Peace1:謎の少女
『出会い』というものは常に唐突で、不思議なものだ。ほんの小さな出会いが人生を大きく変えてしまうことさえある。
―――――――― 俺のときもそうだった
1
雨は昔から嫌いじゃない。見ていると落ち着くからだ。
俺は車を走らせながら、フロントガラスの脇を滝のように雨が流れていくのを視界の端に捉えていた。ここら辺はただでさえ夜は街灯が無くて視界が悪いのに、今日は大雨のせいでさらに視界が悪くなっている。
まだ夜の九時半だってのに暗く人の気配のない不気味な雰囲気はさすが、日本最悪の治安といわれる『日本の暗黒街』烏崎(からすざき)地区だ。
千葉の九十九里から太平洋へと伸びた長い橋の先にあるこの長方形の埋め立て地では極道やらマフィアやら小物から大物まで様々な反社会的勢力 が日々権力闘争を繰り広げている。裏社会の巣窟であるこの地区にいるのは、裏の人間か行き場のない者かはたまた相当な物好きだけ。
俺は、どの人間になるんだろうか。
丁度橋の中央付近にさしかかった、そんなときだった。ヘッドライトの中に倒れている一人の女の子の姿が現れたのは。
「!?」
急ブレーキをかけた車体は大きな音を立てて急停車する。あまりに急に止まったせいで車体の後方が少し地面から浮いた気さえするくらいだ。轢いてしまっただろうか…
恐る恐る顔を上げてみる。ヘッドライトの描く一部の重なった二つの白い楕円の中に彼女の姿はあった。法定速度を守っていなかったら確実に轢いていただろう。
「おいっ!大丈夫か!!」
急いで車を降りて彼女のもとへ駆け寄る。雨の中でうつぶせに倒れている彼女は半袖のTシャツにジーンズとスニーカー姿で、どれほどこの状態で放置されていたのか服がこれ以上水を吸えないほど濡れていた。
恐らく高校生。痩せ型で、背はまぁ標準より少し高いくらい。目鼻立ちの整った綺麗な顔をしている。茶黒の髪はポニーテールにまとめられていた。なんだってこんなところにこんな年端もいかない少女が?まさかここの住人ってことは無いだろうし。
脈は…弱々しい感じだが一応まだある。
「おいっ、おい!」
呼びかけへの応答は無い。完全に意識が無くなっているようだ。
こんなに濡れたのはいつぶりだろうか。すっかり体にTシャツが張り付いてしまっているし、髪からも雫が落ち続けている。例え八月真っ只中でも夜の雨は思ったよりもかなり冷たく体温を奪っていく。
体を動かすのはあまり得策とはいえないが場合が場合だ。慎重に体を抱き起こして仰向けの状態にする。
見たところ外傷は無いようだし、骨折や内臓破裂もなさそうだ。場所的にやはり轢き逃げの被害者だろうか。だとしてもこの雨じゃ証拠品はきれいに洗い流されてしまっていることだろう。
通報したくても俺が通報なんて“できる訳ない”。かといってこんなところに放置していったら彼女は死んでしまうかもしれない。一体どうすれば ―――――――
数秒後、俺はこれまでの人生で経験したこと無いくらい車をとばしていた。
俺の家まではあと三分。彼女は後部座席でいまだ意識を取り戻すことなく横たわっている。
どんなにとばしても後ろを揺らさないように慎重に。こんなに神経を尖らせて運転をしたのは初めてだ。
「まさか俺が人助けをするなんてな。世の中狂ってやがる」
自嘲的な笑みを浮かべてハンドルを握る。
人助けなんてして俺は贖罪でもしたいのだろうか。これで 〝罪〟 がチャラになると?
