犬を引き取って
 紫樹は村で薬屋を営んでいる、その彼のところに村の老夫婦が彼の好物である和菓子を持ってきて言ってきた。
「一つお願いがあるが」
「いいかのう」
「多分ですが」
 その老夫婦にだ、紫樹は怪訝な顔で尋ねた。
「僕に頼みにくいお願いですよね」
「ああ、わかるか」
「やっぱりわかるのね」
「はい、お二人は犬を飼っておられますね」
 このことを彼から言った。
「ということは」
「そうなのじゃよ」
「他に頼める人がいなくてねえ」
「うちのシロを預かってくれるか」
「わし等が旅に出ている間」
「何、ちょっと寺参りに行ってな」
 夫の方が彼に言ってきた。
「それで温泉に入る位じゃ」
「二週間位かのう」
 女房の方も言ってきた。
「大体」
「それ位の間預かってくれるか」
「それだけでいいんじゃ」
「物凄く大人しい子だからのう」
「と言われましても」
 紫樹は老夫婦に困った顔で返した。
「僕は猫は好きですが」
「しかしじゃ」
「他に頼める人もおらんのじゃ」
「だからここはな」
「二週間の間だけ頼む」
「お金は払うし」
「預かってくれるだけの報酬は支払う」
 そう言ってだ、老夫婦は紫樹に小判を数枚出した。
「和菓子もよかったらもっとあげるぞ」
「だからじゃ」
「和菓子、ですか。それに」
 小判も見て言うのだった。
「お金も多いですし」
「だからのう」
「ここは頼めるか」
「そうですね」
 紫樹にしてもそこまで頼まれるとだった。106
 断れなかった、しかも和菓子と小判の魅力もあった。それで犬は苦手でもそれでもであった。
 彼は老夫婦にだ、こう答えた。
「仕方ないですね」
「おお、そうか」
「そう言ってくれるかい」
「はい」
 こう答えた紫樹だった、こうして彼は老夫婦の犬を引き取ることになった。だがその白く大きな犬が家に来てだ。
 彼はすぐにだ、お手伝いとして雇っている隣の家の双子に対して言った。
「悪いけれど犬の世話も頼むよ」
「うん、やっぱりね」
「そうなるわよね」
 双子は紫樹の言葉にわかっていたと返した。
「先生が犬を引き取るって聞いてね」
「そうなるって思ったわ」
「絶対に私達に世話しろって言うって」
「そう思っていたわ」
「だってね」
 それこそとだ、紫樹は言うのだった。
「僕は犬は駄目なんだ」
「猫は好きだけれどね」
「犬はその猫と正反対だから」
「もう犬は駄目」
「そうよね」
「そうだよ、色々あって引き取ったけれど」
 老夫婦から一時とはいえだ、相手の交渉能力の前に負けて。
「けれどね」
「それでもよね」
「先生の犬嫌いは変わらないから」
「それでよね」
「引き取ってもね」
「世話をするとか」 
 それこそというのだ。
「想像も出来ないよ」
「あそこのお爺さんとお婆さんも考えたわね」
「本当にね」
「そんな先生にどうして引き取ってもらうか」
「交渉上手よね」
「その交渉に負けたよ」
 紫樹もこのことを認めるばかりだった。
「本当にね」
「それで交渉に負けて」
「引き取ったはいいけれど」
「最初から世話をするとか無理だし」
「だから私達によね」
「うん、頼むよ」
 世話をすることを最初から放棄している返事だった。
「それじゃあね」
「そう言ってくるてわかってたし」
「いいわよ」
「それじゃあね」
「犬の世話も私達が引き受けるから」
「そういうことでね」
 まさにと言ってだ、紫樹は実際に引き取った犬の世話は一切しようとせず自分の仕事に専し続けていた。
 だがそれでもだ、犬のシロの方はというと。
 彼を見るとしきりに尻尾を振って顔を向けてきた、紫樹はその彼を見て双子にどうかという顔で言った。
「あの、僕はね」
「はい、犬がお嫌いなのに」
「それでもですよね」
「やけに犬に懐かれていますね」
「そうなっていますね」
「何でかな。昔から犬は嫌いなのに」
 それでもというのだ。
「犬に好かれるんだよね」
「そうですよね」
「私達も不思議に思っています」
「どうしてでしょうか」
「先生は犬に好かれるのでしょうか」
「どうしてかな」 
 紫樹自身腕を組み首を傾げさせることだった。
「僕は犬に好かれるのかな」
「生きものはいい人がわかるっていいますし」
「それでじゃないですか?」
「それでシロも先生に懐いているんじゃ」
「そうじゃないですか?」
「けれど僕は犬が嫌いだし」
 このことは変わらないというのだ、彼にとっては。
「犬に笑顔を向けたことも世話をしたこともないのに」
「だから先生がいい人だからですよ」
「嫌ってもそれだけですよね」
「いじめたりしないですよね」
「意地悪もしないですよね」
「世話はしないけれどそうしたこともしないよ」
 紫樹はこのことは確かにだと言い切った。
「僕は誰にもそうしたことはしないよ」
「だからじゃないですか?」
「先生が意地悪じゃないからです」
「シロも他の犬もわかっていてです」
「懐いているんですよ」
「成程ね、けれどね」
 犬に好かれる理由はわかった、だがそれでもだ。
 紫樹は犬についてだ、こう言った。
「僕は世話はしないから」
「はい、私達がですね」
「世話をですね」
「頼むよ、ご夫婦が帰ってくるまで」
 こう言ってだ、紫樹はこの会話の後もシロの世話は一切せず双子に任せきった。そうして老夫婦が村に帰って来るまでだった。
 シロに一切世話をしなかった、そうしてだった。
 老夫婦がシロを引き取った時だ、二人にこう言ったのだった。
「僕にお礼はいいですから」
「うん、双子の娘達にだね」
「お礼をだね」
「言って下さい、僕は何もしませんでした」 
 このことをはっきり言うのだった。
「文字通り」
「いや、家に引き取ってくれたからね」
「紫樹さんにもお礼を言うよ」
「有り難う」
 二人で紫樹に笑顔で言って深々と頭を下げた。
 そしてその後でだ、彼にこうも言った。
「じゃあまたね」
「わし等に何かあったらシロを頼むよ」
「僕は犬が嫌いですが」
 ここでもこのことを言う紫樹だった。
「それでもですか」
「そうさ、シロはあんたを見るといつも尻尾振ってるし」
「あんたのことが好きみたいだしね」
「確かにあんたしか預けられる人いなかったけれど」
「あんたに預けるのが一番だよ」
「犬は嫌いなのに」
 それでどうして懐かれるか、本当に彼にとってはわからないことだった。
「どうしてでしょうかね」
「それだけあんたがいい人だってことさ」
「それでだよ」
 老夫婦も彼にこう言った。
「だからまた頼むよ」
「わし等に何かあったらシロをね」
「仕方ないですね」
 その時に貰うお礼、小判も和菓子のことも脳裏に浮かんだ。それならだった。
 彼も断れなかった、それで老夫婦に言った。
「僕は世話しないけれどいいんですね」
「双子がいるしね」
「それにあんたに懐いてるから」
「これからも頼むよ」
「その時はね」
「それじゃあ」
 紫樹も頷いた、そうしてだった。
 彼は双子にシロを老夫婦のところに返させた、そうして別れたがシロはその時も彼を見て尻尾を振って家の方に帰る間何度も彼の方を振り向いて名残惜しそうにしていた。その様子には犬嫌いの彼も悪い気はしなかった。


犬を引き取って   完


                2018・7・22

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