■北へ
豊臣秀吉が亡くなったあと、石田三成ら西軍と、徳川家康ら東軍が関ヶ原で激突し、東軍が勝利した。
まさかの敗北に、石田三成は走りながら荒れる気持ちと戦っていた。
こんなはずではなかった。
家康の息子・秀忠隊はまだ戦場に到着していなかったし、数で負けていたとはとても思えなかった。親友の大谷刑部吉継に「お前には人望がない」と言われたが、豊臣家をお守りするためならば、みなが一丸となって動けるはずだと思っていた。絶好の機会だった。
それなのに、西軍総大将の毛利は動かぬ、島津は自分の陣地だけを守る、最後の最後に小早川の裏切り。懸命に力を注いでくれた刑部も左近も敗れ、その後の消息がわからぬ。
大打撃だった。なんとか追っ手を振り切って逃げのびてきたが、頭の中は嵐だった。腹の虫がおさまらぬ。あまりの結果だ。これらすべて、自分に責任があるのか。せめて淀殿が秀吉公のお子である秀頼様を総大将にとお許しくださっておれば、豊臣家のためという大義名分がたち、みなの忠心もまとまったかもしれぬ。
だが、三成は決してそれらの言葉を口からは漏らさなかった。徳川の追っ手から逃れるため一緒に連れ添っている三人の家来に、自らの弱音を聞かせるわけにはいかない。また立て直して、豊臣家に害をなす徳川をなんとしても打ち負かさねばならない。佐和山城の父と兄はどうしていることか。考えることはたくさんあった。
それにしても、足はおのずと北へ北へ郷里へと向いていた。近江の国、主君秀吉公が城をかまえた長浜の、石田村が生まれ故郷。関ヶ原から山中のけもの道をひたすら走り、川の水をすすり、田の稲を口にしてまた走る。
しかし、すでに関ヶ原での敗戦は郷里にも知れわたっている様子だ。徳川の追っ手らしき者の姿もちらほらと確認できた。武将の姿では目立つと、山仕事の村人の姿となって、里には近づかぬように気をつけながら、さらに北へ北へと走った。
三人の家来は、自分の身を心配してくれている。もともと胃の腑が弱く、川の水などをすすったせいか腹を壊してしまった。早くせねば徳川の手の者が追いついてしまう。三成は、かつて秀吉公が攻め落とした浅井長政公の城跡である小谷山を見上げ、ずっとついてきてくれていた家来たちに言った。
「必ず再起するゆえ、それまではそれぞれに落ちのびよう。あまりたくさんの人数で動けば目につきやすい。再起の時には必ずまた共に戦おうぞ」
それまで三成がなんと言おうとつき添っていた家来たちは、心配しつつも再起の誓いに強くうなずき、それぞれ後ろ髪を引かれる思いで主のもとを去っていった。ずっと共についてきてくれていた三人の背中を、三成はじっと見つめ、ともすればこれが最後の別れかと思ってしまう自分の気持ちを打ちすて、その去りゆく背中に頭を一度深く下げると、また北へと走った。
このあたりは幼少のころ走り回ったよく知る地であった。高時村は、昔からずっと変わらぬまま、秋のすずしい風が吹き抜けてゆく。
「じいちゃん、関ヶ原って遠いんちゃうん? おれ、社会見学で高速道路走った時に通ったけど、米原より向こうやったで」
幸輝はそう言って、少し不思議そうにした。
「ほうやな、遠いな。ここからやと、二十五キロくらいあるやろ」
「二十五キロて?」
「まあ、車で走って半時間ちょっとくらいかな」
幸輝は小さく叫んだ。
「ほれを走ったん? バスとか使わんと足で? マラソンやんか」
喜一郎は吹き出した。
「どの時代やと思てるんや。四百年も昔の話やぞ。バスなんかあろかいや」
幸輝はふざけてひっくり返って見せた。
「昔の人はな、まあ、馬を使ったりカゴに乗せてもろたりすることもあったやろけど、みんな自分の足で歩いたり走ったりしてどこへでも行かあったんや。強かったんやな。きたえられてやあったんや。車に慣れてしもてるわしらとは違うで」
喜一郎は、自分の足をパンパンとたたいて見せた。起き上がってきた幸輝は、また前のめりになると、「ほんで? ほんでどうなったん?」と聞いてくる。喜一郎は、昔、祖父に聞いた話を思い出しながら、一つため息をついて、幸輝に言った。
「四百年も前の話を書き物にも残さんと聞き伝えやからな、ほんまのこっちゃわからんけんど、わしの聞いた話では、今の国道の三六五号線が通ったあるあたりをずっと走って来やあったと思といたら、まあ、だいたいまちがいはないやろ。ほうやって、この古橋まで来やあったんや」
幸輝の目が輝いた。やっと聞きたかったところに話が進んだ。