俺が思い当たった答えはいわば“最悪な答え”だったのだ。
これは、復讐よりたちが悪い。

黒猫鬼灯
この作品の作者

黒猫鬼灯

作品目次
作者の作品一覧 クリエイターページ ツイート 違反報告
{"id":"nov151804755499670","category":["cat0008","cat0011"],"title":"\u306f\u308a\u307c\u3066\u306e\u785d\u5b50","copy":"\u4e00\u4eba\u306e\u9752\u5e74\u304c\u5c11\u5973\u3092\u62fe\u3046\u3053\u3068\u3067\u7269\u8a9e\u306f\u52d5\u304d\u51fa\u3059\u3002\n\u5168\u3066\u306e\u70b9\u304c\u7dda\u306b\u7e4b\u304c\u3063\u305f\u3068\u304d\u3001\u3068\u3093\u3067\u3082\u306a\u3044\u4e8b\u5b9f\u304c\u660e\u304b\u3055\u308c\u308b\u3002","color":"#5ca4ff"}