雨声
暑い日曜日の夕方、牧村晴美は部屋のカーテンを開けた。空は黒雲が広がり、遠くでは雷も光っている。
晴美は目を瞠り「私じゃない」と呟いた。たった一人の部屋の中、誰にも聞かせられないのに、まるで何かの言い訳のように「違うんだって…」と口にしてその場に崩れ落ちた。
「羨ましいって思っただけだったのに、邪魔をする気なんて無いのに、真由ゴメンね…」
晴美は、昨日の真由からの電話が頭の中から離れないでいた。
真由は四歳年下、二十一歳のたった一人の妹。就職をしてすぐに実家から出て一人暮らしを始めた晴美とは対象的に、「家賃を払う分だけおしゃれをしたいから」という理由で両親と一緒に住んでいるちゃっかり者だった。高校を卒業してから就職した真由は、大学まで進んだ晴美と同じ社会人歴になる。そのためか、就職してからは晴美と真由の間に姉妹と言う垣根が薄くなり、まるで同僚のように妹が姉に対する遠慮がなくなっていた。
「もしもし、お姉ちゃん、元気だった?」姉妹や身内というものは余程の用事でもなければ連絡をしない、そのせいか晴美は真由からの電話を不思議に思った。
「元気だけど、どうしたの急に?」
「うん、あのね。ちょっと聞きたいんだけど、お姉ちゃん、明日は暇?」真由は心配そうに訊ねた。
「残念だけど…」
「もしかして、予定が入ってるの!」そんなに力まないでもいいじゃないと晴美が思うほどに真由の声は力が籠もっていた。
「何も予定が入ってないよ。寂しく読書でもするつもりだけど、デートにでも誘ってくれるのかな?」
すると真由は「な~んだ」と心の底から安心した様に胸を撫で下ろして、
「デートだけど、お姉ちゃんを誘いたい訳じゃないの。博と琵琶湖に行くんだけどね、雨が降ったら楽しみが半減するじゃない? だから、お姉ちゃんはどうしてるのかなって思ったの」
「私が雨女だからって事?」晴美が拗ねた様な声で言うと、真由は媚びる話し方で「ごめん、怒った?」と言った。
「別に、慣れてるから。気になるのも仕方ないかな」
「ごめん、でも明日は何もしないでね、絶対、絶対だからね」「わかった、わかった」
真由は言いたい事を言うと電話を切った。晴美は通話の切れた携帯電話を手にしながら孤独感に襲われるのだった。
「私だって、好きで雨女をやってる訳じゃないわよ…」次の瞬間、晴美の携帯電話は大きな音を立てて壁にぶつかり床に転がった。
「晴美ちゃんって雨女だよね」
雨女という言葉を知ったのがいつ頃だったか晴美の記憶にははっきり残っていない。でも、小学生の時だった気がする。
小学生は新しい言葉に敏感で、覚えたての言葉をすぐに使ってみたくなる。晴美が雨女と呼ばれたのも、最初はそんなに深い意味が無かったのかもしれない。
しかし、子どもは残酷で悪い言葉がついた人には、それなりの制裁を加えていく。
「明日はみんなが楽しみにしている遠足ですね、みんな、早く寝て遅刻しないようにね」小学四年生の担任は大学を卒業したばかりの新任だった。彼女は遠足の前日の帰りの会で、誰もが使う常套句を甘く明るい声でクラスのみんなに言った。
すると、一人の男子が、「先生、雨が降ったら遠足はどうなるんですか?」と訊ねた。
「雨が降ったら、遠足は延期になってお勉強になります。でも天気予報は明日、晴れるって言ってたから心配ないよ」
「じゃあ、牧村は休みなんですか?」
「えっ? 今の話に牧村さんは関係無いじゃない?」
担任が不思議そうに言うと、別の男子から「牧村は雨女だから、絶対雨になるんだ」と声が上がったのを合図にするかのように、クラス中から「そうだ」「そうよ」との合唱になってしまったのだった。
晴美は、何の反論もできずに、頭を伏せるしかなく、担任は初めて直面する問題にただオロオロするしかなかった。
翌朝、遠足の準備をして家を出発した晴美は傘を取りに玄関に戻った。学校に行って何を言われるかは解かっている。だからそのまま「頭が痛い」と母親に伝えて部屋に籠もるしかなかった。
朝の雨で延期が心配された遠足は、一人の生徒の欠席を除いては予定通り行われ、晴天に恵まれたらしい。
小学生の時の晴美は全てがこの調子。運動会も遠足も休んだ。勿論、友達だってできなかった、「晴美ちゃん、雨女だから、晴美ちゃんと遊ぶ時は雨ばっかりで面白くないもん」と口々に言われ、心を痛めた晴美は下を向いて生きる小学生になっていた。
そんな晴美に明るい顔を取り戻したのは、六年生が始まると同時に転校してきた細川里奈だった。
小学生にとって転校生は一時的にクラス全体のブームになる。里奈もそんなブームの中心に居て、しかも活発にクラスに溶け込もうとしていた。
そんな里奈がフッと晴美がいつも一人でいる事に気が付いた。
あれ? と感じた里奈が晴美に近付こうとすると、既に仲良くなっていた水谷唯に「やめなよ」と止められてしまったのだ。
里奈が「なんで?」と訊ねると唯は「あの子友達いないから…」と言葉を濁す。
