第2話 職を失った十五歳
「|如月千風《きさらぎちかぜ》、ただいま任務より帰還しました!」
室内に響き渡る声に、忙しなく働く職員が一斉にこちらを向いた。皆、少年に各々の形で敬意を表す。
千風と名乗った少年の声は職場には不釣り合いなほど幼かった。というのも、15歳という年齢でこの場にいるのも彼ぐらいのものだ。
若干跳ねっ毛のある黒髪に、目元にできた泣きぼくろがよりいっそう千風の幼さに拍車をかける。
背丈は170cmほどだろうか? 猫背気味な彼からは、覇気というものがまるで感じられなかった。
すると、一人の職員が千風に声をかけた。彼の部下、斎藤だ。
「お疲れ様です! 今回の敵も手強かったとのことで……お身体に支障はありませんか?」
「ん、別に問題はない。それより、所長はどこに? 見当たらないが?」
「おそらく、執務室の方かと――」
その言葉に千風は顔をしかめた。
彼が所属する組織、災害研究機関。通称C.I.の所長が執務室にいる場合は大抵、酒を飲むか寝ているかのどちらかである。
千風はちらっと腕時計を確認する。
現在時刻は午前7時。所長はいつも5時には起きているので、酒でも飲みながらダラダラしているのだろう。
「ま〜たあの人は、たく……わかった、着替えが済んだらそちらに行くと伝えておいてくれ」
静かに敬礼をして斎藤は自分の持ち場へと戻っていった。
研究室内の奥へと突き進み扉を開け、橋渡しに続くB棟へと向かう。
吹き抜けになった廊下を、心地よい風が|薙《な》いだ。
ちなみにC.I.には魔法の研究・開発などを行う施設の備わったA棟と、職員が住む寮のB棟に別れている。
早朝から任務に出向いていた千風は、まだかすかに眠かった。しかし、今寝てしまえばこのまま一日が終わってしまうと――なんとか踏みとどまりシャワーを浴びることにした。
自室のドアを指紋認証でアンロックし、入る。
彼の部屋には生活感がまるでなかった。申し訳程度に置かれた小さな丸テーブル。照明器具などは見当たらず、カーテンの設置されていない窓から日光が差し込むのが唯一の光だった。
ベッドなども当然なく、10畳ほどの一室にはそぐわぬとても寂しい空間だった。
シャワーをさっと浴び、制服に着替える。自室を出ようとしたところで、ポケットの通信端末がピピッと鳴った。ICカード程の厚さしかない端末には、所長からの呼び出しメッセージが届いていた。
任務の報告に来いとのことだ。
「クソジジイ……言われなくても行くっての」
朝早く出動命令を下され、苛立ち気味の千風は悪態をつきながらも、しぶしぶ所長の元へと足を運ぶのだった。
C.I.の所長――時枝玄翠《ときえだげんすい》と千風は古くからの馴染みだった。10年前家族を失った彼の親代わりと言ってもいい。
10年ものつきあいになれば、悪態の一つや二つ自然のことだった。もちろん、部下の前でクソジジイ呼ばわりすれば、半殺し程度では済まされないが……。
千風は公私混同しない程度には常識をわきまえているつもりである。
そうこうしているうちに歩きながら、ふらふらと夢の世界へ逝きかけていた彼の目の前に、執務室の扉が見えてきた。
コンコン、コンコンッと形式的に四度ノック、あちらも同様に「入れ」と一言だけ……それを聞いてから千風は静かに扉を開ける。
途端、中から鼻をつく酒の臭い。案の定、部屋の中には酒瓶やビール缶が転がっていた。
「よう、元気にしてたか? かかっ眠そうだなぁオイ?」
机には顔を真っ赤にした五十代前半の男がいた。完全に出来上がっている……。言うまでもなく、時枝玄翠だ。
そんな状態で緊急時に満足のいく行動がとれるのだろうか? はなはだ疑問である。
「分かってるなら一々聞くなよ。用がないなら俺は帰って寝るぞ?」
こっちとしても眠いところを我慢してまで来てやったのだ。ジジイの道楽に付き合ってやれるほどの余裕はない。
「まぁそう拗ねるな! その分だと任務の方は上手くいったんだろ? 魔法はどうだ、オリジナルとして使うか?」
魔法、時枝は確かにそう言った。お伽話やファンタジー世界ではおなじみのワード。もちろん目の前の男の頭がおかしくなったわけではない。
その言葉はここ10年の間に現実の言葉として認知され、使われるようになった。
そもそもの発端となったのが、時枝の熱意の結晶とも言える災害の原因究明だった。
時枝が災害について研究していた際、彼はある生命体を観測した。そして後に|災害因子《カラミティア》と呼ばれるバケモノの正体こそが、災害を引き起こしていた元凶であったと気づいたのだ。
カラミティア。その存在を確信した時枝が次に行った研究は、肉眼では観測することのできないバケモノを投影する装置の開発だった。
今までの文明レベルを遥かに超えるその試みはやがて、一つの|指輪《リング》となり、量産することに成功した。
“魔法”と呼ばれ、人々に希望を与えた指輪。それは――
「そうだな。そういう|契約《やくそく》のはずだが?」
「チッ覚えていたか……まあ良い。それより、お前には話があってここに呼んだんだ」
話もなにも、この後は任務でドイツへと旅立つ予定だったはず。
そう千風が考えていると、いつもとは違う真剣な表情で時枝は話し始めた。顔は真っ赤だが……。
「如月千風、お前にゃ現時刻をもって災害研究機関を退職して貰う!! ひっく……!」
時が止まった。
千風は彼の言ったことがまるで理解できなかった。