だとしたら思い違いもいいとこだ。一体何を考えているんだ、俺は。
家に着くと彼女を抱きかかえて慎重に家まで運び、ソファーに寝かせる。自分の体を拭きながら彼女用のタオルを取ってきたはいいが相手は例え高校生といえど女性だ。いきなり体を拭いて服を着替えさせるのも……
「っ、~~~っ」俺が悩んでいる間に運よく彼女は意識を取り戻した。開いた瞳は綺麗なダークアーモンドアイだ。
「! 気がついて」
彼女は目を覚ますと苦しそうに頭を押さえながら身を起こした。足を下ろしてソファーに腰掛ける彼女は少しふらついていた。どうやら一応は大丈夫なようだ。
「大丈夫か?あまり無理するな」
「あの、私……?」
「道に倒れてたんだよ」
「!あ、ありがとうございます。あの、ここは?」
タオルを手渡すと彼女は「すみません」と遠慮がちに手に取る。
「俺の家だ。変なことはしてないから安心しろ。何にしても、そんなびしょびしょのままじゃ風邪をひくぞ。ちゃんと体を拭け。着替えは今持ってき、て?」
彼女は自分の体を見回しながら驚きと困惑の混じった顔をしている。俺の話など耳に入っていなかったようだ。
「大きくなってる… 」
こちらを向いた彼女は、恐怖や不安が入り混じったような泣きそうな顔をしていた。
彼女の声がよく聞こえるように体を近づける。
「え?今、何て?」
「体、大きくなってます! 」
「へ?」
彼女が突然俺の胸ぐらを掴み叫ぶ。
「私何年眠っていたんですか!?今は何年何月何日!?私、私っ!!っ…」そこまで一気にまくし立てると彼女は苦しそうに頭を抱えた。
「おい!あまり無理するな!質問の前者は俺は今日初めてお前にあったから知らない。後者は二〇一七年八月十一日」
「二〇、一七年? 嘘、だって、今年は、二〇一〇年の筈、じゃ 」
彼女の顔から血の気が引いていく。
「君、まさか記憶が…!」
事故に巻き込まれて混乱しているのか?だが七年分だけ記憶が飛ぶなんてことがあるのだろうか。逆に何故そこまでの記憶はあるんだ?
「ひとまず落ち着け。ゆっくり深呼吸しろ」
「は、はい」彼女は俺に言われたとおりにゆっくりと深呼吸をする。
「俺は 黒夜 剣介(くろやけんすけ) 。歳も言ったほうがいいか?一応、今年で二十二になる。ちなみにここは烏崎地区の中のB区画。まぁ、ここら辺の中では一番治安がマシなところだから一応安心していい。あ、一応…『喧嘩屋』を、している」
彼女がひざの上に取り落としたタオルを拾って頭にかける。
「覚えていることを話してくれるか?名前とか誕生日とか、分かることは何でもいい」
「覚えていること… 『黒』と、『赤』」
「?」
「どこまでも冷たい真っ暗な闇が続いていて、それが、一面の『赤』で終わった…
それ以外、よく、思い出せないです。自分のことは名前も、誕生日も、全部。何もかも。すみません」
彼女の暗い表情を見て俺は何かを言いかけて、口をつぐんだ。
彼女にバスタオルを渡す。
「着替えは用意しておくから風呂入って来い。風呂入ったら、ちょっと遅いが晩飯だ」
「え?でも」
「早く行って来い」
「!ありがとうございます。黒夜様」彼女は深々と礼をすると風呂に向かって行った。
彼女が風呂に入っている間に、洋服ダンスをあさって灰色のTシャツと黒の半ズボンを引っ張り出してくる。
「あ、下着…」
結局、恥をしのんで車をとばして片道五分弱の距離にあるスーパーで女物の下着を購入して帰ってきた。付箋に「安物だが使え」と書いて貼り服とタオルの上に袋のまま置いておく。 … 一応マスクと帽子で顔は隠していったがしばらくは服売り場に近づけないな。もっとも普段服売り場などとの縁は皆無なのだが。
ついでに買ってきた豆腐ときゅうりでサラダを作り、余っていた冷凍ご飯でチャーハンを作った。チャーハンにしたのは俺が唯一まともに作れる料理だからだ。