「誰も友達になってあげへんの?」里奈の当たり前の質問に唯は「だってあの子は雨女なんだよ、一緒に遊ぶと絶対雨が降るし、行事でも全部雨になるの、だから面白くないし、気持ち悪いじゃない」と顔をしかめた。
「ふ~ん、それのどこがあかんの?」
「どこって言われても…」唯が困ったように視線を落とした。「やっぱり気持ち悪いし…」段々細くなる唯の声に対し、里奈ははっきりと言葉を返した。
「唯ちゃんの言ってること、理解できへんわ、私、晴美ちゃんに声掛けてくる」
唯は、止めようとしたが、里奈はそれを無視して晴美に声をかけたのだった。
転校生は、クラスのブームになっている間にやらなければならない事が幾つかある。その中の大切な一つに友達作りがあるだろう。見知らぬ大勢の中で友達を作るのは決して簡単ではないように思えるが、クラスの殆んどの人間が自分に注目している以上、実はそんなに難しい事でもないのかもしれない。そういう意味でも里奈は上手にクラスに溶け込んで行った。そんな里奈がクラスの中で孤立した存在だった自分に声を掛けて来た事に晴美は驚くしか反応ができなかった。「なあなあ」とまるで以前からの友達のように声を発した里奈の次の言葉で晴美の人生が変わってしまった。
「晴美ちゃんって、雨女なんだって、じゃあ一緒に出かける時は傘を持って行ったら無駄にならんでラッキーやん」
「えっ?」意外な言葉に晴美は思わず目を上げて里奈を見た。クラスメートの顔を直視するのは何ヶ月ぶりだったかもすぐには思い出せないくらい晴美の頭の中で里奈の言葉が理解できなかった。
「よろしくな」晴美と目が合ったと同時に微笑んだ里奈は右手を出して握手を求めて、晴美もそれに応えたのだった。
「唯ちゃん、一緒におしゃべりしよう」里奈は唯を呼んで、ここに新たな仲良しグループが誕生した。
二人だけなら受け入れられ難い人間関係も三人以上になると周囲に認められるのが不思議な気がする、こういう意味でも唯はとても大切な存在だった。唯自身も他のクラスメイトに同調して当たり前の様に晴美を避けていただけだったから、こうして晴美と付き合ってみるとすぐに打ち解ける事ができたのだ。
「クラスメイトが団結して私を騙してるんじゃ?」と晴美が思ったほどに簡単にクラスの中に溶け込んでいった。勿論その中には里奈の活躍があった事は公然の事実で、誰かが晴美の事を「雨女だから…」と口にすると「それがどうしたん?」とあっけらかんと言い返す。それが続けば誰も何も言わなくなるらしい。
こうして六年生の一年間は、晴美にとっても楽しい時期の一つとなった。でも、遠足や運動会は全て雨となるので、ついに雨の日にいける場所や体育館内でのスポーツイベントが優先されるようになったくらいだった。
修学旅行も今さら説明する事もないでしょう。
三月、卒業式の日。
講堂の中は天井に当る雨の音が響いていた。でもクラスメイトと一緒に並ぶ晴美は、しっかりと前を見据えていた。
「私ね、今日に備えてとってもかわいい傘を持って来たんだぁ、色もこの服のお揃い。いいでしょ」晴美の後ろに立っていた唯が晴美の耳元で囁いた。
すると、晴美の前に立ってた前田早百合が「私も、今日は新しい傘を持って来た」と笑顔で応えた。
「晴美ちゃんが居てくれると、雨が振るって分かるから、事前に傘の事も考えるんだよね。そうしたら、傘一本で雰囲気が変わるから、凄く気にするようになっちゃった」
唯もそうそうと頷いた。
長いけど胸に込み上げる式は終り、みんなが下校する時の事。
「なんだ~、唯ちゃんも新しい傘なんだ~」とどこからともなく声がしたかと思うと、クラスのあっちこっちから「私も」「僕も」「オレも」と声が掛かった。
「ちぇっ全員同じ考えかよ~、このクラスは雨を楽しむようになったよなぁ、これも牧村のお陰かな?」
「あんたが、一番避けてた癖に調子いいんだから」
「えぇ~そんな事ないぞ…」
「そやったん、和田サイテ~」里奈もこの会話に加わっていた。
「だから、違うって!」
「あっ、和田君が怒った。大好きな細川さんの親友をイジメてたのがバレて慌ててるんでしょ?」
「ち・が・う!」一人慌てる和田はちらっと里奈を盗み見た、それに気がついた里奈はわざと和田を真っ直ぐ見ると和田は慌てたように目を伏せる、そんな姿を察知した女子がますます囃し立て和田はクラスメイトに十重二十重と囲まれたのだった。
クラスに慣れたといってもまだ少し抵抗がある晴美が、この騒ぎを少し離れて眺めていると、里奈も晴美の隣りに陣取って、クラスの騒ぎを見物する立場に立った。
「里奈ちゃん、あの時に声を掛けてくれなかったら私は今日も学校を休んでた、そうしたらこんな楽しい気持ちで卒業できなかったよ、ありがとう」
「なにを今さら、そういうお礼はもっと早く言うもんやで」
「そうだよね…」晴美が真面目に応える。
里奈は慌てたように「晴美ちゃん、冗談やで、真面目な晴美ちゃんに冗談で応える私も悪いけど、真剣に返事されると次の言葉に困るやん」
