■再会
三成は目がさめると、あちこち痛む体にむちうち起き上がった。腹具合が悪いのはなかなか良くならず、厠へ向かう。なんと情けない姿よ。そう思いながらゆっくりと厠から出た。すると、夕べの寺男が盆に湯気の上がる物を持って縁に立っており、目が合うと三成に向かって一礼した。部屋へ戻ると、寺男は黙ってその盆を三成にさし出した。
ニラ粥だった。
そのニラ粥は、腹を壊して体力が落ちている三成を気づかった老院の気持ちだった。それは幼少のころから腹を壊せばいただいていたものである。
よくぞ覚えていてくださった。
老院の心づかいに感激する三成に対し、寺男は一礼するだけで何も語らずに下がっていった。三成は、よくできた男であると好ましく思いながら、ありがたく粥をいただいた。腹に優しく体全体にしみわたるように温まる。湯気のせいか鼻水が止まらず、すすり上げながら粥を口にし、また横になった。
途中で別れた家来三人は無事であろうか。父は、そして兄は? 自分が関ヶ原で敗れ、佐和山も大変なことになっているに違いない。なんとか無事でいてくれればよいが。
そう考えながらも、三成は昔のことを思い出し、気持ちを立て直した。
秀吉公がご存命のうちは希望にあふれていた。無心で仕事に打ちこんだ。今こそそうでなければならない。ここで気を折ってしまってはならぬ。ふんばりどころじゃ。と。
しばらくして、障子が静かに開き、老院が入ってきた。
「お客人。体のほうはいかがかな」
三成は急いで起き上がると身を正し、深く頭を下げた。
「すっかり甘えてしまい申しわけありませぬ。今日にはこちらを出るつもりをしておりますゆえ、ご容赦を」
すると老院は、ほっほと笑い、軽くあげた手で言葉をさえぎった。
「まあまあ、そうあわてずともよろしいではないか。歩みがしっかりすればどこへでも行けようというもの。ゆっくりなさればよい」
そして、老院は三成に茶をさし出した。昔、天台宗の開祖である最澄が中国から持ち帰りこの地に伝えた古橋のお茶である。懐かしい味と香りを、三成がありがたくゆっくりとのどに流し込んでいると、思い出したように老院が膝をぽんとたたいた。
「そうそう、巷でうわさになっておりまする。寺男が耳にしてきましてな。なんでも、佐和山城の石田正継公、正澄公は自刃されたとか。石田家家臣一同、一丸となって果敢に戦われたという話が伝わってきております。この世のありさまは、無情というよりほかなりませんな」
むごい事実ではあっても、うわさ話として自分の心配事の一つを教えてくれた老院に、三成は固く目を閉じたままうなずき、黙って手を合わせた。自分に協力してくれた一族のみなが、負けたことでひどいことになったのは、断腸の思いである。家康を必ず討つ。それは、豊臣家の安泰に加えて、一族の無念を晴らすという意味も加わって、強い思いとなった。
老院は、じっと外を見ていた。三成の憎しみの心の嵐は、背にひしひしと伝わってきていた。こんなにも騒がしく荒々しい世の中であるのに、庭の木々は紅葉の光を弾きながら静かに風のなすままである。人間とは、こうあることはできないものか。ここにいる男は今、けっして欲のためにこうなっているわけではない。仕事に忠実だっただけである。それがわかるだけに、老院はこの男を、今は静かにしておいてあげられないものかと、かなわぬ思いを御仏に願わずにいられなかった。
その日のうちに、三珠院に一人の男がやってきた。胸に手紙を抱き、顔には真剣なまなざし。老院は、その男が持ってきた手紙を読むと、そっと焚き火にくべた。
「久しいの、与次郎。元気にしておったか」
老院が問いかけると、与次郎は深く頭を下げた。
「それ、そちらじゃ。顔を見に行ってやってくれ」
老院は、与次郎を三成がいる部屋へ行くよううながした。与次郎はうながされるままに部屋へと向かった。
障子を開けて入ってきた男に、三成の表情は一変した。驚きと喜びと、そしてすぐに今まで見せなかった悲しみの顔となった。小さなころから寝起きを共にした幼なじみ。今では、三成の温情で大百姓になっている与次郎太夫は、もともと、この三珠院の寺男だった。
与次郎は、名前を呼びたい気持ちをぐっとこらえて、三成の方ににじり寄り、その弱った両手を強く固く握りしめ、小さな小さな声で、「ようご無事で。ようご無事で」と、流れる涙もそのままに幾度も幾度も繰り返した。
二人には時間がなかった。古橋村には徳川の追っ手がもう入っている。徳川方の武将・田中吉政が井口で陣を張り、三成を捜し出そうとしている。
古橋の大谷川にかかる金屋橋に立て札が立てられた。三成の居所を知らせた者、さし出した者、殺した者は金百両を授け、年貢を免除するという立て札である。
寺はみなが知る場所ゆえ、早々に居所を変える必要があった。
二人は相談した。与次郎の家が一番休まるのはまちがいないのだが、徳川方の家捜しが始まれば見つかるのは時間の問題である。与次郎は、山仕事に行く時に見る洞窟を思い出した。あそこは人の出入りする場所ではなく、中はそれなりに広い。雨風もしのげるし、自分が食料を運んだりしてお世話をすれば済むことと、その洞窟へ行くことにした。
「オトチの岩窟です。なに、ちょっと冷えるかも知れませんけんども、身を隠すにはええ場所やと思います」
三珠院を出て、二人は険しい山道を登った。歩き慣れている与次郎は難なく登ってゆけたが、三成は体調の悪さがたたり、時おり動けず、与次郎がその痩せた体をひょいと背に負うて登りきった。
与次郎は冷えると言ったが、三成はそうは思わなかった。人の心の温かさに触れたからかもしれない。与次郎は山仕事のふりをして必要な物を三成のもとまで運んでくれた。そこで養生しながら、三成は再起を胸に隠れ続けた。
しかし、与次郎の動きは山仕事と言いながらも激しすぎた。古橋の民はその与次郎の動きから三成の存在に何となく気づいた。だが、古橋は三成に大きな恩義があった。飢饉の時、三成の計らいで多くの支えを受け、助けられたのである。三成は、自身の母の里である古橋をとても大切にしていた。その恩義が村人の口を閉ざしたのだ。しかし、古橋の村人がそうであっても、徳川方の人間が気づいては大変なことになる。与次郎は、自分が頻繁に動くのはまずいと感じ始めていた。
「じいちゃん。オトチの岩窟はこのあいだ登って来たで。すごい山登りやったけど、毎日行かあったん? すごいなあ」
幸輝の言葉に、
「ほんで言うたやろ。昔の人は強かったんやて」
喜一郎は、自分のことのように自慢げに言った。しかし、すぐにちょっと自信のない顔になった。
「でもな、わしがじいさんに聞いた話と、今調べられてわかってきてる話とで少し違うんや。けんどな、わしはじいさんに聞いた話のほうが好きやで、ほっちを言うぞ。ほかにもいろんな話があるんやて思て聞けよ」
喜一郎がそう言うと、幸輝はウンとうなずいた。そのうなずき方がいかにも軽く見えて、まあ、それも仕方がない、自分の言っていることの意味はわかっているだろうと、喜一郎は話の続きを始めた。