ソファーに座ってテレビを見ながら彼女を待っていると後ろから「あの…… 」と、彼女の遠慮がちな声が聞こえてきた。振り返るとTシャツが大きくてワンピースのようになってしまっていた。髪は低い位置で一つにまとめられている。 普通に可愛くて、思わず一瞬見惚れてしまった。
「すみませんお手数おかけしてしまって。わざわざ、その…」
「別にいいさ。ほら、飯にするぞ」
テレビとソファーの間にあるテーブルにさっき用意したものを持ってきて二人で向かい合わせでテーブルを囲み食事を始めると、チャーハンを口に運ぶ彼女にばれないようにこっそりと目をやる。
烏崎地区の人間と聞くだけで普通は警戒するのに彼女にはさっきからそこまで警戒の色が見られない。
烏崎地区の人間じゃないにしろ俺は男だ。それに『喧嘩屋』だぞ?単に警戒心が薄いだけなのか何なのか…
彼女はそうやって色々考えを巡らせている俺をよそに料理をきれいに完食した。
「ごちそうさまです!とってもおいしかったです黒夜様!料理がとても得意なのですね」
彼女の笑顔は明るく可愛くキラキラしていた。久方ぶりだ、こういう笑顔を見るのは。「おいしい」と言われて口元が緩みそうになるのをこらえる。
「別に得意じゃねえよ。人並みにできるだけだ」
「本当にありがとうございます。こんな素性も知れぬ人間に色々してくださって。それもこんなご時勢に」
「それに烏崎地区の人間が人助けなんて、ってか?」
「いえ!そういうわけでは。いくら『日本の暗黒街』烏崎地区だとしても、他の場所とそう変りませんよ。
ただ少し、他より“賑やか”というだけで。ここも人がいて、生活がある。他と一緒です。
全然ここを知らないところを見ると私はこの地区に来たのは初めてのようですし、ここの人達の人柄もよく知りません。でもただ一つ分かることがあるとすれば、烏崎地区B区画 居住の、無類の強さを誇る一人暮らしの長い黒夜様は、とてもお優しい善人だということだけです。それとチャーハンを作るのが得意ということも」
「………。」
彼女の言うことは『無類の─』というところは怪しいが、大体合っている。俺は一人暮らしが長いとも強いとも一言も言ってはいない。何故分かったんだ?
「幸い、記憶はなくとも知識なんかは健全なようです」
そう言って笑って見せた彼女は、記憶が無いというだけでどうやらかなりのキレ者のようだ。
「…。俺は優しくも無いし、善人でもない。君を助けたのも仕方なくだ」
「仕方なく、ですか」彼女が一瞬意味ありげな笑みを浮かべる。
「そう仕方なくだ。ついでと言っちゃなんだが記憶が無いんじゃ行き場所も無いだろうし、せめて記憶が戻るまで──」
彼女は俺が全てを言い切る前に顔いっぱいに嬉しさを表していた。頭はキレてもやっぱりまだ子供か。
と思えば、彼女は口を真一文字に結んで真面目な顔を作った。
「いえ、ただでさえご迷惑をおかけしているのにこれ以上黒夜様にご迷惑をおかけするわけには。いつ記憶が戻るかも分からないのに。もう私は出ますので」
「つまんねぇ意地はるな。自分のことも全然わかんねぇような記憶喪失の状態でこれからどうしようってんだ。それにこれは君のためじゃなくて俺のためだ。君がここから出た後に事故とかにでもあったら寝覚めが悪いからな」
「ですが、私は……」
「四の五の言うのは禁止だ。文句あるか?」
「!何から何まで、本当にありがとうございます」
「名前が分からないと不便だな。〝アメ〟でいいだろ。今日はもう遅い。ベッド使っていいからもう寝ろ」
「アメ、ですか… とってもいい名前ですね。 ありがとうございます。おやすみなさいませ黒夜様」
「あぁ、おやすみ」
彼女、アメが寝室に消えていくのを見届けると食器を片付け始めた。
『雨は常に清らかで、時をかけ人の罪を洗い流す』か…
アメを家におくことにした“本当の理由”のことを考えかけて、やめた。
雨の音がやけに大きく部屋に響いていた。
翌朝、俺は何かを切る包丁の音で目が覚めた。
一瞬何の音か分からなかったが、寝ぼけた頭で昨日アメが家に来たことを思い出す。アメが料理しているのか?