「その割にはちゃんとしゃべってるように聴こえるんだけど?」
「ほんまや」
二人は声を合わせて笑った。和田を囲んでいたクラスメイトは二人の笑い声に誘われて「何なに?」と二人の方に集まってきたのだった。
小学校の校舎の三階、廊下の窓からこの姿を見て居たのは晴美の四年生の時の担任だった。
「河村先生、そんな所から何を見てるんですか?」
「あっ柴村先生、いえ、下の卒業生たちを見てたんです、色とりどりの傘がキレイだなぁって思って」
「あれは、ウチのクラスの生徒たちですね。牧村のお陰で全員が傘に一工夫してきたそうですよ」
「えっ牧村さんの?」河村が少し明るい顔をした。
「はい、そう言えば河村先生は牧村の担任をされた事があるんですよね」
「彼女が四年生の時に… でも結局クラスメイトに無視されてる彼女に対して何もできなくて…」河村の目が伏せられた。
柴村は優しく「でも、その時期があったから私のクラスはあんなに素晴らしい卒業式を迎えられたんです、私も何もできませんでしたが、細川が来てくれたお陰で生徒たちは自分たちで頑張って、自分たちで問題を解決していった。結果的には良かったんだと思いますよ、だから河村先生ももう心配して牧村を見つめ続けなくてもいいんですよ」
こうして、晴美の小学校生活は終わりを迎えた。
聞き覚えのある音楽が近くで聞こえる。この曲は何だったかな? 今まで真っ暗だった晴美の意識の中でぼんやりとした明かりが灯り始めた。「これは真由が好きな曲じゃない」聞き覚えのある声がそう応えた。
「真由? それは誰…」
「あなたの妹」相手は淡々と応える。
「妹かぁ… いもうと イ・モ・ウ・ト…妹!」そこで晴美は勢いよく起き上がった。
「大変、真由からの電話じゃない!」
淡々とした声は「やっと解かったの?」といわんばかりに呆れた声を出した気がした。この声は間違いなく晴美自身だった。
晴美はまだ鳴り続けている携帯電話を手にとって通話ボタンを押した。
「もしもしお姉ちゃん。もぅ出るの遅いよ」
「真由、ゴメン。今まで寝てたみたいなの」晴美は申し訳なさそうに呟いた。
「みたいって何よ、のんきなんだから。ところで今日はありがとう。ゴメンね、無理言って」真由はこれ以上無いと言えるくらいの明るい声でそう告げた。
「え、でも、夕方に降ったでしょ? 雨…」
「あぁ、あの夕立? あれは仕方ないじゃない、暑い日だったんだし、全然平気だよ」真由の明るさからこの台詞がお世辞とは思えなかった。そのまま無言で居る晴美に対し、真由は一方的に博とのデートについて報告し満足した所で勝手に電話を切った。「私じゃなかった」という晴美の喜びだけを残して…
季節はいつの間にか変わっていく。冬の寒さも夏の暑さも、ピーク時は永遠に続くのではないかとも思えるような苦しみを伴うが、慣れた頃には、次の季節に入ろうとしている。
夕立を心配しなければならない夏が終わり、夜に吹く風が冷たくなってきたように感じられる、この頃になると、晴美は周囲に必要以上に気を使う。近所から子ども達の声で楽しそうに運動会などのイベントの話が聞こえてくるからだ。買い物以外に出掛ける時は、周囲で何かイベント事が無かったか考える習慣まで付いてしまったが、結局、そこまでして出掛けるくらいなら何もしないで家に籠もって居た方が楽だという結論に達してしまった。
そんな秋の日曜日、晴美がいつもの様ににわかニートを決め込んでテレビを観ていると、一人の男性に密着したドキュメント番組に釘付けになった。
それは晴美とそれほど年齢が変わらないと思える男性が自分の特技を生かして始めたというベンチャービジネスの紹介だった。
画面には男性の下に「天野直人さん」という文字で男性の名前を視聴者に告げていた。そしてマイクを持ったリポーターが天野に問いかけた。
「天野さんの特技って何ですか?」すると天野は済ました表情で「晴れ男なんです」と応えた。
リポーターはその事を事前に知っていたようで大して驚く事も無く引き続いて天野に質問を被せていく。
「晴れ男なら、僕も負けませんよ、でもそれがどうしてビジネスになるんですか?」
「では」と天野がレポーターに問い掛けた。「あなたは雨を知っていますか?」訊かれたレポーターは不思議そうな顔で「当然です」と応えると、天野は軽く微笑んでから「私は、生まれてから今まで雨を経験した事が無いんです」と口にしたのだ。
雨を知らない。晴美にとってこれほど興味を惹かれる人に今まで出会った事は無かった。中学生の時、晴美に告白してきた本田英紀が自分の事を晴れ男だと言ってきた時にも半信半疑でしかなかったのだから…
中学の入学式も無事に雨で終えた晴美だったが、小学校のクラスメートの殆んどとは別れる事もなく進学したので、心の中は晴れ晴れとしていた。
この中学校では近隣三つの小学校から生徒が集まるために新しい友達も順調に増えていったが、晴美・細川里奈・水谷唯の三人は里奈だけが違うクラスに分かれてしまっても休み時間はいつも一緒にいるくらいに友情が続いていた。