……。
…………。
「へっ……? はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁあ''あ''――っ!?」
千風の絶叫だけが、虚しく執務室に響くのだった。
こうして如月千風は現代日本における最高峰の国家戦力、C.I.を追放されたのだった。
***
C.I.をクビになって一時間。千風はとある学校に来ていた。
無駄にでかい白銀の校門を見上げる。収容所を想起させる堅牢な門。
「……ったく、あのクソジジイなに考えてやがる? 俺が今さら学校だと? バカバカしい」
文句を垂れながら、時枝本人による赤い|封蝋《ふうろう》の施された封筒を開けると、そこにはこんなことが書かれていた。
「『拝啓、ションベン漏らしのクソガキへ
よう、元気か? 元気なわけないか! 今さっき職を失ったばかりだからな。……そんなお前に朗報だ――』」
1枚めの紙にはそんな丁寧さのカケラもない文体でつらつらと、よくもまあここまで人の悪口が書けるものだと、感心してしまうほど些末なものしか書かれていなかった。
2枚めに目を通す。こちらは先ほどと打って変わり、朗報とやらの詳細だった。
要約すると、朗報とやらは長期的な任務の依頼であり、極秘に進めなければならないとのこと。その任務とは、ある学校の調査だった。
おまけに彼はC.I.の職員ではなくなったため、あらゆる権利がはく奪されたゼロに等しい状態での調査となるみたいだ。
そして同封された学校の地図と偽造したドイツの学生証。千風はドイツからの帰国子女として、この学校の面接試験を受けることになっていた。
校内に入り、指定された面接室へと向かう。
なんでも今回の欠員補充は5名とのこと。志願者は1200名、各国のエリート達が募っていた。
「まあ、普通なわけないよな……」
彼が選んだのはそういう道だった。
自嘲気味に笑みを浮かべ、千風は面接室の扉をノックした。
「入りなさい」
短く、そう一言面接官が言った。
「失礼します。この度ドイツ、クロイツェルフ修道学院より参りました。如月千風です!」
簡潔に自己紹介を終え、偽造した学生証を提示した。
面接官三名が調査書に目を通す。
「本校を志望した理由、聞いても?」
「はい、世界でも有数の……その中でも主にカラミティア討伐に特化した都立|名桜《めいおう》学園なら、私の力を十分に活かせると思い、志望させていただきました」
思ってもないことをさらさらと言ってのける。
設定では、千風はクロイツェルフ修道学院で2年魔法の技術を磨いてきたことになっている。
「そう、ドイツの……ね?」
女性の面接官は両隣の面接官に目配せで合図を送った。
「今現在の世界勢力図、あなたも知っているでしょう? 2年|向かう《ドイツ》で学んだ力、見せてもらっても?」
もちろん知っている。知らないわけがない。時枝の魔法理論の提唱により、日本の魔法技術は世界でもアメリカに引けを取らないトップクラスのものになったのだから。
ちなみに、アメリカ、日本に次いでドイツ、イタリアなどのヨーロッパ諸国、その下に中国などがいるのが、今の世界情勢だった。
千風から見れば、時枝は中年のふざけたおっさんにしか見えないが、世界的にはものすごい化け物なのである。
女性面接官の合図に二人の男性面接官が立ち上がる。
ため息まじりに千風は訊いた。
「ここでですか?」
「当然よ。ここをどこだと思ってるのかしら? アメリカを凌いで世界を変える日本のエリート達が集まる場所よ」
とまあ、目の前の女の考えはそうらしかった。
災害から世界を救おうと必死に研究し続けた男の渾身の技術は……皮肉にも目の前にいるような輩にいいように使われているのが、現状だ。
人から兵器へ、兵器から魔法へ。形は変われど、人間の性根など微塵も変わりはしなかった。
富、名声、力――様々な利権争い。人と人、国と国。
申しわけ程度に理性を植えつけられた|人間《ケモノ》によるひどく醜い欲のぶつかり合い。
自らの益のために他人を平気で落とし、穢し、辱める。
反吐が出る。虫唾が走る。同じ人という記号に分類されることに怒りを覚えた。
なら、そのクソみたいな人間を救おうと今もなお身を粉にして、働き続けるあの男は一体なんなのだろう?
ひどく憐れで惨めで、しかし神聖だ。どうしようもなく救ってやりたくなる。そういう男こそ救われるべきではないのか?
いつしか千風はそういう風に思うようになっていた。そのために力をつけてきた。
だから、
――俺が救ってやるよ、クソジジイ! だからそれまでくだばるなよ!
拳を握り、戦闘態勢に入る。
「死んでも文句を言わないでね? ここはそういう場所だから」
女の面接官が楽しそうに嗤う。
普通なら教師に、学生が学力で敵うはずがない。魔法だって例外ではない。おまけに相手はその教師二人なのだ。
例えるなら、百点満点の数学のテストで、千風と二人の教師の合計点を競うようなものだ。そもそも百点と二百点では勝負にすらならない。状況は絶望的だった。
揺るぎない勝利を確信して女が嗤う。ニヤニヤ、ニタニタと。
だから、千風も笑ってやった。殺し合いには情けも何もいらない。
「ああ、いいぜ。掛かってこいよ! ここは|そういう場所《・・・・・・》、なんだろ?」
そして始まるのだ。無為で無益なおままごとのような戦闘が。
安い挑発に乗った雑魚が二人、千風に向かって魔法を展開した。