家に俺以外の人間がいるなんて十何年ぶりだろうか。最後に家に俺以外がいたのは確か…
寝室から出ると家の中が随分と小綺麗になっていた。台所に料理を作る彼女の姿が見える。
「あ!おはようございます黒夜様。起こしてしまいましたか?」
彼女は俺を見ると笑顔になって手を止めた。
「あぁいや、それはいい。それより掃除……してくれたのか?」
「あ、勝手に色々すみません。ご迷惑おかけしてしまっている以上、私に何かできないかと思いまして」
「それで掃除か」
「はい」
アメは俺がどういう反応をするのか息を呑んで待っている。
「まあ、助かったよ」
「本当ですか!?」
「今は…朝飯?」
「はい。僭越ながら」
「何?」
アメが何のことか分からないといった様子で首をかしげる。
「朝飯」
「あぁ、オムライスとコーンスープです。簡単なものですみません」
「いや別にいいさ。もうできるのか?」
「はい。今ちょうどできたところですので持っていきますね。黒夜様は座って待っていてください」
「あぁ、分かった」
まさか掃除に加えて朝飯まで作っていてくれてるとは。オムライスなんて懐かしいな。
アメが持ってきたオムライスはとてもうまそうで、ケチャップでスマイルマークが描いてあるのがいかにも女の子らしい。
「どうぞ食べてみてください。お口に合うかは分かりませんが」
「いただきます」
アメが心配そうに俺を見守る中、オムライスを一口食べてみる。
「うまい…… 」
「え!本当ですか!?お口にあって良かったです」
アメが一気に嬉しそうな顔になる。本当に感情が顔に出やすいらしい。ふわっとしたアメの笑顔はほんとうに陽の光のようにあたたかい。
お世辞とかではなく、アメのオムライスは本当にうまかった。俺のなんかと比べ物にならないくらい。多分毎日ちゃんと料理を作っていたのだろうというのがすぐに分かった。
見た目通りなんだか懐かしい味だ。
「あの、ひとつ聞きたいことがあるのですが」
スプーンをすすめながらアメの話に耳をかたむける。
「 『喧嘩屋』とは一体どんなものなのですか?都市伝説としては聞いていましたがまさか本当にあるとは思いませんでした」
「…どこまで知ってるんだ?」
「えと、烏崎地区の地下にあるバトルフィールドで闘う、違法な賭けファイトだというのは聞いていますが… 合っていますか?」
「まぁ、大体は。まず『喧嘩屋』ってのは俗称で、正確に言うと役職名は『ファイター』。バトルフィールドがある地下へと続く階段があるのは各区画の北東部。階段は関係者以外が入れないように常に扉によって閉ざされている。その扉の鍵はファイター達の〝虹彩〟 だ。あ、意味分かるか?」
「虹彩くらい分かります。生態認証なら他の人間に鍵を盗まれたり、合鍵を作られたり、といった可能性は全くといっていいほどありませんからね。虹彩は特に偽造が難しいようですから」
「…そうだ。ファイター達はハンドルネームを使って登録をおこない、そのときに虹彩のデータも登録するんだ。まぁ、それはおいておいて、話を進めるぞ?」
「は、はい」
「ファイターは強さによってランク付けされていて、それに応じて賞金が異なる。
ファイター達は戦って勝つことで金と、ランクを手に入れることができる。ま、簡単なルールだな」
少しの間考え込むようにしてうつむいていたアメはやがておもむろに口を開いた。
「フィールドの状況と、『倒した』という基準は何ですか?」
「フィールドの広さはこの烏崎地区の地下全部だ」
「地下全部!?」
「地下には上と大きさから何から“全く同じ”街が広がっているんだ。流石に建物内部
は空だがな。 地下に広がる烏崎地区のレプリカは常に薄暗く、街灯で照らされていて、常に夜のようだから俺たちファイターの間では『常夜街(とこやがい)』と呼ばれているよ。倒した、という基準はただ一つ。相手を行動不能にしたとき。違法なファイトだけあって、それさえ守りゃあ殺しでも何でもありだ」
食事を終えて「ごちそうさん」と立ち上がり冷蔵庫にアイスコーヒーを取りにいく。
「殺しでも… ですか」
「そうだ」