中学生という言葉にもやっと慣れつつあった晩春の頃、三人で何をするでもなく校舎の窓を空け、風を吸い込んでいると、「なぁなぁ晴美ちゃん」と里奈が口を開いた。
「何?」
「ちょっと、面白い話があるんやけど…」
すると、晴美よりも早く唯の方が反応した。
「面白い話~、聞きたい! ね、晴美ちゃん」
「う、うん」唯の興味深さに圧倒されるように晴美も返事をする。
「あんな、昨日の放課後に二年生の先輩に呼び出されたんやけど」
そう言えば、昨日の帰りには里奈が居なかったな。と晴美は思った。
「その時に、晴美の事を訊かれたんよ」
「えっ 私?」
「そうや、それでな、晴美に協力して欲しい事があるらしいんや」
「何?」
「晴美が雨女やって耳にした先輩がな…」
そこで唯が慌てて里奈を止めようとした。
「ちょっと里奈ちゃん、また晴美ちゃんをそういう話に巻き込むのは良くないよ、里奈ちゃんが私たちに気付かせてくれたのに…
いくら先輩には逆らえなくからって、また晴美ちゃんを苦しめるのは止めよう」
晴美は唯の言葉に胸の奥で熱いものを感じて涙がこぼれそうになった、でも、里奈が友達が傷付く話をわざわざ持ってくるとは思えなかった。
「唯ちゃん、里奈ちゃんを信じて続きを聞いてみよう。里奈ちゃん、先輩はなんて言ったの?」
「先輩は、絶対傘が要らないような天気のいい日の帰りに雨を降らせて欲しい。て言ってるんよ」
「どうして?」
「その先輩には、ずっと好きな人が居るけど、きっかけが無くて話す事もできなかったんやて、だから、雨が降った時に傘が無くて困ってたら、一緒に傘にって誘えるやろ?」
「つまりは、恋の後押しの為の演出ってこと?」
「そうそう、今まで考え付かなかったけど、そうやって誰かの役に立つならやってみても面白いと思わへん?」
雨が降るって事が誰かの役に立つ、それもとっても素敵なジーンの一つになるなんて、晴美にとっては思ってもみないことだった。
「晴美ちゃん、これってチャンスやと思わへん? 晴美ちゃん自身が恋のキューピットをするんやで」
晴美は大きく「うん」と頷いた。
晴美自身が自分の意志で雨を降らそうと考えた事が今まで無かったので、ちゃんと考えないでいたが、晴美が何かする時にでも雨が降る時と降らない時がある。まずこの違いをちゃんと知っておかないと、いざというときに役に立たなくなってしまう。
そこで晴美は意図的に雨を降らす努力をしてみた。
すると、普通に生活するだけでは何の影響も無い事がわかった。例えば買い物に行くにしても、日用品を買いに行っても問題は無いが、出版を心待ちにしていた本やお気に入りのCDなど、ワクワク期待する物を買う時は必ず雨になった。
出掛ける時も、散歩や目的の無い外出には雨にならず、目的を持ったり友達と出掛ける時には雨になった。
こうして、しっかりと自分を分析してみるとその付き合い方も少しずつ解かってきた。でも、それは、晴美自身の感情を熱くさせてはならないという厳しい現実を突き付けられた瞬間でもあった。楽しむ事と雨が降らない事、晴美はこの二つの間に挟まれて孤独にもがき苦しむ試練が課せられてしまったのだ。
でも、そんな晴美の苦しとは裏腹に里奈を呼び出した先輩の恋のキューピットをする計画も急に動き始めた。
近所でイベントが無い平日の夕方。晴美が楽しみにしているコミックスが店頭に並ぶ日が選ばれたのだった。
誰もが多くの期待と少しの不安を抱える当日は、あっと言う間にやってきた。
天気予報は快晴。降水確率0%。雨の気配を全く感じさせない日。勿論、傘を持ってくる人も誰も居なかった。
「こんなに心地良いのに悪い気がするなぁ」放課後に集まって様子を見ることにした晴美・里奈・唯の三人が昇降口から死角となる柱の影で息を潜めながらその瞬間を待っていた。
晴美の心に踊るような期待も胸が熱くなる感情も無かった。そういう気持ちになった瞬間から雨になると言う恐れがあったからだった。できるだけ冷静に、今の今まで頭の中から追い出してきた。
でも、そんな晴美の気持ちに気付かない唯はまるで自分が告白するかのように朝からテンションが高くて、晴美にも絡んでくるので、晴美を困惑させていた。
それが、この場に到着し恋の手伝いをするという現実がまじまじと近付くと、ずっと冷静にしていた反動で一気に興奮した。そんな晴美の想いにリンクするかのように、雲ひとつ無かった青空を覆う暗雲がどこからともなく立ち込め、空を真っ黒にした。
「晴美ちゃん、凄い…」唯はただただ感心している。
やがて、雨が落ち始め、本格的な降りとなった・
「ちくしょー、今日雨降るって言ってたか?」昇降口で男子の声がした。「オレ傘持ってねぇよ!」男子は一人で空に向かって叫んでいる。
しばらくすると、片手に傘を持った女子が男子に近付いて行った。
「あっ、竹谷先輩だ」唯が女子を指差した。
