■古橋に残る七つの伝承+1
一、茶の木がいたるところに自生している
「三献茶」伝承は米原市の観音寺説もあるが、古橋では法華寺での出来事として伝わる。茶は最澄が持ち込んだとされ、三成が茶を好んだということから、村のあちこちに自生し、また栽培もされ続けている。
一、 おなかを壊せば必ずニラ粥を食すること
三成は古橋に潜伏している間、腹をひどく壊しており、かくまった与次郎が滋養のためにニラ粥を与えて静養させていたと伝わる。古橋にはニラが自生し、体調を崩せば「ニラ粥」をいただく習慣がある。
一、苗代の種まきは午前中には行わぬこと
三成が捕縛されたのは、朝、種まきに出かけた婿養子が徳川方に密告したからだと伝わり、三成を偲び、午前中の種まきは遠慮するようになった。午前中に種まきしても、不思議と種が水に浮いてしまって地に定着せず、三成の怒りで種が吹き上がるともいわれる。
一、朝霧がなかなか晴れない
古橋の地形によるものなのか、朝霧が動かず流れていかない。三成が午前中に捕縛されたため、悲しみから晴れないとも、朝霧までもが三成を隠そうとしているとも伝わる。
一、味噌汁が澄まない
味噌汁は時間をおけば底に澱がたまって澄むものだが、古橋ではいつまでも濁ったままであるという。三成が捕縛された悲しみが今なおこの地の気持ちをすっきりさせないことが現れ出ているのかと伝わる。
一、雷が落ちない
自分を一丸となってかくまってくれた村人への三成の恩義が、雷を落とさないと伝わる。
一、村外からの養子縁組をせざること
他の村から来た婿養子が村の意志に背いて三成の居場所を徳川方に密告したことから、他村からの養子縁組はしないという掟ができた。約四百年続いたが戦後解禁され、現在は他集落の方との養子縁組もなされている。
「金屋橋」は「金やる橋」
集落内の大谷川にかかる橋の立て札に記された賞金の項(金やる)が「金屋橋」の名の由来だと伝わる。
・石田三成を生け捕りにすれば、その村の年貢を永久に免除
・生け捕りにせず殺した場合は、その者に賞金百両を与える
・かくまえば、当人のみならずその親族および村人全員を処刑