少し遅れて食べ終わったアメが食器を持って流しへとくる。何かを考え込んでいるようなその表情は少し困惑しているようにも見えた。内容がさすがにヘビー過ぎただろうか。
「恐いと思うなら別にここにいなくてもいいんだぞ」
「え?何故恐いと?」
手際よく皿を洗っていきながらアメはきょとんとした顔でそう言った。
「え、何故って、俺は人殺しかもしれないんだぞ?」
「それが何か?」
「何かって…」
「だってそういうルールだと承諾して皆様参加なさっているのですよね?でしたら問題無いのでは?死んだらそれまでだったというだけです。弱いのが悪いのですし」
さらりとそう言ってのけたアメと目が合った瞬間、背筋に一気に寒気が走った。
アメの瞳から、まったくといっていいほど感情が感じられなかったのだ。それは俺がよく知っている「殺しをなんとも思ってない人間」と同じように見えて、それとは異なる得体の知れない〝何か〟があった。暗く冷たい〝何か〟が。
「黒夜様?どうかいたしましたか?」心配そうに俺の顔を覗き込んだアメの瞳はもとの優しそうな瞳に戻っている。
「えっ?あぁ、何でもねぇよ」
「ならよいのですが」
もしかしてアメの失くした記憶の中には何かとんでもないものが隠されているんじゃないのか?アメが巻き込まれたのはてっきり轢き逃げ事件か何かだと思っていてが、実際はそんななまやさしいもんじゃなくて…
「この話題が出たついでにあとひとつ、いいですか?」
「?」
「ファイトはいつ行っているのですか?」
「あぁ、そこ言ってなかったな。毎週土曜と日曜の深夜一時半から五時まで。行く日はファイター自身にゆだねられているから対戦カードも毎回変わる。ただ行くなら時間は厳守だ。出ちまったら五時になるまでは何があろうと出られない。例え死んだとしてもだ」
「なるほど 」
「なあアメ、何で急に俺…というか『喧嘩屋』について聞いたりしたんだ?」
「すみませんっ、不愉快だったのなら謝ります」
「いや怒ってないから安心しろ。ただ単純に聞きたいだけだ」
「黒夜様のお気に召すような複雑な理由はありませんよ。気になることがあると解決しないと気がすまないだけ。些細なことが気になる私の悪い癖です」
苦笑したアメは洗い終わった皿を食器棚へと戻していく。
「じゃあ次は俺の番でいいか?」
「へ?」
「アメ、アメは本当は何者なんだ?」
「!えと…あっあの、黒夜様には名前までつけてもらって本当にお世話になっています。だからお答えしたいのはやまやまなんです。で、でも私は… 」
「記憶が無いのは分かってる。だが俺も些細なことが気になるもんでな。だから一緒に調べんだよ。アメが一体何者か」
「えっ?」
「勘違いすんなよ?記憶がいつまでも戻らないんじゃぁ、俺が困るんだよ。お前にいつまでも家に居座られちまうからな。あくまで!俺のため!だからなっ!!」
「ふふっ、本当にありがとうございます黒夜様」
にこにこするアメを見てると何だか決まりが悪くて、俺は冷蔵庫を開けてアイスコーヒーの紙パックをラッパ飲みした。
2
「まず、俺がアメを見つけたのはここだ」
「私こんな道端に倒れていたんですか… 」
俺とアメは、俺がアメを見つけたあの場所に来ていた。
万が一何か大きな事件に巻き込まれていたときのことを考え、アメは髪を切ってショートヘアにしてキャップをかぶり、男子に変装している。スニーカーはアメのだが着ているTシャツと半ズボン、キャップは俺の物だ。サイズが大きくて少しダボついている。
俺はそこまでしなくてもいいと言ったのだが、アメが念には念を入れてとバッサリ自分で髪を切ってしまったのだ。
「昨日は夜だったうえ雨だったから危く轢いちまうかと思った」
「ひ、轢かれなくてよかったです」アメが右手で自分の首をさする。
「何か思い出したか?」
「いえ、残念ながら。そもそも何故私はこんなところに倒れていたんでしょうか。見たところ外傷も無いようですから轢き逃げというわけでもないでしょうし… 黒夜様あの日はどれくらいの間、どれくらいの量の雨が降っていましたか?」
「え?あぁ、あの日はずっとどしゃ降りだったよ」