「唯ちゃん、知ってるん?」
「うん、私のお姉ちゃんの友達だよ」
すると里奈が「あの人が晴美ちゃんに依頼したんやで」と教えた。唯は軽い驚きを感じたが、それと同時にそんな事を考え付いた知人の必死な想いを応援したくなった。
「さぁ、おしゃべりはお終い、今からいい所だよ」晴美が二人をうながしたのだった。
昇降口では、竹谷がもう一歩を踏み出せないでいた。
必ず雨を降らせられる子が居ると聞いて、一年の細川を頼った。細川と牧村はこんな無茶な願いにちゃんと耳を傾けてくれて、今こうして雨が私と彼を包んでいる。地面に当たる一粒一粒の雨音も自分を後押ししている。
「あの、辻元君…」竹谷は小さな声で呟いた。
「竹谷か、どうした?」
「あの…」竹谷が辻元の前で下を向いた。
「あのね…私…傘…だから…」ごくっと唾を飲み込んだ竹谷は決心を決めた。
「一緒に帰ろう!」
「それって…」辻元は竹谷の言わんとする事を理解して顔を赤らめた。
「俺で良いのか?」「辻元でないとダメなの」竹谷は傘を開いて辻元の上にかざした。辻元は傘の柄を受け取って二人で雨の中に歩を進めて行く。
傘に当たる雨の音が竹谷の心で拍手の音に変わって響いていった。
去っていく一組のカップルを見送った晴美・里奈・唯はその姿が消えてからやっと緊張の糸が解けた。そして「やった!」と声を合わせて喜びあったのだった。
「晴美ちゃん、私たちキューピットできたよね」唯が晴美の手を取ってはしゃいでいる。
「そうだね!」晴美もこんな形で自分の特技が役に立った事に唯以上に飛び上がって喜びたい気持ちを必死に抑えていた。
「なぁ晴美ちゃん、これって使えると思わへん?」
「え?」
「鈍いなぁ、晴美ちゃんの特技を同じ形で生かしていくんや」
「今回のように?」晴美の顔がパッと晴れた。
「そうそう、面白いやろ?」
「それ、絶対良い、やってみよう」唯がノリノリで同意した。
晴美の特技は中学校で隠れた話題となり、半年位が過ぎた頃には学校以外でも地域の農家などで呼ばれるようになっていた。
「君が牧村晴美さん?」同い年の男子が声を掛けてきた時、晴美は「またか…」と思った。
有名人に対する憧れと言ってしまえばそれまでだが、とにかく晴美の名前が広まれば広まるほど言い寄ってくる男子が増えていった。これは里奈や唯も同じだったらしい。
「よく見れば、私たち美人三人娘だからね~」なんて唯は言っていた。「よく見な美人じゃないんか?」という里奈のツッコミの方が面白かったが、二人に言わせると、言い寄ってくるのが当たり前とも言わんばかりだった。
そんな三人は最初は丁寧に断っていたが、日に日に段々多くなっていく男子たちに煩わしさすら感じるようになった。
本田英紀が晴美に声を掛けてきたのもそんな男子の一人としてだったと晴美の記憶に残っている。
「君が牧村晴美さん?」の質問の後に、晴美の返事も聞かないで勝手に話し始めた。
「僕は晴れ男なんだ」英紀は誇らしげに言った。
「だから、僕がイベントに参加する時は晴れる日が多いし、だから君とは正反対だよね」
でも、そんな言葉を晴美は冷めた思いで聞いていた「でも、入学式は雨だったよね?」って質問したくなるくらいだったのだ。
「そこで、君にも晴れた日を味わってもらいたいと思って、デートに誘いたい」
(一方的に話をする人だなぁ)晴美はため息をつきたい気分になったが、それを知ってか知らずか男子は一枚のチケットを晴美に押し付けた。
「これ、サッカーの試合のチケットなんだけど、一緒に来てくれるよね?」
「えっ? ちょっと困ります」
「いいから、いいから」
何が「いいから」なのか解からなかったが、押し付けられたチケットを手にしないといつまでの付き纏われそうだったので、取り敢えず受け取った。
「それなら、開場一時間前に駅の改札口で待ってるから」男子は当たり前のように言った。
「そうそう、自己紹介が遅れたけど、僕は晴れ男・本田英紀ヨロシク」まるで突然発生した竜巻のようにやりたい放題、言いたい放題騒いだ後で英紀は勝手に去って行った。
この件を里奈と唯に話すと全く正反対の反応を示した。
「面白いじゃない、行ってみたら」と言ったのは唯。「そいつ何やねん、無視無視」と言ったのは里奈だった。
「でも、里奈ちゃん、雨女と晴れ男の直接対決面白くない?」「それは、興味あるかな」「でしょう、これで晴美ちゃんの雨女が治ったら晴美ちゃんにとっても良い訳だし」なんて勝手な事でワイワイ盛り上がっていた。
「あのねぇ、治るって言われても雨女って病気じゃないでしょ」晴美は呆れた。
「でも、見てみたいかもなぁ直接対決」
「里奈まで…」親友二人の意見が一致して、期待を込めた目で晴美を見た。
「はいはい、行けば良いんでしょ」晴美は仕方ないと諦めて英紀の誘いを受ける事にしたのだった。
約束の日、空は澄み渡っている。
相変らず物陰に隠れてこっそり様子を窺っている里奈と唯は意外に感じているかもしれないが、渋々来ているだけの晴美にとっては足り前の事だった。