「じゃあ、何か証拠品があったとしても雨で流されてしまっていますね。となると証拠品の線は無理か。私の所持品は今黒夜様の家にある服だけでしたか?」
「あぁ。た、多分」
「所持品の線も無理だとするとかなり絶望的ですね… 雨だとゲソコンすら無いだろうし、困ったな」
「アメ、お前プロファイルだけじゃなくて鑑識の知識まであるのか…」
「へ?」
「いや、最初俺のプロファイルしただろ?」
「あんな瑣末なものプロファイルのうちに入りませんよ。今のだって誰でも考え付きます」
「誰でもはないだろ」
そのとき辺りに聞き慣れた声が響いた。
「お~い、黒!」スクーターで一人のしわがれ声の男が近づいて来た。
アメがその声に肩をびくつかせる。
ぼろぼろの日に焼けた水色のスクーターに乗っているのは藍色のつなぎ姿で、サンタのような真っ白い髭を携えた中肉中背の爺さんだ。白の短髪で丸い若干すすけた眼鏡をかけている。
「久しぶりじゃねぇか。何してんだ?」
スクーターを俺らの前に止めたこの爺さんは俺が世話になっている武器商人だ。もちろん裏社会専門の。名前は聞くたびに違う名前を言うから、俺はとりあえず「爺さん」と呼んでいる。長年親しく?している唯一の人間だ。
「まあ、ちょっと野暮用だよ」
「野暮用なぁ。んぁ!!?」爺さんがアメを見て心底驚いた声をあげた。スクーターを降りてアメの顔を何か珍しいものでも見るようにしげしげと見つめる。
「誰だこいつは。見ねぇ顔だなぁ。一匹狼のお前さんが誰かと一緒にいるなんて、明日はやりでも降ってくるのか?」
「あ、こいつは…」
「お、お、俺は黒夜の兄貴に弟子入りしたアメってんだ! よろしくな爺さん」
アメが腰に手を当て仁王立ちしている。あんなに礼儀正しい?アメが必死に男っぽく振舞っているのはアメには悪いが少し面白い。完全にテンパッている。どんな言い訳をするかと思えば、弟子とはな。
「はっはっは!ずいぶんと威勢のいい坊主だな」
「うわあ!」
爺さんが突然頭を撫でたので驚いたアメがすっかり硬直してしまっている。
「しかし、お前さんが弟子とるなんざどういう風の吹き回しだ?」
「道に落ちてたこいつを拾っただけだ。行き場がねぇようだから仕方なく」
「道に落ちてたって、んな犬猫みてぇな…。ま、お前さんは根は優しいからな」
爺さんが大声で笑っている横でアメはまだ体を硬直させている。よく見るとかすかに震えている…?緊張しているのかと思ったが、何というかどちらかというと怯えているみたいだ。
「アメ、こっちこい」
俺が手招きすると助かったというように笑顔になってぱたぱたと走り寄ってきた。
なんだか子犬みたいだ。
「爺さん、あんまりこいついじめんなよ」
「はっはっは!そいつぁ悪かったな。おおそうだ黒、後でその坊主連れて俺の工場に来い」
「工場?」
「なに、ちっとばかし試してぇことがあんだよ」
「あぁ…分かった」
「じゃ、後でな~」爺さんはスクーターにまたがるとさっさと自分の工場に戻っていった。
「大丈夫だったか。ア、メ?」
アメのほうを見ると何故だか泣きそうな顔になっていた。
「だだ、大丈夫、です。というかあの人…いえ、何でもないです」
「??とにかくよくがんばったよ。ふっ、『黒夜の兄貴』か」
「!そ、それはいくら状況が状況とはいえ本当に失礼いたしました!黒夜様のご友人のかたにもあんな口の聞き方をしてしまって本当に申し訳ございません!」
アメがさっきの態度から一転、元に戻って何度も俺に頭を下げる。
「おいおい、もういいから」アメの下げた頭を手で受け止めて顔を上げさせる。
「まあいんじゃねぇの?」
「はい?」
「 『黒夜の兄貴』っての」
「えぇ!?あ、それはっ」
顔を真っ赤にして慌てているアメのかぶっている帽子のつばを掴んで引き下げる。
「冗談だ。ほら、爺さんのとこに行くぞ」
「は、はいっ、分かりました黒夜様」
「冗談じゃなく俺は本当に『兄貴』でもいいんだけどな…」
「?どうかされましたか?」
「何でもねぇよ」
何者かわからない謎の少女か。この先変なことにならなけりゃいいが…