「お待たせ~」英紀は笑顔で登場して「ほら、晴れたでしょ」と胸を張って口にした。
苦笑いで応えた晴美を促して競技場へと向かい、試合観戦が始まった。
サッカーの事なんて何も知らない晴美は、冷めた目で試合を観ていた。英紀といえば真剣に試合にのめり込んで大声で応援していた筈なのに、時々晴美に気が付いて初心者にも理解できるように解説をしてくれた。
(自分勝手な奴だと思ってたのに、ちゃんと気にしてくれてるんだ)晴美は初対面の時とは少し違う思いで英紀の横顔を見つめた。
(あれ?)晴美の胸の中に不思議な感覚が生じた熱く苦しい鼓動が鳴る、息が苦しく、吐息も荒くなっている気がする。でも、英紀には気付かれてはいけないと思った。
その瞬間、澄んだ空が急に暗くなった。そして大粒の雨が競技場を襲ったのだった。
誰もが目を丸くして驚いている、晴美の隣りで立っていた英紀は何が起こったか解からないとでも言いたげな顔で呆然とグランドを見つめて、横に座っている晴美の方に顔を向けた。
晴美を見る英紀の顔が蒼白になりながら晴美を見下ろしていた。
「私が雨女だって知ってた筈でしょ、晴れ男さん」雨に濡れながら立ち上がった。
「もう、声を掛けてこないでね」英紀を残して競技場を離れた晴美に傘を差しかけたのは唯だった。
「一緒に帰ろうか」唯は優しく語りかけた。
「うん、でもその前に服を乾かしたい、下着の中までびしょ濡れで電車に乗ると恥かしいから…」
「お任せあれ」唯は近くのファミレスに晴美を誘うと、そこには里奈が大きな鞄を持って待っていた。鞄の中には里奈の私服が入っていて、晴美に着替えを促した。
助けてくれる親友が居る、晴美は着替えるために籠もったトイレの中で涙が溢れた。
「サイズはどうやった?」暫らくして、里奈と唯が待つ席に戻った晴美に里奈が声を掛ける。
「う~ん、身長は丁度なんだけど、バストもウエストも大きいね」晴美は苦笑した。
「それって、私の方が贅肉が多いって事にならへん?」里奈が拗ねた。
「そういう事だねぇ」晴美と唯が笑うので、里奈もつられて笑顔になった。
テレビでは天野直人の紹介が続いている。
「雨を知らない」と口にした天野に対してリポーターは「一度もですか?」と念を押した。
「はい」と応えた天野の顔に嘘が無いように思った。だから、と天野が続ける。
「私が居る場所には雨が降らないんです。そこで、雨が降ったら困るようなイベントを企画されている企業さんや学校に招いて頂いています。
雨が降ってイベントが中止になったり延期になったりした時の損失が出なくて済む分の一部を私への依頼料として頂いています」
「なるほど、雨を知らない程の晴れ男という特技を生かしたお仕事なんですね、羨ましいお話です」そんなリポーターのコメントに天野が微笑していた。
「でも天野さん、もし雨男や雨女さんが現場にいらっしゃった時はどうなるんですか?」
「さぁ、先程も申しました通り、今まで雨を体験した事がありませんから私の方が影響力が大きかったのかな?」飽くまで爽やかな表情を崩さない天野を晴美は夢中で見つめた。
(この人なら、もしかしたら私に雨が降らなくても楽しめる時間を与えてくれるかもしれない)番組の最後に紹介された天野が運営している『太陽派遣業』の連絡先を手帳にメモをして、誰にも知られない胸の高ぶりを覚えていた。
外では、急に雨が降り始めた。
手帳に書き込んだメモは、そのまま連絡する事も無く晴美の頭の片隅にずっと残っていた。季節が巡り年が改まると、新しくなった手帳にも書き写された。
この年は、新年早々から異常気象に襲われた。冬の間は雪の量が多く、全国でその被害が相次いだ。
春の訪れも遅く、東京でも四月中旬に雪が積もった日があった程だったのだ。その反動だったのか、梅雨時期になると雨が降らない日が続き、水不足が深刻な問題となった。
そんな中でも、晴美の周囲では順調に雨が降っていた。
小学生の時からの腐れ縁になっていた唯や里奈も時々やって来て晴美を連れ出した。そうする事で雨が降る場所があるからだった。
「誰にも知られんと人助けをしてるなんて、正義の味方みたいやなぁ」里奈は相変らずのノリでそんな事を口にすると、唯もそれに同意して頷いた。
その同じ時期に天野直人には大きな危機が迫っていた。
天野が運営する「太陽派遣業」を口の悪い人々は「太陽屋」と揶揄し見下していたが、この異常気象がそのままバッシングの対象となった。
連日、新聞や週刊誌には
『太陽屋の影響で雨が降らない!』
『自分が儲かる為に世間を騒がず悪魔』
『面白半分に天気に介入する快楽主義者』
『自らを神と勘違いしているおめでたい男』
『そもそも、そんな不気味な奴はこの国に要らない、いや国どころか地球上で必要としない!』などの見出しや記事が飛び交ったのだった。
気になっている天野の記事なのでついつい目が行ってしまう晴美だったが、書かれている内容の惨さに怒りすら覚えていた。
この時になって晴美は初めて太陽派遣業に電話を掛けたが、何度掛けても話中になっていた。この時、天野の電話には数え切れないくらいのいたずら電話が殺到し、回線がパンクしていたのだった。やがて、天野が行方不明になったニュースが全国を駆け巡った。
晴美は天野行方不明のニュースの後も何度も何度も電話を掛け続けた、しかし、その度に悲しい想いで受話器を置く事になった。この頃になって唯が晴美の様子に気が付き、天野に対して真剣になっている事実を知った。
「晴美ちゃん、天野さんは絶対に見つかるから…」そんなありきたりな言葉しか掛けられない自分を頼り無いと思いながら、何とかできないかと思案していたのだった。
ちょうど同じ頃、里奈は和田と再会していた。小学校の卒業式で噂になった二人だったが、中学の時は何事も無く、高校進学で違う学校に行ってからは顔を合わす事すら無かったくらいだった。二人の再会に関わっていたのは一つ年上の竹谷だった。和田と竹谷は同じ企業に勤め、偶然同じ部署だった事から話す機会が多くなり、母校が同じだった事を知った。その中で共通の人物として名前があがったのが細川里奈だった。
「偶然の再会に乾杯!」和田は満面の笑みでビールを空けて里奈との時間を楽しんだ。
「ところで竹谷先輩は、その後辻元先輩とどうなったん?」里奈が和田から視線をそらして尋ねた。和田はそれでも気にせず里奈に絡もうとしたが、竹谷の話にも興味があった。
「あれねぇ、せっかくお膳立てしてもらったんだけど…」竹谷が大袈裟に両手を合わせた。
「三年生になってお互いに受験勉強で忙しくなっちゃって、最初は励ましあって一緒に勉強してたのに、レベルが違いすぎたというか、私がバカだったから…。
彼の勉強の邪魔にならないように身を引いちゃって、そのままサヨウナラ」
「そうだったんですか…」
「でもね、あの時みんなで私に勇気をくれたんだと思うんだよね、だから感謝してる。
ところで、あの時の雨女の子、確か牧村さんだったっけ? 元気にしてる?」
里奈は「はい」と応えて、晴美との様々なエピソードを披露した。
すると、竹谷は安心しながら里奈にとうような眼差しを向けた。
「実はね、私の一つ上の先輩に弘前輝之という人が居るんだけどね…」
「はい、何でしょう?」里奈は突然の話に意味が分からないままそう訊ねた。
「その弘前さんの親友が天野直人さんなの」
「あの太陽派遣業で有名な、雨を知らない晴れ男の?」
「そうそう」ここで一旦一息入れた竹谷は話を続けた。
「天野さんが今、行方不明なのは知ってると思うけど、親友の弘前さんですら連絡が取れない状態なんだって。
天野さんはウチの会社の式典にも毎年協力してくれているんだけど、雨を降らせないと言っても、精々小さな規模の都市一つ分の範囲くらいで全国的な異常気象には何の関係も無いのに…
だから、天野さんが帰って来た時に癒してあげられる女性が必要だと思うの?」
「それを私が?」里奈が訪ね、和田が目を丸くして驚いた。
「細川さんには和田君が居るじゃない、私は牧村さんが適任だと思うんだけど、どうかな?」
里奈は少し警戒した。
「先輩、『晴れ男と雨女が一緒になったらどうなるんだろう』なんて浮ついた話ではありませんよね?」こう言って里奈は竹谷を睨んだ。
「最初にこの話を切り出したのは天野さんと弘前さんの学生時代のお友達の同窓会だったそうよ、その時はそんな興味本位の話も出てきたと聞いてるけど、弘前さんは真剣に親友としての天野さんを心配して相手を探してるわ」
「わかりました、それなら弘前さんと先輩を信用して晴美に話してみます」
バラバラで繋がる筈がなかった糸がこうやって繋がっていった。
数日後、里奈が先に唯に相談すると、唯は晴美の天野に対する想いを里奈に伝え、不思議な運命の組み合わせを喜んだ。
秋になると三つの台風がたて続けに日本列島を襲い、全国的に続いた水不足は解消された。それと同時に雨が降らなかった地域に天野がいる事を弘前が突き止めて迎えに行ったのだった。
この時に、友人達が天野に彼女を作らせようとしている気持ちと晴美の連絡先を書いたメモが天野に渡された。
弘前は天野に必ず連絡するように念を押して、天野も渋々了解した。
最初に晴美の名前を見た時は“晴”という字が晴れ男の天野に対する冗談で見つけた女性だとも思ったらしい。でも、信頼している親友の弘前の薦めに間違いがないと信じた天野は、晴美に連絡した。
「もしもし、牧村です」
受話器から天野が聞いた声は、優しそうで柔らかかった、でも、何かに陰を感じたらしい。
「もしもし、どなたですか?」晴美はもう一度相手に問い掛けた。
「あっ、申し訳ありません。弘前輝之君から紹介を受けた天野直人です」
「えっ、天野さんですか」晴美の声から天野が気になった陰の部分が消えて、明るい声で応えた。
しかし、その後は無言になってしまった。
「どうしました?」天野が心配そうに訊ねると、「ごめんなさい、すごく嬉しかったんです」と声を詰まらせながら晴美が応えた。
「でも、初めてお話をする前じゃないですか」
「そうですよね、おかしいですよね」晴美の声が涙声になっていた。
「あの…」
「ごめんなさい、いきなり泣いたら驚きますよね」
天野はフッと肩の力を抜いて優しく「二回目ですよ」と言った。
「えっ?」
「『ごめんなさい』って言葉」
「あっ、ごめんなさい」電話を持つ晴美は同時に頭も下げていた。
「ほら、また」
その途端に二人は声を出して笑った。
「でも、僕から電話が掛かって来たくらいで、なぜ涙が出てきたんですか?」天野にとっては当たり前の質問だったが、晴美は少し躊躇しながら「実は、私、雨女なんです」と口にした。
意外な返事に驚く天野に対し、晴美は
「と、言いましても、天野さんの反対で『青空を知らない』という訳ではないんですよ、でもイベントの参加は当然の事、少し違うお店に買い物に行くとか、いつもは電車通勤をしている会社に気分転換で自動車通勤をしてみるとか、普段の生活に少しでも変化をつけると雨が降ってしまうんです。
特に、私の気持ちが高ぶる時は確実に雨になるんです。
今回の異常気象でも、私の周りではそれなりに雨が降っていました。
ですから、私とは逆の事で成功しておられる天野さんがテレビに出演されているのを見てからいつも気にしていました。そして不思議なご縁から今回のお話を頂いたのです」
「弘前はどうやって僕を勧めたんですか?」
「はい、『牧野さんには申し訳ないと思っているのですが、友達連中が究極の晴れ男と雨女が付き合ったらどうなるか面白そう! と盛り上がっていて、天野に牧野さんを紹介するように言われました』と仰っておられました。
私も最初は晴れ男の天野さんに興味を持ったところから始まっているので、そのお話を進めて頂く事にしたのです」晴美の話の途中から天野の聞いている受話器の向こうで大きな音が響いた。
「今、近くで雷が落ちました、また雨になるみたいです。今日は嬉しいお電話をしているからでしょうね」
「ここは、晴れていますよ」
天野は、これほどまでに天気に運命つけられている人間を自分以外で初めて出会った、きっと晴美が自分を知った時も同じ想いだったのだと気付いた。同じ想いを持つものにしか解からない仲間意識のようなモノが生まれ、自分も彼女をもっと知りたいと思うようになっていた。
「牧野さん、今度は会ってゆっくり話をしてみませんか」
「えっ、それって…」
「お付き合いするとか、しないとか、そんな事はまだまだ答えは出せませんが、このままで終わりにしたくないと思ってしまいました。
だから、すぐ近くで感じられる距離でゆっくりお話がしたいんです」
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
「願っていれば、必ず叶うんですね。今日ほどそれを実感した日はありません」晴美はそう告げるとまた涙声になった。
「会う前からそんなに期待を持たれたら困っちゃいますが…」
「そうですね、そう考えたら私も心配でドキドキしてきました」晴美は天野の顔を知っているが、天野は晴美の事を全く知らないと言っていい、もし天野の好みに合わなかったら、なんて心配も晴美に過ぎった。
「では、今度の日曜日でいいですか?」日曜日と言えばあと六日間だった、でも晴美にとったは一日千秋の長さになる事は間違いなかった。
「わかりました」
こうして初めての会話は終わった。
晴美の胸が高鳴っている、それにリンクして外の雷もひどくなり嵐になりそうな予感もしてきた。
天野も胸を高鳴らせていてくれたらどれほど嬉しい事だろう、そんな淡い期待も込められていた。
翌日、晴美の所にはまた天野から電話があった。
結局毎日電話が続き、会った時には話す事が無くなっているのではないかと思えるくらいの長電話となった。
その度に雷雨となるご近所には迷惑だった事だろう。
土曜日には里奈と唯がやって来て、毎日近所に迷惑をかけている晴美をからかった。
「そんな事やから、真由ちゃんも自分のデートでは心配になるんとちゃう?」里奈は遠慮なく言った。
そうかもしれない。今の晴美ならそうお見える、間違っても携帯電話を壁に投げつける事はしないだろう。
「それにしても、楽しみだよね」唯がそう言ったら、里奈もうんうんと頷いた。
「何が?」
「明日が、晴れるか、それとも雨になるか? 注目だと思わない?」
晴美はそこでやっと思い出した、自分が雨女で天野が晴れ男だったと言う事に…
天野は自分の運命を変える人なのだろうか?
日曜日
ついに約束の日がやって来た、今日は雨となるのか、それとも晴れるのか?
そんな事は関係無しに晴美の胸は高鳴っている。でも、もし贅沢が言えるなら、今日は傘を使いたくない。
念の為に鞄に入れている折りたたみ傘を玄関に置いて、敢えて傘を手にしなかった晴美は玄関のドアを開けた。